03グリュンワルド4

3394 【死の軍勢】

夜明け前。黒いベールを一枚ずつ剥ぐように空が白んでいく。普段ならば、鳥や虫が目を覚まし、やがて昇る朝日を歓迎する歌を奏でる時間帯だ。しかし今はその代わりに、金属と金属が擦れ合う音と大勢の人間が立てるざわめきが支配していた。

援軍としてロンズブラウ軍を率いているグリュンワルドはひとり陣から外れ、黙々と剣を磨いていた。

トレイド永久要塞。それがグリュンワルド達がいる砦の名前だ。古くからルビオナ王国において難攻不落と謳われてきた砦だ。今日に至るまで幾度も帝國軍に苦汁を嘗めさせてきた。今回も同様に自分達が勝利する。それはこの場に居並ぶ将兵の誰もが確信していたことだろう。払暁の光に照らされる兵士達の顔には余裕があり、中には笑い声を上げている者さえいた。しかし、その笑い声は空からの轟音によって掻き消された。

――ズゥゥン

空に浮かんだ巨大な戦艦・ガレオンから轟音が響き、一瞬の後、王国軍の陣に爆発が起きた。砲撃の直撃を受けた兵士達は人形のように吹き飛び、残った者も恐怖に陣を乱した。

そこに決死の突撃を行う帝國兵が襲い掛かる。怯んだ王国兵は瞬く間にその数を減らしていった。

帝國の新兵器の圧倒的なその姿は、様々な小国家の連合体である王国軍の意思と統率を挫くのに十分だった。

「殿下、このままでは我が軍にも甚大な被害が」

グリュンワルドの元に部隊長が駆け寄ってくる。直接の砲火に曝されていないロンズブラウ軍は統制を保っていたが、兵士達の間には恐怖と動揺が走っていた。

「全軍に後退を指示しろ。あの化け物から離れて機を窺う」

「りょ、了解しました!」

部隊長が顔を強張らせて走っていくのを見送った後、グリュンワルドは前方に展開する部隊を眺めた。混乱する軍団の中に統率の取れた動きで展開する部隊があった。そこにはルビオナ装甲猟兵の戦旗がはためいている。女王直下で名を馳せるオーロール隊の姿も見えた。

トレイド永久要塞がルビオナ王国を守る『盾』ならば、装甲猟兵は敵を打ち破る『矛』。その火力は他の部隊を遙かに凌駕する。いかな巨大戦艦といえども無傷という訳にはいかないだろう。それがグリュンワルドの考えだった。

――ドゥゥン。

――ドォォォンンン。

装甲猟兵による砲撃が始まり、巨大戦艦に火柱が上がる。戦艦も砲撃を装甲猟兵に集中させているが、その巨体故の動きの遅さが徒となって攻撃を当てる事ができない。装甲猟兵達は持ち前の機動力を生かして、巨大戦艦に果敢に挑んでいった。

やがて、ガレオンは黒煙を噴いて高度を落とし始めた。

「墜ちる!」

「やったぞ!」

それまで絶望に打ち拉がれていた王国軍から歓喜の叫び声が上がる。それとは対照的に帝國軍の士気は下がり、戦況は逆転した。

「今だ! 突撃せよ!」

その機を逃さず、グリュンワルドは自らが先頭に立ってガレオンが墜ちてくる場所へと突進した。眼前の帝國兵を斬り殺し、刺し殺す。敵の血がグリュンワルドのマントを赤く染め、その切っ先は人間の骨を砕いた代償として僅かに欠けた。

――ズゥゥゥゥン。

やがてガレオンは地響きを立てて地面へと着陸した。甲板の上には王国兵と帝國兵が入り乱れ、一瞬ごとにその命を散らしていた。

その戦いの中心に一人の異形の女性の姿があった。その手には指揮杖がある。返り血に塗れた凄惨な姿で、うっすらと笑みを浮かべている。グリュンワルドはその姿に僅かな共感を覚えた。

「女、貴様が指揮官か」

グリュンワルドが問いかけると、女将軍は美しく微笑んだまま首を傾げた。

「あなたは誰?」

「グリュンワルド・ロンズブラウ」

「そう……あなたがあの」

女将軍の表情は変わらない。夥しい数の死体の中で美しく微笑んでいた。だが、それはグリュンワルドも同じであった。

「その命、もらい受ける」

そう呟くと、身を屈めて突進する。一瞬にして女将軍の眼前に迫り、振りかぶった剣を鋭く振り下ろした。

ギィン!

