26ウォーケン1

3368 【奪うもの】

夜が来た。ウォーケンはベッドに入っても落ち着けず、眠れなかった。夜が来て、『夢』を見るのをいつも恐れていた。

少し水を飲み、また横になった。

ホーゲンにある病院に勤め始めて一年が経っていた。それより前の記憶は無かった。襤褸を着て放心したまま街を放浪する彼を匿ったのは、ダンという名の医師だった。自分の名前も思い出せない青年に『ウォーケン』という名を与えたのもダンだった。

ダンは医者として多くの人を救ってきた人物だった。辺境の都市ホーゲンに居を構え、荒れ果てた僻地の街を巡って貧者を救ってきた。またそういった活動の傍ら、インペローダやミリガディアの中央都市にも出掛け、その技術と名声によって支配階級から資金を得ていた。

そのダンの下で、ウォーケンは助手として働いていた。ウォーケンは自分個人の記憶は失っていたが、医療の知識を持っていたため、ダンの助手として働くこととなった。ダンはそんなウォーケンを、深い理由も問わずに自分の手元に迎え入れた。医療に関する確かな技術と知識を認めてのことだった。

ウォーケンは眠るのを諦め、自室に据え付けた研究台に向かった。

「また眠れないのかな?」

いつの間にかダンが部屋の前に立っていた。居候でしかないウォーケンの部屋に、鍵の掛かるドアは無かった。そもそもこの病院自体がとても古い建物だった。ダンは貧乏ではなかったが、その資産の殆どを僻地の巡回診察のために使っていた。

ウォーケンはダンと共に街を回る度に、奇妙なものを集める習慣があった。

「これはなにかの役に立つのかな? このままじゃ、この部屋に収まらなくなるんじゃないか?」

部屋に入ってきたダンはウォーケンの机の側に立った。そこには乱雑に積まれたガラクタ――壊れてしまったオートマタ――があった。

「すみません、散らかすつもりはないんです。 ただ気になってしまって」

ダンは机の端に乗せられた、古い、ぼろぼろの犬型オートマタの頭を撫でた。

「気にするな、気が紛れるなら自由にやればいい」

「いつかこの子らも直せれば、きっと世界は豊かになると思って」

「人間以外の修理も得意というわけか。 面白い男だな、君は」

ウォーケンの手元にあったのは、もう何十年、いや何百年も前に動かなくなった機械だった。渦が世界を破壊する前、薄暮の時代と呼ばれた世界で生きていたそれらの機械は、今では地上で見つけるのは困難になっていた。オートマタを作り上げ、修理し、動かしていたエンジニア達は地上を去ってしまった。オートマタは朽ちるがままにされていたが、ウォーケンはそんな機械に強く惹きつけられていたのだった。

「いえ、得意というわけでは……。ただ、こういうのを弄っていると、とても落ち着くので」

「そうか。 こんど、何か動くようになったら見せてくれ」

「はい」

ダンはウォーケンの部屋から去って行った。

ダン達は、渦に飲まれた辺境を巡って無償の診療を行う旅に出た。

いくつかの街を巡って多くの恵まれない人々を救った。ダンと助手のウォーケン、数人の看護師達は忙しい日々を過ごした。

ウォーケンは疲れた体を横にし、移動診療所の脇に作られたテントの中で眠りについた。

ウォーケンはオートマタの調整を行っている。その傍には自分の行動を監視するかのように、男が立っていた。

今の立場と同じように、この男の助手をしている事だけはわかった。

相手にしているオートマタは人の形をしていた。

この人形であるオートマタを前にした自分の中に、奇妙な不安感が広がっているのがわかった。

男が最後にスイッチを操作すると、人形が目を覚ました。

そして、ウォーケンと目が合った。

ウォーケンはここで目が覚めた。まだ外は朝になっていない。自分が夢の中で誰の助手をしていたのか、そこがどこなのか、全くわからなかった。

唯一思い出せるのは、目を覚ました人型オートマタの目の色と光、それと、不安感だけだった。

ウォーケンは心を落ち着かせるためにテントの外に出た。

すると、診療所の前に誰かが倒れていた。ウォーケンが傍に寄って確認すると、倒れていたのは若い女性で、足に銃創を負っているようだった。急いで診療所から看護師を呼び、意識を失った彼女を施設の中に収容した。

