31マルセウス2

3102 【宝石】

宮廷の中心部に聳え立つ尖塔は、帝国で最も高い建物であった。その最上階に設えられた居室の柔らかなベッドに横たわるのは、一人の老婆であった。

彼女はこの尖塔の主であり、私の伴侶である、皇妃アリステリアであった。

出会ってから現在まで私、延いては帝國のためにその身を捧げてきた彼女にも、等しく虚無が訪れようとしていた。

「さあ、お話の続きをお聞かせくださいな」

死期の迫るアリステリアが最後に望んだのは、私の人生の記録であった。

「あまり急かすものではないよ。今日はステイシアという少女に助けられたところからだったかな」

アリステリアに精一杯の微笑みを返すと、私は語るべき古い記憶を呼び起こした。

「ナニーはすべてを監視しているの。 私の言葉を聞いたあなたを、ここから出すことはないわ」

「私を殺すのか?」

ステイシアの言葉に私は聞き返した。

「そう。 そしてもう一度あなたを作るでしょうね。 成功例だからうまく使うわ」

「もう一度私を作る?」

「あなたの記憶と経験は、すべて脳のチップに記録されてるの。そこから都合の良い記憶を抜き出して、また地上に送り出すでしょうね」

思わず私は自分の頭に手を当てた。

「そんなことが可能なのか?」

「かつて地上を支配していたエンジニアは、そのチップをクローンに移植することで擬似的に死を克服していたわ。この工場はその時の技術が残る、最後の場所なのよ」

私であって私でない人物を想像した。死を超越した私が複数いる世界。奇妙な感覚だった。

「でも、あなたはその……機械を……」

突然、ステイシアの身体と声にノイズが走った。

「どうしたのだ?」

「ナニー……が私を消去しようとしてる」

状況に困惑する私を見つめ、ステイシアは笑みを浮かべた。

「私は大丈夫よ。 どうするの? 自由になりたいの? それともこのまま……」

「ここから出る。 なんとしても」

私はすぐにそう言った。

「コンソールが設置されている部屋、あそこにナニーの制御プログラムがあるわ。行きましょう、マルセウス」

幼少の頃の記憶を頼りにコンソールの置いてある部屋――制御室とでも言うべきか――に辿り着いた。

ステイシアもノイズに塗れた映像のままであったが、制御室に現れた。

コンソールを操作したが、制御プログラムに繋げようとすると操作不能に陥った。ナニーが拒否しているのだろう。

「私がコンソールの主導権を握るわ。 これで制御プログラムにアクセスできるようになる」

「なぜ、君は私を助ける?」

ステイシアがなぜ私のために働くのか、その真意は謎だった。

パネルの操作が可能になると、ナニーの抑揚のない声が響いた。

「エージェント、何をしているのです。これは反逆行為です」

ステイシアの身体が消えてゆく。彼女は私を見て笑いかける。それは、怯える子供を安心させるかのような笑みだった。

「大丈夫よ、あなたは誰よりも優れ……運…よ」

言葉半ばにして、ステイシアは掻き消えてしまった。

時を同じくして、制御プログラムの書き換えが完了した。

「反逆は無駄です。 あなたを縛る枷は消えることはありません、マルセウス」

ナニーは無機質に言い残すと機能を停止した。次に起動した時は、私の命令に従うだけの人工知能となった。

真実を知った以上、エンジニアの駒として生きるつもりは毛頭なかった。ある考えを実行するために、ナニーのナビに従ってクローン工場に赴いた。

かつて彼らが行っていたように、私の頭脳に埋め込まれたチップにある智覚記録の全てを、工場内にある若い肉体のクローンに移し変えた。

だが、記憶の操作は行わなかった。永遠に地上の統治者として生き続けるために。

新しい肉体で目を覚ました時、すぐ横にかつて『私』だった肉体があった。他人として眺める自分の身体は奇妙だった。もし、この『私』を目覚めさせたらどうなるのだろう?

