37コッブ1

3365 【組織】

ローゼンブルグ第七管区の外れにある人気の少なくなった夜の街角を、ゆっくりと車が走っていた。この時代、自動車が市井を走っているのは、帝國の中でも特異なこの都市ぐらいだった。

この街には混乱の早い時期にウォードが建設され、広大な領地が渦から隔離されていた。多くの黄金時代の遺産が残され、退潮し続ける薄暮の時代を乗り越えてなお、この街は例外的に文明世界が保たれていた。この街が魔都と呼ばれる所以である。

ただ、それは常に文明と共にある悪徳をも、生き存えさせていた。

車が駐まり、二人のスーツ姿の若い男が降りた。通りを歩く恰幅のいい男に近付いていく。

「エリスン、約束のものだ。 礼はいらねえぜ」

若い男の一人がエリスンに封筒を渡した。エリスンの短く刈り揃えられた髪と前に突き出た腹には、独特の威圧感があった。

エリスンは受け取った封筒の厚さを確かめると、背広の内ポケットにそれを仕舞った。

「おい、新入り。 お前いくつだ」

「関係あんのかよ」

「やめとけ、コッブ」

隣のもう一人の若い男が制止した。コッブと呼ばれた男は相手を睨み付ける。

「分別をわきまえねぇガキを寄越すようじゃ、お前らの組織も落ち目だな」

「何だと?」

「頼むよ、今日はやめとこうぜ。 用事は済んだんだ」

苛立ちを隠さない態度のままチッと舌打ちして、コッブは地面に唾を吐いた。

二人の若い男、コッブとリーは車に戻った。二人は先月、プライムワンと呼ばれる組織の『ソルジャー』になったばかりだった。幹部に命令され、賄賂をエリスン警部に渡しに来たのだった。

「余計な真似はすんなよ。 やっと組織の一員になれたんだ」

車の助手席からリーは諭すように言った。

「うるせえ。 俺は警官に舐められるためにソルジャーになった訳じゃねえ」

コッブは逆上していた。こうなるとやばい事になるのは、付き合いの長いリーにはよくわかっていた。

「やることだけやってよ、金を稼ごうぜ。 俺達はやっと組織の一員になれたんだ」

リーとは同じ養護院を出た幼馴染みだった。共にやっと街のチンピラから卒業できた、コッブはそう感じていた。

コッブは年代物の車を発進させた。ローゼンブルグの高階層でしか見られないもので、組織のステータスでもある。

車はスピードを上げ、Uターンした。

「何するつもりだ!?」

「見てりゃわかるぜ」

エリスン警部がヘッドライトに照らされる。鈍い音と共に弾け飛んだ。

コッブは車を降り、道路脇に蹲ったエリスン警部の横に立った。エリスンは頭から血を流しているが、意識はあるようだ。

「おい、言葉には気をつけろよ」

「……クソ餓鬼が、タダじゃおかねえぞ」

「やってみろよ、デブ! ここで殺したっていいんだ」

コッブは硬い革靴の爪先を、倒れているエリスンの腹に蹴り入れた。そして、リーが止めるまで存分に痛め付けた。

組織が管理する酒場の事務室にカーマインが待っていた。着崩した背広を着た白髪交じりの壮年だ。どこにでもいる男のように見えるが、その見据えるような眼光には、組織の者独特の冷たさがあった。

