23レッドグレイヴ3

2814 【捜査】

ミアと呼ばれていたオートマタは、グライバッハ――今はセンソレコードを再生しているレッドグレイヴでもある――の首を絞めている間、笑い続けていた。

苦しみと死の恐怖がレッドグレイヴの脳を襲った。ただ、そんな状態でも、レッドグレイヴの心の奥にある冷徹な判断力は、事の原因と犯行可能な人物を探し出そうとしていた。

「お前のことは知っているよ」

レッドグレイヴの首を絞めながらミアは言った。視界が無くなり、声だけが聞こえてくる。

「必ず壊してやる」

レッドグレイヴの意識はブラックアウトした。

再び意識が戻ったとき、傍にいたマリネラがドクターを呼び出していた。

「よかった、意識が戻られたのですね」

いつもは無感情なマリネラの声が、少し弾んでいるようだった。

レッドグレイヴは入ってきた医師達から自分の病状を聞き出した。

「何があった?」

「精神汚染寸前でした。 異常なデータがオーバーロードされたのですが、辛うじて安全装置が働きました」

医者はモニターをチェックしながら言った。

「センソレコードが改竄されていたのか?」

「それは捜査局から報告があると思います」

マリネラが横から答えた。

「明日の検査で問題が見つからなければ、職務に復帰できるでしょう」

加えるように、医師が端末にペンを走らせながら言った。

「ただ、メンタルヘルスに後遺症が残っているかもしれませんので、暫くは定期的な検査をお願いします」

「わかった。問題無い」

医師達がレッドグレイヴの元を去ると、病室はマリネラだけになった。

「捜査官の話をいますぐに聞きたいのだが?」

「はい、呼び出せると思います」

マリネラはいつもの職務的な口調に戻ってそう言った。

端末を操作した数分後、捜査局の人間が病室のメインモニターに映し出された。

映像には責任者であるテクノクラートと二人の捜査官が映っていた。二人の捜査官はグライバッハ邸の再捜査を行っている担当官で、それぞれレントン、ブロウニングと名乗った。

「捜査の不手際で、このようなことになってしまい……」

年嵩のレントン捜査官がお定まりの謝罪をしようとするのを、レッドグレイヴはすぐにやめさせた。

「私が聞きたいのは捜査の進捗だけだ」

グライバッハは自死を装って殺されたのだ。

「はい。 記録されたデータに何者かが手を加え、事件を隠蔽しようとしていたことが判明しました。ただ、電子捜査部の調査では、現段階で有力な証拠はまだ見つかっていません」

「誰がグライバッハを殺したのか、他の手掛かりはないのか?」

兄妹であり、恋人でもあった男が殺された。この事実に感情を大きく動かされていた。しかし、レッドグレイヴは感傷と職務を分離している。彼女の深い洞察力は、この殺人に大きな違和を感じ取っていたのだった。

「再調査により、邸内の破壊は内部のオートマタによるものだとわかりました」

「グライバッハはオートマタによって殺されたのか」

「おそらく。しかし、捜査局では自殺の可能性を捨てていません。 なんといってもグライバッハ氏はオートマタの権威ですので……」

老いた天才が自らの創造物で手の込んだ自死をした。そんなシナリオを捜査局は想定しているようだった。

「違うな。 オートマタの背後には別の意志があった筈だ」

あの記憶の中で出会ったミアという女は、グライバッハが作ったものではない。そうレッドグレイヴは直感していた。

「は、はい。 ただ捜査は予断を持って臨むわけにはいきませんので、その……」

レントンは額に玉のような汗を浮かべている。

「そんなことはわかっている。 だが、私の直感は訓練と技術によって鍛えられたものだ」

「はい。 もちろんそれは十分に理解しております」

現場の捜査局員など、統治局の最高レベルの技官から見れば、吹けば飛ぶような地位だ。この場をどう繕うかだけをレントン捜査官は考えているようだった。

レッドグレイヴは下層の職員がしばしば見せる、このような矮小な自己保身を嫌悪していた。

「捜査の過程は逐一こちらに報告してもらおう」

「わかりました。 引き続き調査を行います」

レントンと一言も喋らなかったブロウニングの両捜査官は、敬礼するとともに画面から消えた。

翌日、検査を終えて職務に戻る車中で、レッドグレイヴは通り過ぎる窓の景色を眺めながらグライバッハの記憶を反芻していた。

――あの日、何があったのか。

――グライバッハは完全な創造性を持ったオートマタを完成させ、殺人を『創造』したのだろうか。

――そして、自分の作品によって殺されたとしたら、それは自死になるのか。

オートマタは地上に溢れている、安定した労働者として、この世界の繁栄と継続を担っている。

その働きの改善にあたったのがグライバッハだった。知性あるように振る舞うことのできる美しい彼の作品は、夢の奴隷として瞬く間に世界を覆った。ただ、グライバッハはそれに満足していなかった。

