30ブロウニング2

2837 【フィルム】

俺はノックの音を聞くと直ぐに立ち上がり、机に仕舞ってあった拳銃を手に取った。普段は使うことがないものだが、万が一ということもある。マガジンを装填してスライドを引いた。そして脱いでいたジャケットを素早く羽織った。

扉に近付いてドアスコープを覗く。背の高いコートを着た見慣れた男が立っている。継父のマークだ。

「俺だ。 開けてくれ」

拳銃にセイフティを掛けてベルトの背中側に差し込み、落ち着いてドアを開けた。

「どうした。 ずいぶん遅くまで働いてるみたいだな」

「ああ、仕事がちょっと立て込んでてね」

マークは部屋に入ると来客用のソファーにどかっと腰を下ろした。さっきまで自分がトランクと格闘していた場所だ。

「そうか。 面倒でも起きてるのか?」

冷えた水をグラスに注ぎ、マークの前に置いた。

「大したことじゃない。 それより、何でこんな時間に?」

「なに、帰り際に前を通ったとき、明かりが見えてな」

マークは時折、この事務所にやって来ては世間話をして帰ることがある。

「どうした、浮かない顔だな」

「言ったろ。 立て込んでてね」

「また浮気調査か?」

「ああ。 クライアントがなかなか面倒なタイプでね。 やれこの写真じゃだめだ、経費に納得がいかないだの、うるさいのさ」

あまり饒舌にならないよう、いつも通りに答えたつもりだった。嘘を見抜くのがマークの仕事だ。

「なるほどな」

「所詮この稼業は人付き合いさ。 金のためだ。やるしかないね」

少し大仰に嘆いてみせながらソファーの背に寄り掛かった。ただ、ベルトに差した拳銃が背骨に当たり、すぐに身体を元の位置に戻した。慣れないことはするもんじゃない。

奇妙な沈黙が二人の間に漂った。

継父の刑事を前に隠し事、おまけに背中には不慣れな拳銃。これはあまりいいシチュエーションじゃない。

「「お――」」

二人同時に声を上げると、苦笑いしながら俺は相手に手振りで譲った。

「……お前、母さんから親父さんの事、どこまで聞いている?」

突然の意外な切り出しに少々面を喰らった。

「なんだよ、唐突に」

思わず口に出た。

「親父さんのトニーが最後に担当した事件は知っているな」

「ああ、確か芸術家が自殺に見せかけられて殺された事件だ。未解決で終わったって聞いてる」

こんなぼかした言い方をする必要はなかった。親父が最後に担当した事件については大人になってからかなり詳しく調べていた。ただ、上層で起きた事件だけに、自分の今の階級からでは官製メディアの概要情報を知るのが精一杯だったが。

「じゃあ、母さんじゃなく、トニーから何か聞かされたことは?」

「俺がまだ四歳かそこらの話だ。聞いたって、覚えてるわけがない」

「そうか」

「そういうのは俺じゃなく、母さんの方が知ってるだろう。にしても、なんで今更そんなことを?」

俺は聞いた

「実はお前にこんなことを話すのは何なんだが……」

こんなマークの表情は初めて見る。

「まだ報道はされてはいないが、奇妙な事件が相次いで起きている。今じゃ上層も含めた俺達捜査官は、ずっとその事件に追われているんだ」

そう言うと、マークは大きく息をついた。タフな男がこんな姿を見せるのはめずらしい。

「それが親父と関係がある?」

「そう、トニーが担当した事件が今回の一連の事件と深く関わりがあるんじゃないか、という話が出てな」

「それで俺に話を?」

「そうだ。 何でもいいんだ。 ちょっとしたことでいい。 思い出せないか?」

「悪いな、何も覚えてない」

俺は嘘を言っていた。この話を聞きながら、俺はあることを思い出していた。ただ、それをマークに気付かれたくなかった。

「そうか……わかった」

マークはそう言うと、コップの水を飲み干して立ち上がった。

「体には気をつけろよ」

ドアの手前でそう言った。

「ああ、あんたももういい歳なんだから、無理せずにな」

マークには普段見られない疲労感が漂っていた。自分の嘘も気付かれていないようだ。これは幸運だと喜ぶべき事なのだろか。

「ふん、やらなきゃいけないことはまだまだあるんだ。 怠けてはおられん」

「母さんによろしく」

「ああ」

マークは出て行った。

俺は背中の拳銃を抜くとマガジンを抜き、薬室から銃弾を取り出した。そしてマガジンと拳銃を元の机に仕舞った。

マークがここに来た時には、てっきりトランクのことが監視カメラか何かに見つかって回収しに来たのかと思ったが、そうではなかったようだ。そして俺にトランクの中身に関するヒントを残して去って行った。

