13ベルンハルト3

3387 【氷河】

「A中隊の行方は、まだわからないのか」

ミリアンの低い声が静まりかえった部屋に響く。

「はっ。現在もまだ消息が判明しておりません」

「そうか……」

報告を終えた部下が退出すると、ミリアンの顔に微かな憂いが浮かんだ。そして、傍らに立つベルンハルトの方へ顔を向けた。

「どう思う、ベルンハルト」

「そろそろ限界だろう。これ以上待つと、救援の意味が無くなる」

「そうだな……よし、全員に装備を整えるよう伝えろ。三時間……いや、二時間で出発する」

「了解した」

「A中隊がいるのは寒冷地だったな。それなら防寒装備も必要か」

「問題ないだろう。そんなに長居する訳じゃない」

「そうか、そうだな」

小さく頷くと、ミリアンは立ち上がってベルンハルトの肩にポン、と手を置いた。

「それじゃあ、一応報告に行ってくるか。仲間の救援にも申請が必要とはな」

部屋から出て行くミリアンを見送ると、ベルンハルトも続いて退出した。皆に出撃を伝えるために。

ミリアンの決定から正確に二時間後。D中隊から選抜された救出部隊は《渦》内に突入していた。

本来は温暖な気候の草原であった場所が今では冷たい氷に覆われており、囂囂たる吹雪が視界の全てを白く染め上げていた。

過酷な環境にも耐えるコルベットですら、低温と雪により本来のスピードで飛ぶことができない。メンバーの中には、捗らない救出作戦に焦りを隠せない者も出てきたが、さすがにミリアンやベルンハルトといったベテラン達は落ち着いていた。

「隊長、前方の地表に蛇のような生物を数体確認。コルベットと思われる機体へ攻撃を掛けています!」

《渦》の中に入って一時間程が経過し、ようやく吹雪が少し収まりかけた時、報告が上げられた。

「A中隊の人員は確認できるか?」

「ここからでは人影は見えませんが、時折銃撃と思われる光が確認できます」

怪物は巨大な頭足類のような形をしていた。巨体から無数の腕が生えており、それぞれが独立した生き物であるかの様に動いている。そして、その口には大型捕食動物の様な牙が並んでいた。

「急接近して敵性生物を攻撃。A中隊のメンバーを救出する!」

「了解!」

コルベットは急降下し、これまでの鬱憤と焦りを吹き飛ばすかの様な攻撃を仕掛けた。上空から思わぬ攻撃を受けた怪物は、口と腕を引っ込めてずるずると後退した。そして、そのまま近くにあった沼に体を沈めた。

「よし、着陸しろ。ただし周囲の警戒を怠るなよ」

怪物の体が完全に見えなくなったのを確認し、コルベットは着陸した。

「ミリアン隊長!」

ミリアンがコルベットから降りると、地上で戦っていたA中隊のメンバーが歓声を上げた。その数約二十人。中隊の三分の一にも満たない。彼らの傍には外装がひしゃげたコルベットと数人の遺体が置かれていた。

「生存者はこれだけか。ヘルムホルツはどこだ」

ミリアンが眉を顰めると、現場を統率していた第二小隊長のヨーナスが敬礼をしながら報告した。

「ヘルムホルツ中隊長は最初の会敵時の戦闘で死亡しました。第四小隊もコルベットごと……」

歴戦の勇士であるヘルムホルツの死は、この渦の脅威を改めてミリアンに認識させた。

「アーチボルト副長の下、第一、第三小隊の計二十二名がコア回収へと向かっております」

「そうか……だが、状況から考えてコアの回収は困難だろう。撤退の準備を始めろ」

そう言ってミリアンがさらに言葉を続けようとした時、ヨーナスがそれを遮った。

「ですが……我々の任務はコアの回収です! このままでは中隊長や仲間の死は……」

「冷静になれ。また機会はやってくる。これ以上、戦力を失うわけにはいかない」

「ですが……」

「安心しろ。アーチボルト達を置いていくようなことはしない」

「………………」

ヨーナスは唇を噛みしめて俯いた。その姿をじっと見つめていたベルンハルトが、ぼそりと言った。

「俺が行こう」

「ベルンハルト?」

「ミリアン、ヨーナスの言うことにも一理ある。すでにアーチボルトが先行しているなら、俺達がそれをサポートして回収すればいい」

「ベルンハルト、お前……」

「ミリアン、ここでコルベットを確保していてくれ。回収は俺の部隊でやる」

「わかった。ただし無茶はするな。アーチボルト達の確保が最優先だ」

「……ああ。第一小隊は俺に続け!」

ベルンハルト以下十六名のレジメント達は、再び強くなってきた吹雪の中、《渦》の最奥へと進んでいった。

吹雪が白い壁のようになってベルンハルト達の前に立ちはだかる。地面も空も真っ白で、視界はお互いの体を確認するのが精一杯だ。先行している筈のアーチボルト達A中隊の隊員は、まだ見つからない。

