3397 【鉄】
パルモは王都へ到着した。三日ほど詰め込まれた窮屈な列車から出られた開放感はあったが、それも一時的なもので、すぐに知らない場所に来たのだという不安の方が勝っていった。
王都には、決戦に備えて周辺国からの軍勢が集結していた。混乱の中、パルモ達も集まった連合軍の閲兵に並ぶことになった。
パルモは辺境の戦闘集団として後方にいた。バルコニーに立つ女王の姿など、殆ど見ることができない。
そもそも、強引に集められたであろう辺境民族の集団は、ここにいる意味も価値もわかっていない様子だった。
パルモもその中で不安げな表情を浮かべていた。ただ、傍らにいるシルフはずっと彼女に寄り添い、佇んでいた。
前方で大きな鬨の声が上がった。背の低いパルモでは、前で起きていることなどわかりはしない。
ただ、その地鳴りのような声が不気味に聞こえ、強くシルフを抱きしめた。
◆
閲兵式が終わると、王都の外郭に作られた野営地に留められた。ここから戦地へ向かうことになると、アスラから告げられた。
「私たち、戦いに行くのですか? 人を殺めなければならないのですか?」
パルモはアスラを呼び止めるように聞いた。
「お前はそのために来た。その獣を使えば、簡単なことだ」
アスラは無表情に答えた。
「……無理です」
パルモは正直に言った。シルフとは確かに頭の中で意志を通じ合える。それに、獲物を捕る時や、怖い動物に襲われた時も助けてくれた。だが、武器を持った兵士との戦いなどしたことがない。
「戦わなければ、お前らの村も帝國に襲われるのだ。村のためだと思え」
「でも……、私もシルフも……」
「戦地には向かってもらう。力が必要だからな」
パルモは唇を噛んだ。敵の兵士といってもそれは人間だ。シルフを使って人殺しをするなんて、できるわけがない。パルモの目に涙が滲み、ぽつりと落ちた。シルフが慰めるようにその涙を舐める。暖かい感触と一緒に、シルフの慰めが頭の中に流れ込んできた。パルモはシルフの顔を見て頷く。
「逃げることはできない。やって来る脅威は紛れもない現実だ」
アスラの言葉に、パルモは何も言い返さなかった。
割り当てられたテントに入り、すぐにシルフと共に横になった。目を閉じると、慣れない長旅の疲労をずっしりと体に感じた。森を駆け回って培った体力も、ここでは発揮できない様だ。
――はやく、帰りたい。
頭の中で呟くと、すぐに眠りについた。
◆
初めて見る戦場は異様だった。周囲には常に金属と金属が触れ合う音が響き、埃と汗の臭いが熱気と混ざって渦巻いている。戦端はまだ開いていない、緊張が全軍を包んでいた。
「ここで防御にあたれ」
パルモとシルフは本陣に近い後方に配置された。
「ここなら、戦いは起きないの?」
「いきなり敵兵と接触することは無いだろう。だが、逃げる場所は無い」
アスラの眼に感情や憂いは無く、ただ冷たく光っていた。
「逃げるだなんて……」
アスラは本陣に戻っていった。
すると、大音量でラッパの音が響き渡った。同時に、銃や剣を構えて鎧に身を包んだ屈強な男達が、一斉に雄叫びを上げる。
「な、なに!?」
銃を突き上げながら宙に向かって吠える男達の姿に、パルモは恐怖を感じた。ここにいる全ての人間が、ただ人を殺すためだけに存在する。そして、それと同数の人間が、こちらを殺そうと同じように存在しているのだ。パルモの胸を恐怖と絶望が黒く塗り潰した。
「……ここは、私がいるべきところじゃない」
パルモはシルフに縋りつくと、静かに泣き始めた。涙が滲むことはあっても、決して泣かないよう心に決めていたが、限界だった。
◆
