12アイン5

—- 【摂理】

また夜が来た。アインはC.C.の部屋にいた。

「ちょっとだけ待ってて。 もう少しで計算が終わるから」

C.C.は端末を見ながらそう言った。人の姿に戻ったアインは手持ちぶさたになって、C.C.の端末画面を覗き込んでいた。すごいスピードで文字が流れていく。アインには文字の意味を汲み取ることが全くできない。

「んー、やっと終わったー」

C.C.が背伸びをする。端末を眺めるのにも飽きて寝転んでいたアインは、C.C.と一緒に背伸びをして起き上がった。猫としての生活が長くなったせいか、人間に戻っても猫のときと同じ行動をしてしまう。

「これでうまくいくかもしれない! アイン」

「本当ですか?」

「コア回収装置をうまく利用して、あなたの宝珠を元の姿に戻せるはず」

ここ最近、C.C.は毎夜端末に向かって作業をしていた。ただ、アインはC.C.の説明の殆どを理解できなかった。

「コアって宝珠ですよね?」

「そう。 これが最後のチャンスよ。 アイン」

作戦は数日後に迫っていた。レジメントはジ・アイへの突入作戦を決行しようとしていた。この作戦が終われば、渦も、そしてそれに伴うコアの回収も必要がなくなる筈だった。

「宝珠を取り戻すことができるんですか?」

「ええ。 でも危険は多いわ。 正直に言うとね」

「危険なのは私じゃなく、宝珠を失っている私の故郷の森です」

強い決意を秘めたアインの目を見たC.C.は、それ以上のことを言うのをやめた。

「わかった。 じゃあ説明するわ。 今回の作戦の流れで私達がすることを」

一晩を掛けて、アインは宝珠を取り戻す方法の説明を受けた。

「ごめん、狭いし揺れる筈だから、頭をぶつけないようにね」

猫の姿になったアインは頷いた。金色の瞳が潤んでいる。C.C.の携帯作業ボックスにアインは収まっていた。

アインは真っ暗闇の中で緊張に耐えた。暫くすると一瞬だけ揺れが収まったが、すぐに轟音と共に揺れ続けた。あの黒いゴンドラが動き出したのだ。

アインはC.C.から受けた説明をもう一度思い出していた――。

「コア回収装置にはケイオシウムのエネルギーを収束させるための反転駆動装置が組み込まれているのね」

「???」

「えーごめんね、わかりづらくて。 なんて説明しようかな」

「過去があって未来がある。色々な可能性に分岐しながら無秩序に未来は広がっていくの。その流れをコントロールするのが、コアを構成するケイオシウム。水の流れを制御する櫂のようなものね」

アインはわからないなりに頷いてみせた。

「コアが制御する潮流が反転してケイオシウムのエネルギー振動が収まると、事象空間が静止状態になるの。そうすると、コアは周りの時空上にある情報エントロピーの最尤次元に引き寄せられていくの。つまり、あなたがコアの最も近くにいれば、コアが停止したとき、世界は本来あなたが存在したであろう『世界』に向かって移動していくの。 ついでに言うと、アーセナル・キャリアもこの原理を応用して自分達の世界に戻ってきてるの」

C.C.は興に乗ってきたようで、一段と早口になった。

「この現象の要はね、『情報エントロピーが最大のものに引き寄せられる』という点なの。だから機械ではなくコアの傍にいる人間、えーと、あなたは猫だからその有機体ね。とにかく生物はとても巨大な情報エントロピーを保有しているのは自明だからね。面白いと思わない? コアというエネルギーが一種の人間原理を持ってるのよ」

C.C.は自説を語り始めると止まらない癖があった。アインは必死に頷いてみせる。しかし、自分の為にここまで一生懸命になってくれていることには、感謝の念しかなかった。

「だからコアが停止した世界からレジメントのメンバーは帰ってこられるというわけ。今回はそれをあなたが行うの。もちろんコアは回収できなくなっちゃうけど、あなたが帰れるのならそれでいいわ。 最後の作戦だし、何より今回はコアが二つあるから、私達はもう一つのコアに引き寄せられて元の世界に戻れるはず」

