3377 【門】
レジメント基地のメインゲートを抜けた後、リーズは検疫を受けるために装備を外し、コルベットから降りた。
「今回はよくやったな、リーズ。 報告書、なるべく早くな」
降り際に小隊長のベルキンから声を掛けられる。
リーズがレジメントに来てから十ヶ月程が過ぎていた。作戦参加回数は、既に二十回に達しようとしていた。
コア攻略は今回を入れて三回目だった。そして、また帰ってくることができた。
リーズは検疫班が遺体を下ろしているのを眺めていた。死体袋からは血が滴り落ちている。袋に綻びがあるようで、千切れた腕が地面にころがり出た。マスクをしている検疫作業員はそれに気が付かない。リーズはその腕を拾い上げて死体袋の上に乗せた。死んだ仲間の腕は、思ったより軽く感じた。
その瞬間、リーズは自分が今回も生き残ったのだということを、実感として受け取った。あの質の悪い夢のような『渦』から戻ってこれたのだと。死と自分との距離が、今ここにいる限りは離れている、と。
「必死の思いでやっと帰ってこれたと思ったら、この仕打ちか。エンジニア共の潔癖には付き合いきれねえな」
装備を外しながらローレンスが声を掛けてきた。リーズより一年早くレジメントに参加した、荒野出身の二十代後半の男だ。二人とも検疫施設に歩き始めた。このレジメントの基地には、もしものために備えられた障壁器の内側に、施設と切り離される形で検疫施設が設けられていた。寄生型の生物や疫病などのチェックをエンジニア達が行う施設だ。
「確かにな」
多くの隊員達はこの検疫作業を疎んじていた。元々荒野に住んでいた者、生活圏を脅かす異界の怪物との戦いを続けてきた者達は、そんなものを気にして生きてはこなかった。検疫の項目は多岐に渡るので、施設に戻るのに一日近くここに留め置かれることになる。施設からマスクと防護服に身を固めたエンジニア達がぞろぞろと出てきて、コルベットの除染と装備の回収を行っている。隊員達は対照的に、戦闘服を渡した後、下着だけになって除染室に向かった。
「ったく、びびりすぎだぜ。 酒と柔らかいベッドをお預けにされてる俺らの身にもなれって話だぜ」
ローレンスのぼやきをリーズは聞き流した。
「どうした、さすがに疲れたか?」
まだ、あの腕の重さの感触が残っていた。
「ああ、そんなとこだ」
リーズはそう言って、シャワー室に足を進めた。
◆
所属するE中隊で行う簡単な追悼式が、基地に帰投してから三日目に行われた。霊園と呼ばれる施設の一区画には、既にたくさんのモニュメントが並んでいる。新しい六つが、今回の作戦で追加されることになった。
連隊長であるスターリング、リーズの所属するE中隊の幹部と作戦に参加した隊員、エンジニアが式に参加していた。隊員の中には怪我を負っている者も多い。
霊園のモニュメントの前に、遺骨が納められた銀色の長方形の箱が並べられている。ただし、実際に火葬された遺骨が入っているのは、遺体を持ち帰ることのできた二箱だけだった。
日々の作戦、戦闘の中で犠牲は出続ける。昨日まで笑って話していた男が、今日にはこの世界からいなくなる。街中での戦いなどとは比べられない日々だ。
リーズは仲間を悼む演説を聴いていると、急にここにいるのが場違いな気がしてきた。渦の近くで死に物狂いに戦っている時が現実で、今いるここは、何か幻であるような気分になっていた。
式典が終わった時、中隊長のヴィットに声を掛けられた。
「リーズ、あとで司令室まで来てくれ」
◆
司令室では、さっきの式典での礼服を着替えたスターリングが待っていた。隣には中隊長のヴィットが立っている。
「今回の作戦の戦闘詳報、読ませてもらった」
スターリングの手元には報告書がある。
「クラスCの敵性生物を、一回の出撃で六体か。 驚異的だな」
クラスCは人間の二倍はあるサイズの怪物のことだ。
「一年足らずでこの成果だ。 底知れんよ」
下から覗き込むような形で、スターリングはリーズを見ている。
「いえ、チームの協力があったからこそです。 自分の手柄だとは思っていません」
リーズは本心からそう思っていた。別に特別なことは何も無いと。気負いも無かった。ただ、戦いの中にいる方が、より現実感があった。
「謙遜だな。 新しく入った者が活躍するのはいいことだ」
「で、今日呼んだのは、ちょっとした依頼がエンジニア側からあってな。若い優秀な隊員をモニターしたいと言っている」
「モニターとは?」