足を撃たれた女性の治療を終えると、朝になっていた。彼女はまだ眠っている。自分一人で治療ができると判断したウォーケンは、ダンを起こさなかった。

ダンが起きてくると、ウォーケンは事の次第を報告した。

「なるほど、銃で撃たれていたか。 この辺りは安全だと思ったが」

「やはり辺境です。色々と注意は必要です」

女性が目覚めたと聞いて、二人は様子を見に行った。ダンが傷を診て感心する。

「幸い動脈が傷付いていなかったので命拾いしたな。名は何という?」

「ありがとうございます。 トーマと言います」

「まあ、礼はウォーケンに言うのだな。彼の夜更かし癖が君を救った。あのままだったら失血死していただろう」

「ありがとう、ウォーケン」

若い女性は照れたように顔を伏せて礼を言った。

「ところで、誰に襲われたのだ?」

ダンの問いに、女性は俯きながら答えた。

「旅の途中に野盗に襲われて、仲間とははぐれてしまいました……」

「そうか、かわいそうに。 傷が治るまでここにいると良い」

「すみません……」

トーマと名乗った女性は、顔を上げることなく言った。

そんな事件から一週間が過ぎた頃、ダン達は街を離れることになった。簡易診療所を畳み、隊商を組んでホーゲンまで戻るのだ。

重症患者は地元の医院や宿に移されることになった。

「ウォーケン、頼みがあるの。私を連れて行って」

トーマは既に松葉杖で動ける位に回復していた。退院しても問題はない。

「ここにいても未来はない、家族も失ってしまったし。あなた達と一緒に働くことはできないかしら?」

ウォーケンはダンに彼女の事を相談した。

ダンは「お前に任せる」とだけ言った。ウォーケンはトーマを自分の元で働かせることにした。

ホーゲンに向けて出発した次の日、不意に隊商の動きが止まった。周りを駆ける蹄の音がする。ウォーケンがワゴンから顔を出して辺りを見回すと、数名の警備の男達が飛び降りて銃を抜くのが見えた。隊商に緊張が走った。

「銃を出すのは止めときな」

盗賊の長らしき男が銃を構えたまま言った。

「ノーラ! 首尾はどうだ?」

そこにはダンの首元にナイフを突きつけたトーマの姿があった。彼女はダンを連れて、盗賊団の用意した馬に飛び乗った。

トーマは盗賊の一味で、彼らが孤立する旅中での襲撃を手引きしていたのだった。ウォーケンはそれに気付き、激しく後悔した。

ウォーケンが飛び出して、盗賊達の前に立ちはだかる。

「行かせはしない」

「出過ぎたまねをすると死ぬぜ」

首領格の男が銃を向けながら言った。

「ウォーケン、ここは引け。 命を無駄にするな」

ダンが盗賊達に押さえつけられながらもウォーケンに言った。

「俺達はこんなじじいに用はねえ、ただ単に金を渡して欲しいのさ」

「ここに金などあるわけないだろう!」

ウォーケンも抗弁する。

「そんなことはわかってる。 だが、お前らの診療所はどうだ? バックに金持ちがたくさんいるってのは、俺達だって知ってる。 そいつらから金を出してもらえばいい」

盗賊達はダンを縛り上げると馬に乗せた。そして、ノーラが紙切れをウォーケンに渡した。

「じじいと引き替えよ」

「その場所に金をもってこい。引き替えにこのじじいを帰してやる。あばよ」

盗賊団は去って行った。ウォーケンの手元に残された紙切れには、二十万ギリーという要求金額、受け渡し地点、そして指定日時が書かれていた。

ウォーケンはホーゲンの病院へ戻ると、金を掻き集めた。留守を守っていた副院長と共に院の金を集めた。ダンのスポンサーである貴族にも連絡を付け、どうにか日時までに金額を揃える事に成功した。

あるミリガディアの有力者が軍を出して賊を捕まえようと提案したが、ウォーケン達はそれを拒否した。ダンの身にもしもの事が起こるのを恐れていたのだ。

取引にはウォーケンが一人で向かう事になった。彼自身が志願したのもあったが、何より、ダンに最も信頼されているのがウォーケンである事を、周りの人間は知っていたからだった。