「あの……」

「なに? 今の説明でわからないところがあった?」

わからないどころか一つも理解できなかったが、ただ、どうしても言いたい言葉があった。

「ありがとう、C.C.。本当に」

アインはC.C.の手を握って礼を言った。

「えっ! なに! ……うん、まあ、その好きでやってることだし、ここら辺は専門だし、やっぱり私は研究者だから」

急にまっすぐな瞳で礼を言われて、C.C.は思わず顔を伏せた。

「あー、でも作戦が成功するかどうかはこれからだから。 お礼なんてまだ早いよ」

「うん、でもありがとう」

アインはぼろぼろと泣き始めた。C.C.はそれをおろおろと慰めた。

激しい銃撃音がした。小さく箱が開いて光が届いた。

「アイン、ちょっと揺れるよ!」

再び暗闇に戻ると、箱は激しく揺さぶられた。C.C.が箱を抱えて走っているのだ。

爆音が響いた。一瞬身体が縮こまる。激しい銃撃音が続いている。

揺れと銃声、叫び声、爆音。暗闇の中でアインは現実感を失いそうになる。

「コアに着いたわ。 さあ、こっちよ」

外の世界では硝煙の匂いが鼻に付いた。すぐ傍で激しい戦闘が行われているのだ。

断崖に迫り出した石の玉座に、張り付くようにC.C.達はいた。

アインはついあの人を探してしまう。この作戦に参加している筈だった。もし姿が見られるのだったら、最後に一目見ておきたかった。

銃声が響く方にそっと顔を出した。C.C.はコアに向かって必死に作業しており、気付いていない。

「顔出さないで! 危ないよ」

C.C.から声が掛かる。その後すぐに、C.C.は無線機に向かって話し始めた。

「もうすぐです、あと七分!」

叫びながらもC.C.は手を動かしている。

「フリードリヒが心配なんでしょ? 今のがそうよ」

C.C.はアインのフリードリヒへの思いを知っていた。

「でも、もうすぐだから、じっとしてて」

アインはC.C.の背後にある構造物の上から作業を見守った。

C.C.は無線で会話をしながら作業を進めていた。この位置からだとフリードリヒの戦いも見ることができた。遠目でも彼のシルエットははっきりとわかっていた。

「レッドスローン側の確保は終わっているから、あとはこちらだけです」

C.C.が叫んだ。

すると、フリードリヒは敵の竜に向かって飛び出していった。

その巨竜が抜剣したフリードリヒを巨大な顎で捕らえた。次の瞬間、爆音と共に巨竜の頭が吹き飛んだ。

アインは何が起こったのかを理解できなかった。全てが一瞬の出来事だった。

爆煙が晴れ、頭を失った巨竜の姿は見えたが、そこにフリードリヒの姿は無かった。

うまく逃げたのだ、そう思いたかった。だが、あの血溜まりの向こうにある、人のものらしき首は、確かに彼のものに見えた。

「アイン! 来て!」

C.C.の声にアインは反応できなかった。

「さあ来て! 同期が始まる! ここに入るのよ!」

振り向いたC.C.がアインを掴む。だが、混乱していたアインはC.C.の手に噛み付いてしまう。

「痛っ! アイン!」

そう言いってアインを落としたC.C.が無線に耳に当てた。

「え、フリードリヒが……嘘……」

無線内容はフリードリヒが巨竜と共に死んだことを伝えていた。

「アイン! 時間がないの。 彼が命を掛けてこのコアを守ったのよ!」

C.C.の声にアインは我に返った。C.C.の足下に現れて、素直に抱き上げられた。

「悲しいよね。 でも、あなたは行かなきゃいけないよ!」

アインは言葉が喋れないことが口惜しかった。

「あと十秒。 ギリギリよ」

C.C.はコア回収装置に誂えた隙間にアインを収めた。

「バイバイ、アイン。 向こうで幸せになってね」

世界はまた、暗闇に戻った。

アインの意識はそこで一度途切れた。

目を覚ますと暗闇だった。何かが身体にまとわりついているかのように、自分の体が重たく感じられた。

暫くすると体の重みがとれて、光が少しずつ差してきた。

懐かしい森の匂いがした。仄かな星の光に照らされた故郷の森が、眼前にあった。

アインの手には宝珠がある。

夜の森はまるで幻のようだったが、確かに帰ってこられたのだ。

だがアインの心に懐かしさ、嬉しさといったものは無かった。

深い悲しみに押し潰されそうになり、暗闇の中で宝珠を抱いたまま蹲った。

目に浮かぶのは死の光景だった。愛する人の無残な死だった。

一人この世界に戻って生きることに、何の意味があるのだろう。

私は助かった。でも、あの人を失ってしまった。

例え別れることがあっても、こんな終わりをアインは受け入れられなかった。

アインは蹲って嗚咽を続けていた。

その時、彼女が抱いていた宝珠が微かな光を発し、暖かな空間を彼女の周りに作り始めた。

光に包まれたアインへ、誰かが話し掛ける声が聞こえた。

「彼を救いたいの?」

不思議な声だった。少女の囁きのように聞こえるその声に聞き覚えはなかったが、なぜか懐かしい感じがした。

「ええ、もちろん!」

アインは叫んだ。

「じゃあ、救えばいいわ」

すると、宝珠の光が一瞬で増して、アインと森を包んだ。

暗闇の中、アインの目の前には宝珠があった。そこにはフリードリヒがコアを守って戦っている姿が映っている。

「どんな未来、世界だって選べる。 でもそれはたった一つよ。 彼を救うか、あなたの故郷を救うか」

アインは黙っていた。しかし、心はすでに決まっていた。

どちらの決断でも自分を苦しめることになるのはわかっていた。ただ、今の気持ちは一つだった。

「あなたの決断はわかったわ。 彼もわかってくれるといいわね」

そう言うと、少女は高らかに笑った。

笑い声が響く中、アインは意識を失った。ただ最後に、己の手の内から宝珠が離れていく感覚だけが残った。

「―了―」