25ミリアン3

3373 【未知】

レジメントの施設を発ってから十五時間ほどが過ぎていた。このまま順当にいけば、あと数時間で旧サンダランド平原に到着する。

ミリアンはカッターの操縦をヘルムホルツに交代し、何度目かの仮眠を取っていた。

不自然に揺れるカッターからの振動で、ミリアンは目を覚ました。

「くそっ、蝿みたいにブンブンと目の前を飛び回りやがって……邪魔くせえ」

操縦席のヘルムホルツが悪態を吐いている。

「何があった?」

揺れるカッター内でメルルに尋ねる。

「敵性生物だ。 機体に体当たりしているようだな」

キャビンの脇にある小さな窓を覗くと、カッターの周りを歯を剥き出しにした異形が飛び回っていた。

骨格や翼は蝙蝠に似ているが、爪や顔から生えた針のような牙は、生身の人間だったら簡単に引き裂かれてしまうだろう。

重い衝撃音が機体に響いた。敵性生物が激突したようだ。

「この機体は大丈夫だろうな?」

ハウスホッターがメルルに訪ねた。

「このサイズなら、おそらく問題は無い」

「おそらく?」

思わずミリアンが訊ね返した。

「確定的な情報が全てわかっているなら、調査隊など必要ないだろう」

メルルは状況を端末に打ち込む作業を続けながら言った。エンジニア独特の抑制的な口調だ。

その間にもまた、重い衝撃音がキャビンに響いた。

「ミリアン、お前に替わったほうがいいんじゃないか?」

ブルベイカーが言った言葉を、操縦席のヘルムホルツは聞き逃さなかった。

「聞こえたぞ! じゃあ、てめぇがやってみろってんだ!」

キャビンに振り向いて大声で叫び返す。

「おい、操縦に集中しろ」

ハウスホッターがたまらず仲裁する。

「ふん。 なら、その役立たずなやせっぽちの口を押さえとけ!」

ヘルムホルツが怒鳴った。

「あいつの腕で落ちるなら誰の操縦でも落ちる。 任せよう」

ミリアンは大きく揺れる機体の中で、周りのメンバーに言った。

途中何度か進路を調整したため、到着予定時刻には間に合わなかったが、カッターは調査ポイントへと辿り着いた。

カッターを大きな段差の影に着陸させると、メルルを中に残して、四人はカッターを背に庇うようにして立った。

周囲に魔物の姿は見えない。

一時的ではあるが多少の安全が確保されたところで、メルルが小型の障壁器を展開させた。これでカッターの半径3アルレ圏内の安全は強固なものとなる。

しばらくはここが、ミリアン達第四調査小隊の拠点となる。

ここから渦に近付き、周辺の情報を計測して帰還するのが、今回のミッション内容だ。

「何を調べるんだ?」

ミリアンはメルルに聞いた。

「ケイオシウム濃度や環境、敵性生物の分類、諸々だ」

計測器のチェックをしながらメルルは言った。

「この時期の渦は活動も活発だ、素早く済ませよう。 渦の近くでは何が起こるかわからない」

「ずいぶんと弱気じゃねえか。 ビビってんのかよ」

ヘルムホルツがブルベイカーに突っ掛かっていた。

「俺は馬鹿でも無謀でもないからな。我々は渦の流れを読み、渦の脅威を知ることで生きてきた。ぬくぬくと都市の壁に守られていたお前よりは、よく知っている」

「そうかいそうかい。 じゃあ、せいぜい働けよ。俺達より貰ってるんだからな」

「報酬だけでこのレジメントに参加したわけではない」

「よく言うぜ」

「互いに争っても、誰の得にもならん」

殴り合わんばかりの調子の二人に、ミリアンが割って入った。

「こいつの肩を持つのかよ、ミリアン」

「怒りは魔物相手に取っておけって言ってるんだ。 ここで死にたいわけじゃあるまい?」

ブルベイカーとヘルムホルツは互いに鋭い視線を交わすと、それぞれの持ち場に立った。

渦の周辺調査は苛酷なものになった。散発的に現れる魔物を相手にするため、五人は常に緊張状態にあった。

最初の内は相当数の悪態や軽口を吐いていたヘルムホルツですら、時間が経つにつれて口数が減っていった。

「あの高くなった岩場まで近付けるか? あそこから調査ドローンを送り込みたい」

メルルの提案にハウスホッターは隊員達を確認した。弾薬はまだ十分にあった。だが、緊張感からか、全員が疲労しているように見える。

「問題ないぜ。 俺はまだまだやれる。 臆病者のやせっぽちはどうか知らねえけどな」

乳白色の霧が奇妙な色合いに反射する渦の境界線が、不安定な明滅を繰り返していた。

「問題ないだろう。 渦は少し落ち着いているようだ」

ブルベイカーはヘルムホルツの挑発を無視して答えた。

「問題ない」

ミリアンも答えた。疲労感は精神的なものだった。まだ行けると、正直に思った。

霧が少し晴れると、境界上にある岩場にメルルは観測装置を取り付けた。ドローンをコントロールする機械のようだ。

「これを送り込めれば、今回の調査は成功だ」

メルルにしては感情のこもった言葉だった。

ミリアン達はその近辺で、魔物の出現を警戒するべく渦の中を注視していた。

最初はほんの僅かな違和感だった。呼吸をするかのように収縮と拡大を繰り返す光の中に、何かが見えた。ミリアンは目を凝らして霧の中を注視する。

暗く輝く渦の中には、苔色をした凸凹の岩盤のようなものと、藍色をした細長いオブジェが見えた。その先には乳白色をした空間が広がっている。

