12アイン4

—- 【出会い】

若い新兵が籠を持って係官に話し掛けていた。

「ちゃんと検疫を受けているのか?」

ちらと、係官は籠の中身を見る。

「はい、受けました。ただの猫です」

「C.C.なら兵装開発室だ。今の時間なら、そこにいるぞ」

レジメントの研究棟への道順を教えられたグリュンワルドは、アインを入れた籠を持ってそこに向かった。

「ローフェン師から?」

籠を受け取ったのは、兵装開発室で働くエンジニアだった。C.C.と作業着にタグが付けられている。眼鏡を掛けた二十歳過ぎの若い女性技官だ。

「じゃあ、届けたんで」

「ちょっと! 君!」

無愛想な新兵は、籠を置いてさっさと行ってしまった。

「なによ、これ……」

籠の中には猫がいた。毛並みは美しく、健康そうに見える。籠と一緒に渡された自分宛の封書を開けると、ローフェンからの言付けが入っていた。

C.C.は中を確認してみる。

「面白い素材だ。 研究してみると良い」

とだけ書いてあった。

元々兵装局を取り仕切っていたのはローフェンだった。レジメントの設立初期の頃、その発明の力をここで発揮していた。たまに連絡を取り合ってはいたが、こんな荷物が届くことは初めてだった。

「よくわかんないけど、まあ、何かあるのかもね」

籠の中の猫はニャーと鳴いて、がりがりと扉を引っ掻いている。

「いま出してあげるわ。 ちょっと待っててね、ご飯を用意してあげる」

籠を床に置き、ミルクと皿を持ってくる。扉を開けると、猫は飛び出してきた。

「あんまり、いたずらしないでね。ここにはいろんな物があるから」

そう言うとC.C.は猫を置いて、自分の作業机に戻っていった。

残された猫は皿のミルクを飲み続けている。しかし、周りに誰もいなくなると、顔を上げて辺りを確認した。

アインは目的地に無事に着いて、少しだけ安心していた。あの少年に嬲り殺されるのではないかと、気が気でなかったのだ。とにかく自由になったのだから、宝珠の手掛かりを見つけ出さなければならない。今度は危険な人物に見つからないように行動しなければならない、と決意した。

ただ、宝珠を探し出すにも闇雲に行動するわけにはいかない。少しずつでも観察して状況を理解するしかない、とアインは考えた。

主に夜中に、人目を盗んで施設の色々なものを見て回った。

レジメントの敷地には様々な建物があった。アインがいる研究棟の他にも宿舎が二棟、広い運動場を挟んであった。遠くにはいくつかの尖塔があり、この領域を監視するように立っていた。

ここは森の生活とは掛け離れていたが、多くの人間が暮らしていることがわかった。それぞれの建物を行き来する間に人に会うこともあったが、この姿ならば見つかりにくいし、そもそも、見つかったとしても誰も気に留めなかった。この身体でなければ、こうして忍び込むことなどできなかっただろう。これも大母様のお導きだと、アインは感謝した。ただ、実際に宝珠を見つけた時にもこの姿のままだと、持ち帰ることは叶わない。この場所に来てからは一度も元の姿に戻れていなかった。一抹の不安がアインにはあった。