怯えるパルモを余所に、戦闘は始まった。すぐに幾千もの剣戟の音と銃声が聞こえ始めた。そこに地震かと間違える様な地響きが加わり、パルモは地獄にいる心地だった。
「お願い、シルフ……」
必死にしがみつくパルモを護るように、シルフは体を伸ばした。前線から遠く離れているにもかかわらず血の臭いが漂い、シルフは鼻をひくつかせる。
本陣の脇から装甲猟兵と呼ばれる禍々しい鉄の塊が、巨大な砲台を引きながら通り過ぎていった。
死を運ぶ無機質な鉄の塊を、パルモはそれ以上見ることができなかった。
砲台は位置に着くと、衝撃と爆音を轟かせて敵を砲撃し始めた。
爆音の中、パルモは泣き続けていた。
その傍でシルフは微動だにせず、ただ正面を見据えて彼女を支えるように立っていた。
◆
「なぜお前のような者がここにいる?」
そう声を掛けられたのは、戦闘開始から二時間ほどが経ってからだろうか。パルモの顔は涙と埃でドロドロになり、シルフもまた戦塵に塗れていた。
急に話し掛けられて、パルモは声を出すことができなかった。顔を上げると、老齢の戦士が馬上にいた。
「……っ」
ひゅうっと喉が鳴り、口をぱくぱくさせる。すっとシルフがパルモを護るように立ちはだかった。
「……これを飲むといい。喉が枯れているのだろう」
老戦士は腰に付けていた水筒をパルモに差し出した。びっくりして一歩下がる。
「大丈夫、儂は敵ではない」
「………………」
恐る恐る手を伸ばして水筒を掴む。そして、老戦士の顔を見ながら水筒の中身を喉に流し込んだ。
「おいしい……」
水筒の中身は只の水だったが、それはパルモの体に甘く染み渡っていった。自分でも気が付かなかったが、緊張と涙のせいで喉が渇ききっていたのだ。そのままごくごくと飲んでしまい、水筒が空になってようやく我に返った。
「あ、ごめんなさい……」
老戦士は軽くなった水筒を受け取り、再び腰に付ける。
「構わぬ。それより、どうしてこんな所にいる? まさか、聖獣を操るというのは……」
「わ、わたしは……」
地獄の様な戦場で急に優しくされて、パルモは戸惑った。言いたいことが溢れて、上手く声に出せない。
「怯えるな、ここまで敵は来ておらん。ゆっくりと話せ。まずは名を聞こう。 私はリュカ」
「わ、わたしはパルモ……です」
「そうか。パルモ、話してくれるか?」
老戦士の穏やかな雰囲気に、パルモはようやくまともに声を出すことができるようになった。
◆
それから、パルモはつっかえつっかえながらも、自分が森から連れてこられたこと、戦争はイヤだが、村を人質に取られたことを話した。
「そうか……それが事実なら、すまないことをした。アスラは私の部下だ」
「えっ、そうなんですか……」
「いくら強い力があるといっても、君のような幼い女の子を戦場に出すつもりはない。私からアスラに言って聞かせよう」
「帰れるんですか!?」
「ああ、もちろんだ。君も、その相棒も一緒にね」
リュカは優しくパルモの頭を撫でた。パルモの目に、今度は嬉し涙が溢れた。森を出てから初めて、パルモは人の優しさを思い出すことができた。
「……ありがとうございます、リュカ様」
「ははは、様はいらん。それじゃあ、こっちへおいで」
リュカはパルモを優しく立たせると、頭を撫でた。その暖かさと手の大きさに、パルモはホッとした。シルフもリュカのことを信用した様子で、パルモが触られても抵抗しなかった。
「アスラは冷徹な男でな。 誰かがやらなければならない汚い仕事を引き受けてくれているのだが」
その呟きは、嬉しさで舞い上がっているパルモの耳には入らなかった。ただ、シルフだけがじっとリュカの顔を見つめていた。
「―了―」