3389 【歪む目】
黒衣の若者に連れられたリュカは、小さな集落で傷の手当を受けた。
治療を受けて何日か経つと、再び旅に出られるまでに回復した。
そして自分を助けてくれた礼をすべく、リュカは集落の長のところへと赴いていた。
「この度は斯様に丁重な扱いを受け、大変感謝しております」
「礼には及びません。旅の最中に大変でしたな」
「いえ。旅路の途中のため、このようなものでしか礼ができぬのですが」
リュカはそう言うと、懐から王家の印章が入っている金の紋章を差し出した。
「金で出来ています故、お困り事がありましたら遠慮なくお使いください」
紋章を手渡した途端、あまり変化のなかった長老の顔色がさっと変わったのがわかった。
「これは……。旅人、いえ、王よ。大変な無礼をお許しくだされ」
長老は立ち上がるとリュカの前に跪いた。
「どうなされました?」
「我らはハイデンの民。かつて盟約により、この印章を持つ王国にお仕えしておりました」
『ハイデンの民』という言葉には聞き覚えがあった。
渦が発生する以前の時代にリュカの先祖に仕えていた、武術に長けた民族であると伝え聞いている。
「長老よ、どうかお座りください」
「王を前にしてそのような……」
リュカは静かに首を振った。
「良いのです。時代は変わりました。祖先の間でどのような盟約があったにせよ、古い約束事に囚われてはいけない」
「しかし、怪我をしたままの旅人をそのままにしておくことはできませぬ。ですので、怪我が治るまで滞在されてはいかがでしょうか」
「そういうことでしたら」
これは長老の好意でもあるのだろう。リュカはありがたく受け取ることにした。
◆
リュカは再び廃墟を訪れていた。ハイデンの長老には危険すぎると止められたが、オートマタの発した言葉が気に掛かっていた。白い遺骸を通り過ぎ、あのオートマタと最初に刃を交えた場所までやって来た。
リュカはあのオートマタが動き出すのを待った。
気配の無い機械がどこから襲ってくるかわからない。神経を研ぎ澄ませ、周囲を注意深く探る。
何かを踏み潰すような音が聞こえた。リュカは音と同時に抜刀する。
同時に、金属同士がぶつかる音が聞こえた。
「くっ!」
目の前には先日襲ってきたオートマタが、変わらぬ様子でリュカを襲ってきた。
刀でオートマタの腕を押し返すと、リュカは一旦距離を取った。
「何!?」
オートマタの背後に、いつの間にか黒衣の若者が立っていた。
東方の投擲武器を構えたその若者は、ハイデンの長老からアスラと呼ばれていた。
問い質しそうになるが、目の前のオートマタを前にそのような隙を曝すことはできない。
オートマタは姿勢をそのままに背後に回転すると、その鋭い腕を振り抜いてアスラに襲い掛かる。
オートマタの腕がアスラに触れそうになる直前、アスラの姿が掻き消えた。
アスラの姿を見失ったオートマタは直ぐに狙いをリュカに替えると、襲い掛かった勢いを殺さずにリュカに飛び掛る。
リュカの刀がオートマタの腕をいなす。金属同士が擦れ合う不快な音が響いた。
「ぬう……!」
もの凄い力でリュカを圧倒しようとするオートマタだが、熟練の剣技がそれを容易にさせない。
アスラの投擲武器がオートマタの足関節を貫いた。関節がやられたことにより、オートマタは姿勢を崩す。その隙をリュカは逃さなかった。リュカはオートマタの腕を弾き返すと、返す刃で腕と首と胴を分断した。
指令を下す頭脳を失ったことで、胴体はその場に崩れ落ちた。
「何故ここへ?」
不意に現れたアスラに、リュカは疑問をぶつける。
ここへ来ることは長老以外には告げていない。誰かに見られていたようなことも無かった筈だ。
「この化け物を倒す機会を待っていただけです」
「……そうか」
リュカは呼吸を整えると、切り落とされたオートマタの首を拾い上げた。
◆
オートマタを破壊したことを集落に伝えると、長老達は一様にほっとしたような表情を浮かべた。
リュカはハイデンの長老に頼み込み、集落の一角に小さな天幕を借り受けた。
持ち帰ったオートマタの首は雑音交じりの単語を繰り返し発している。意思の疎通を図ることは難しそうであった。
リュカはオートマタの言葉を一つ一つ丁寧に聞き取り、記録していった。
「ぷろ なかに みあ よみががが」
オートマタの言葉は断片的であったが、根気よく聞き続けることで、一つ一つの単語の形がはっきりしていった。
◆
「長い間の滞在を許していただき、ありがとうございました」
リュカは旅支度を整え、長老のところへ赴いていた。
「もう旅立たれるのですかな? 差し支えなければ、次の行き先をお尋ねしたい。何か力になれることもありましょう」
「ええ、先般持ち帰ったオートマタのことを更に詳しく知るために、機械文化の盛んな西へ赴こうと思います」
「西……ならば一つ頼みを聞いてもらえませんでしょうか。 あのアスラを供として連れて行っては下さりませんか」
