3388 【遺骸】
「王が帰ってこられた?」
メルツバウ家臣団は騒然となった。長らく放浪していた王の帰還であった。
「何年ぶりのご帰還になる? しかし、これは目出度い」
「これで我が王家も、新しい戦乱で戦える」
名家メルツバウの王であり、ルビオナ連合王国内において上位の王位継承権を持つリュカの帰還は、歓喜をもって迎えられた。
リュカは、若かりし時は王国を守る勇敢な戦士であり、指導者であった。渦や他国の干渉から臣民を守り、善政をもって民に尽くした。私欲の無い、理想の王であった。
だが、ある事件――愛する王妃と子を同時に失ってしまった――の後、彼は表舞台から身を隠すようにして、荒野に旅出ってしまった。
王不在の国は、希に帰還するリュカの指示の下に、家臣団が取り纏めていた。しかし昨今、帝國の勃興が伝えられるようになると、高い軍事的才能を持っているリュカ王の帰還を待望する声が、連合王国内部でも上がっていた。
「迷惑を掛けたな。 しかし、これからは大義をもって国を率いようと思う」
集めた家臣団を前に、玉座に座ったまま語った。リュカは既に五十代の半ばを越えており、長い旅の生活からか、容姿には衰えが見えていた。が、その声には昔と変わらない、威厳に満ちた響きがあった。
「御意のままに」
家臣団は声を揃えて答えた。
「王がいない間に、王室の廃止を訴える共和主義者が増えましたわ」
リュカの長年の家令を努めているコンロウが冗談めかして言った。彼はリュカより二十近く齢を重ねており、かなりの老境にある。
「なるほど。 もしかしたら、この老いぼれよりなんぞより、その方が良いかもしれんな」
どっ、と家臣団から笑いが起きた。
リュカの帰還には黒衣の異民族が付き従っていた。家臣団に囲まれた王より離れ、入り口の側に固まっている。
「彼らは?」
「古い盟約を守るために、儂に従ってくれる者達だ。 彼らの力を今回は借りようと思う」
マスクの男の鋭い視線を、コンロウは感じた。
不気味な眼差しは酷薄さを表している様で、何故リュカがこの様な男達を付き従えているのか、コンロウには理解できなかった。
「あの者らは本当に信用できるのですか?」
「うむ、その話は長くなる。 が、お前だけには聞かせておこう」
リュカは語り出した。
「あれは二年ほど前になるか。儂はベリア地方の荒野で瞑想をしていた――」
◆
瞑想の時間は四時間を越えていた。視界の中には岩と荒れ地しかなく、広大な平野に動くものは見当たらなかった。
この不毛の地にある巨石の上に、リュカはじっと座っていた。
◆
リュカはおよそ二十年間、断続的ではあったが、放浪を繰り返していた。
若い頃、リュカは自信に溢れた快活な男であった。だが、愛する家族を失った時、己の人生に対する支えを失ったと感じた。王国を率いる気持ちを失い、世の無常さに耐えかね、喪に服す体で宮殿に引き籠もった。
そして、己の人生の意味を見つけるために、王の地位を投げ捨てる形で国を出奔したのだった。
リュカの旅は、主に東方に向けられた。東方は自然が多く残っており、西方の都市化された国々とは異なる渦への適応を見せていた。
この東方の地は、古くからメルツバウ家が属領として支配していた。しかし渦の影響が濃くなるにつれ、次第に繋がりを失っていった。
もう僅かな記録と地図しか残っていなかったが、それでもリュカは各地を巡った。小さな集落から、比較的大きな街まで。
多くは渦の影響により消滅していたが、それでも、そこに生きる人々を見つけると、リュカは旅人としてその地を観察するのだった。
リュカはそうした、失われた己の王国を見聞していきながら東方の思想を学び、瞑想と己が剣技を磨く日々によって、心の平安を取り戻そうとしていた。
◆
そんな日々の中、カナノ地方に寄ったときに、奇妙な噂話を耳にした。
暗闇に住むもの――ドウェラーと彼らは呼んでいた――が、何年か前より現れて原住民を襲い、多くの者が犠牲になったというのだ。
生き残った原住民の話によると、そのドウェラーというものの容貌は動く骸骨のようで、何かを訴えかけるように叫び続けていた、というのだ。
リュカはその話に興味を惹かれ、その原住民が住む地に向かった。
渦の怪物とは違う、奇妙な話だった。未開の民の伝承、噂話にしては、彼らの語り口が逼迫しているように感じられた。
森を抜けてしばらく荒野を進むと、岩でできた高台が見えた。その麓に、崩れ去った街があった。
「ここか」
廃墟に人影など勿論無い。まだ陽は高く、怪異が現れるという時刻までは間があった。
その暗闇に住むという怪異が、例え渦の怪物であろうとも、恐れは無かった。渦の化け物どもと何度も出会い、戦い、生き延びてきた事が、その思いを証明していた。
