3398 【ネクロポリス】
ガレオンは轟音と共に戦場の前線へと到着した。
東方の城塞都市プロヴィデンスは膠着状態に陥っていた。交易都市として栄えたこの街も、今は長く続く戦闘で荒廃していた。
帝國と王国は中央通りを挟んで互いに北部、南部地域を支配下に置き、散発的な戦闘を続けていた。
王国の装甲兵は市街戦に強く、帝國は物量でそれに対抗していた。皇帝は状況打開のために、この地にベリンダを派遣したのだった。
◆
「さあ、私の『死』を放つのです」
ガレオンは中央通りの広場に着くと、ベリンダの号令でハッチを開いた。
先程まで生きていた死者の軍勢が放たれた。望まずに連れてこられ、放たれる直前に殺された者達の顔は、苦痛と怨嗟によって強く歪んでいる。
彼ら彷徨い歩く屍は、邪悪な瘴気を放ちながら次々とその眷属を増やしていった。
屍は生者の区別をしなかった。王国兵も、隠れ住んでいた市井の人々も、皆、次々に死者と化した。
散発的な銃撃音と砲撃音が市街に響いていた。
◆
「ベリンダ様、どうやら王国兵の殲滅が完了したようです。我々の勝利です。こちらの損害は一兵もおりません」
副官がブリッジにいるベリンダに報告した。斥候が街の様子を確認し終えたのだ。この副官は最初に使った自軍の死者達を損害に入れなかった。
「つきましては、死者たちの停止と回収をお願いします」
副官が丁重に言葉を重ねる。
この副官には、ベリンダに暴走の危険があることが知らされていた。
廃兵を利用したこの邪悪な作戦は皇帝直々の作戦故に実行されているが、実際の将兵達は恐れ、忌み嫌っていた。
落ちかけた太陽の光がガレオンのブリッジを眩しく照らしていた。
奇妙な沈黙の間があった。
「そうだったわね。 帰りましょう」
ベリンダは微笑みながらそう言った。
もしもの時のために、副官にはベリンダの緊急停止装置が渡されていた。
そして彼女が暴走した時は、迷わずそれを押すことも義務付けられていた。
副官はほっとした様子を見せた。
「死者を回収します。ハッチを開けなさい」
ベリンダの命令でハッチが開いた。
蹌踉めいた足取りで死者達が集まってくる。
「可愛い死者たち。よく頑張ったわね」
蠢く死者達を慈愛に満ちた眼で見つめるベリンダの横顔は美しく、副官は思わず見とれてしまった。
「でも、まだ死が足りない……もっと必要だわ」
副官はその言葉をはっきりと耳にした。先程の邪悪な美しさとその言葉の意味が、狂気に由来しているものだと副官は悟った。この女将軍を止めなければならない。そう思ってポケットの停止装置に手を伸ばしたが、スイッチを入れる指に力が入らなかった。
副官は恐怖した。
「ねえ、気付いていないようだけど」
「あなたは死んでいるのよ。もう」
副官は慌てて周りを見てみる。ブリッジにいた兵達の眼は窪み、光を失い、力なく佇んでいた。
「馬鹿な……」
指を顔に当ててみるが、一切の感触がない。痺れたように指先は動かせず、肌の暖かさも感じることができなかった。
「あ、あ、あ……」
声を出そうとするが、意志が喉に伝わらない。意識も混濁を始めていた。
ベリンダの力は暴走を始めていた。生きている人間を直接死者へと変えていく能力までも有するようになっていた。
「生きている人間なんて大嫌い……ここは死者だけの国にするの」
◆
幾万の死が都市を覆い尽くしていた。
今や帝國と王国の兵も、市民もいなかった。いるのは死者だけだった。
何度か両国の部隊が迫ったが、死者の軍勢に無残に飲み込まれた。
「皇帝陛下、ベリンダの暴走、如何なさいますか?」
玉座に座ったマルセウスの元に将官達が集っていた。
「放っておけ」
興味なさげにマルセウスは言った。
「少なくとも、王国側もあの街には近付けん。 我々の軍を立て直してから攻勢に出る」
「ですが……」
「王国には、死の街は我々が掌握していると思わせておく。それだけで奴らは無残に消耗し続ける」
「成る程」
「こちらには間者もいる。 上手くあの厄災を利用させてもらう」
◆
ベリンダの暴走は、マルセウスからの報告がなくともエンジニア達は把握していた。
主任研究者のタイレルは問題無いと言い続けていたが、レッドグレイヴはその説明を求めるために呼びつけた。
「タイレル、ベリンダの暴走はこちらでコントロール可能であろうな」
「もちろんです」
若いエンジニアが答えた。
「彼女の力さえあれば、地上を再び我々の支配下に置くことが可能です」
「ふん、ただし死者だらけの国だろう」
レッドグレイヴの側近であるサルガドが口を挟んだ。
「恐怖が伴わなければ人は従いません。 帝國にも王国にも、死者の軍勢に逆らうことはできないと知らしめられればいいのです」
タイレルはサルガドに微笑みながら答えた。邪気のない様子が、却って研究への信念を感じさせた。
「我々エンジニアは傲りによって一度滅びかけた。今度はそうなるまいと決めている」
タイレルからはコンソールの並ぶ部屋の中心に座るレッドグレイヴの表情は読み取れなかった。声だけが中央管理室に響き渡っていた。
「よく理解しております。しかし、力なき知に意味はありません」