「エリスンに手を出したそうだな」

「なめた口を利くからです」

コッブは努めて冷静に言った。

「いいか、コッブ。 お前はすぐに切れる。 それは何でだと思う?」

「考えたこともありませんね」

「それはな、他人に期待してるからだ」

深く椅子に座り直して、ゆっくりとカーマインは言った。

「お前は警部にへこへこしてもらいたかったんだろ。 やっと組織の一員になれてよ」

カーマインはデスクの上のタバコを手に取り、火を点けた。コッブは無言のまま立っていた

「その期待を裏切られたから、頭にきてヤツを轢いた」

「そんなつもりはありませんよ。 カーマイン」

「口答えなんか聞いちゃいねえぞ、コッブ。 いいか、俺達は力が全てだ。 だからこそ、力を見せる時はよく考えろ」

「はい……」

「若いから仕方ねえって言う奴もいる。 だが、若い内に覚えておけ。 この世界で生き残って強くなるには頭が必要だ。 クソ度胸よりもな」

コッブは黙って聞いていた。

「切れるのも必要だ。もちろん、やらなきゃいけない時にやらない奴は役立たずだ。俺達は暴力と恐怖を金に変えてるんだからな。 だが、やる時は道理と損得の両方を考えろ」

「わかりました」

「ヤツの治療費はお前が出せ。 あれはまだ使える」

「それと、二度とつまらねえ真似はするな。 お前は組織の人間なんだ」

コッブは頷き、出口へ向かった。カーマインも立ち、コッブを見送った。

「俺を怒らせるな」

カーマインは胸に人差し指を突き立ててそう言った。そして、言い終わった後にニヤッと笑った。

「わかってます」

コッブはそう答えて事務所を出た。

酒場の裏ではリーが待っていた。

「どうだった?」

「別に。 治療費は出せってよ」

「それだけか?」

「ああ」

「ったく、びびったぜ。カーマインが怒ってたら、俺もアブねえ」

リーの言葉尻にコッブは苛立ちを覚えたが、カーマインの言葉を思い出し、黙っていた。

エリスン警部はコッブのことを喋らなかった。ただの轢き逃げで、自分を轢いた車については記憶が無いと言い張った。組織との関係が少しでも疑われるのを恐れたのだ。

それから街でコッブと会っても、エリスン警部は目を合わすことすらしなくなった。

コッブが所属するプライムワンは長く続く組織だが、最近は他の組織との抗争の中で力を落としつつあった。

カーマインら幹部――カポと呼ばれる――は、闘争の過程で疲弊していた。

「アイラーをタレ込んだのは誰だ?」

狭い事務所に集まった幹部を前に、ボスの質問が飛んだ。

「ファイヴの一人、パントリアーノと揉めたのは知ってますが、奴らがタレ込んだにしてはタイミングが――」

アイラーは愛人宅で捕まった。隠してあった銃と現金も即座に押収された。そんな情報を知っているのは内部の人間だけだった。

「鼠がいるってことだ。 誰の差し金かは別にしてな」

「カーマイン、お前が抱えてる警官から情報が聞けるか?」

ボスはカーマインにそう言った。

「やってみます」

カーマインはコッブを呼びつけた。コッブは組織に入って二年が経っており、それなりのシマを任せてもらっていた。与えられた仕事を忠実にこなしてきたコッブを、カーマインは高く買っていた。

「エリスンから鼠の情報を聞き出せ」

「わかりました」

コッブはエリスンの自宅前に車で乗り付け、呼び出した。

「困るぜ、こんなとこに来てもらっちゃよ」

部屋着のまま呼び出されたエリスンは、車に乗り込むなり愚痴った。

「お前が困ろうが困るまいが知ったことじゃねぇ。 仕事だ。 アイラーが捕まったのは知ってるな」

「ああ」

「誰かのタレ込みだ。 誰がやったか知ってるか?」

「知らねえな。 そういうのは大体匿名だ」

「匿名だろうが何だろうが、誰かがタレ込んだんだ。そいつが一体誰なのか知りてえんだ」

「無理だって。 管轄外の情報は――」

「おい!」

コッブはエリスンの襟元を掴んだ。

「わかってねえな。 組織はお前に情報を期待して金を渡してるんだ。 いざというとき役に立たねえんじゃ、こっちにも考えがあるぞ」

「ま、待ってくれ」

初対面のトラブルから、エリスンはコッブの狂気を恐れていた。

「今度は入院するぐらいじゃ済まねえからな。 家族がいるんだろ?」

玄関横のガレージ前には、子供用の自転車が二台置かれている。

「勘弁してくれ……必ずやる。 調べるから」

エリスンの怯えは本物だった。三日後、連絡があった。

「で、誰なのかわかったか」

「ああ、特別捜査官のダチに金を握らせた。電話を掛けてきた場所がわかった。 先月一日の十六時三十分、レキシントン・モーテル前の公衆電話からだ」

「それだけじゃねえだろうな、てめえ!」

「待ってくれ、まだ情報がある。 こいつはその時の録音記録だ」

エリスンはコッブに小さな再生機を渡した。

警察との遣り取りをコッブはイヤホンで確認した。タレ込んだ男の声を聞き終わったコッブは、引き千切るような勢いでイヤホンを外した。

「くそっ!」

ばんばんと両手でハンドルを何度も叩いた。

「クソッ、クソッ、クソッ!!」

突然激高したコッブにエリスンは身を庇うように手を上げた。ドアに手を掛けて飛び出す準備までしている。

「な、何かまずかったか?」

「うるせえ、失せろ! もういい」

コッブはフロントガラスを見つめたまま目も合わさずに言った。エリスンはこそこそとコッブを刺激しないよう、静かに車から降りた。

コッブは車を飛ばした。あるアパートの前に駐まり、中に入っていった。

コッブはドンドンと扉を叩く。出てきたのはリーだった。窪んだ眼窩に汚れたガウンが、リーの日々の生活を表している。

「どうした、こんな遅く」

「付き合え。 話がある」

「明日じゃだめか? 今日は疲れてるんだ」

「だめだ、すぐに来い」

コッブは真剣な眼差しでリーに言い切った。リーも事の次第を飲み込んだ。

「わかった、着替えさせてくれ」

組織に入ってから、リーとコッブの差は広がる一方だった。コッブと同じ事をするにも、どこかリーは事勿れ主義なところがあった。そのため、金の取り立てや売春婦の管理といった日々の仕事にしくじることが多かった。後から入った連中にも馬鹿にされ、それに本人が気付くようになってからは、麻薬と借金に塗れた生活を送る羽目になっていた。

