3395 【襲撃】
ミリガディアを離れると決めた次の日、アベルの部屋にノックの音が響いた。
「入るよ」
ジェッドの声だ。
「行くのかい?」
「ああ、レオンを探さないとな。約束を破る男じゃない。何かあったのかもしれない」
「そう……」
「世話になったな」
アベルは手を差し出した。
「また、ここらに来たときは寄ってよ。まあ、綺麗なとこじゃないけどね」
「ああ、そうするよ」
二人は握手をし、ジェッドは部屋を出て行った。
短い時間だったが、ジェッドと過ごした時間にアベルは名残惜しさを感じていた。自分があの少年に感じているのは、昔の姿を思い出させるような何かがあったからかもしれない。
そんなことを思いながら旅支度を終えたときだった。
窓の外で怒声が響いた。
「大変だ! 襲撃だ!」
「スラムの方には行くな! 皆、死んじまうぞ!」
「絶対に近寄るな! 毒がまだ残っているかもしれない!」
スラムで何か起きている。ジェッドが絡んでいるのかと、咄嗟にアベルは思った。
「おい、あんた。 そっちはやばいぞ」
スラムの方へ向かおうとするアベルを、宿屋の主人が引き留めた。
「なに、様子を見に行くだけだ」
レオンを探す、という目的はあるが、急ぐ旅ではない。何よりジェッドの安否が気になった。
◆
スラムの近くまで行くと、そこには多くの衛兵が詰め寄せていた。殺気立った衛兵から聞き出した情報によれば、スラムに毒ガスが撒かれていて今は誰も立ち入ることができない、とのことだった。襲われたのは一区画だけだったが、そこの住人は殆どが死んだとも聞いた。
「……ジェッドのヤツ、巻き込まれていないだろうな」
そう呟いて踵を返すと、野次馬の中に見慣れた顔を見つけた。その姿を見て、アベルは無意識の内に笑みを浮かべていた。
「ジェッド、大丈夫だったか」
「ああ、ボクは戻る途中だった」
ジェッドの顔には怒りの表情が浮かんでいた。アベルに対しても睨むような視線をぶつけている。
「仲間がやられたのか」
「ああ。ジークの野郎も、メリッサもやられたって話を聞いた。 ちょっと出ていた隙にやられちまった。戻らないと」
ジェッドが食いしばった歯の間から絞り出すように言葉を紡ぐ。両手の拳は強く握られ、僅かに血が滲んでいた。
「……そうか」
その様子はアベルに昔を思い出させた。まだレジメントだった頃は、仲間の死を嘆き、悲しんだ。ジェッドはまだ気持ちをストレートに表現する素直さを失っていないのだろう。
「まだ生きてる奴がいるかもしれない、急がないと」
「やめとけ。 命がいくつあっても足りないぞ。 この衛兵達に任せておけ」
「あんな奴らに任せておけるか」
そう言ってジェッドは衛兵達を迂回してスラムに戻ろうとしたが、アベルがその前に立ちはだかった。
「落ち着け、ジェッド。 相手がわからないうちに動くのはまずい」
「あんたには関係ない! ここはボクの街だ! ボクが守る」
完全にジェッドは激昂していた。
「お前に何ができる、ジェッド」
「……あんたにはボクの力を見せてなかったな。 ボクは誰にも負けない」
すっ、とジェッドの顔から感情が消えたように見えた。
「……どけよ、ここであんたに力を見せたっていいんだ」
ジェッドの感情と気迫に、アベルは何か畏怖すべきものを感じ取った。それはレジメントを離れてから久しく感じていなかったものだった。
「わかった、行けよ。ただし、俺にも付き合わせろ」
とにかくこの少年を一人にしてはいけないと思った。
「勝手にすればいい!」
二人は衛兵達が守る門を避け、抜け道となっている場所へ走った。
◆
走りながらジェッドがアベルに声を掛ける。
