02アイザック5

3398 【仮面】

「こんなところか」

荷物を纏め終わったアイザックは呟いた。必要最低限な物だけを荷物にしたので、部屋の様子に変わりは無い。軍用のダッフルバッグ一つを担いで玄関を出た。

エヴァリストとの別離の後、暫くは軍務を続けていた。

除隊の手続きを踏んで国を出ることも考えたが、この国に戻ることも無いと思い直し、黙って抜け出すことにした。

そして休暇の申請が通ったこの日、帝國を出ることにした。

「大尉、お疲れ様です。こんな遅くにお出掛けですか?」

宿舎のMPから声を掛けられる。

「やっと取れた休暇でな。 オレはせっかちなんだ」

適当に言葉を返し、宿舎を出た。

尉官の軍服のままなら帝國内を自由に動ける。街を出てから軍服を脱げばいい。

夜の街を一人で歩きながら、馴染みの酒場に寄って最後の酒を呷ることにした。ひなびた酒場で、軍関係者が現れることも少ない場所だ。

「親父、ここをやって何年になるんだっけか?」

七十は過ぎているであろう老主人に、アイザックは聞いた。

「四〇年さ。 この通りのボロだ。もう潮時かもしれんな」

「酒場を始める前は何を?」

「色々さ。 街を潰されてから色んなところを回ったよ。人夫もやったし、アンタと同じ兵隊だってやったよ」

「そっか……酒場をやるのは楽しいか?」

「別に。 まあ、他人にこき使われるよりはマシってだけだ。 何にせよ、働いて金を稼ぐってのは面倒なもんさ」

話し好きでない偏屈な主人だったが、アイザックはここが気に入っていた。

「でも、ここまで続けられたんだろ?」

「そうだな。 とりあえず生きてはこれたよ。 巡り合わせだね」

「巡り合わせか……ありがとう、世話になったよ」

金を置いてアイザックは立ち上がった。

「ああ、またな」

主人は金を受け取ると、素っ気なくそう言った。

店を出たアイザックは、あまり酔えていないことを自覚していた。

街道を将校らしき人物の乗った馬車が通り過ぎていった。一瞬エヴァリストかと思い目で追ったが、無関係の人物だった。

自分の行動に苦笑しながら、街を出るために駅に向かった。ファイドゥの外郭に辿り着くためには、列車を使うのが一番早い方法だった。夜中を過ぎた駅舎に人影は無かった。最も早い列車は明け方に来る。それまで二時間は過ごさなければならない。

ベンチにダッフルバッグを置き、枕代わりにして横になった。

これから何をすべきかを考えていた。自分にできることは戦うことだけだった。若い頃にレジメントに入り、それから帝國で軍人として生きてきた。身体を鍛え、与えられた任務を決められた通りに遂行してきた。

目的があり、整えられた世界をアイザックは気に入っていた。自身は品行方正なタイプではなかったが、それでも、軍務や任務をこなすことには充実があった。戦いの緊張も心地よかった。

「目的の無い戦い、か」

目的は全てエヴァリストが決めていた。幼い頃から一緒で、それに何の不満も無かった。ただ隣にいて、同じ目標を見て進み続けることが、今までの人生だった。

一人になった今、初めて己を振り返っていた。

ホームに貨物列車が入ってくる。大きな音を上げて通り過ぎて行く。

静寂が戻った。誰もいない駅舎にはアイザック一人だけだった。まるで、世界にただ一人取り残されたような気持ちになった。

アイザックは眼を瞑った。列車が来るまで眠ろうとしたが、眠れなかった。そして、エヴァリストとの過去を思い出していた。初めて会った時の事、レジメントでの日々、帝國での戦いの日々。

