50ギュスターヴ1

3379 【再動】

ミリガディアの南西にある小さな町トララ。渦の影響もあり、交易などが途絶えがちになっているこの町に訪れるものは少ない。

日が落ちる少し前、そんな町の聖堂に、小さな馬車がやって来た。

ストームライダーの商人以外は訪れる者が殆ど無いトララでは異例の事態であり、聖堂には町の人々が様子を見に集まっていた。

馬車の到着と共に祭司が聖堂から出てきて、馬車から降り立った人物を出迎えた。

「長旅ご苦労だった。町の皆にも紹介しよう。さ、挨拶しなさい」

「ルーベスより陶冶にやって参りましたシーギスです。トララの皆様、暫くの間宜しくお願い致します」

シーギスと名乗った青年が一礼する。一見十代にも見える彼は僧服を身に纏っており、聖堂の関係者であることが窺える。

陶冶《とうや》とは『命の神』に仕える僧侶に課される課題であり、これを達成することで命の神の御許へ行き、善き世界を作る礎となることができると言われている。

「疲れたろう、シーギス。すぐに部屋に案内しよう。職務の説明は明日の朝にするとしよう」

「ご好意に甘えさせていただきます」

祭司に促されて、シーギスは聖堂へと入っていった。

土着神を信仰する宗教が母体となって建国された国家であるミリガディア王国では、規模の大小に関わらず、必ず一つの集落に一つ国営聖堂が置かれていた。

それぞれの集落の聖堂は、現在の君主である大君《オーバーロード》バステタに任命された祭司が管理していた。

トララの聖堂は王国内に数ある聖堂の中でも殊のほか小さく、祭司のモルガンと僧侶一人がいれば十分に運営が可能であった。しかし少し前に前任の僧侶が生まれた街の祭司となるべく高位陶冶に入ったため、代わりとしてシーギスがトララへと遣わされたのであった。

夜が明けた。シーギスはモルガンの執務室に赴いていた。モルガンは既に祭司服に着替え、朝の礼拝の準備を行っていた。

礼拝の準備を手伝いながら、朝の礼拝に聖堂の扉を開ける時間や掃除の手順など、細かなことの説明を受けた。

「おおそうだ、朝の礼拝が終わり次第、町に買い出しに出掛けてほしい」

「買い出しですか?」

「この町の人々はちょっとばかり人見知りの気があるのだよ。ここで僧侶をする以上は、君にも早く町に溶け込んでもらわねばならん」

要は買い出しという名の挨拶回りといったところなのだろう。

「お心遣い感謝致します。早く皆様に認めていただけるよう、精進します」

朝の礼拝が終わり、簡単に聖堂の掃除を済ませた後、シーギスは町へと出掛けた。モルガンに渡された町の地図と買い出し用品が書かれた紙を持ち、散策がてらに町の中を巡っていた。

「こんな時期に僧侶様?」

「ほら、テッド様が陶冶の旅に出なすったから」

町の人々はシーギスを見ると、ひそひそと会話を始めた。首都から遠く離れたトララは、例え聖職者であっても他所からの人間の流入を嫌っているようだった。

シーギスにも会話の内容は届いていたが、聞こえないふりをすることにした。

「でも、いくらなんでも若すぎじゃ」

「都会の人ってだけで怖いわ」

「所詮は都会の僧侶様じゃ。ここでのお勤めはそう長くならんじゃろう」

新しい世界の情勢が届きにくい場所である。自分達の生活が物や人の流入によって変化することに怯えているのであろう。

ましてや国教のお膝元である首都ルーベスから来た僧侶である。警戒するのも止むを得ない部分があった。

シーギスは買い出しから戻ると、昼食後に聖堂前の掃除を始めた。そして聖堂に訪れる人、行き交う町の人に、丁寧に挨拶を繰り返した。

「これからお出掛けですか? 寒いですから、どうか気をつけて」

「あ、あらそう。ありがとうね」

顔を逸らして足早に通り抜けようとする人に対しても常ににこやかに対応するシーギスの姿は、少しずつ町の人々の警戒を解いていった。

「シーギスさまー、あそんでー!」

「あと少しでお掃除が終わりますから、少し待って下さいね。今日は何をしましょうか?」

シーギスは聖堂に訪れる子供達にも優しかった。祭司に相談事に来た家族の子供を外で遊ばせ、親が十二分に相談できるよう手配したことが始まりだった。

町の周囲に現れる魔物を倒すために若い男達が出払っているため、シーギスは町の子供達にとって身近なお兄さん役となっていた。

「テッド様もとてもいい方だったけど、シーギス様も若いのに素晴らしい僧侶様だわ」

「祭司様の代わりもよくお勤めになられていらっしゃる。ありがてぇこった」

一年もしないうちに、シーギスの評判は当初とは真逆のものになっていた。

職務にも慣れ、町の人々からの信頼も獲得しつつあったある時、その日の勤めを終えたシーギスは祭司に呼び出されていた。

「祭司様、お話とは何でしょうか?」

執務室はランプの明かりで薄暗く照らされていた。

「ああ、来たか。まぁそう身構えるな、ここに座って楽にしなさい」

シーギスは言われるがままに指定された椅子に腰掛けた。対面にはモルガンが座した。

「君は本当によくやってくれている」

「いえ、力不足の私を支えてくださる祭司様や町の方々のお陰です」

「謙遜するな。こう見えても私には人を見る目がある。そこで、君にはもっと高度な陶冶を積んでもらおうと思ってな」

「高度な陶冶、ですか?」

シーギスは鸚鵡返しに疑問を述べた。モルガンは祭司としてシーギスの陶冶を見守る義務がある。だが、シーギスに課されている陶冶はまだ完遂の目処が立っているものではない。