「さあな。彼らが言うには、こうしてコア攻略の戦果が上がっている中で、より効率を上げるために優秀な人材を見極めたい、ということらしい。それを新兵の選抜やトレーニングに生かすということだ」
「リーズ、どうだ。 協力してくれるか?」
「作戦に影響はありますか?」
「たいしたものではあるまい」
「問題ありません」
リーズは即答した。
「ではヴィット、悪いがリーズをエンジニアのモニタリング対象にする。 うまく調整してやってくれ」
スターリングは机に目を戻し、別の仕事に戻った。リーズはヴィットと共に司令室を出た。
◆
「どうした? 気が向かないなら、無理をしなくてもいいぞ」
ヴィットはリーズの落ち着かない様子を気にしていた。
「別に、先程の話のことではありません」
「疲れてるのか?」
「いえ。 次の作戦、いつですかね」
「お前らは帰ったばかりで、補充もこれからだ。 しばらくは休め」
「基地にいても、何もすることがないのは苦手です」
「休むのも作戦の一部だ。次の戦いに備えてな。 お前は若い。 自分なりのやり方を見つけろ。 トレーニングでも遊びでもな」
ヴィットは四十代のベテラン兵士だ。格闘教官をやっていたというその分厚い身体は、人を威圧する感覚を放っている。
「わかりました」
「今度トレーニング室に来い、みっちり鍛えてやるぞ」
「考えておきます」
そう言って、リーズは中隊長と別れた。
◆
一週間程経った後、リーズはエンジニアに呼ばれて検査を受けていた。身体機能の記録を取るということで、様々な器具をつけてのシミュレーションを行わされた。
トレーニング施設を一時的に封鎖し、エンジニアが選抜したメンバーが一〇名程集められていた。基準はわからないが、秀でたメンバーのようだった。中には同じE中隊のクラウス、同時期に入隊した、今はA中隊にいるマキシマスといった、よく見知った顔もいた。
「久しぶりだな、マキシマス」
「ああ」
訓練の途中でリーズは声を掛けた。同じ訓練期間の間、よくパートナーとなった男だった。帝國出身で端正な顔立ちで、他の隊員達とはかなり異なる男だった。中隊が別になってからは特に話すこともなかったが、そもそも互いの戦果などを語り合う間柄という訳ではない。だが射撃、剣といった戦闘技術の高さはよく知っていたので、このモニタリングプログラムに呼ばれたことに不思議は無かった。
「A中隊はどうだ? 慣れたか」
「特に問題はない」
「相変わらずだな。 その態度じゃ、小隊でも持て余されてるんじゃないのか?」
マキシマスは特に口数の少ない男だった。リーズも多く語る方ではないが、マキシマスは必要最低限のことしか口をきかない男だ。ただ、同期で年齢も近く、態度は変わり者でも悪くは思っていなかった。また、マキシマスもリーズと一番会話を交わしていた。
◆
次のプログラムの準備のために、エンジニアが訓練場の機械を設置し直している。
その時、小さな爆発音が訓練場に届いたかと思うと、警報が基地に流れた。
「緊急事態。 検疫地区で事故。 コード16。 警備部担当班は西第二ゲート前に集まってください」
エンジニア達の顔がさっと変わり、何か話し合っている。
「なんだ、コード16ってのは?」
「防護服を着て待避しろ、という意味だ。 エンジニアの符号だ」
マキシマスの解説が終わるより先に、リーズは立ち上がった
「今日の帰還予定はE中隊の第一と第二小隊の筈だ。 俺はゲートに向かう」
リーズは何が起こったかを情報交換している隊員達を尻目に、検疫地区とのゲートへ向かった。
◆
検疫地区は高く厚い塀で主要施設と区切られている。そして中央に巨大な鋼鉄製のゲートがある。基地の警備には、専門の兵士もいるが、非常時の対応は輪番で隊員達にも割り振られていた。
「リーズ、来たのか」
警備室の前にはE中隊の面々が集まっていた。小隊長のベルキンに声を掛けられた。
「ああ。状況は? 中隊長達は?」
「わからん。帰還したコルベットに近付いた検疫官がやられたらしい」
「そして二機の内、一機が爆発を起こした」
同じE中隊のメンバーが横から解説を入れる。
ゲートの警備室のモニターには、二機のコルベットが映っていた。一機のハッチからは煙が出ている。
「よく見えないな。 上にあがろう」
「ああ、行こう」
集まったベルキン達E中隊の隊員は、屏へと上がった。ゲートを含む屏は分厚く、上部にはライトや機銃が取り付けられている。既に警備担当の隊員が検疫地区の中に乗り込んでいる。
