3312 【蝕】
暗く湿った地下の部屋に、くぐもった呻き声が響いていた。
そこには男が鎖で繋がれており、全身に大小様々な傷を負っている。
「これでもまだ話す気はありませんか」
「だ……れが、お前たちに……」
ユーリカはそれを聞くと、掌ほどの長さがある細い針で男の肩を刺した。
何度かそれを繰り返していると、地下の部屋の扉が開いた。
「様子はどうだい?」
「よく訓練されています。こちらの提案に乗ることはないと判断してよろしいかと」
「愚かな男だ。素直に従えば、苦痛なく死ねたものを」
部屋に入ってきたクロヴィスは虫の息の男を見て、吐き捨てるように言った。
「ところで、この様な場所まで何をしに?」
「少々やってもらいたいことがあってね。本来なら貴女の手を煩わせるものではないが、貴女以外に任せられそうにない」
「そうですか。では、この男の処分はお任せします」
「わかった。仔細はあとで説明しよう」
◆
ユーリカはミリガディアから西に12リーグほど離れた場所に来ていた。
そこはミリガディアやグランデレニア帝國の障壁の恩恵が届かないサベッジランドの一つであり、渦の影響が色濃い地域であった。
ユーリカはその地域にある古びた聖堂を訪ねていた。
「ミリガディアの僧侶様が、何故この様な所に?」
「こちらの聖堂に命の神にまつわる書物が祀られている聞き、巡礼に参りました」
「そうでしたか。でしたら、書物の閲覧が終わったら早々にお発ちになられるのがよろしいでしょう」
「どうしてまた。何か理由でもおありなのですか」
「この地域にはグールド病を患う者が多いのです。いかに命の神の加護がある僧侶様とはいえ、長く滞在すれば……」
グールド病は障壁の恩恵を受けられない荒野で発症する致死性の風土病である。有効な治療法や薬は無く、一度患ったが最後、死を待つしかないのが現状であった。
「まあ……。それはご苦労されていることでしょう」
「ここら一帯には病院もございません。僧侶様、どうかここの事は忘れて巡礼をお続けください」
ユーリカは聖堂の管理者とひとしきり会話を交わすと外へ出た。外では僧服を纏った数人の女性が待っていた。
「いかがでしたか?」
「この場所が良いでしょう。皆さん、準備を」
「承知しました」
女性達は一礼すると、足早に去っていった。
◆
半月ほどして、ユーリカは再びあの聖堂を訪れていた。
「おお、僧侶様。どうなされましたか?」
「この地域の皆様を救う施設を作るため、そのご挨拶に参りました」
聖堂の管理者は目を見開いた。
「なんと。いや、ですが僧侶様。以前も申し上げました通りここは……」
「命の神はどの様な病に罹った者でも決して見捨てることはありません。私は命の神から陶冶を授かり、再びここへ舞い戻ったのでございます」
ユーリカは管理者の手をしっかりと握り、慈愛に満ちた言葉を伝えた。
諸々の手筈を整えると、それから半年ほど掛けて、ユーリカは聖堂から少し離れた場所に中規模の医療施設を作り上げた。
障壁が無いために集落としての体裁を成せないこの地域で、ユーリカの医療施設は盛大な歓迎を受けた。
小さな怪我から風邪、そしてグールド病に至るまで、この施設は様々な患者を受け入れていた。
普通であれば医者にさえも見捨てられてしまうグールド病の治療を施してもらえるということで、10リーグ離れた場所からわざわざ訪ねる患者もいるほどであった。
◆
ユーリカは執務室で膨大な数の書類を見ていた。毎日のように運ばれてくる患者のカルテを見て仕分けを行う。
仕分けされるのは主にグールド病に罹患した人達の物で、それは他の患者の物とは別に、詳細がまとめられていた。
「ユーリカ様、97号の脳活動停止を確認しました。それと同室の108号の容態が急変、あと数日で脳活動も停止する見込みです」
「わかりました。101号と97号の搬送の準備をお願いします」
患者の容態を聞いても、ユーリカは眉一つ動かすことなく淡々と指示を出す。
