29アスラ3

3397 【捕縛】

アスラは密輸業者として、キドウと共に帝都へ商談に赴いていた。ファイヴの伝手により、下位ではあるが帝國議会の政治家に近付くことができた。これはローゼンブルグの闇社会で一定の実績と信頼を得たキドウの手腕によるところが大きい。

誓いの後、キドウは多くを語らなくなった。アスラも黙ってその行動を見届けていた。

ただ、逐一キドウの動きは観察し続けていた。

帝都では毎日のように地方制圧の報、戦意高揚の宣伝が繰り返されていた。前線の苛烈さと程遠いそれは、却って銃後の豊かさを強調しているように感じられた。この帝國において、戦争とは産業であった。

この街では国家が作り出すこうした途方もない力を肌で感じ、また考えることができた。

そして政治家との接触で、グランデレニア帝國にもルビオナと同じように派閥が存在し、戦争の恒久的な続行を阻む派閥があることを知った。

「政治家も、戦争中は安泰とはいかんのです。 今日日は暗殺なんて物騒なことも起こる。 そうなると色々と入り用でね」

キドウの差し出した賄賂を受け取りながら、政治家はそうぼやいて見せた。交易権の便宜を図ってもらうために会った小人だったが、表には出てこない、帝國の枢要で起きている情報を入手できた。

どこの世界にも、どんな場所にも争いはあるということだ。この事実を持って一度ルビオナに戻る必要がある。アスラはそう判断した。

「カシラ、向こうにはいつ戻るので?」

拠点に戻り、人気のない場所で一人瞑想をしていると、部下の一人であるミカギがやって来た。

「聞いてどうする」

アスラは目を開けることなくミカギに答えた。

「お願いがあります。今回の帰還に私も同道させてください」

「何故?」

アスラは疑問を口にした。

ミカギは単独で行動するアスラよりも、密輸業者の頭目補佐としてキドウと共にいることが多い人物だった。

「お恥ずかしい話ですが、西の風土が私には合わないのです。鍛錬が足りぬと言われればそれまでです。ですが……」

「好きにするといい」

「ありがとうございます!」

それから数日後、ミカギを伴ったアスラは出国手続きを行うために国境検問所にいた。

アスラ達は、美術商の仕事で東方に品物を買い付けに行くという体で、許可証の交付を受けていた。先にミカギが出国許可証を出し、何事もなく通過するのを見届けてアスラが続く。アスラが出国許可証を見せると、職員が許可証を手に取って立ち上がった。

「少々お待ちください」

職員は、出て行ってからいくらも経たない内に戻ってきた。

「申し訳ございません。許可証に記載漏れがあるようなので、簡単な書類をお書きください」

アスラは検問の列から離れ、別室へと案内された。傍には警備兵が同行している。

政治家からの手引きで入手した正式な許可証の筈だが、様子がおかしい。それでもアスラは一切の動揺を見せずにいた。

通された別室には、すでに帝國兵が待ち受けていた。

「お前をスパイ容疑で逮捕する」

すぐに両脇を固められるように捕縛された。自殺を防ぐための猿轡を噛まされる。アスラはそれらを抵抗せずに受け入れた。

乱暴な身体検査を受けた上で護送車に放り込まれ、車が動き出した。

アスラは誰もいない護送車に、瞑目したまま座っていた。

暫くすると目を開き、狭い車内でゆっくりと左手の関節を外し、手錠から抜き取った。そして猿轡はそのままに立ち上がると、運転席に向かって身体をぶつけて警備兵達の注意を惹いた。覗き窓から警備兵がこちらを確認する。するとアスラはその覗き窓に頭を激しくぶつけた。何度もぶつけ続けると、額から血が噴き出す。

「くそ、自殺か! 狂ってやがるな」

窓に飛び散る鮮血に自殺を疑った警備兵が、そう呟いて車を止めさせた。

二人の警備兵が銃を携えたまま護送車の扉を開ける。そこには血塗れで仰向けに倒れた、凄惨な姿のアスラがいた。

「おい、生きているか確認しろ」

上官らしき男が片方の兵士にそう命令する。部下の兵は銃を担ぎ直して護送車に乗り込み、アスラの横に立った。その瞬間、アスラは跳ね起きるように立ち上がり、兵士の喉元を外しておいた手錠の切っ先で力任せに掻き切った。血を吹き出しながら絶命する兵士を盾にしながら、外にいる上官にぶつかっていく。状況に恐慌している上官を当て身で倒し、その銃を奪った。