自分を形作った過去の日々を、出来るだけ詳細に思い出そうとしていた。

暫く意識を過去に戻していたアイザックの耳に、微かな足音が響いた。目を開け、身体を起こす。

ホームに人影は無い。

「誰だ?」

誰何の声に反応して、赤黒いコートを着た男が柱の影から現れた。その顔は仮面に隠されている。アイザックは反射的に銃に手を掛けた。

「インクジターか?」

「いや、我々は違う」

こちらに進んできた男は確かにインクジターではなかった。しかし、その姿にアイザックは心当たりがあった。

「皇帝のカストードだな……」

自分の逐電が嗅ぎ付けられたのか。いや違う。一介の兵の動きに皇帝付きのカストードが出向く筈は無い。そうアイザックは思い直した

「そう、皇帝の代理人たるカストード。 我々には名前も個人も存在しない」

「オレなんかに何の用だ? 穏やかな話じゃなさそうだが」

「お前とエヴァリスト、共にどこからやって来て、どんな力を持っているのかは調べさせてもらった」

「そうか。 なら、オレがお前を殺してでもやることはやる人間だってわかってるな?」

アイザックは立ち上がった。

「そう熱り立つ必要は無い。 我々は話をしに来たのだ」

「別に話なんか無いぜ。 オレは帝國から出るんだ」

面倒になったことはわかっていたが、ここでこんな奴に構いたくはなかった。だが逆に、いっそこのカストードと切り結び、大々的な逃走劇をファイドゥで繰り広げるのも悪くない。そんな自暴自棄な気分にも乗り掛かっていた。

「貴様らレジメントの生き残り、昔の名前で呼ぶなら『聖騎士』の力は惜しい。 復活する皇帝のためには、是非ともその力が必要なのだ」

「皇帝の復活か。 悪いが、もう興味は無いね」

「だろうな。 だが、エヴァリストの命には興味がある筈だ」

「……もう、あいつとは関係ない」

「ならば明日の夜、奴が死ぬとしても全く興味は無いというわけだな」

「どういうことだ?」

「インクジターはエヴァリストの行動を押さえた。 明日、襲撃を実行するだろう」

「オレにそれを伝えてどうしたい? エヴァを守りたいのか、皇帝は」

「ふふふ、皇帝は誰かを守ったりはせぬ。 傅く者を見定めているのだ」

「意味がわからないぜ」

「これは取引だ。 インクジターは私の下に来ている、そしてお前達も私の下に来ることになる」

「オレはお前らと取引などしない」

「かもしれん。だが、お前は我々に傅くことになる」

「くだらねえ」

アイザックは銃を抜きざまにカストードを撃った。何の回避も、防御もせずに、カストードは胸を貫かれて倒れた。

「ふん、とんだ買い被りだったな。 木偶以下だ」

倒れたカストードの傍まで寄って死体を蹴った。

「もう、どうなったって構やしねえ……」

そう呟いて、アイザックはファイドゥの街に戻った。

次の日、エヴァリストの行動を追ったアイザックは皇妃の住む尖塔の前にいた。誰かを追跡するのには慣れていた。

襲われるとしたらここだと勘付いていた。カストードを殺した事が騒ぎになっていないのは不審だったが、今はエヴァリストを守ることが先決だと思っていた。

エヴァリストが中に入って三〇分程経っていた。

塔は巨大だったが入り口は少ない。ここで見張りを続ける選択肢もあったが、既にインクジター達が塔に入り込んでいる可能性もある。意を決して中に入ることにした。

その時、巨大な爆発音と共に塔の中層部分で爆発が起きた。

建物の瓦礫が通りに降り注ぐ。すぐに通りは大騒ぎになった。警備隊の怒号や飛散した破片に当たった者の叫び声が響く。

「エヴァリスト准将の警護の者だ。 入るぞ!」

「危険です、まだ爆発が――」

アイザックは身分を告げ、警備の兵を押し退けて中に入った。

塔のロビー部分に人は殆どいなかった。塔は二十階程の階層になっている。爆発したのは十二階層目だったのを外から確認している。エレベーターは当然止まっていた。

最上階にある皇妃の居室を目指して、アイザックはロビーの左端にある階段を駆け上った。

十二階の爆発したフロアを過ぎたが、幸いにも煙は階段に来ていなかった。扉が無事だったのだろう。しかし、階段が無事でも火の回りは確認できない。

十八階に辿り着くと、そこで階段は終わっていた。警備の関係上か、この階段は皇妃の居室に続いていないようだった。中央のフロアに出て別の経路を通らなければならない。アイザックは扉を開け、皇妃の住むフロアに入った。