「わかっておる」
「生と死は隣り合っています。 そして通常の現実では、互いに交わることはありません」
タイレルは優秀なエンジニアらしく、自信に満ちた調子で、己の見識を臆することなく語っている。
「しかし、ベリンダが作り出す『新しい現実』はその世界を曖昧にします」
「『新しい現実』か。 昔、似たような話を余も聞かされた」
「黄金時代のですか?」
「そうだ。 渦を作った男だ」
「お褒めの言葉と受け取ってよろしいでしょうか」
「それはこれからのお前の働き如何だ」
「必ずご期待に添えますよう、努力いたします」
タイレルがそう言って部屋から辞去すると、レッドグレイヴにサルガドが言った。
「どうなさいますか?」
「余は制御できぬ物は許さぬ。 どんなに力があろうとな」
「ベリンダの元にタイレルを連れて行け。 回収させろ」
「承知致しました」
「ベリンダの様子がおかしければ、すぐに破壊しろ」
「はい」
◆
飛行艇がプロヴィデンスの上空を舞っていた。
「まさしく地獄だ。 それも極めて醜悪な」
サルガドが呟くように言った。プロヴィデンスは半年近く人を寄せ付けぬ死の街と化していた。戦争とその後に続く死者達による騒乱で、地上は荒れ果てていた。その荒れ果てた地上を幽鬼のように腐った死体達が蠢いている。
「たった一人、たった一体の力で街を征服したのです。 すばらしい威力だ」
タイレルは全く悪びれる様子もなく、誇らしげに言った。
「ふん、私には塵芥が腐った死体に換わったようにしか見えん」
「研究への興味が貴方とは違うようですね」
サルガドの操る飛行艇は、ベリンダの反応があるガレオンになるべく近い場所を探して着陸した。死者達の多い大通りを避けて、小さい教会近くの広場に降り立った。
「急げ、奴らに集まられると面倒なことになる」
「わかっています」
二人はマスク越しに無線で会話をしていた。ベリンダの瘴気対策だ。
飛行艇は殆ど音を出さないが、それでも何人かの死者がこちらを見つけて迫ってきていた。
二人は走ってガレオンの元へ向かった。
大通りは空から見るよりずっと荒廃していた。至る所に死体が散らばっている。そしてそれは、二人が近付くと起き上がって襲い掛かってきた。
サルガドは義手からワイヤーを引き出して死体を一薙した。上下ばらばらになった死体が地面に転がる。しかしまだ、蠢きながらこちらに敵意を向けてくる。
「これではきりが無い」
「すばらしい! ここまで損壊してもまだ機能するなんて」
死体の様子に気を取られたタイレルの傍に死者達が迫っていた。
「タイレル!」
タイレルはサルガドの声に振り返ると同時に、腰元から電流を帯びたボールを取り出して自分の周りに浮遊させた。
その球状物体はタイレルに近付く死者達を一瞬で炭化させた。
「ええ、いま行きますよ。 そんなに焦る必要がありますか?」
事も無げにタイレルは言った。次々と連鎖するように、タイレルの後ろで死者達が青い炎に包まれていった。
二人は死者達を薙ぎ倒しながらガレオンの元に辿り着いた。開いたままのハッチから中に入る。
船内は静かだった。動く者は一人もいなかった。通路には生者と死者が相争ったらしい血痕が残っている。
「ベリンダの反応は?」
「上です。 おそらくブリッジでしょう」
ブリッジへ向かって、二人は慎重に歩を進めた。
階段を上り、ハッチを通り、ブリッジに近付いていく。
「すごい瘴気の濃度です。 絶対にマスクを外さないでください」
タイレルの忠告にサルガドは頷いた。船内に死者はいなかった。静かな船内で、動く者はタイレルとサルガドの二人だけだった。
ブリッジの扉に二人は辿り着いた。
タイレルがブリッジに入ろうとするのを、サルガドは止めようとする。
「心配ありません。 ベリンダには私に対する抑制回路を組み込んであります」
ブリッジにはタイレルを先頭にして入っていった。
ベリンダは船長席に座っているようだった。
「ベリンダ。 私です。 よくやりました」
そう言いながらタイレルはベリンダの前に出た。
「これは……」
タイレルは驚きの言葉を漏らした。サルガドもベリンダの様子を確認しようと前に立った。
ベリンダは座したまま死に、機能を停止していた。
かつての美しい容貌はどこにも無く、顔から皮膚が剥がれ落ち、醜い内部が露出していた。首は傾き、力なく項垂れている。
「いつからこうなっていたんだ?」
「人工皮膚の劣化程度から見て、作戦初期でしょう。 しかし何故……」
タイレルが項垂れたベリンダの頭部に触れようとすると、前のめりにベリンダは倒れ込んだ。いや、腐った肉を纏った人形が四肢を捻らせ、床へと倒れ込んだ。
「何故機能を停止したのに瘴気が収まらんのだ?」
サルガドが問う。
「わかりません。 しかし、ひょっとすると……」
「早く瘴気を止めろ!」
「ここから離れてください、サルガド。 私は残ります」
「何を馬鹿な……」
「彼女は今や『死』そのものになりました」
そう言うと、ベリンダだった人形から光る何かが立ち上がってくるのが、サルガドに見えた。
「―了―」