猿轡を外して手錠を捨てると、すぐに運転席に向かい、銃を突き付けてドライバーに車から下りるよう命令した。

運転手に死んだ警備兵二人の始末を手伝わせると、今度は服を脱ぐように命令した。脱ぎ終わった服を受け取ると、アスラは運転手をすぐに撃ち殺した。

額の血を拭い、簡単な止血をし、運転手の服に着替えると、護送車を発進させた。

窮地を脱出したアスラは、身を隠しながら二日でローゼンブルグの拠点へと辿り着いた。事の次第については予想できていた。それでも、当然の決着を付ける必要があった。

拠点ではキドウが誰かと話をしている声が聞こえた。相手の声は聞いたことがないものだった。

「なんてことです! 逃がすなんて! ヤツは……」

「いずれ見つけ出す。 ただ、間諜などというのは、ヤツだけではないのでな」

「いいや、あの男は厄介な男でして……てっきりあなた方が対処してくれるのだと……」

キドウはあくまでも密輸業者を演じているようだった。

「対処はした。 だがその方法までお前に指図は受けぬ」

「ヤツはその……」

アスラは静かにキドウが喋るのを聞いていたが、少し経つと、拠点の中へと入っていった。

何事もなかったかのように拠点の廊下を歩いていると、ミカギに出会う。

「ア、アスラ!? どうし……」

アスラは何も言わずにミカギから武器を奪い、ミカギの首を取る。

そのまま首を締め上げながら、

「なにか言うことはあるか?」

アスラは静かな声で問うた。

「頭目……キドウが、このままルビオナに付いていても死ぬだけだって……だから……」

観念したのか、ミカギはキドウに言われたということを喋った。

「脅されて……だから……助けてくだ……」

アスラはミカギの首をそのまま締め上げ、へし折った。

ミカギの武器を持ったまま、アスラはキドウのいる部屋の扉を開け放った。

途中、キドウに付いて残った部下達を全て一撃の元に葬り去った。おそらく、己が死んだことにも気付いていないだろう。

「アスラ……」

冷たく一瞥すると、キドウはゆっくりと立ち上がりながら震える声で言葉を発した。

「さすがカシラだ。 本当に素早い……」

キドウの喉元がごくりと動く。

「この間合いでまだ生きてられるってことは、俺の話を聞いてくれるのか?」

アスラは黙っていた。

「俺はこの国に来て『自由』ってものの意味を知った。 だが、カシラはそれを絶対に許さないこともわかっていた」

喋りながらキドウは、腰の剣にゆっくりと手を回す。

「けれど、自由を選ばずに死ぬ訳にはいかなかったんだ! 掟だの盟約だのに縛られない、自由になる道を選んだんだ!!」

キドウは長柄のナイフを腰から引き抜いた。

「だが、貴様は負けた。 弱いからだ。 心も技も。 ここで死ぬがいい」

アスラは口を開いた。

「……ああ、カシラに従うよ」

キドウはナイフを自分の首に当てると、勢いよく引き抜いた。

そして血を吹き出しながら膝を突いて倒れると、絶命した。

「成る程、興味深い」

突然、背後から声がした。キドウと会話をしていた人物の声だった。

振り返ると、赤と黒の衣装を纏い、仮面を着けた者がそこにいた。

その声は、男か女かの判別はできそうにない。

アスラは持っていたナイフを仮面の人物の首元目掛けて投げ付けた。

仮面の人物はその飛んでくるナイフを空中で握ってみせた。尋常の人間ではあり得ない技だ。

「色々と調べていたのだが、想像以上のようだ」

アスラの中で、この得体の知れぬ者に対する警戒心がもたげた。

「逃げ道はない」

仮面の奥から、こちらの心を読むかのように言った。

「もう少し手合わせを願おうか、我々と」

「―了―」