27フロレンス2

3385 【貴族】

「フロレンス様、もっと背筋を伸ばして! 顎を引いてください」

「は、はい!」

豪奢な大広間に、家庭教師であるジェーンの声が鋭く響いた。

フロレンスはそれに応えるべく、背筋をこれでもかと伸ばす。

「駄目です駄目です! そう硬くならず、優美な曲線を意識して」

ぐいぐいと腰を掴み、ジェーンはフロレンスの姿勢を強引に正そうとする。

「家名を背負うことになるのです。 姿勢一つ、疎かにはできません」

ジェーンは凄むようにフロレンスに言い聞かせた。

「ジェーン先生、そこまでになさってはどうですか? フロレンスも萎縮していますわ」

「お姉様……」

大広間にやって来たイライザ・ブラフォードをフロレンスは姉と呼んでいるが、イライザとフロレンスの容姿は明らかに異なっている。この屋敷において、褐色の肌に黒い髪のフロレンスは異質な存在であった。

フロレンスの本来の両親は、ルビオナ連合王国南部の沿岸で暮らす、メーア族と呼ばれる少数民族の出身であった。

父親は貴族であるマーク・ブラフォード卿の護衛兵士だったが、数年前に連合国内の紛争を解決するために赴いた地でブラフォード卿を庇い、殉職した。病弱であった母親は、フロレンスを生んですぐに亡くなっている。

ブラフォード卿は殉職した兵士に敬意を払い、一人残された彼の娘であるフロレンスを養子として迎え入れた。

貴族の生活には慣れないことも多かったが、フロレンスは少しでも養父母やその子供達に近付くため、必死で貴族としての振る舞いを学んでいた。

「イライザ様、私はフロレンス様を正しい貴族の娘として指導するよう、仰せつかっております。 ここには彼女の生まれた国とは異なり、正しい美と伝統がございます。 肌の色や髪の色を変えることは――」