「君は命の神の真の姿を知っているかね?」

「神に形はない。教義にはそうございますが……」

「教義に書かれていることが全てではない。あれは超常的な力を手に入れたある者が作り上げたに過ぎぬ。我々はその者のことを首領と呼んでおるがな」

そう言うと、モルガンは何も使わずに一冊の本を手元に呼び寄せた。ふわりと浮く本は勝手にページを捲り、命の神の肖像が描かれているページを開くと、一瞬で燃え上がった。

「凄い! どうやったらこんな力を?」

「上位の組織から手に入れた力だ。命の神に仕える祭司であれば、皆これと同じ力を秘めている」

「そんなことができるのですか? 私のような者でも、素晴らしい力が……」

「無論だ。君が力を手に入れたら、私の片腕になってもらおうと思っている」

「祭司様の片腕に……、祭司様は善き世界のために何をされるおつもりですか?」

「シーギス、君はまだまだ青いな。ともあれ、まずは目障りな首領の息の根を止めることが最初だ。死に掛けているとはいえ、あれが君臨している以上、我々の望みが叶うことはない」

「神に背けと仰るのですか?」

「首領はもはや物言わぬ飾りだ。私が手に入れた力は首領すら凌駕している。奴が何百年と眠りについている間にも、私は研鑽を重ねている」

「……それで、祭司様が偉大な首領となられた後はどうなさるつもりで?」

モルガンはシーギスに煽てられるまま、饒舌に話を続けた。

「私が首領になった暁には、この力の全てを使って地上の王となるのよ。手始めに目障りなグランデレニア帝國を潰して、あの広大な土地を手に入れるのさ。そして帝國の軍事力をもって地上を平定し、理想の世を作り上げる」

モルガンは気分が高揚したのか、立ち上がってシーギスの周りを歩き始めた。

「地上の財宝も全て私のものだ。財がなければ何もできんからな。どうだね、私と共に来れば財も権力も分け与えてやろう」

モルガンはシーギスに問うた。有無を言わせない迫力と、常人から見れば魅力的な褒美を提示していた。

「ふ、ふふ……ははははははは!」

しばしの沈黙を破ったのは、シーギスの笑い声だった。

「何だね! 何がそんなにおかしいのかね」

「王だ財だと、何とも矮小な望みよな。世俗の欲ごときで神となろうとは、随分と滑稽な話だ」

シーギスの表情には人のよさそうな好青年の面影はなかった。

「私を愚弄する気か!」

「愚弄などしていない。ただ哀れだと思うただけよ」

モルガンはシーギスに向けて先程の燃え上がる本を放った。シーギスはそれを避けもせず、指先一つで受け止めてみせた。

シーギスの指先に羽を象った紋章が浮かぶ。

「お、お前……!」

「隠匿したとはいえ、吾の気配にすら気付かぬとは。モルガンよ、相当に耄碌したようだな」

「ば、莫迦な、お前はもはや死を待つだけのミイラではなかったのか!!」

モルガンの顔は青を通りこして白くなっており、完全に血の気が引いていた。

シーギスはその様子を見て更に笑うと、紋章が浮かんだ指をモルガンに突きつけた。

「謀反なぞ考えずに吾がお前に呉れてやったもので満ちたりておれば、今までどおり栄華を堪能できたであろうに」

モルガンの身体が宙に浮かぶと、音を立てて捻られ、圧縮されていく。

「や……め……」

「吾は謀反人を許す程の大きな器は持ち合わせておらぬ」

シーギスは一言、絶望の色に染まるモルガンに言い放った。同時にモルガンの身体は捻れた紙屑のように潰れた。

モルガンだったものはそのまま青白い炎に包まれ、跡形もなく消え去った。

夜が明ける。シーギスはモルガンが留守であることと、自身も首都の招集に赴かなければならなくなったことを告げ、トララの町を去った。

もとより留守がちだったモルガンのことを気に留める住民はおらず、揉め事なく町を去ることができた。

「ご帰還、お待ちしておりました。ギュスターヴ様」

首都ルーベス。国の中心である聖ダリウス大聖堂の最深部で、シーギス、いや、ギュスターヴは側近のユーリカとクロヴィスに迎えられた。

「中々に面白いものを見る事ができた。この姿も悪くないな」

「それはようございました」

「あの化け物はどうした?」

「捨て置きました。再生能力が確認できない値に落ち込んでいるため、もはや助かる道理はございません」

抑揚なく答えるユーリカの言葉にやや気に掛かるものを感じたが、ギュスターヴはそれを気のせいと断じた。

「……まあよい。これで謀反人は全て始末した。クロヴィス、配下を集めよ。吾の復活を知らしめるぞ」

「御意。偉大なる首領の仰せのままに」

ギュスターヴの姿が揺らめく。一瞬の間を置いた後、ギュスターヴは眼光鋭い老人の姿となっていた。

「―了―」