それに、歳は取っていたが、修練を欠かしていない剣技には、若い頃よりもずっと自信があった。
リュカは廃墟を巡るうちに、奇妙な建物を見つけた。それは高台を作る崖に掘られた墳墓のように見えた。そして、その扉は開いていた。
そっとその墳墓の入り口にリュカは近付いていった。足下の様子を注意深く観察する。足跡の種類が二つ、それも人の足形があった。廃墟の他の様子から考えれば、足跡が残るような事象は全て最近の出来事である、ということが自明であった。
「死者が蘇ったとでもいうのか……」
ひとり呟いた。墳墓の前で辺りを見回す。神経を研ぎ澄ましてみても、何の動きも感じられない。
リュカは慎重に墳墓へと足を踏み入れた。
墳墓の石扉は、片方が外れたように外側に開いている。ただし、人一人分の幅しか開いていないため、中は薄暗いままだ。
中の光景にリュカは瞠目した。
広さは20アルレ四方だったが、その殆どが、山積みとなった白い遺骸によって覆われていた。
白い遺骸は全て人の形をしていた。だが、骨ではなかった。それらは壊れたオートマタの部位であった。
人工皮膚といった有機的な組織はすべて腐れ落ち、白いフレームとくすんだ色のコード類を剥き出しにして、オートマタの遺骸はころがっていた。
ゆっくりとリュカは奥に進んでいった。この廃墟が黄金時代のものであろうということは、リュカにも想像が付いた。人型のオートマタなど見たことも無かったが、歴史の中では、そのようなものがいたことは知っていた。
白い遺骸の山を眺めていると、子供のようなものが多いことに気が付いた。
一つの遺骸の頭部を手に取ってみる。小さなそのパーツは七、八歳の子供の大きさに思えた。人工の瞳は腐り落ちておらず、瞼の無い眼窩の中に鈍い光を宿していた。
リュカはそっと埃を払い、元に位置にその頭部を戻した。
その時、リュカの身体が背後の風圧を感じ取った。
素早く腰の刀を抜き、振り返りざまに構える。
鈍い金属音が墳墓の中で響き渡った。
肉の剥げ落ちたオートマタが、その鋭い腕で自分を切り裂こうとしてきた。須臾に、抜いた刃でその腕を受け止めた音だった。
凄まじい力だったが、リュカの鍛えた剣技は、その力をぎりぎりで受け流していた。
オートマタは素早く飛び退き、片手を付くような形で地面に伏せる構えを見せた。
「しえ みあ よ がえ」
剥き出しの歯の間から、鳴き声の様な奇妙な言葉を発した。
「ひ こ」
そう言うと、何かを投げつけてきた。リュカは投げられたものを振り落とすように刀を振るったが、左肩に衝撃が走った。
「不覚!」
そう思わず呟いたが、油断せず刀を構え直した。しかし不気味なオートマタの姿は掻き消えていた。
辺りを見回しても、何も見つからない。
奴と対峙したとき、人や生物なら絶対に存在する気配というものが、全く感じられなかった。
これは面倒なことになったと、リュカは思った。
気配無き狂った機械と、この逃げ場のない墳墓で戦うのはあまりにも不利だった。それに、奴が一体だとは限らない。足跡は二種類あった。
リュカはそう判断すると、すぐに入り口へ向かって走った。視界の陰に動くモノを感じると、身体を捻るようにして一撃を躱し、飛び込むように墳墓の外に出た。明るい外の光に目を奪われる。
立ち上がろうとすると、足に激痛が走った。奴の一撃で、左脚の脹ら脛が深く切り裂かれていた。
リュカは片足を引き摺るようにして、墳墓から距離を取ろうとした。
墳墓の前に存在する石の瓦礫に隠れた。血の跡は墳墓からずっと続いている。
奴の速度を考えれば、足の怪我があっては逃げ切れないだろう。
リュカは敗北を意識した。
瞑目し、心を落ち着かせた。もし勝機があるとすれば、この開けた場所で奴が自分にとどめを刺しに来る時だと、リュカは決意した。
一太刀で迎撃する。そう決心し、刀の柄に手を掛けた。神経を研ぎ澄まし、奴の動きを見逃すまいとした。
しかし、リュカの必死の決意を嘲笑うかのように、何も動きは無かった。
数分が数時間のように感じられる。強い午後の日差しと廃墟の静けさは、まるで墳墓での死闘が幻であるかのように、リュカに思わせた。
しかし足の痛みは現実にあり、止血が必要であることをリュカに思い出させる。
リュカは迎撃の構えを解くか迷っていた。
その時、頭上から男の声がした。
「昼間なら、奴はあそこから出てこない。 目が日の光に耐えられないらしい」
「誰だ!」
リュカはまたも気配を感じさせぬ存在の声に、冷静さを失った声を上げた。
「老侍。 その傷のままでは死ぬぞ」
リュカの目の前に、黒衣の若い男が立っていた。
「―了―」