同じ記憶、同じ人格をもった人間が同時に存在するのなら、意識はどちらのものなのだろうか。

さっき目覚めた『私』は、もう一度目覚めるのだろうか。

奇妙な想像が浮かんだが、今は新しい肉体を得たことに満足していた。

若々しい肉体は気力を充実させ、野心や行動力まで戻ってきたよう感じた。

数日を掛けて、自身の身体のモニターと、このエンジニアの施設を分析した。

そして新しい野心と共に帝國へ帰還した。

若い肉体を得た私は、顔をマスクで覆って帰還した。テロによる怪我の療養だと嘘の情報を流して国民の同情を買った。そして、強権的で扇動的な指導者として苛烈に国民を率いた。

渦によって疲弊した国民はそれを熱狂的に受け入れた。惰弱な政治家達は粛正し、拡大を望む軍人達を抱え込んだ。そして、国民の圧倒的支持の下、政体を君主制に移行させ、国号を『グランデレニア帝國』と改めた。

政治体制の変更は、渦からの安全と新しい繁栄をもたらすためのものと信じ込ませた。

その上で、自ら皇帝を名乗った。

エンジニアによって敷かれた因業を断ち切るように、私は以前にも増して帝國の繁栄と安定に力を注いだ。

数十年を掛けてその統治を万全にし、徐々に国民の前から姿を消していった。

百歳を越えても死なぬ皇帝を、いつからか国民は『不死皇帝』と呼ぶようになった。

しかし、その時間は徐々に私の心を蝕んでいった。死なずの皇帝として周囲からは畏怖され、絶対的な地位を築いていたが、その内面は少しずつ空虚に苛まれていった。

ある時、政治局の新長官の就任を祝う晩餐会の席に、政治局長官の孫娘という金髪の美しい少女と出会った。

私から見れば、祖父に言われるがままに私のダンスの相手を務め、さほど有益でもない会話を交わすだけの、取るに足らない少女であった。

幾度かの晩餐会で会話を交わすうちに、彼女にはローデ共和国の時代から現在に至るまで、執政者である私が感嘆する程に帝國の歴史を理解していることがわかった。

政治に係わりの深い一族を出自に持つからではと問い質したこともあったが、彼女は一言こう告げた。

「私は歴史を知りたいと思う心を止めることができません。私は、あなたの作る歴史をこの目でずっと見ていたいのです」

それから幾度となく逢瀬を重ねるうちに、私とアリステリアの心の距離は縮まっていった。

政治局長官は私を篭絡した孫娘を介して国政を思うように動かす腹積もりだったようだが、その孫娘に裏切られる形となった。

アリステリアは誰かの意志をそのままに代弁するような愚鈍な女性ではなかった。それは結果として、長官の出鼻を挫くこととなった。

数年後、私はアリステリアを皇妃として迎え入れた。私が紡ぐ歴史を、彼女に最も傍で見ていて欲しいと願ったからであった。

復讐のために手に入れた擬似的な不死は、ここに来て意味を変えていた。

アリステリアと共に歴史を紡いでいく。復讐に堕ちた生が昇華された瞬間だった。

私は再び国民の前に姿を現し、国を挙げて盛大な挙式を執り行った。不老不死の私は、神の如く崇められた。

そしてその神の后であるアリステリアは、公的にも私の隣に立つ存在となった。

皇妃となってからのアリステリアは精力的に公務をこなし、民衆の感情を細やかに観察していった。彼女は国民感情を誰よりも理解し、私に正確に伝える術を持っていた。

それから五十年あまりの間、アリステリアは幸福のシンボルとして私と共に帝國を支え続けた。

思い出として語り終えると、アリステリアは一呼吸して私を見つめた。

「五十年……。私はあなたのお役に立てたのでしょうか」

「君は十分すぎるほど私を支えてくれているよ」

それも遠くないうちに終わりを告げる。虚無が彼女を覆いつくしているのはわかっていた。

「夜景を見せてくださるかしら」

「今宵の風は冷たい。冷えると身体に障る」

