15マルグリッド5

3378 【幻獣】

コアが座す広間に侵入したマルグリッドは、まず自身に従う異界の魔物を呼び出した。

他者を圧倒する力が必要だった。魔物を制御する術は黒い異形の生物が知っていた。

広間に魔物が現れる。その魔物の力を借りて、マルグリッドは神殿を巨大な実験場とした。

小さな結晶の中で、一匹の白い異形が小さな嗚咽を漏らして絶命するのが見えた。

その様子を見届けたマルグリッドの複数の目が、嗤いと嘲りの形を取る。

マルグリッドが持つ知識と黒い異形の持つ知識は、互いの不足を補完し合っていた。

補完され『形』となった知識を、マルグリッドは実験という行為をもって復讐に利用した。

小さな結晶の中で息絶えた白い異形は、ケイオシウムを戴く神殿を守る者だった。最後まで抵抗したが、ケイオシウムのコアを手に入れたマルグリッドにはまるで敵わなかった。

マルグリッドと黒い異形が作り上げたケイオシウムの檻。この中では様々な事象が幾重にも重なり合っていた。

ある異形は意志だけとなり、自分が多元世界で死んでいく様を何度も体験させられた。

またある異形は、似てはいるが少しだけ違う景色が続く回廊に閉じ込められ、狂ってなお脱出することができなかった。

これらの異形を使って多元世界へ干渉し、マルグリッドは様々な世界を見た。

異形が一体ずつ息絶える毎に、マルグリッドはリンボの主へと近付いていった。

一体の異形が、身体を揺らめかせながら何もない空間へ降り立った。

マルグリッドはここがリンボであるという確証を得たため、一度きりの移動を決行した。

空間のどこかから、男とも女ともつかない不可思議な声が、いくらかの間隔置きに聞こえていた。

「貴方がリンボの主ね」

「お前が選んだ世界は、お前を導いた」

声の主はマルグリッドの問いに答えない。

「お前は何者なの?」

「私は真の創造主。 神をも私が造ったのだ。 この多元世界でな」

「姿を見せてもらえないかしら?」

マルグリッドの前に、異様な風体の老人が現れた。

子供がそのまま老人となったような、不気味な姿をしていた。

「神を造った? 面白い話ね」

「全ては世界を作り替えるためだ。 正しい方向に人類を導くために」

「ご立派なお話。でも、それを証明できるの?」

「証明などという下賤なものは必要ない。今ここに私がいることが全てだ」

宙を見つめながら、感情を込めずに老人は言った。

「それでは妄想と区別がつかないわ。力を見せてみなさい」

マルグリッドはこの老人の精気のない瞳に、加虐心を覚え始めていた。

「今ここに力はない。 いずれ生まれる、無限に世界を移動し続けることができる者、私は『航海士』と呼んでいるが、その者がここに来ることになっておる」

「言葉だけなら何とでも言えるわね」

「信じたくなければ信じなければよい。世界の『自由』を私が造ったのだ」

「で、その航海士の力があれば、自由に望む世界へ行けるのね」

「全ては意志だ。意志があればそうできる。だが……」

「だが?」

「この世界を呪っている者が存在している。 この場所に私を閉じ込めた者だ」

老人の目に涙が溢れていた。

「その者は人の意思や自由を呪っているのだ。 その女は……全てを混沌に帰するために、私の意思を砕こうとしている」

「かわいそうに……。酷い目にあっているのね」

その老人をマルグリッドは抱きしめた。老人は泣き続けていた。

「でも、とても面白い話」

マルグリッドは老人の小さな頭を両手で掴んだ。

「その知識、私が貰い受けるわ」

マルグリッドは魔物を呼び出し、リンボの主を喰らった。

リンボの主は抵抗しなかった。いや、抵抗するような精神すら、もはや持ち合わせていなかったのかもしれない。

再び意識と意識が交じり合うような感覚が、マルグリッドを襲った。

リンボの主――メルキオールという名であった――に成り代わったマルグリッドは、手始めに世界を渡るのに十分な強度を持つドローンの製造を行った。

そのドローンを用いて元の世界を遡り、干渉することに成功した。

そしてメルキオールのメッセンジャーと偽って、開放派の重鎮であるラームに接触した。

「おお、導師よ。パンデモニウムが断罪した偉大なるケイオシウムの申し子、メルキオール!」

マルグリッドはメルキオールの姿をドローンで投射して模倣し、ラームを信用させた。

「導師は零地点を作った存在だ。彼を救い出せば、我々はケイオシウムを利用して新たなステージへ進むことができる」

「私が導師との接点になりましょう。 そして、ケイオシウムを使って世界の望みを叶えましょう」

