37コッブ2

3372 【カポ】

「まだ来ねえのか?」

コッブは苛ついていた。ブツの取引場所に指定されたゴミ集積場の悪臭にうんざりしていた。車の脇には護衛役として二人の若い奴らを立たせている。

「少し遅れているようです」

運転席の男はそう答えた。

組織は流行の薬の取引に目を付けていた。そしてついに大口の供給元と仕事をすることとなり、その最初の取引にコッブを責任者として選んでいた。

車の音とヘッドライトの明かりがこちらに近付いてくる。その車から四、五人の男が降りてきた。ライトの逆光でどんな姿かはわからない。

カシャ、という特徴的な音がゴミ集積場に響いた。銃のボルト操作の音だ。コッブは咄嗟に声を出す。

「出せ! 罠だ!」

しかし次の瞬間、敵の銃弾が霰のような音を立てながら車に降り注いだ。コッブは身を伏せる。

銃弾は車内を駆け巡り、運転手は血達磨になった。脇に立っていた二人の子分は反撃する前に蜂の巣にされた。コッブは破片が降り注ぐ中で反対側のドアを開け、這うように車の外に出た。車自体を盾にしながら、胸のホルスターから銃を抜いた。

誰も動く者がいなくなると、敵は撃つのを止めた。ゆっくりと歩きながらこちらに近付いてくる。コッブは車体の下から相手の動きを見ていた。敵の数は五人。車に近付いてくるのをじっと待った。十分に引き付けた後、コッブは車体の下から相手の足を撃ち抜いた。三発で二人の足が撃ち抜かれ、その場に倒れ込んだ。残り三人の内の一人が一気に距離を詰めてくる。コッブは素早く立ち上がってその男の頭を撃ち抜いた。あとの二人は脇のガラクタが積まれている場所に走って身を隠した。

コッブも車から離れ、敵が隠れたガラクタ置き場の反対にある小屋の影に身を潜めた。

できればこれで相手が引き下がってくれることをコッブは祈っていた。放っておけば失血死するであろう仲間が二人いる。そいつらを連れて逃げてくれればいい。金だってくれてやる。今回だけは。

コッブは小屋の脇にしゃがんだ状態で敵の様子を窺っていた。沈黙が続く。

ふと脇腹に鈍痛が走る。どうやら弾が掠ったらしい。シャツが血で濡れて嫌な感触がある。

早く終わってくれと、コッブは願っていた。我ながら情けない気分だったが、こんなところで死ぬのだけは御免だった。この腐ったゴミ集積場で誰にも知られずに朽ちる自分の死体。そんなイメージが浮かぶ。

車の扉が閉まる音がした。隠れていた男達が乗り込んだのだ。エンジンが吹かされ、砂利を踏むタイヤの音が響く。

一瞬ほっとしたコッブだったが、すぐにその安心は誤りだと気付いた。車はスピードを上げてコッブの隠れていた小屋に突進してきた。立ち上がったコッブだったが、小屋ごと撥ね飛ばされた。そして小屋の反対側のゴミ溜めに落ちた。

汚水と生活ゴミの混じった最悪の場所に頭から浸かっていた。辛うじて意識はあったが、銃が手元から無くなっていた。車から降りた男が自分の生死を確かめるために下りてくる。よほど俺を殺したいらしい。大きく動く訳にはいかなかった。コッブは何か武器になるものはないか探した。偶然、錆びた奇妙な形のナイフがあった。真っ赤に錆びたそれは何かを切ることができるとは思えなかったが、何も無いよりはましだった。

敵の一人が車の隣でライトをかざし、もう一人がその指示に従って自分を探している。まだ自分は見つかっていない。

絶対にあいつらを殺してやる。

そんな闘志が急激にコッブの中に湧いてきた。ゴミの匂いと錆びたナイフが、自分の中の根源的な怒りに火を点けたようだった。

男と光がゆっくりと自分の方に近付いてくる。心臓の鼓動が早くなる。早くこいつを殺したい。殺さなければという思いで頭が熱くなった。

そしてその熱さが頂点に達した時、獣のようにコッブは敵に飛び掛かった。

一瞬で相手の胸元に飛び込み、腹に錆びたナイフを突き立てた。そして一気に腹を引き裂く。ライトを持った最後の敵が銃を撃ってくる。コッブは腹を引き裂いた男を背負うようにして盾にした。男の血と内臓が湯気を立て、コッブの頭に降り注いだ。