「この猫はなんだ?」

ある日の昼、アインが寝床のある開発室で休んでいると、話し声が聞こえてきた。

「ローフェン師が送ってきた猫です」

年嵩の技官の質問に、C.C.が答えている。

「ローフェン師が? 奇妙な話だ。 あの人は動物になど、別に興味無いと思ったが」

「面白い素材だから、って手紙が添えられてました」

「素材? まさか、ボケたんじゃないだろうな」

「本当に猫なんですかね?」

「解剖でもしてみるか」

技官の言葉に、アインはすぐさま反応した。逃げ出そうとしたが、すぐに捕まえられてしまう。下手に抵抗して暴力を振るわれるのを避けるため、じっとしていた。

捕まえたアインに顔を近付け、じろじろと技官は観察する。

「冗談でしょ!? やめてください、バルデム技官!」

C.C.は上司らしき技官からアインを取り返した。

「ただの猫だな。 まあ、また今度、真意を聞いてみるさ」

「まったく……。 ねえ、お前、名前なんにしようか?」

「名前なんかつけるな。 情が移って、処分するときに面倒だぞ」

C.C.の上司らしき技官はそう言って、持ち場に戻っていった。

「しかたないわね、名無し猫ちゃん。 でも、あとでちゃんと考えてあげるわ」

C.C.はアインの頭を撫でると、床に降ろした。

ある月夜の晩だった。アインは目覚めると、久し振りに自分が元の姿に戻っていることに気が付いた。もし籠の中にいたまま元に戻っていたらどうなったんだろうか、などと考えてみたが、まずはこの身体の時にしかできないことをやろうと、すぐに行動を始めた。裸で歩き回るのはさすがに気が引ける。幸いこの研究室にはC.C.の作業着が無造作に放置されていた。アインはそれを着込んで部屋を出た。

アインは協力してくれそうな人に会いに行こうと決心した。この場所に宝珠がある、ということはわかっていても、自分一人の力で取り戻すことができるかどうか、心許なかったのだ。

この施設に自分を送り出してくれたローフェンは、C.C.宛てに仕向けてくれた。きっとローフェンは、C.C.なら協力してくれると思っていたのだろう。

そっと技官宿舎へとアインは向かった。C.C.の名前が書かれた部屋の前に来る。幸い、誰とも出会わずにすんだ。

ノックをすると、しばらくしてC.C.の声がする。

「だれ? こんな時間に」

「あの、私、えーと、猫……猫です。 あれ、猫なのかな?」

自分を説明する方法が思いつかず、アインは慌てた。

「はあぁ? ちょっと、ふざけないで、夜中よ」

がちゃりとC.C.はドアを開けた。そこには自分の作業着を着た女の子が立っている。

「だ、誰、あなた?」

C.C.は眼鏡を掛けながら聞いた。表情には不信感が表れている。

「あの、名無しの猫です。本当はアインっていいます」

そう言いながら、自分の耳を指した。

「え、冗談やめてよ。 ほんとに」

C.C.はアインの耳を引っ張った。

「いたたた」

強く引っ張られて、アインは涙目になった。

「あ、ごめん。 マジ……? ……とりあえず入って」

C.C.はアインを部屋に招き入れた。殺風景な部屋で、あまり女性らしい飾りなどは無かった。

「猫人間? ローフェン師は一体何をしたの? まさか人間と猫を掛け合わせたんじゃ……」

「あ、あの、説明させてください」

アインはローフェンに話したことを、そのままC.C.にも話した。

「なるほど」

C.C.の父親とローフェンは師弟関係ににあった。父親が死んでからも、自分を孫のように可愛がってくれていた。そして、ローフェンがなんでも受け入れてしまう奇矯な性格だということも、よく知っていた。