もう、引き返すべきか……。

ベルンハルトの脳裏にそんな考えが浮かんだ時、前方から地鳴りのような音が聞こえた。

「敵か!?」

咄嗟に身構えたベルンハルトの前に巨大な黒い影がそびえ立った。巨体の周りには無数の腕が気味の悪いヌメリを帯びて生えており、グネグネとその存在を主張している。その姿は明らかに通常の生物の範疇を超えていた。

「こいつはコア生物だ……」

「えっ?」

ベルンハルトの呟きを聞いたレジメントが、驚きの声を上げる。

「あの化け物の内部にコアがある」

渦の中で出会うコアには様々な形態がある、土地を守る宝珠であったり、動力や魔力の源として奉られ、守られていたりする。しかし、希に土着の敵性生物の内部に取り込まれている場合があり、その生物との戦闘は非常に熾烈なものになるのが常だった。

「ほ、本当ですか!?」

ベルンハルト以外にこの生物がコアを持っていることを感知できる者はいなかった。他の人物には無い経験と能力が、ベルンハルトには備わっていた。

「俺がコアを確保する。お前達は援護しろ」

「隊長!?」

そう言い捨てると、ベルンハルトはライフルを構え、単身で敵へと突撃した。

疾走するベルンハルトに次々と牙を剥いた腕が襲い掛かる。ベルンハルトはそれを切り裂き、あるいは掻い潜って怪物の体へ近付いていった。

「よし、もう少しで……」

怪物の体の中央で黒く光るコアが、ベルンハルトの目に映った。コア生物との戦いでは、コアと生物との繋がりを絶つことが鍵となる。

懐に潜り込んでしまえば、コイツを倒すのはそんなに難しい事じゃない。

それは油断と呼ぶには余りにも小さい、気の弛みとも言えない思いだった。しかしコアを確認したことで、一瞬だけ目の前の戦闘から意識を逸らしたのは事実だった。

「……ぐっ!」

左足に何かが巻き付いたかと思うと、ぐいっと引かれて体勢を崩した。慌てて剣を地面に突き刺して堪えるが、そこに何本もの腕が襲い掛かってきた。

「くそっ……」

崩れた体勢のまま何本かの腕を払い除けるが、敵の数は無数だった。一本が胴体に絡みつき、また一本が足を封じる。あっという間にベルンハルトは絡め取られてしまった。

「隊長!」

遠くで部下達が呼ぶ声がする。ライフルを構えたまま、撃つことを躊躇しているようだ。

「撃て、構うな」

ぬめぬめと蠢く軟体質の腕に締め付けられながら、ベルンハルトは叫んだ。

「早く撃て!」

「し、しかし……それでは」

ベルンハルトの体が持ち上げられ、地面に叩きつけられる。

「……っ!!」

「隊長!!」

「は、早く撃て……」

ガン!!

ベルンハルトは叩きつけられながらも体をよじり、ライフルを構え直した。そして自らを縛る腕ではなく、敵の本体目がけて弾丸を発射した。

「……ぐぐっ」

ベルンハルトの攻撃を止めようと、腕の締め付けが強まった。視界が暗くなり、呼吸さえも困難になる。しかし、ベルンハルトの右手はトリガーを引き続けた。

……ここが俺の死に場所か。

やがて弾が尽き、右手から銃が落ちた。それと同調するように、ベルンハルトの意識も無くなろうとしていた。

その瞬間。

空気を切る鋭い音と共に、ベルンハルトを縛る腕に何発もの銃弾が着弾した。蠢くその触手に正確に命中させる神業を見せたのは、今はA中隊を率いているアーチボルトだった。

腕の力が抜け、ベルンハルトは地上に落とされた。

「大丈夫か、ベルンハルト」

駆け寄ったアーチボルトが話し掛けた。

「アーチボルト、助けるつもりが助けられたな……」

「こいつを追っていたんだが、見失っていたところだった」

ベルンハルトの部隊とアーチボルトの部隊は今や合流して、触手の化け物を追い詰めていた。

「コアの位置、正確にわかるか?」

「ああ、顎の下だ」

「ここで始末をつける。お前はここで休んでいろ」

アーチボルトは戦闘に戻るために立ち上がった。

「なに、まだできる」

ベルンハルトは立ち上がろうとしたが、目眩を起こして再び膝をついた。

「メディック!」

自分の小隊付きの衛生兵をアーチボルトは呼びつけた。

「無理するな。兵を借りるぞ、ここで仕留める」

アーチボルトはそう言って、戦いの場に戻っていった。

メディックに介抱されながら、意識に障害を残したベルンハルトの目に、敵の巨体が崩れ落ちる様子が映った。

……まだ死ぬときではなかったらしい。

ベルンハルトは奇妙な喪失感を覚えながら、そのまま意識を失った。

「―了―」