マークが言っていた親父のことを思い出していた。そしてフィルムについても。

あのフィルムは親父のものではないのか? 親父はよく俺を古ぼけたカメラで撮影していた。それを家族全員で観た思い出が、マークと話している間に急に浮かび上がってきていた。

三人一緒に部屋を暗くしてフィルムを観ていた。生まれたばかりの自分の姿。笑顔の母親。奇妙な気分だったのを思い出した。

今思えば、親父にはそういう趣味があったのだ。親父が死んでから母親が全て処分してしまったから思い出すこともなかったが、確かに俺はフィルムを観たことがあるのだ。

俺のこの時代遅れの骨董趣味は父親譲りだったのだ。なぜそれを忘れていたのだろう。

それでも、あのフィルムが親父のものであるという確信が、今はある。

俺はソファーの下に隠したトランクを取り上げ、フィルムを取り出した。

そしてすぐに部屋の照明に透かしてフィルムを眺めてみた。

指で隠れてしまうほどの細いフィルムには、肉眼では何が写っているのかよくわからない。

ただ、二人の人物が写っていることだけはわかった。

フィルムの中身を詳しく調べる必要があると、俺は思った。

それと、フィルムの中身とは別に、もう一つ調べなければならないことがあった。

青年が最後に言った『サーカス』についてだ。

この階層にサーカスが来たという話は耳にしていない。どこのサーカスのことだろうか。何かの例えや隠語なのかもしれない。

それと、親父の事件とマーク達が追っている事件の内容も気になった。

――この二つの事件には必ず関係がある。

――そして、それは親父の死に結びつく筈だ。

自分が驚くほど興奮していることに気付いた。

俺はすぐにフィルムを自分の鞄に移し替えた。そして拳銃とマガジンも一緒にその鞄に入れた。

俺は端末で調べたい情報をまとめると、全てメモに取った。

そして、事務所を出て車に乗り、自宅へと戻った。

三ブロックほど離れた高層アパートメントの一室が俺の部屋だ。午前一時を回ったロビーには、ガードマンのオートマタ以外誰もいない。定型の挨拶をするガードマンを無視し、フィルムと拳銃を入れた鞄を持って二十階まで上る。

早く休みたかった。奇妙な緊張の連続でひどく疲れていた。

鍵を開けて自分の部屋に入る。

ベッドサイドに鞄を転がしてジャケットを脱ぐと、そのまま眠ってしまった。

朝、俺はいつもの目覚ましの音で目を覚ました。快適な朝ではないが、起きなければならない。現実はこっちの気分をお構いなしに進み続けるのだ。

いつものように情報端末のスイッチを入れた。設定されたニュースが流れてくる。

緊迫した様子のキャスターが何か早口で捲し立てている。俺はそのニュースに釘付けになった。

「暴動です! 大規模なオートマタによる暴動です。この第十二階層スバース地区で労働用オートマタが突如、街で破壊行為に及んでいます。恐ろしい光景です!」

キャスターは望遠レンズで映し出される光景を、信じられないといった様子で実況している。

「いま、鎮圧のための部隊が現れました。 重武装です。 今までこんな光景があったでしょうか? 我々の所有物であり、労働の機械に過ぎない彼らが、主人たる我々人間に対して集団で抵抗しているのです。 これは一体どういうことなのでしょうか」

カメラはパンをして道路脇から現れた鎮圧部隊を映している。確かに商店の窓ガラスが割られ、路上の車からは炎が上がっている。ただ、実際に暴れているというオートマタの姿はどこにも見えない。

鎮圧部隊は隊伍を組んで通りを進んでいく。既に鎮圧用のショットガンを水平に構えている。

俺はベッドの端に座って端末を食い入るように見ていた。

すると突然、鎮圧部隊の映像からキャスターのいるスタジオに映像が切り替わった。

「当局からの指導により、これ以上の中継画像は提供できなくなりました。 これは安全上の理由であり、報道の自由を侵すものではないという発表です。なお、十一時から管理局による会見が予定されているとのことです。 誠に申し訳ありませんが、続報は十一時までお待ちください」

時計は八時を回ったところだ。

「なお、第十階層にはまだ当局からの指導、警告は出ていません。引き続きオートマタ蜂起の話題について、専門家を交えて解説していきます」

キャスターがそう言うと、端末はCMへと切り替わった。にこやかな美男が出てきて自分がいかに優れた家事機能を持っているかを説明しはじめた。暴動も起こせるのが最新機能か、そんな皮相なジョークが頭に浮かんだ。

だが、俺にはやらなければならないことがある。ニュースに齧り付いているわけにはいかない。

俺はシャワーを浴びて着替えを済ますと、鞄を持って部屋を出た。

「―了―」