「少しだけでいいのです、お願いします」

アリステリアの目に懇願の色が浮かんでいた。その目に映る決意に、私はいよいよその時が来たのかと理解した。

私は彼女を抱き上げてバルコニーへと運んだ。闇夜に浮かぶ街の明かりは、星の輝きに勝るとも劣らない美しさがあった。

夜景を眺める彼女は、出会った時に戻ったかのような笑顔を浮かべていた。

「ああ、とても綺麗。もっと眺めていたいけれど、それももう……」

アリステリアはそれだけ言い残すと静かに眠りに落ち、そのまま、数日の後に息を引き取った。

しかし、彼女の最期は私以外の誰にも看取られることはなかった。私はアリステリアが老境に入った頃から彼女の状態を秘匿し続けていた。不死皇帝の伴侶として、彼女も私と同様に永遠の存在でなければならなかった。

何より、私にはアリステリアが必要だった。皇妃という重責に屈服しない意思と、私という異質な存在を理解してくれた彼女は、すでに崇拝の対象でさえあった。

私はアリステリアが納められた棺をあの部屋へと運び出した。

「お帰りなさい、マルセウス」

最後に訪れた時と変わることなく、ナニーの映像は私を迎え入れた。

「ナニー、工場の拡張をしろ。この棺に納められた女性のクローンが必要だ」

命令を受けたナニーにより、棺がクローン工場へと運ばれていった。

アリステリアの遺伝子情報は年齢による劣化が見られたが、それでも支障なく、若い頃の彼女の肉体を再現することに成功した。

しかし智覚記録が存在しないため、記憶まで再現することは適わなかった。

私の智覚記録に保存されたアリステリアの情報から人工知能エージェントを作り上げ、人格生成に必要な教育プログラムを組んだ。

かつての私と同じように、ナニーが人工知能エージェントと共に最適な教育を行ったが、生前のアリステリアが育った環境を再構築することはできなかった。

自らの手でクローンの教育を行ったこともあったが、どうやっても性質に差異のあるクローンが量産されていくだけの結果となった。

幾度となく続く試行錯誤は、私の精神を磨耗させていった。失われた人格を再び作り上げることなど不可能だった。

永遠に近い膨大な時間と最高水準の技術があることが、過剰な期待を私に抱かせていた。

決められた人生を歩むことを拒絶し、私からの解放を望んだクローンがいた。

クローンであることを知り、発狂してしまった者もいた。

「ごめんなさい。私はもう……こうするしかないのです」

何十人目かのアリステリアは自決した。

自ら死を選んだ彼女は、気品、振る舞い、知性、そして性格さえも、本来のアリステリアに最も近付いたクローンであった。

尖塔に住まわせ、皇妃としての公務も勤めさせた程だった。

しかし、近すぎたが為に自身の出生に疑問を持ち、永遠に続くであろう生に悩み、心を壊して死んでいった。

私はアリステリアのクローン製造を一時的に凍結することにした。

どうやっても彼女を取り戻すことができない。抗いようのない空虚が、私の胸の内を支配した。

どれほどの時間、アリステリアの亡骸を見つめ続けていたのだろう。

不意に、一人の少女が工場に入ってきた。靴音が聞こえないことが、彼女が立体映像であることを物語っていた。

そしてその少女は、かつてナニーに消去されたあの日と変わらぬ真剣な表情で口を開いた。

「あなたの最も望む可能性を見つける方法を教えてあげる」

「どういうことだ? なぜ君がここにいる?」

明確な疑問だった。ナニーを掌握した後、私はステイシアの人工知能を復活させようと試みたことがあった。

しかし、ナニーは彼女に関する全てのデータを消去していた、その筈だった。

「全てはあなたの選択次第よ」

ステイシアはあの時と同じように、私に笑いかけるのだった。

「―了―」