フロアには煙が充満していた。エレベーターシャフトから煙が回ったようだ。袖を口元に当て、身体を低くして進む。

すっと、アイザックの前を赤い姿の男が通り過ぎるのが見えた。一瞬体が固まるが、相手が誰なのかはわかっていた。路地でエヴァリストを襲撃した仮面の男だ。

奴の足下には警備兵達が転がっていた。幸い、まだこちらには気付いていないようだ。

銃を抜き、構えた。

ゆっくりと仮面の男の後を追った。

奴はまだ警備兵を探しているようだった。フロアを掃除するかのように、ゆっくりと見て回っている。

仮面の男は扉を開け、警備室の一つに入ろうとしていた。アイザックは仮面の男が扉に手を掛けたところを見計らって激しく銃を撃ち込んだ。仮面の男は全ての弾を背中の急所で受けたが、何事もなかったかのように振り向いた。

「ちっ、化け物め」

アイザックは銃を仕舞い、剣に手を掛けた。それと同時に、仮面の男も両手の仕込み剣を出した。剣に持ち替えたアイザックは、煙を避けるために別の部屋に飛び込んだ。

仮面の男の出方を部屋の中で窺った。急がなければならないが、奴と正面で斬り合うのは面倒な事だと知っていた。

(一撃だ。 一撃で仕留めるんだ)

耳を澄まし、相手の動きに全神経を集中した。

奴がゆっくりとこちらに近付いてくる。部屋の壁の向こうで止まったのがわかる。

次の瞬間、激痛がアイザックを襲った。

壁から仮面の男の剣が飛び出し、アイザックの肩を斬り付けていた。

「くっ!」

思わず声を上げて壁から距離を取る。自分の迂闊さに悪態をつく間もなく、仮面の男が部屋に躍り込んできた。

インクジターの赤いマントをなびかせて、低い姿勢のまま斬り掛かってくる。その特異な剣の軌道をアイザックはすんでの所で避け、仮面の男の頭に剣を振り下ろした。確かな手応えがあった。

「遅いぜ!」

しかし、その明らかな致死性の一撃を喰らっても仮面の男は立っていた。マスクが外れて床に落ちる。緑色の液体が頭蓋から溢れ、その髪と顔を濡らしていた。

「お前は!?」

アイザックはその顔に驚きを隠せなかった。だが次の瞬間、仮面の男の身体から発せられる光に危機感を感じたアイザックは、部屋の外へ飛び出した。

仮面の男の爆発に押し出されるように、外の壁へとアイザックは叩き付けられた。

「クソッ……」

悪態をつきながら、アイザックはふらふらと立ち上がった。

「悪い冗談が続くぜ……」

アイザックは中央の階段を上がって、エヴァリストがいる筈のアリステリアの居室に向かった。

アイザックは既に事切れたエヴァリストの隣に蹲っていた。彼は泣いていた。子供のように声を上げていた。

階下で何度も爆発音がしていた。そして、この部屋にも煙が回ってきていた。

それでも、アイザックは俯いたままエヴァリストの傍から動こうとはしなかった。

「どんな気分だ?」

聞き覚えのある声に顔を上げる。そこには昨晩会ったカストードが立っていた。

「化け物め……何の用だ」

「昨晩の話、考えてもらえたかな?」

「うるせえ!!」

剣を持ち上げ、カストードに投げつける。カストードは避けもせずに剣に貫かれ、絶命した。

しかし、もう一人のカストードが別の場所から現れ、アイザックにこう言った。

「ここもすぐに火が回る。 お前もここで死ぬだろう」

「だからなんだ? 亡霊め。 何度だって殺してやるぞ!」

アイザックは子供のように泣きながら大声を上げた。

「アイザックよ、死を乗り越えることができるとしたら、お前は何を賭けることができる?」

カストードの言葉が終わると同時に、火の回った塔は大きな音を立てて崩れ始めた。

「―了―」