最後の敵は銃を撃ち尽くすと車に乗り、去って行った。

コッブは盾にした男を下ろすと、ゴミ溜めから這い上がった。立ち上がると汚水に濡れた血みどろの頭を掻き上げ、乱れた髪を後ろに撫でつけた。片手にはまだ錆びたナイフがあった。

錆びたナイフをベルトに挟むと、胸ポケットからタバコを出した。幸いケースに入ったタバコは無事だった。そして火を点けると、自分の車に向かった。

車の傍に二つの敵の死体があった。一人は頭を撃たれた男。もう一人は腿を撃たれて失血死した男。

そしてもう一人、脛を撃たれた男が這いずりながら逃げようと藻掻いていた。

コッブはその男の真後ろに立った。コッブに気づいた男は、肩にかけた短機関銃をおぼつかない手つきで構えようとする。

コッブは男に乗りかかるようにして短機関銃を取り上げた。そして斜め後ろから首に手を回して締め上げる。

「パーティは始まったばかりだぜ。 落ち着いて一服しろよ」

そう言って左手に持ったタバコを男の眼球に押し当てた。瞼から煙が上がり、男は甲高い叫び声をあげる。

「ぎゃあぎゃあと喚くんじゃねえ」

首を締め上げていた腕を離すと、今度は男の顔を殴った。地面に叩きつけられた男は小さく呻いた。

「さあ、誰の差し金か聞かせてもらおうか」

「……何も知らねえ。 俺はしがねえ下っ端さ。 頼む、殺さないでくれ」

コッブはベルトに差していた錆びたナイフを抜いた。

「上手く喋るなら、腕の一本、いや、指の一本ぐらいは残してやってもいいぜ」

そう言うと男の片耳を掴み、千切るように錆びたナイフで切り取った。

「大変だったな。 もう大丈夫なのか?」

カーマインは立ち上がり、抱擁でコッブを迎えた。場所は組織が管理している酒場の事務所だ。

「ええ、腹の破片を出してもらっただけで。 当たり所が良かったらしい」

襲撃から五日しか経っていなかったが、顔に貼られた絆創膏ぐらいしか痕は残っていない。

「男前が増したな」

コッブの頬をカーマインは軽く叩いた。二人は席に着く。

「誰が手引きをしたのか、わかったのか?」

「金で雇われた下層からの不法移民のチンピラで、バックは追えませんでした」

「そうか」

「ですが、いま不法移民を扱ってるのはキアーラの所だけです。あたりをつければ何か手掛かりを掴めるかもしれません」

「しっかりと方を付けろ。 組織の威厳に関わる。 お前も、もうここらへんじゃ顔役なんだ」

コッブが組織に入って七年。若い連中の中では一番の稼ぎ頭で、幹部になるのも間近だと噂される男になっていた。今回の取引も相談役から直々の指名があって行われたものだった。