約束の場所は丘の上にあって見晴らしがよく、ウォーケンが他の人間を連れて来ていない事がすぐにわかる地形だった。

ウォーケンは黙々とトランクを抱え、一人、丘を登った。

丘の上には六人の盗賊が待ち構えていた。

「時間どおりだな」

ナイフや銃を持った盗賊に、ウォーケンは囲まれた。

「さあ、言われたとおりの金を持ってきた。 ドクター・ダンを返してほしい」

「あせるな。 まずは金だ」

マスクをした小柄な男が首領らしき男に命じられて、ウォーケンの元に金を取りに行く。

「ダンの無事を確認するまでは渡せない」

ウォーケンは取りに来た小男にトランクを渡すのを拒否した。

「往生際が悪いぜ、お前に選択肢なんてねえんだ。 渡せ」

「ダンの無事を……」

そう言う前に、トランクを取りに来た小男に切りつけられた。胸元のシャツが大きく斬られた。

「ちっ、面倒だから殺そうぜ。 金は手に入ったも同然なんだ」

マスクの小男が言う。手に持ったナイフを左右にゆっくりと振っている。

「やめろ、ダンを返してくれ」

「うるせえ」

ナイフで襲ってきた小男を払おうとして、トランクを地面に落としてしまう。襲ってきた小男は素早い動きでトランクを奪い取り、仲間に投げた。

「さあ、もらうもんはもらった。 あとはお前の始末だけだ」

この盗賊達はダンを返すつもりがないことを、ウォーケンは確信した。

何かがウォーケンの中で弾けた。

「うぉ……」

首領格の男が喉を押さえて倒れた。次々と他の男達も鮮血と共に倒れる。ただ一人、ウォーケンに対峙したマスクの小男だけが立っていた。

「殺しはしていない」

倒れた盗賊達の喉元には深く針が刺さっていた。とてつもない正確さをもって頸椎を貫いたそれは、相手の体を麻痺させていた。

「化け物! お前何者なんだ!」

自分の仲間が全て倒されたことで、小男は恐怖で混乱していた。

「それをお前に語る必要はない。 ダンはどこだ」

ウォーケン自身も、咄嗟の出来事に内心混乱していた。自分の中にこんな力があるとは思っていなかったのだ。

「向こうの馬車だ……連れて行く……頼む、助けてくれ」

小男は丘の向こうに置かれた盗賊達の馬車に案内する。ウォーケンは脅しのためにナイフを手に握った。

「この中だ」

馬車の前で、小男は中にいる仲間に声を掛ける。

「ノーラ、じじいを連れてきてくれ、ボスが必要なんだとさ。た、頼む」

ダンの見張り役は、自分を騙したノーラらしい。

「ああ、わかった。いま行くよ」

ノーラがダンを連れて馬車から出てくる。彼女はまだ足を引き摺っていた。

ダンは縛られて目隠しをされたまま、ノーラの前に引き立てられるような形になっている。

「あんた、ドジふんだね」

ウォーケンと小男の様子を見て、すぐにノーラは異変に気付いた。銃を出してダンに突きつける。

「すまねえ。 ただ俺が悪いんじゃねえ、この男が……」

「言い訳はいらないよ、切り札はこっちが持ってるんだ。とっと金を渡さないと、じじいを殺すよ」

「金は渡す。 ダンを返すんだ。 誰も傷つけるつもりはない」

ウォーケンはダンさえ無事であれば、金の事や盗賊である彼らの事などどうでもよかった。

「うるさい、はやく金を渡すんだ。 渡さないなら、二人とも殺すよ」

ノーラは癇癪を起こし始めていた。

「足が痛むのか? 包帯を取り替えていないのだろう。 こんな馬鹿げたことはやめて、早く――」

「うるせえ、金を渡せ!」

ノーラは激昂してダンを突き放した。

ウォーケンの元によろよろと歩き出すダン、だが、途中で足を縺れさせて倒れてしまう。

ウォーケンは咄嗟にダンを支えようと前に出た。その瞬間、ノーラはダンを撃った。一発目は背中に、二発目は後頭部に。鮮血がウォーケンに降りかかる。

「てめえが苛つかせるからだぞ、クソ……」

ノーラの侮蔑の言葉が終わると同時に、針が彼女と小男を貫いた。ウォーケンは何の感情も無く、ただ反射的にそうしたのだった。

ウォーケンの意識は、ダンを助けなければいけないという気持ちと、傷からいって決して助かる事はないという医者としての知識との間で固まったままだった。

彼はただ、ダンの傍で立ち尽くす事しかできなかった。

「―了―」