モニターでは状況がわからなかったが、何人かの検疫官がまだ生きているようだった。
「おい、あいつらを助けに行かないのか!?」
隊員から声が上がる。
「今から武装した警備隊が行く。もう少しだ」
警備担当の隊員が無線で交信しながら答えた。すぐにゲートが開く音がして、警備隊がコルベットへ近付いていく。六人の武装した隊員だ。
その時、煙の出ていないコルベットのハッチが開き、人影が見えた。
次の瞬間、武装した隊員達が血飛沫を上げて倒れていった。残りの三人がゲートに逃げ戻ろうとしたところ、また同じように倒れた。
「何が起きたんだ!?」
隊員達に疑問の声が上がる
「あれはヴィット中隊長だぞ!」
燃えているコルベットの白煙の向こうに、ちらちらと人影が見えた。体格から、確かにヴィット中隊長のように見える。漂う白煙で把握しづらい状況に、隊員達は苛立っていた。
「俺が行く」
リーズはそう言って欄干に足を掛けると、屏を飛び降りた。屏の高さは三アルレ以上ある。皆が声を掛けるよりも早く、リーズは宙を舞った。
「なんて野郎だ……」
事も無げに地面に降り、低い姿勢のままコルベットに向かうリーズを見て、ベルキンは呟いた。
武装していなくても、警備兵がやられたのを見ても、リーズに躊躇は無かった。戦いがそこにある。倒すべきものが目の前にある。考えるより前に飛び込んでいた。
そして、リーズにだけ見えていたものがあった。コルベットから降りてきたヴィット中隊長は『一人』ではなかった。
◆
そっと回り込むようにしてリーズはヴィット中隊長に近付く。途中で倒れた警備兵からセプターを取った。セプターはレジメントの標準装備である伸縮式の長剣だ。
煙に紛れるようにして近付いたリーズだったが、その煙が風で飛ばされ、視界が開けた。
次の瞬間、衝撃がリーズを襲った。警備兵を倒した、あの見えない衝撃だ。
「くっ」
しかしリーズはその衝撃で倒れることはなかった。セプターによってその攻撃を受け流していた。
そして開けた視界で、ヴィット中隊長の姿をしっかりと確認した。
リーズの目に映ったヴィット中隊長の姿は、人外のものであった。背から透明な長い触手が後光のように蠢き、背景を歪めている。ヴィット中隊長の顔は灰色になっており、目は黄色く、焦点も定まっていない。
「取り憑かれちまったのか……」
そう呟くと、剣先を中段に構えて次の攻撃に備えた。
透明に見える触手を確認するには、微妙な屈折だけが頼りだ。普通の人間には、遠くからでは何が起きているのか全くわからない。
攻撃を躱し続けるリーズに、ヴィット中隊長はにじり寄っていった。その間もリーズは勝機を窺っていた。ヴィット中隊長はまだ生きている。知覚や行動は乗っ取られているとしても、確かに歩き、生きている。リーズは彼を救う方法を思案していた。
にじり寄られながらも、リーズは距離を保ちつつ位置を変えていった。
そして、燃えているコルベットの裏に走り込んだ。裏に隠れるように回り込むと、今度はコルベットの縁に手を掛け、上に飛び乗った。流線型のコルベットの上部ではあったが、バランスを崩すことなく軽々と立った。
間髪を入れず、ヴィット中隊長の真後ろへと跳躍した。そして着地と同時に、真横に一閃の一撃を加えた。
透明な瘤として隊長の背中に取り憑いていたその『もの』は二つに裂け、地面に落ちた。すると、まるで糸の切れた操り人形の様に、ヴィット中隊長は地面に倒れた。
◆
リーズはヴィット中隊長の息がまだあることを確認した後、帰還したコルベットの中を確認した。
一機はヴィット中隊長が乗っていた第一小隊のものだ。中に動く者はいなかった。
もう一機の、煙を出したコルベットの中も確認する。中は銃痕と血糊、千切れ撒き散らされた身体の一部の所為で、まるで何かの生き物の臓腑の様相であった。
おそらく、あの『もの』が、生き残った隊員達と争ったのだろう。
奥を確認するためにハッチへ頭を入れようとしたその瞬間、『もの』がリーズの首を目掛けて飛んできた。
しかし、リーズはその攻撃を潜るように躱すと、剣の一閃で切り伏せた。
生きているものの気配は、それで全て消え失せた。
煙を出し続けるコルベットから離れるために、リーズはヴィット中隊長を背負ってゲートに向かった。
少しすると、同じE中隊の仲間がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
「―了―」