「この街を出るって言ってただろ。なんで付き合うんだ」
「別に急ぐ旅でもないからな」
それに、とアベルは続ける。
「見過ごすのも性に合わない」
「ボクと一緒にいると、ろくな死に方はしないよ」
「死に方なんざ、どうでもいいさ。 要は生き方だ」
アベルの言葉を聞いて、ジェッドは黙って前を向いた。
◆
走る二人の前に、ジェッドが見知っている若い男が飛び出してきた。
「ジェッド! まだ奴らがいる。 今度は東に向かってる。 皆殺しだ」
「クソ! ふざけた奴らだ! 何のためにこんなことを」
「ジェッド、犯人は多分お前を探してるぞ。 まだ息があるヤツが話してくれた。 背格好と、お前の力について聞かれたって」
「ボクが目当てなら正々堂々と相手してやるのに。 周りを巻き込みやがって」
「やばいよ、ジェッド。 逃げた方がいい」
「いや、ここまでやられたら黙って逃げるわけにはいかない。 お前は生きてる皆をつれて街を出てくれ」
ジェッドはそう若者に言い残すと、アベルと共に襲撃者達がいる東に向かった。
◆
「あいつらか?」
半ば崩れた建物の陰に身を隠す二人の前に、怪しげなローブを纏い、マスクをした男が見えた。少し離れた場所には細身の女が立ち、辺りを見回している。
「……おかしなメガネをした奴と、女が一人」
ジェッドが眉を顰めてアベルに話し掛ける。アベルはその男を凝視していた。
「……あいつ! いや、まさかな」
「知ってるのか?」
「知り合いだが……、死んだと思っていた奴だ」
そもそも、あの男は《ジ・アイ》に突入して帰らなかった筈だ。それがここにいる。
「幽霊じゃなきゃ、俺もあいつに聞きたいことがある。 あの赤いのは俺に任せろ」
「あいつらが犯人なら、たとえあんたの知り合いだって容赦はしないよ」
「ああ、わかってる。とりあえず俺に行かせてくれ。お前はここで待っていろ」
「わかった」
「女が何かしたら動いてくれ」
ジェッドをその場に残し、離れた場所からアベルはゆっくりと男に向かっていった。
赤い髪、サングラスに大きなトランクを持ったその男は、現れたアベルに気がついてマスクを外した。
「よう、アベル。奇遇だな。どうした」
まるで数日会わなかっただけのような気軽さで、男は声を掛けてきた。
「全部お前らがやったのか?」
「この消毒のことか? ここらにゃ汚いのがたくさんいてね。 捜し物をあぶり出すのには、この手がいいかと思ってな」
「死んだと思ってたぜ」
「まあ、色々あってな。そうだ、暇してるなら手伝えよ」
アベルはゆっくりと剣を抜いた。
「ここは渦の中じゃない。人間の住む場所だ。 やってることは殺戮だぞ」
「俺にとっちゃ似たようなもんだ。 邪魔だから始末しただけだぜ」
「今すぐそのトランクを置け。 そして黙って立ち去れ」
「ずいぶんとでかい口を利くようになったな、アベル。 お前ごときの指図は受けんよ」
男は再びマスクを被り、アベルと距離を置き始めた。
「させるか!」
アベルは剣を構えたまま一気に距離を詰める。右と見せかけて左、そしてまた右と、次々と剣を繰り出した。その斬撃のスピードは剣の残像を残すほど早く、まるで幾本もの剣を同時に操っているかのようだった。
「ちっ!?」
アベルの踊るような剣戟を受けきれず、男は肩に傷を負い、トランクを失った。
「あきらめろ。エンジニアのお前に勝ち目はない」
「いい気になるなよ。小僧」
そう言うと男は懐に手を入れた。身構えるアベルを見て小さく笑うと、試験管を引き抜いて素早く自分の口に入れた。
「お前の騎士の力など、オレの研究の前には児戯だということを教えてやる」
そのロッソの笑みには、明らかに狂気の色があった。
「―了―」