マルグリッドのその言葉に嘘は無かった。嘘があるとすれば、それ以外の全てだった。

「心強いよ、マルグリッド」

マルグリッドはメルキオールと接触できるのは自分だけであるとして、ラームと計画を進めていった。

同志を得たラームは、マルグリッドを介して更なる同志を増やし、舞台を整えていった。

他方、マルグリッドは航海士――スーパーノート――の存在を観測し、捕捉しようとしていた。

ラームの見つけた有能な同志であるミリアンとロッソの力添えもあり、過去に遡ることもなく順調に計画は進んでいった。

しかし、航海士の力を持つジェッドをあと一歩というところまで追い詰めたものの、手酷い反撃に遭ってしまった。

ミリアンとロッソを失い、ドローンをも破壊されたマルグリッドは、リンボの奥深くで再び動き出した。

「失敗か……」

マルグリッドは粉々に破壊されたドローンを一瞥した。

「また戻ってやり直せば良い」

すぐさまドローンを修復し、再び過去へ旅立とうとしていたマルグリッドの前に、白い閃光が現れた。

鮮烈な白い光はドローンの視界を焼いた。

「因果を制御しようなどという、小賢しい真似をするのはお前か?」

白い光は少女のような声色でマルグリッドに言い放った。

「退け。誰も私を止めることはできない」

「否。全ては私の手の中。違える者は許されない」

その言葉で、目の前の存在が何であるかをマルグリッドは悟った。

「そうか、お前が……」

「お前を断罪する」

その言葉を聞いたマルグリッドは、反射的に光に向かって魔物の影を放った。

「無駄だ」

光は魔物の影を消し飛ばした。光は人の形となって、マルグリッドに向けて光の玉を打ち出した。

「私は私の望む世界を造るの」

「そのような望み、混沌の中では掻き消える」

マルグリッドは魔物の影を再び出現させると、光の玉を飲み込ませた。

だが、光の玉は魔物の影の中で暴れ狂うと、そのままマルグリッドに衝突してきた。

呻きを漏らすこともできずにマルグリッドは悶絶した。

「我がマスターをこの牢獄から出すとは。 この程度では済まさない」

光の少女は抑揚なく言い放った。

次の刹那、身体にあった痛みが消え、マルグリッドは明るく晴れた空色の空間に、ケイオシウムのコアと共に放り出されていた。

眼下にパンデモニウムのドームが見えた。

所々で炎と煙が上がっている。ゆっくりとドームに近付くと、そこには覚束ない足取りで歩く、血塗れた少年の姿があった。

少年は伴っていた灰色の獣と共に、銃を持つ治安部隊を薙ぎ払いながらどこかへ向かっていた。

マルグリッドがその少年の正体に気が付くのに、さほど時間は掛からなかった。

「そんな……」

少年は異界の力を振るいながら、フライトデッキへと辿り着いた。

「だめよ! やめなさい!!」

マルグリッドは叫んだ。だが、その声は少年に届かない。

少年は勢いをつけてフライトデッキから飛び立った。灰色の獣がそれに続く。

瞬きもしないうちに、少年と灰色の獣の姿は見えなくなった。

「これが、お前が望んだことの末路だ」

「違う! 私はただ――」

「違いはしない。 これが因果の終着点だ」

「そんなの許さない。こんな結果、変えてみせる!」

マルグリッドはケイオシウムのコアを作動させると、今見た光景よりも前の世界を探しだし、そこへ跳んだ。

白い光は追ってこなかった。

少年は一人だった。マルグリッドもよく訪れていた寂れた図書館で本を手に取っていた。灰色の獣はいなかった。少年は寂しそうに本をめくっている。

マルグリッドは少年の顔がよく見たくなり、彼に近付いた。少年は驚いたような顔をしてマルグリッドを見ていた。

マルグリッドは不意に、ここで干渉すれば灰色の獣に魅入られることはなく、あの惨劇を防げるのかもしれないと考えた。

異形の姿を分かって少年に遣わした。それが少年の、我が子のためになるとの確信をもって。

少年は異形を『幻獣』と呼んだ。少年の行くところには静かに幻獣が寄り添っていた。

少年が懐かしい自宅を飛び出していくのが見えた。幻獣は少年の無意識に従い、パンデモニウムの住民を次々と血に染めた。

そうして気が付いてしまった。最初に見た灰色の獣が、今の自分によく似た姿をしていたことに。

再び白い光が姿を現した。

「そうだ。これがお前の因果だ。お前はどうあっても我が子を助けることはできない」

「私……全て、私が……」

「終わりだ。違えた者」

それが、マルグリッドが最後に聞いた言葉であった。

「―了―」