知性あるように振る舞うといっても、ホログラフの動画がそこに何かが存在しているかのように表現するのと同じで、彼のオートマタの知性も作られたように動くだけだった。

人間のように新たな価値を作り出したり、意志を持って目的を創造したりすることはついにできなかった。

「私の知性の劣化コピーに過ぎない。それも一部だけを切り取った、スナップショットみたいなものだ」

と、彼は自分の作ったオートマタの精緻さを、自嘲を交えてそう表現することがあった。

「レッドグレイヴ様、捜査局からグライバッハ氏のオートマタに関する調査報告があるそうです」

レッドグレイヴの黙考はマリネラの呼びかけで中断した。

「わかった、繋いでくれ」

スクリーンにテクノクラートと捜査官の一人が映った。彼らの映像とは別に、オートマタの識別番号と所在のリストが映し出される。

「グライバッハ氏が製造し、邸宅で保有していた人型オートマタは20体。うち16体が全損した状態で発見、2体は事件前にD-2区画にある美術館に展示物として貸し出されており、無事でした」

「残りの2体はどうなった?」

「事件があった翌日に、メルキオール氏が所有者となる手続きを取っています」

「メルキオールが? 引き取られた2体の詳細は判明しているのか」

捜査官の口からメルキオールの名が出てくるとは予想していなかった。

「はい。 加えて、メルキオール氏の身柄はすでに確保しております。 現在尋問中ですが、氏はどうやら錯乱しているようでして、まだ時間が掛かりそうです」

「私が行こう。 話をしてみたい」

突然の予定変更に、隣で聞いていたマリネラの顔が曇った。

「ですが、あまり氏の健康状態はよろしくないようですので、その、お手を煩わすだけになるかと。 ひょっとしたら、氏には治療が必要かもしれません」

「判断は私が行う。今から向かう」

マリネラは黙って端末を操作し、これからの予定を再調整しはじめた。

数十年ぶりに会うメルキオールは、遺伝子操作がされている筈の高級エンジニアにしては、随分と肉体的な年齢を重ねているように見えた。大方、研究に没頭して医療的な定期トリートメントを受けずにいたのだろう。

「久しぶりね」

「ここから出してくれないか。 研究が佳境なんだ。 こんな時間の無駄には耐えられない」

一瞬だけ顔をこちらに向けるとすぐに目を逸らして、小さな声でそう言った。

白い尋問室は明るく清潔だが、どこか圧迫感があった。メルキオールは拘束されていないが、前に見たブロウニング捜査官ともう一人の別の捜査官が、彼の両脇に立っていた。

「席を外しなさい」

二人の捜査官にレッドグレイヴは命令した。捜査官達は黙ってその指示に従った。

白い部屋には二人だけが残った。

「あまりいい健康状態ではなさそうね。 ちゃんと定期的な抗老化プログラムを受けないと」

親しい友達の口調でレッドグレイヴは言った。

「そんなもの、今は必要ない。 あと少しなんだ」

「研究を続けたいのなら、身体にも気を遣わないと」

レッドグレイヴは力付けるかのようにメルキオールの手を上から握った。白く美しい手が醜く血管の浮かんだ手を覆う。しかし、すぐにメルキオールはその手を引っ込めてしまった。

「未来のことはどうでもいい。 今、辿り着こうとしている成果に比べたら些末なことだ」

メルキオールは頑なに目を合わさない。

「グライバッハが死んだのは知ってるわね」

メルキオールは部屋の隅に視線を向けている

「もちろん」

「なぜ亡くなったかを知ってる?」

「それはさんざん捜査官と話したよ。 全く知らない。 大体、彼とはもう暫く連絡も取っていなかった」

「じゃあ、なぜ彼のオートマタの登録記録があなたに移動しているの? それも彼の死後に」

「知らないね。 興味も無い。 すぐに研究に戻らなきゃいけない。 今、行おうとしてる実験さえ上手くいけば、人類は変われるんだ」

レッドグレイヴはメルキオールの口調や態度を冷静に観察していた。彼の生来の性格は熟知していた。極めて内向的で、人生の殆どを研究への情熱に捧げている男。対人コミュニケーションのスキルは子供の頃から全く進歩が無い。語りたいことだけを語り、やりたいことだけを要求する。

「じゃあ、あなたを陥れようとする人物がいるってこと?」

レッドグレイヴは彼の懇願を無視して聞いた。

「それは捜査官が調べるべきだ。 興味も無い。今は研究の佳境なんだ。 捜査官の木偶の坊共にいくら説明しても同じ事の繰り返し。物事の軽重がわからんらしい!」

「捜査官にとっては事件の解決が、あなたにとっての研究のようなものなのよ」

「重みが違う! たかが人一人が死んだくらいで――」

メルキオールは続けて現在の自分の研究と今行われている捜査との価値の差を、延々と独り言のように喋り続けた。傍目には老人が錯乱しているようにしか見えないだろう。しかし、その内容にレッドグレイヴは興味を持った。

「わかったわ。 あなたを出すよう命令するわ」

「賢明な判断だ」

「ただし条件があるの。 私はグライバッハを殺した犯人を知りたいと思っていて、その手がかりはあなただと思っている」

「ふむ」

「犯人はグライバッハを殺し、私を壊すと言ったわ。 そしてあなたに捜査が及ぶように仕向けた」

「だから?」

「私はあなたが心配なの。 共に育った友人としてね。だから護衛を付けさせて。 それが条件」

「研究の邪魔はさせないだろうな」

「ええ」

「わかった。 勝手にすればいい」

「メルキオールを帰してやれ。 ただし監視を怠るな。 逐次報告をしろ」

レッドグレイヴは取調室を出ると、捜査局の主任にそう命令して足早に去って行った。

「―了―」