17スプラート3

3398 【ミルク】

「つまり、あなたはアインという子を探しているのね」

「うん」

スプラートは注いでもらったミルクを飲みながら、小さく頷いた。相手の少女はスプラートの突拍子もない話にも、素直に頷いている。

「あの……」

「ん? ミルク、もっといる?」

ミルクが注ぎ直されたカップを、スプラートは恥ずかしそうに受け取った。

「ありがとう」

「でも不思議な話だね。どこか別の世界から、あなたみたいな子がやって来るなんて」

パルモは自分のカップにもミルクを注ぎながら言った。

パルモが小さかった頃には、《渦》と呼ばれる場所から多くの怪物が現れたという。異形の姿を持った怪物は多くの災いをこの世界に残し、今もなおその傷痕は癒えていない。その事を思えば、スプラートの事も不思議な事ではないと思っていた。

「でも、どうしたらいいんだろう、これから……身体も変わっちゃったし……」

スプラートが語るには、前の世界ではもっと小さな女の子だったらしい。パルモはスプラートの肩を抱いて引き寄せた。

「大丈夫。 今はこうして元気でいるんだし、元の世界よりは安全だと思うよ。 しばらく休むといいよ」

スプラートは改めて部屋の中を見渡した。こちらの世界は妖蛆に浸食されることもなく、緑と水が豊富だ。それに住人達は皆、スプラートに優しかった。

「アインもどこかにいるのかな。この世界に……」

か細い声でスプラートが呟くと、パルモが

「そうじゃない? だってその『手』は願いを叶えてくれたんでしょう? きっとアインもこの世界にいる。わたしも探してあげるよ」

と明るく答えた。

「ありがとう、パルモ」

「元気になるまで、ここにいていいからね。もちろん、元気になってからも」

「うん。でも、なるべく早くアインを探しに行こうと思う……」

「焦らない方がいいと思うな。 スプラートが元気になったら、必ず一緒にみつけてあげるよ」

パルモはそう言って立ち上がった。

「わたしはお仕事に行ってくるね。スプラートは、それを飲んだらもう少し寝た方がいいよ」

「わかった」

スプラートの返事を聞くと、パルモは軽い足取りで出て行った。

パルモといると、あのいつまでも追われている恐怖、そして異世界に来た不安が、ゆっくりと溶けていくように感じた。それは、ずっと感じることのできなかったものだった。

「早く元気になって、アインを探さないと……」

この世界に来た意味を思い出して小さく呟いた後、目をつぶった。

部屋で横になっていると、大きな獣がスプラートの傍にやって来た。自分より随分と大きく、襲われればひとたまりもないのではと思う程だったが、不思議と恐怖心は沸かなかった。

「乗せてくれたのは、確か君だよね。ありがとう」

スプラートがお礼を言うと、獣は小さく頷くように首を動かした。と同時に、スプラートの頭の中に言葉が流れ込んできた。

『ああ。 お前はずいぶんと軽いな』

「えっ!?」

スプラートは驚いて、その獣をじっと見つめた。獣の目はじっとこちらを見つめ返している。何かを見透かすように。

『ワシの言葉が聞こえるか』

「うん。聞こえるよ。君、しゃべれるんだ。 あれ? でも、声は出ていないよね?」

『声ではない。意思だけを伝えているのだ』

「すごいね……」

まじまじと獣を見つめる。銀色の毛並みは美しく波打ち、その身体からは力が漲っている。

「あ、パルモはここにいないよ」

『ああ、知っている。パルモからお前についているよう、言われてな』

「ありがとう。でも、もう落ち着いた」

『そうか』

そう獣は意思を伝えると、スプラートの傍に身を伏せた。

「あ、君の名前は?」

『ワシの名か? 人間はワシのことを聖獣としか呼ばんな』

「でも名前はあるんでしょ?」

『ふむ。パルモだけは、ワシをシルフと呼ぶな。』

「じゃあ、わたしもシルフって呼んでいい?」

『かまわんよ』

スプラートは傍に伏せているシルフに近寄り、声を掛けた。

「ねえ、一緒に寝ていい?」

『ああ』

スプラートはシルフに頭を乗せ、目をつぶった。

『お前は大切な人と離ればなれになってしまっているそうだな』

「うん」

『ワシも探すのを手伝おう。出来る限りのことはしてやる』

「ありがとう」

『お前はワシと似ている。』

「どういうこと?」

『ワシもこの世界にやって来たのだ。別の世界からな』

「そうなんだ! でも、どうして?」

半身を起こしてスプラートは言った。

『話せば長くなる、それにずいぶんと昔のことだ。 忘れてしまったな』

「もとの世界には戻らないの」

『戻ることはできない。それに、もうワシはずいぶんと生きた。ここでの暮らしも長い。戻ろうとも思わん』

シルフは伏せたまま呟くように、そう意思を伝えた。

「そう……」

『ワシもお前くらい小さいときにここに来た。何もわからぬままな。 それから色々な事があった。悪いことも良いことも』

「寂しくはなかったの?」

『昔はそう思っていたかもしれないが、今となっては思い出せない。しかし、自分が哀れだと思ったことはない。ワシはこの世界を受け入れ、こうして、ささやかだが幸せに生きている』

「ふうん」

自分も元の世界に戻れないのかもしれないと考えて、スプラートは少し不安になった。

『お前は若いから、まだわからぬことも多いだろう。聞きたいことがあったらワシに言うといい』

「どれくらい、この世界にいるの?」

『季節が百を超えたあと、数えるのをやめたよ。』

「そんなに長く……。 でも、どうしてここに来たの? シルフも巨人に出会った?」

『巨人? それはわからんが、ワシも連れてこられたのだ』

「元の世界に会いたい人はいないの?」

『会いたい人か……。 元の世界の記憶は薄れてしまってな。もう覚えてはいない』

「そう」

なんだかスプラートは再び眠たくなってきた。自分と同じ境遇のシルフと語らっているうちに、少し興奮しすぎたようだ。

『すこし話しすぎたな。 眠った方が良い』

「うん……」

スプラートはシルフの身体の温かさを感じながら眠りについた。

スプラートは夢を見た。しかし、それは前に見た悪夢の続きではなかった。

自分はシルフになっていた。

自分である幼いシルフは、少女と共にいた。見知らぬ道を二人で歩いていた。

彼女との間にある信頼はとても心地よかった。とても懐かしく、幸せな気持ちが流れ込んできた。

そこに不安はなく、ただ互いがいることによって、全ての痛みから解き放たれるような感覚だった。

ずっとこの子といたい。そう強く思った。

しかし、少女は自分の元を離れていく。必死に付いていこうと思うが、足が動かない。

焦り、叫ぶが、少女は先に行ってしまう。一度も振り向かないまま。

スプラートが目を覚ますと、シルフはもう部屋にはいなかった。夜の気配がテントを包んでいた。

少女への懐かしさ、憧れだけが胸に残っていた。

「―了―」