3396 【誓い】
「報告は以上です。 やはり、新女王の後見人争いは微妙な雲行きのようです」
「ご苦労だったな、アスラ。 よく働いてくれた」
リュカは瞑想の途中であった。そこへ密偵として王都に派遣されていたアスラが帰還し、連合王国の国政の背後関係について報告に来たのだ。リュカは目を閉じたままアスラの報告を聞き終えた。
「リュカ様、次のご命令を」
「うむ。その前に、お前の意見を聞きたい」
リュカはゆっくりと目を開けた。その姿は、荒野を旅していた時と変わらぬ、東方の民族衣装そのままだ。
「リュカ様が立つも一つの手かと。 このまま後見人争いが長引けば、いずれ安定を求めてリュカ様の統率力と軍事力が必要だと考える者が出てくるでしょう。 内々ですが、一部の者からは言質も取れています」
アスラは顔を伏せたまま言った。
「ふはは。 それは出過ぎだな、アスラ。 儂は今、女王を支えることしか考えておらぬ。 確かに一時は自ら先頭に立とうと思った。戦争というのは何より決断の速度が重要だからな。 軍を率いる者がなるべく大きな権力を持った方がいい」
「はい」
「しかし、それは常道よ。若き日の、いや、過去の戦いではそれでよかったかもしれん。 だが此度の戦いは、常道では乗りきれぬと感じておるのだ」
先王の急死により、ルビオナ連合王国は混乱の最中にあった。そして、新女王即位の直後に起こったトレイド永久要塞の陥落をはじめ、ルビオナの劣勢は明白なものとなっていた。
「しかし、このままでは帝國の攻勢に対して、無力なまま敗退を続けることになるでしょう」
「そうだな。 しかし、我々が対峙しているのは何だ?」
「グランデレニア帝國です。大陸で最大の勢力を誇る強国です」
「そうだ。 しかし今や帝國は只の強国ではない。トレイドでの怪異、知っているな」
「歩く死者のことですか?」
「そう、恐るべき怪異だ。 それに永久皇帝の復活の報もある」
リュカは瞑想を終え、アスラの前に立った。アスラは顔を上げていない。
「世界は新しい時代に達したのだ。渦を乗り越えたこれからは、次々とこの様なことが起こるであろう。 死者が蘇り、不死を名乗る王が世界を手に入れようとしているのだからな。奴らは世界の摂理を変えてくる。 過去を捨てねばならぬ。 上手くいった過去に拘泥していては、未来を失うことになる。今を正しく見つめ、新しい世界に合わせるのだ」
「御意のままに」
「アスラ、お前にも新しい知見が必要だ。 体術だけでは勝てぬ。 強くあり続けるためには、前に進む必要がある」
「はい」
「お前には帝國に行ってもらいたい。特に帝都ファイドゥだ。彼の国へ行き、肌で彼らの世界を感じるのだ。 私が東方で力を得たように、お前は西方で知識を得てくるがいい」
「わかりました」
「アスラよ、魂の思うままに行動してみろ。儂の命令ではなくな」
アスラは頷き、その場を辞した。
◆
アスラはリュカと出会い、古き盟約に従って、リュカと共に王国の中枢で働くこととなった。彼の手となり足となり尽くしてきたが、違和感が無いわけではなかった。それはあの貧しい村での過酷な生活と、洗練され文明化されている中央国家の文化との間にある違和感でもあった。
故郷では常に死が身近にあり、明日をどう生きるか意識していた。己が力をどう生かすのかを、日々の鍛錬を通して見つめ直していた。
それが、巨大な国家の中、制度化された文明国家の中では極端に薄まっている。死を間近に意識できたのは、戦場ぐらいなものであった。
力にしてもそうだ。リュカの属する政治の世界は生死を賭けた力の世界ではあるが、その世界には、アスラの様に無言で相手を屠る技術では乗り越えられぬ、別種の力学が存在していた。昨日の敵を今日の味方とし、昨日の友を今日切り捨て、目標を遂げ、力を行使する。それが、文明化された政治の世界だった。
アスラはこの世界に適応していた。何年もリュカと共に過ごし、文明化された世界での所作も学んだ。
と同時に、あの村で命懸けで磨いた技もまた、鈍らぬように鍛錬を重ねていた。
そして、同じように盟約に従ってリュカの下に来た部族の仲間と共に、できる限り戦場に出向いてその力を振るった。
遊撃隊としてリュカの軍勢に組み込まれたハイデンの民は、目覚ましい戦果を上げた。対帝國戦においても、敵兵を退ける活躍をした。
しかしそんな日々の中でも、アスラは焦燥を感じていた。
リュカの腹心としてそれなりの地位に就いてはいるが、所詮異民族の雇われ者という扱いから脱することはなかった。リュカはハイデンの民に敬意を払っていたが、他のメルツバウの貴族や中央の民らは、ハイデンの民に対する差別心を顕わにする者が多くいた。
それ自体については、アスラは恥辱を感じてはいなかった。彼らなど、アスラが本気で掛かれば数秒で絶命する虫のような存在なのだ。蚊の羽音は不快だが、恥辱を感じる性質のものではない。
ただ、己がここに居続ける意味や目的を失いかけていた。
曲がりなりにも連合王国第二の政治力を持つ大公の側近として多額の報酬も得ていたし、存分に技を使う機会も得ていた。リュカとは盟約を超えて、互いの利益を一致させていた筈だった。
にもかかわらず、違和感、焦燥感をリュカに見抜かれていたのだった。それが、先の帝國への密偵としての仕事だったのだ。
◆