「一体何故? ハイデンの民は集落を出ることはないと伝え聞いておりますが」
「我らも世の変化に適応しなければなりませぬ。あやつは次期頭目として世界を知る必要があります」
リュカは少々の間を置いてから口を開いた。
「そういうことならば、謹んでお引き受けいたしましょう」
実はといえば、リュカはアスラという若者の技量に大いに感心していた。ここまでの使い手は文明化された王国には決して存在しないと思っていた。
「ありがたいことです。アスラよ、リュカ王に改めて誓いの言葉を述べよ」
アスラが副頭目達の中から一歩進み出る。
「道中よろしく頼むぞ」
「古の盟約に従い、忠誠を誓います」
アスラはリュカの前に跪いた。
◆
渦を避けながら西へと向かう道中、ルビオナとミリガディアの国境にある、関所を兼ねた街に宿を取ろうと立ち寄った。
昼間にもかかわらず街はとても活気付いており、さながら祭のような雰囲気を醸し出していた。
「ずいぶんと賑わっているが、何か祭でもあるのかね?」
リュカは露店で果物を購入すると、世間話のついでのように店主に尋ねた。
「なんだ、知らないのかい?」
「ああ、この街に来たのは初めてでな」
「驚け、ジ・アイが消滅したのさ! 街の警備隊が言うには、近くにあった渦も魔物も一緒に消えちまったって話だ!」
店主は興奮して言い募った。
「なんと……」
数百年もの間人類を悩ませ続けていた渦の一斉消滅の報せに、リュカはそれ以上言葉が出なかった。
「ま、この街に知らせが来たのもつい二日前の話でな。それからずっとこんな感じよ」
「……そうか、ありがとう」
「いいってことよ!」
リュカは露店を後にするとアスラを待たせていた場所へ戻り、ジ・アイ消滅の事を伝えた。
アスラは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、黙って頷くだけだった。
突然、籠の中にあるオートマタの首がガタガタと音を立てて震えだした。
あまりに揺れるため、早々に宿に入って籠の蓋を開け、オートマタの様子を確認した。
「な どうし」
「らく みあさ みあ そんな ああ わた みあさま」
オートマタは嘆くように頭蓋を震わせていた。
「このようなことは初めてだ」
「渦と関係があるのかもしれません」
「そうだな……。まずは今の状況を掴んでおく必要がある」
「承知しました」
オートマタの首を入れた籠を何重にも布で包み込んで音が漏れ出ないようにすると、リュカとアスラは宿の外へ出た。
そこで二手に分かれると、ジ・アイ消滅に関する情報を収集した。
渦は確かに全て消失したが、その作戦を行った騎士達は全滅しており、彼らは英雄として祭り上げられている。といった状況が明らかになった。
ある程度の状況を把握したところで宿へ戻り、オートマタの首を確認する。
オートマタは『ミア』という単語を狂ったように繰り返していたが、暫くしてエネルギー切れでも起こしたのか、急に静かになった。
頭脳を生かすための駆動音だけが、宿の部屋に響いた。
「如何致しますか?」
「渦の消滅が関係しているのならば、ジ・アイへ向かうのが良いだろう。今ならば近付くこともできる」
街で買った西方の地図を確認しながら、リュカはこの先の道筋を決定した。
◆
リュカは進路を新興国インペローダへと取ることにした。ジ・アイが存在していたサラン州はインペローダの領地にある。
渦が消滅した影響か、道中はストームライダー達に頼らずとも、比較的簡単に進むことができた。
◆
ジ・アイがあったとされる一帯は、草木さえ生えていない荒野だった。
レジメントを率いていた者達はすでに引き揚げたのか、人がいたという形跡さえ無かった。
「見えるか、アスラ」
「はい」
二人は短く言葉を交わす。リュカとアスラの目には、荒野に揺らぐ陽炎のようなものが見えていた。
流れる水のように揺れる景色は、変化を見せつつもそこに留まっていた。
リュカはアスラを促し、オートマタの首を籠から出した。
すると、国境の街で静かになったままだったオートマタが言葉を発する
「ああ みあさ ま あな ここ」
オートマタの虚ろな眼窩が、歪む荒野の中心点を見つめていた。
「なか あつめ まだどこ に われわ 」
不快な金属の音を立てて、オートマタは喋り続ける。
「わた そこ へ」
顎を振るわせ、手元から跳ねるように首は地面に落ちた。そして異常な執念を見せるかのように、そのまま顎の力だけ前に進んでいく。
あまりの奇態な姿に、リュカとアスラは首の動きをその場で黙って見つめていた。この首が何に執着しているのかを見極めるために。
首は暫く前に進むと、ある一点で音を立てて消失した。
驚いたリュカは、思わず首の消失した場所に駆け寄ろうとした。
「リュカ様、近付いては危険です」
アスラに押し止められ、リュカはその場に留まった。
オートマタの首は完全に消滅してしまったかのように見えた。
「―了―」