「わかってます」

コッブは席を立った。

「そうだ。明日なんですが、新しい取引について相談したいので、夜ここへ迎えを出します。 平気ですか?」

「ああ、問題無い」

そう約束を取り付けて、コッブは事務所を出た。

「貴方に見せたいものがあるんです。 ちょっと大きな取引で、保証が必要なもので」

コッブは車中でそう語って、カーマインを倉庫に連れてきた。

コンシリエーレ――相談役――のクレメンザともう一人のカポ、マリオが立っていた。そして倉庫の奥には、黒い布が掛けられた何かが置いてあった。

「どうした? マリオ、クレメンザ」

「俺から説明しますよ。カーマイン」

コッブは黒い布の隣に立っていた部下に、顎で指図をする。

布が取り払われると、そこには両足を膝から、右腕を肘から切られた包帯だらけの男が椅子に縛り付けられていた。

「実はコイツが口を割りましてね。それでちょっと貴方に話を聞こうという流れになりまして。相談役と」

「カーマイン、コッブから話を聞いた。厄介な事だぞ、コレは」

「何を言ってるんだ?」

カーマインは憮然とした表情で言った。

「アンタが例のアップスターズと組んで俺を嵌めた、ってコイツは言ってるんですよ」

アップスターズはプライムワンと因縁のある新興組織だった。新型ドラッグを捌き、ファイヴと呼ばれる古参の組織を切り崩しに掛かっていた。

部下が包帯の男の猿轡を外して軽く小突くと、包帯の男はくぐもった声で喋り始めた。

「……俺はリーダーの口から……プライムワンのカーマインからコッブを始末する許可を得た……って聞いた」

「本当か? 嘘だったら殺すぞ」

コッブは大声で聞く。

「本当だ! 本当なんだ! これだけだ……俺が知っているのは……」

部下は猿轡を戻した。

「金か? 兄弟」

呆れた調子でマリオが言った。見届け人としてクレメンザが呼び出していた。

「馬鹿な! 何で俺が最も信頼している部下のコッブを嵌めなきゃいけねえんだ。 道理が通らねえだろ?」

カーマインは威厳を保とうとしたが、焦りは明らかだった。

「俺が幹部になれば割を食うのはあんただろ、カーマイン。独立してシマを分けてもらう相手はアンタなんだから」

コッブは怒りを抑えた調子で言った。

「馬鹿を言うな! そんなことで組織を裏切る真似などするか」

カーマインの額には汗が浮かんでいる。

「アップスターズに恩を売っておけば、いざという時に助かるって訳だ。あいつらは随分と羽振りがいいらしいな」

マリオが言う。

「他の組織でも金で転んだのがいると聞いてるが、まさか俺達の組織から出るとはな」

クレメンザはマリオに言った。

「クレメンザ、頼む、俺はこんな馬鹿なことはしない。わかってるだろ」

懇願するような調子でカーマインは言った。

「裏切りは死でしか償えん。知っている筈だ」

クレメンザは諭すように言った。次の瞬間、コッブはナイフを抜いてカーマインに迫った。

「や、やめろ!!」

カーマインの首筋をコッブは真っ直ぐに引き裂いた。思わず顔を庇おうとして出した手の指が一緒に切られ、床に落ちた。

カーマインは跪き、溢れる血を指の無くなった手で抑えた。ゴボゴボと声にならない声を発している。

「方は付けさせてもらいましたよ」

そう耳元で呟くと、コッブはカーマインから離れた。

続いてマリオが銃を抜き、カーマインの頭を吹き飛ばした。兄弟分への情けだった。

「みっともねえ真似しやがって……」

そう言って、マリオは憮然とした表情で倉庫から去っていた。

コッブは部下にカーマインの死体を始末するよう指示した。部下達はカーマインの死体を引き摺って倉庫を出て行った。

倉庫にはコッブとクレメンザ、縛られ拷問された襲撃者が残された。

「よくやった。カポの座は俺から推薦しよう。 来週の会合で、お前は正式な幹部だ」

クレメンザは言った。

「ありがとうございます」

「カーマインが裏切るとは意外だった。昔気質のいい男だったんだがな」

「カーマインはいい男でしたよ。 俺もそう思います」

「どういう意味だ?」

クレメンザは訝しんだ様子で聞き返した。

「実はコイツが話した内容には、もう一つ別のものがありましてね」

顎で襲撃者を指す。

「どんな話だ?」

「コイツが聞いたという裏切り者なんですが、普段は『相談役』って呼ばれてるそうです」

コッブは話ながらタバコを出して吸い始めた。

「何だと……」

クレメンザは動揺を隠さなかった。

「俺の取引を知っていたのは、依頼してきたあんたと上役のカーマインの二人だけだ」

「何でお前を俺が始末しなきゃならない」

「さあ、金でしょうかね。 アップスターズは俺を殺したがってる。 奴らと前線で派手にやり合ってるのは俺ですからね」

吸ったタバコの煙をゆっくりと吐いた。クレメンザは黙っている。

「俺を売ることができるのはアンタだ。 そのアンタを金で抱き込めて――」

「……証拠は無い」

「要りますかね? 俺がアンタをここでやるのに」

クレメンザは固まった。

「それに、アンタがこの件に無関係ならカーマインを庇った筈だ。 拷問されたチンピラの自白一つで功績のあるカポを始末する、普通そうはいかない」

「何が望みだ」

「俺がカポになった後は、俺のいいように動いて欲しい。そうすれば命の保証はしましょう」

「……よかろう」

クレメンザは従った。

「それと、アップスターズの連中と話がしたい。 殺し合い以外にもやり方がある筈だ」

「わかった。取り次ごう」

クレメンザは逃げるように倉庫を後にした。

コッブは縛られた襲撃者の後ろに立った。もう倉庫には二人以外誰もいない。

「さて、約束通りに喋ってくれたようだから、お前は殺さない」

ナイフで身体と椅子を結びつけている縄を切った。そして乱暴に男を蹴り倒した。両足を失った襲撃者はもぞもぞと床で藻掻いた。

「だが、助けたりはしねえ。 俺を的にかけたヤツを助ける訳がねえだろ?」

床にのたうつ男を思い切り蹴った。

そして倉庫に襲撃者を置き去りにして、コッブは去った。

「―了―」