「ローフェン師に出会えて、あなた、よかったね」

「そうですね。 きっとこれも大母様のお導きだと思います」

「まあ、なんにしても、異界からきた知的生命体ってのは貴重ね。 そんな存在とコミュニケーションが取れるなんて。 でも……」

「でも?」

「私が知っている限り、あなたのような生命体がいた世界は記録に無いのよね。 レポートに漏れがあるのかな」

C.C.は親身になってアインの事を考えてくれそうだ。アインは少し安心した。

「あなたの言う宝珠がコアのことだとしたら、返してあげられるかどうかはわからないわ。 けど、できるだけの協力はしてあげる」

「ありがとうございます」

「異界に文化を持った知性体がいるなんて、発見だわ。 代わりにいろんな話を聞かせてね。 あ、あと、猫に変身するところも見せて!」

「あ、はい。 たぶん陽が昇れば変わると思います」

「まじで! 今晩は寝られないわね。 あ、動くレコーダーあったかな?」

C.C.は部屋の奥に捜し物に行ってしまったようだ。

アインはC.C.が協力してくれそうなので、心から安心した。そして、しばらく待ってもC.C.が帰ってこないので、隣の寝室のベッドで寝てしまった。

「あったあった。これさえあれば……って、寝てるし……」

レコーダーと呼んだ機械を手に戻ってきたC.C.は、アインが勝手に寝てしまっているのを見て呆れた。そして、自分もベッドに腰掛けた。

「疲れたのかしらね。 それにしても、とんだ研究資料を送ってくれたわね、ローフェン師は」

そう言いながら、子供の様な表情で眠っているアインの髪を、C.C.は撫でた。

次の日から、C.C.は猫のアインを連れて歩くようにした。例え昼間は猫であろうとも、エンジニアが管理する重要施設をうろうろさせる訳にはいかないからだ。

「まあ、しばらくは私と一緒にいろいろ見て回ってみて。 何か気付いたことがあったら教えて」

C.C.はアインにそう話し掛けた。ただし、会話ができるわけではないので、アインは頷くことしかできなかった。

ある時、C.C.はハンガーと呼ばれる広い建物内にアインを連れて行った。

「ここは私達兵装課がコルベットを修理する場所。 あ、コルベットっていうのはあの乗り物のこと。 こいつに乗って渦の中を進むの。 見たことある?」

肩に乗ったアインにC.C.は囁く。

そこに、森で見た『黒いゴンドラ』があった。

アインはC.C.の肩から降りて、さっと、そのゴンドラの方に駆け出した。

「あんまり遠くに行っちゃ駄目よ。アイン」

ゴンドラの傍で若い技師に話し掛けている男に、アインは見覚えがあった。その服装からエンジニアでないことはすぐわかった。そして傍まで寄って、はっきりとその男の顔を確認した。

その男は、あの夜に出会った青年だった。

黒いゴンドラ乗り達は森を高速で飛び回り、そして今まで見たことのない力――光る剣や、音と閃光を放つと同時に見えない矢を射出する道具などだ――で、森の戦士達を次々と倒していった。

アインは「微力であったとしても、自分の力が役に立つのではないか」と思って、宝珠をめぐって争う場に向かった。しかし、それはとんだ思い上がりだった。森の戦士達はアインの目の前で次々と倒されていった。恐怖で何もできなくなったアインは、大木の上で動けずにいた。

森の戦士達の抵抗が終わると、ゴンドラ乗り達は不思議な機械で宝珠を囲った。

何をすることもできずにそれを眺めていたアインが、男達に見つかった。咄嗟に隠れるが、掃射を受け、バランスを崩して枝から落ちた。いくら身軽なアインでも、この位置から落ちれば無事では済まない。ばちばちと細い枝が身体に当たる。どんどんスピードを増し、地面が近付いてくる。衝撃に備えて身を固めたとき、誰かに抱え上げられた。

「子供じゃないか」

アインに言葉はわからなかった。しかし、マスクを外したその顔を、はっきりと記憶に刻んだ。

「どうした、フリードリヒ」

離れたゴンドラ乗り達の本隊から声が掛かる。

「大丈夫だ、害はない。子供だ」

「油断するな。 何をしてくるかわからんぞ。 始末したほうがいい」

「無意味な殺しまでは、することはないさ」

呟くように言ってアインを木の根元に降ろし、青年は言葉がわからないであろうアインに、身振り手振りを使って「じっとしてろ」と伝えた。

「じっとしてろ、な。 動かなきゃ、誰も君を傷つけない。 もうすぐ俺たちはいなくなる」

しばらく時が止まったかのような感覚になった。アインはじっと青年を見つめた。

「フリードリヒ、どこだ? すぐに退却するぞ」

「ああ、いま行く」

「動くなよ。 君を傷つけるつもりはない」

そう最後に念を押してから、フリードリヒは去って行った。

そして、宝珠は森から失われた。

アインの心に、憤りと恥ずかしさと懐かしさがない交ぜになった感情が込み上げてきた。

ただ、それとは全く違う感情があることにも気付いていた。

こうしてもう一度会えたことが、何より嬉しかったのだ。

「―了―」