女将軍が咄嗟に氷の盾を生み出してその身を庇う。しかしグリュンワルドの切っ先は、僅かながらも女将軍を傷つけていた。

「はっ!」

突然現れた人外の技にも、グリュンワルドは怯まない。

そのまま人間とは思えぬスピードで剣を振るう。振り下ろす度に女将軍の身を守る氷を削り、ジリジリと詰め寄っていった。

「くぅっ!?」

やがて女将軍はグリュンワルドの猛攻を支えきれなくなり、体勢を崩して舳先へとはじき飛ばされた。

「もう逃げ場はない……死ね」

相手に立ち直る隙を与えずに再び突進した。グリュンワルドの体が霞み、次の瞬間には女将軍の目前に出現した。そしてそのまま、グリュンワルドの繰り出した刃は女将軍の体を貫いた。

「ぐっ……」

白き女将軍は信じられないといった表情でグリュンワルドの剣を見る。そして、「……私は、まだ」と呟いた。

「まだ息があるか」

グリュンワルドは無造作に剣を引き抜く。その感触はいつもと違い、固く無機質なものだった。

「貴様……」

人ではないな、という言葉がグリュンワルドの脳裏に浮かんだ。しかし、だからどうだと言うのだろう。グリュンワルドが殺めてきたのは人間だけではない。獣、自動人形、《渦》の化け物。そして、今では自分自身も『人』ではない。

「いや、言うまい。死ねば皆同じだ」

そう言うグリュンワルドの顔には笑みが浮かんでいた。

ビチャリ。

剣を振り上げたグリュンワルドの背後で不快な音がした。何かが粘り気のある水に落ちたような音。本能的に危険を感じて、グリュンワルドは振り返る。

「……っ」

そこには首が切れて片腕が無い死体がいた。それに、脚を失って体に大きな穴を開けた死体も。もはや活動を止めた筈の肉体が、ユラユラと立ち上がってグリュンワルドへと向かってきていた。死の感触に耽溺してきたグリュンワルドであっても、それは脅威の光景であった。

「貴様、何をした。女」

蠢く死体から目を離さずにグリュンワルドは声を上げる。背後から女将軍の鈴を鳴らすような声が響いた。

「……死を、あなたも私に死を見せてくれるんでしょう?」

「何を……」

「さあ、死者達。お前達の手で、さらなる死を生み出しなさい!」

グリュンワルドが剣を構えるのと同時に、女将軍は叫び声を上げた。その声を聞いた眼前の死体が一斉にグリュンワルドに群がる。

「くっ……」

グリュンワルドの振るった剣が一体の死体を吹き飛ばす。死体の動きは遅く、個体で見ればその戦闘力は低い。しかし、恐怖も痛みも知らぬ膨大な数の死体に囲まれては、剣を振るう事もままならない。

剣を振るった右手が死体の腹にめり込む。その右手にいくつもの口が噛み付き、肉を食い千切られる。それを払おうとした左手に死体の骨が刺さって血飛沫を上げる。その血を啜ろうとさらに死体が群がる。

グリュンワルドの肉体は、死体で押し潰されていった。

「………………」

死が迫っていた。

全身の肉を食い千切られる苦痛の中でグリュンワルドは考える。自らが生み出し、楽しんできた「死」によって、今度は自らが死ぬ。

死は平等に降りかかる。

それが今だ。

目を閉じたグリュンワルドの口に自らの血が流れ込む。口の中に鉄臭い血の味が広がった。その瞬間、ボロボロだった体に一瞬だけ力が戻った。生への執着が、他者を踏みにじる愉悦への渇望が突如沸いてきた。

先程まで諦めかけていた脳に活力が漲る。体中から肉が剥がれ、片腕は半ば千切れている。しかし、まだ動くことは出来る。

グリュンワルドは力を溜めて体を反転させ、自分の肉体へ群がる死者達を振り解いた。

「死者どもよ、ただの肉塊へ戻れ」

そしてどうにか握られていた剣を振ると、凄まじい剣圧で死者どもを吹き飛ばした。

グリュンワルドは笑っていた。

しかし、精神の高揚とは逆に体は無残な姿を晒していた。剣を持たぬ右腕は肘先が無くなり、片足の大腿部からは白い骨が見えている。

死者との間合いを取ったグリュンワルドだったが、既に立つことも容易でなくなっていた。装甲猟兵の砲撃が激しさを増し、その衝撃で足下が揺らいだ。グリュンワルドはふらふらと甲板の端まで来ていた。

死者の軍勢が再びグリュンワルドの元に集まり始めていた。聞こえなくなった耳のどこかで、あの女将軍の嬌笑が聞こえたような気がした。

笑みを浮かべたグリュンワルドが残った左腕で剣を構えようとしたとき、死者の軍勢とグリュンワルドの間に砲弾が着弾した。

衝撃で意識が薄れつつ、グリュンワルドは甲板から落ちていった。その四肢の力は抜け、奇妙な形のまま地面に打ち付けられた。

「―了―」