「どうしたアスラ。 リュカ様の話は何だったんだ?」
アスラに声を掛けたのはキドウだった。不自由な足は奇妙に歪んでいる。成人の儀から月日が経ち、彼は彼なりに己の障碍を克服していた。その独特の足裁きから繰り出される体術は、今では接近戦で抜群の強さを誇るようになっていた。
「一度王国を離れ、帝國に向かうように言われた」
リュカの真意は測りかねていたが、与えられた任務は果たそうと決めていた。
「ふむ、面白そうだな。 ここの生活にも少々飽きた頃合いだしな」
キドウとは奇妙な関係だった。成人の儀以降、キドウはアスラを常に立て、真っ先にその指示に従う忠信を見せていた。アスラはそれを受け入れ、頭の切れるキドウを重用するようになった。
ただ、互いに多くは語らなかった。二人の関係は、言葉ではなく行動でのみ示されるものだった。それでも、彼ら二人は互いに通底する一種の価値観を共有していた。
「帝國か、あそこでなら色々と力が試せそうだ」
「かもしれんな」
アスラは言葉少なく同意した。
◆
まずアスラは、キドウを筆頭に少数の部下を伴って帝國に向かった。美術商を装い、密輸を請負う無法者として、帝國の闇社会に名を売ることにした。
「密偵という大きな嘘を密輸業者という小さな嘘で覆い隠す。帝國政府の権力中枢と闇社会との間には、必ず接点があるはずだ」
キドウの言葉にアスラは頷いた。
キドウは東方の変わった特産品を集めさせた。交易が活発になったといっても、帝國の大都市にこのような物はまだ珍しかった。
そして、まずローゼンブルグの犯罪組織に伝手をつけた。帝國の悪徳を一手に引き受けているあの都市から足掛かりを得るのが得策、というのがキドウの考えだった。
間もなく、アスラの集団はローゼンブルグで名を上げた。キドウを頭目に仕立て上げてその交渉力を生かし、都市の中でも生きる戦闘力を使って他のグループを出し抜いた。ある時など、取引相手の敵対グループを数日で葬ってみせたこともあった。
◆
「奇妙な連中だな。 なぜ帝國に来た?」
ファイヴと名乗るローゼンブルグの巨大組織の幹部に聞かれたことがあった。
「流れですな。 渦が無くなり、我々の世界も広がったんでね」
そのキドウの言葉には東方の訛りを戯画化したような響きがあった。キドウは何事にも器用な男だった。
「余所者にやるシマはここには無い。 だが、お前らの働きは買ってやる。 上手くやれば稼がせてやる」
「ありがたい話ですな。 上手くやらせてもらいますよ」
キドウは余裕のある調子で相手に合わせた。
◆
「カシラ、この暮らしも中々面白いと思うよ」
キドウがアスラにそう言った。傍目には、豪華な民族衣装を纏ったキドウに対してシンプルなフードを被っただけのアスラが、使用人のように見えた。
「所詮、小さな世界だ」
アスラは穏やかな調子で答えた。
「しかし、この社会は力さえあれば何でもできる。このまま行けば、ルビオナにいた時よりも稼げそうだ」
「贅沢がしたいのか?」
「経験しないより、してみたいというのが性分なんでね」
「成る程。 だが、目的とは違うな」
「目的と言っても、帝國へ行ってこいとしか言われてないんだろう?」
キドウはどこか密輸業者の頭目を演じ続けている調子だった。
「そうだ。 だがルビオナには戻る。近いうちにな」
短い沈黙が二人の間に流れた。
「なあ、じゃあ俺と仲間だけでも、ここに残してくれないか」
キドウの目は輝いていた。しかし、アスラは感情を表に出していない。
「い、いや、これは裏切りでもなんでもない、これはカシラのためにもなる話だ」
キドウは慌てて言葉を継いだ。
「聞かせてもらおう」
「若い奴らでいいから、里からここに人を送り込ませよう。 俺達の力があれば、この辺りの闇社会の連中なんざ、あっという間に仕切れる」
「仕切ってどうする?」
「いずれルビオナは帝國に滅ぼされる。 その時、ここで財を成しておけば皆が助かる」
「皆?」
アスラの眼光が鋭くなった。
「あ、ああ。カシラだってわかってる筈だ。 リュカ様の力だけではどうにもならぬことを。要塞での戦い、俺はこの目で直接見た」
キドウはトレイド要塞の戦いに参加していた。
「あれじゃあ勝ち目はない。 力の差は歴然だ」
「頭のいいお前らしい考えだな。だが、盟約はどうする?」
「あれは体のいい建前のようなものだろう。カシラもそう考えていると思っていた。俺達は力に見合った富や暮らしを手に入れるべきだって」
「力に見合う富か……」
「カシラ、頼む。俺はあんたにずっとついてきた。 あんたの力を信じてきた」
キドウは懇願する調子でアスラに言った。
「ここからは別の道を、いや、俺の道を行かせてくれ」
「いいだろう。 但し、ここで誓いを立ててもらう」
「ああ、カシラの頼みならば何でも。今までだってそうやってきたんだ」
少しの間を開けて、アスラが口を開いた。
「俺が死ねと言ったら即座に死んでみせろ。一切の理由を聞かずにな」
アスラの冷たい眼光がキドウを捉えていた。
キドウはこの問いに否とは言えなかった。もし断れば、何の躊躇いもなくアスラはキドウの首を切り落とすだろう。
今ではキドウ自身も腕に自信がある。だがそれ故に、天才と呼ばれたアスラに逆らうのは無駄だということを、よくわかっていた。
「カシラの誓い、守らせてもらいます」
目を閉じ、キドウは跪いた。
「―了―」