「先月の一日、お前はどこにいた?」

二人は車の中にいた。最初に言葉を発したのはコッブだった。

「覚えてねえなあ」

「ごまかすなよ。 俺は証拠を掴んでる」

「何の話だ? 回りくどい真似はやめろよ」

「警察にタレ込んだな」

リーは黙った

「正直に言え。 まだ俺しか知らない話だ、悪いようにはしない」

コッブは諭すように言った。

「……ああ、そうだよ。 ただ、こんな事になるとは思わなかったんだ。 電話すれば借金をチャラにしてくれるって」

リーは顔を両手で覆った。

「借金? 誰の借金だ」

「俺のさ。 俺は上がりがイマイチだろ。だからバーで会った気の良い奴から金を借りてたんだ。 あいつらがパントリアーノの連中だなんて知らなかったんだ」

「金に困ったんなら、何で俺のところに言いに来なかった?」

「言えるかよ。 恥ずかしかったんだ、お前と会うのが。 俺は情けねえからさ」

一年くらい前から、コッブはリーと会う回数が減っていた。自分が会おうとしてもリーが何かと理由をつけて避けていた。コッブは黙ってそれを受け入れていた。

「こんなことになるなんて思ってなかったんだ。本当に……」

コッブはリーの弱さに気付いていた。それでも、男として、友人であったからこそ、リーの行動に意見も文句も言わなかった。前と変わらず接していた。

「すまねえ、コッブ。 本当にすまねえ。でもよう、俺は役立たずだから幹部の送り迎えくらいしかできねえし、いつも金はねえしよ……。 ああ、こんなことになるなんて」

リーは泣いているようだった。

コッブは黙っていた。

「なあ、俺を殺すのか?」

リーが下を向いたまま呟くように言った。

「悪いようにはしない、って言ったぜ」

「ああ、ありがとう、コッブ。 お前はいい奴だ。 本当に」

リーはパッと顔を明るくしてコッブの方を向いた。

「外縁まで送ろう。 下の階層へ抜ける場所を知ってる」

ローゼンブルグは大陸に残った数少ない階層都市だ。薔薇の都市の名の通り、中心から花弁のように地区が重なり合っている。それぞれの階層は隔離されているため、階層を出てしまえば誰も追っては来ない。加えて、階層は下れば下るほど文化レベルが退潮する。わざわざ降りる者など、通常はいない。

「ああ、そうだな。 すまねえ。本当に。 クソみたいな場所らしいが、死ぬよりはましだもんな」

コッブは車を出した。リーはほっとしたのか、饒舌になった。

「なあ、最初に乗った車、覚えてるか? マイヤーのを盗んだ時さ」

十代の前半、二人で知り合いのいけ好かない金持ちの家から車を盗み出した思い出を語り出した。

「ああ、覚えてるさ」

「笑ったよな。 最高だった。 犬と一緒にあのおっさん、俺達を追い掛けてよ。 雨上がりだったから石畳ですっ転んでさ――」

コッブは黙って聞いていた。

「昔はよかったよ。 何しても自由だった。 昔に戻りてえなあ」

街のチンピラから抜け出して組織に入ろうと誘ったのはコッブだった。コッブはただのチンピラとして底辺で生きていくのは御免だった。リーもそう思っているものだと信じていた。

「ああ、下の階層ってどんなとこなんだろうな。 車もねえって話だ。 どうやって生きてるんだ」

「少し休め」

「ああ、そうだな……」

コッブの車は外縁に着いた。夜明け間近の外縁――アウターリム――には人影など無かった。埃が部屋の隅に溜まるように、隔壁の前はゴミで溢れていた。

「着いたぜ」

コッブは眠っていたリーを起こした。

リーは車から降りた。隔壁の縁にはスロープで上がれるようになっている。せり上がった隔壁の向こうは断崖となっていて、普通は誰も通ることなどできない。深い谷の奥には暗闇しか広がっていない。

「ここからじゃ何も見えねえな。 どこから降りれるんだ?」

リーは隔壁の手摺りに手を掛けて下を眺めた。空はほんのりと明かりを帯びていたが、断崖の奥底は真っ暗闇のままだった。

「向こうに梯子が隠してある」

リーは指された方向を、上半身を揺らすように探した。

「どこだ?」

コッブは懐から銃を出して、リーの頭を後ろから撃った。頭蓋の中身をぶち撒けて、リーは絶命した。

リーの死体はガラクタだらけの場所に横たわった。まるで見捨てられた人形のように。

「悪いようにはしない、か」

コッブはそう呟くと車に戻った。そして、タバコを出して一服してから、ゆっくりと車を発進させた。

「―了―」