苔色の岩盤が渦の中に広がる大地だということに気付くのに、さほど時間は掛からなかった。その先に見えるのは空ということになるのだろうか。

奇妙な異界の姿だった。渦が異界との境界であることは散々教えられていた。だが、実際に向こう側を見るのは初めてだった。

ちらちらと現れては消えるその姿は、幻覚でも映像でもない。現実だった。霧と光、渦との境界に現れる悪夢の世界。

自分の故郷と家族を奪ったものの正体と、ミリアンは対峙していた。

「メルル、渦の動きがおかしい。 そろそろ潮時だ」

ブルベイカーは渦の些細な変化も見逃さない。長い経験から向こう側で何が起きて、次にこちら側で何が起きるのかを知っているのだ。

「いや、まだだ。 あと一〇分」

メルルは目まぐるしく数値が変わる調査器の記録を、余すところなく取っていた。メルルは興奮しているようにも見えた。

「メルル、ブルベイカーの言うとおりだ。撤退するぞ」

「だめだ!」

メルルはハウスホッターの意見すら意に介さず、計測器の数値を見つめていた。

一瞬、霧が動いたかと思うと、渦の中からメルルに向かって黒色の蔦が襲ってきた。

「……っ!」

メルルの腕に一瞬でとりついたその蔦を、ヘルムホルツは散弾で吹き飛ばした。

「後ろだ、気をつけろ!」

ブルベイカーがヘルムホルツに叫んだ。

咄嗟にその丸い身体を反転させ、襲いかかる蔦をショットガンで吹き飛ばした。

「礼は言っとくぜ」

「チームの為だ」

ブルベイカーとヘルムホルツはそう会話すると、次々と襲い掛かってくる蔦との戦いを再開した。

ミリアンはメルルを掴むようにして守っている。触手のように伸びてくる蔦が、ミリアンを鞭のように襲った。銃剣で払おうとするが、相手の棘で肩口を切り裂かれた。

「コンソールが!」

「あとだ!」

次々と飛び出してくる蔦を銃剣で切り伏せ、調査隊は境界線から撤退を始めた。

岩場を転がるようにして下り、どうにか蔦の猛襲から逃れることができた。

「コンソールを回収しなければ……。 これではここに来た意味が無い」

腕から血を流したままのメルルが言った。

「馬鹿を言うな、死んじまうぜ」

ヘルムホルツが反論した。

自然と、隊長であるハウスホッターに視線が集まった。

「ブルベイカー、どう思う?」

「回収するものの詳細を教えてくれ。俺一人なら上手くやれるかもしれん」

少しだけ考えた後、さっきの戦闘で無傷だったブルベイカーが言った。

「わかった、一時間だけ回収作業を行う。 怪我の状態もある」

ハウスホッターはそう隊員達に告げた。

「無理はするなよ」

「バックアップに回ろう」

ヘルムホルツがブルベイカーに言った。ヘルムホルツも傷は殆ど無い。

「わかった。頼もう」

二人はメルルが指定した機器を取りに、また岩場を登っていった。

一時間が経ったが、二人は帰ってこなかった。

ハウスホッターは撤退の準備を始めた。

「待たないのか?」

ミリアンはハウスホッターに言った。

「これ以上の危険は冒せない。 カッターまで戻るぞ」

ミリアンは意識を失いかけているメルルを起こし、傷付いていない方の肩を貸して歩き始めた。

その時、岩場の上から音が聞こえた。

三人は動きを止める。霧の向こうからはヘルムホルツとブルベイカーが下りてきた。

「こいつでいいのか」

ヘルムホルツがメルルの指定したコンソールを抱えあげてみせた。

「……そうだ。それでいい」

メルルは小さな声でそう言うと、意識を失った。ミリアンにメルルの重みが掛かってふらつきそうになったが、ハウスホッターが反対側から支えた。

「さあ、帰りの時間だ。 油断するな」

ハウスホッターがそう言うと。調査隊はカッターへ戻る道を進んだ。

帰還したミリアン達を迎えたのは、他の調査隊の疲弊した戦士やエンジニア達の姿だった。

規模の程度に差こそあったが、それぞれ埒外の現象に見舞われて、どうにかこうにか帰還してきたのだろう。

レジメントが立ち向かおうとしている渦は、あまりにも強大な存在であった。

それから幾度となく調査隊が組まれ、犠牲を出しながらも渦の研究は進んでいった。

エンジニア達から支給される装備品も改良され、初期の頃とは比べ物にならないほど利便性を増し、強力なものとなっていった。

しかし渦の正体が明らかになっていくことと比例するかのように、犠牲者も増え続けていた。

渦を消滅させるための理論が確立し、それを行うための装置が完成したのは、追加の隊員達がレジメントに入隊してすぐのことであった。

新しいセプターの取り扱いに関する一通りの説明が終了し、ミリアンは次のブリーフィングのためにハンガーへと向かっていた。

その途中に通りかかった射撃場では、新隊員達が訓練を行っていた。

渦消滅の主力とするべく新たに各地から集められた男達は、心なしか若い連中が多かった。

渦と戦う部隊の名は、少しずつだが大陸の各都市で話題になり始めていた。去る者がいれば、来る者もいる。

「ミリアン、もうすぐ新型コルベットの説明が始まるぞ。 急いでくれ」

「ああ、すぐに向かう」

新兵の訓練終了を待たずして、ミリアン達A中隊が最初の渦消滅作戦に参加することになり、その前準備としてブリーフィングを重ねている。

ミリアンは訓練中の新隊員達を一瞥して、足早にハンガーへと向かっていった。

「―了―」