「お待ちください、ジェーン先生。 そういう物言いをお父様が聞いたら悲しみます」

ジェーンの最後の言葉にイライザが割り込んだ。先程までの穏やかな言様とは違い、言葉に鋭さが混じっている。

「しかし……」

なおも物言いたげなジェーンを余所に、イライザはフロレンスの方に向き直った。

「イライザお姉様、私は大丈夫です。先生、続けてください」

フロレンスは心配するイライザに、笑顔でそう答えた。

自身を引き取り、受け入れてくれたブラフォード家の養父母達と同じ『貴族』となるためにも、ここで挫ける訳にはいかなかった。

「わかりました。では、授業が終わったら庭園に来て。お茶を用意させるわ」

「ありがとうございます、イライザお姉様」

「そんな他人行儀にならなくても良いのよ、フロレンス。貴方は私の妹なのだから」

イライザは笑みを浮かべ、大広間を出て行った。

フロレンスがブラフォード家の養子となって早数年。ブラフォード家でフロレンスのお披露目を兼ねた晩餐会が開かれた。

そこで初めて、フロレンスは貴族として公の場に出ることになる。

フロレンスはとても緊張していたが、そんなことはおくびにも出さずに、ジェーンに教えられたとおり、優雅に、優美に振舞う事を心掛けていた。

養父と繋がりのある諸卿とその子息、子女達を紹介され、息つく暇も無い。

ようやく紹介が終わって一息つこうとするも、今度は似たような年齢の娘達に取り囲まれ、質問攻めにあった。

褐色の肌に黒髪のフロレンスは、ただそこにいるだけで目立つ。殆どの娘達は興味本位でフロレンスに近付いていた。

「すてきな花飾りね。 あ、でも曲がっているわ」

フロレンスは、ふと一人の娘のドレスに付いている花飾りに手を触れようとした。が、反射的に撥ね退けられてしまった。

フロレンスと周囲の娘達の間に、気まずい空気が流れる。

「え……あの、私、何か……?」

「ごめんなさい、メイドやお父様たち以外に触られるのには慣れていないの」

「あ……ごめんなさい。 気をつけますわ」

「お父様が呼んでいるわ。 では、またいずれ」

「わたくしたちも……」

フロレンスに一礼して立ち去る娘達。フロレンスは大広間の中心に取り残された。

もう彼女に話し掛ける者はいかった。

そしてフロレンスは見てしまった。ドレスの花飾りを、その娘と共にいた別の貴族の娘が直したのを。

単に異民族である己には触られたくなかったのだと、嫌でも気付かされたのだった。

フロレンスは歓談の最中、一人大広間を抜け出してしまった。

大広間の近くにある扉から屋敷の中庭に出る。そこには一際大きな樹が生えていた。樹の陰が姿を隠してくれるため、作法の勉強に疲れたときはよくここで過ごしていた。

「やっぱり、私なんかは貴族の一員になれないのかな……」

独り言だった。今まで気丈に振舞ってきたものの、結局のところ、養父母達とは違って腫れ物を扱うような態度を取られてしまう。

これが現実なのだと、フロレンスは突きつけられたような気がした。

「そうね。貴方がそんな風に意気地のないことばかりを言っているなら、私たちは永遠に貴方を認めないわ」

「誰?」

「舞踏会の主賓がこんなところで逃げるように一人でいるなんて。却って皆が貴方を蔑むわ。今だってブラフォード卿は酔狂者だと口の悪い人は言っているのよ」

現れたのは金髪の凛々しい顔立ちをした少女だった。ラクラン卿の一人娘で、名はエイダと紹介されていた。

「私は何を言われても良いわ。 でも、お父様たちを悪く言うことは許さない!」

「それは無理ね。貴方が恥ずかしい振る舞いをすればするほど、家の名に傷が付くのよ」

「私がお父様たちの名を傷付ける?」

「そう。庶民であった時分なら許されたかもしれないわ。でも、貴方はもうあの家の一部なのよ」

「私にはどうしようもないの。 だって、皆が私を……」

「貴方の出自を思えば当然ね。貴方がブラフォード卿の娘となったことは、私たちにとっては珍しいの」

「じゃあ、私はどうすれば……」

「強くなって、誇りを保ちなさい。血が繋がっていなくとも、貴方はあのブラフォード卿の娘でしょう。家の名に恥じないよう、誰にも負けないように」

エイダは厳しい口調でそう告げる。他の子女たちとは一線を画すような厳しさと凛々しさがそこにあった。

「強くなる…… 家のために……」

フロレンスはエイダの言葉を反芻する。エイダは表情を崩さず、その言葉を聞いていた。

直後、屋敷の方から従者やメイドの呼ぶ声が聞こえた。

貴族の子女が二人、突然いなくなったのだ。慌てて探しに来たのだろう。

「これ以上お父様たちに心配をかけるわけにはいかないわ。 わたくしは戻ります。貴方はどうするのかしら?」

「私も戻ります。めそめそと逃げ回ってお父様たちを失望させたくありませんから」

フロレンスは立ち上がる。先程までの沈んだ姿ではなく、いつもの気丈なフロレンスがそこにいた。

「その調子よ。またどこかで会うのを楽しみにしているわ」

「ええ。いずれまた」

そう言って、二人は各々の従者に付き添われ、大広間へ戻っていった。

それから七年後、フロレンスは王宮の待機室にいた。礼服に身を包み、緊張した面持ちで時間が来るのを待っている。

もうすぐ、装甲猟兵『オーロール隊』の配属式が開始される。

「どうした? 緊張しているのか」

隣で同じように待機しているエイダが声を掛けてきた。

「そうだな。 こういう場や服装にはなかなか慣れない」

「こればかりは仕方がないな。それに私達は今、国民の注目の的だ」

史上最年少の装甲猟兵として配属される二人は、民衆の耳目を一身に集めていた。

さらにフロレンスに至っては、生粋の王国出身者だけで構成されていた装甲猟兵に初めて参加する少数民族出身者となる。

歴史的とも言える状況だ。注目されない方がおかしいと言えた。

フロレンスは王宮を守る兵士として、エイダは王女付きの騎士として、それぞれ順調にキャリアを重ねていった。

そして、オーロール隊の訓練場で戦闘時のパートナーとして二人は再会したのだった。

「ふふ……あの時はこんな風になるなんて思ってもいなかったな」

「そうだな。何が起こるかはわからない」

「さあ、もうすぐ配属式だ。 気を引き締めろ」

「わかっている」

栄誉ある装甲猟兵として、王都ではまだ重要な役職に就けることがない少数民族の希望として、フロレンスは王宮の謁見の間に立つのだった。

「―了―」