「101号は見舞いに訪れるストームライダーが数人おりますが、いかがしますか?」
「グールド病由来の免疫低下で感染症に罹患したため隔離した、と伝えてください。搬送後は死亡し埋葬したことにすれば、彼らも手出しできないでしょう」
「承知しました」
現在のユーリカの任務は、グールド病の末期患者を見繕って組織の人体実験施設に収容することであった。
グールド病はその致死性と治療の手立てが全く無いことから、罹患した者はすべからく見捨てられる。患ったが最後、ただ死を待つだけなのだ。
組織はそれを利用し、実験材料としてグールド病患者を積極的に回収しているのだった。
◆
それから暫く経ったある日の深夜、見舞いの客もいなくなって静まり返った医療施設の裏から、大型の馬車が出てきた。
「では、よろしくお願いします。グールド病の患者とはいえ、大事な献体です」
「はい。全ては大善世界の実現のために」
「全ては偉大な首領、ギュスターヴ様の復活のために」
馬車がミリガディアの方角へと走っていくのを見送ると、ユーリカは医療施設の中へと入っていこうとした。
その時、馬車が去っていった方角とは別の方向から草を踏むような音が聞こえた。微かな音だったが、ユーリカの耳は確かにそれを捉えていた。
ユーリカが音のした方向に向かおうとすると、何者かが逃げていくのが見えた。
「……警戒を強める必要がありそうですね」
◆
次の日の昼、ユーリカ達が101号と呼称していた人物に面会を求めるストームライダーが現れた。
101号は感染症で隔離していると説明していたにもかかわらず、三日と間を置かずに見舞いに訪れていた人物であった。
「お前ら! ジンをどこに連れて行った!」
このストームライダーは101号――ジン――と共に荒野で輸送業を営む男であり、友人であると名乗っていた。
「お静かに願います。あなたのご友人は感染症を併発し、それが原因で息を引き取られました」
ユーリカは責任者として、粛々とした態度でこのストームライダーに対応した。
「嘘を吐くな! 俺はお前らが夜な夜な入院患者をどこかに運んでいる事を知ってるんだぞ!」
施設の受付で治療を待つ人達がざわついた。
「そのような事実はございません。いたずらに治療を受けている方々を不安に陥れるのはおやめください」
「じゃあジンと会わせろ! 本当に死んでるって言うんなら、葬式くらいは!!」
「申し訳ございません。ジン様が患った感染症は非常に強い感染力を持っていたので、こちらで然るべき処置をして埋葬を行いました」
「ふざけるな!!」
ストームライダーは床に崩れ落ちてしまった。ユーリカはその男の傍に屈むと、体を支えるように起こした。
「この度の事、私達も大変心苦しく思っております。アルス、彼を墓地へ」
傍にいた看護担当の女性僧侶にストームライダーを任せると、ユーリカは受付付近で騒然としていた人々に謝罪に回るのだった。
◆
夜も更けた頃、ユーリカは施設から少し離れたところにある墓地を訪れていた。
101号を埋葬したと偽った場所に、数人の影があるのが見えた。土が掘り返され、埋めておいた棺の蓋が開いている。
「やっぱりそうだ。ジンは死んだりしてない」
「疑って悪かったな」
「しかし、ジンはどこに連れて行かれたんだ? あの施設にはいなかったんだろ」
「ユーリカとかいう奴が知ってるに違いない」
「どうやって調べる?」
ユーリカは足音を立てずに男達の背後に迫った。墓穴に視線が集中していた男達はユーリカに気が付かない。
「がっ!!」
会話に必死だった男達の一人から鋭い呻き声が漏れた。残った二人には、男の腹部から血に塗れた女の腕が生えているのが見えた。
「なんだ!?」
「どうなってる!」
男の背後にユーリカが立っている。残りの二人は突然のことに対処できずにいた。
「遅い」
狼狽する男達にユーリカは告げると、腹部を貫いた腕を抜き、その男の体を無造作に投げ捨てた。
「貴様ぁ!」
施設で騒ぎを起こした男が漸く事態を把握し、ユーリカに向かって手榴弾を投げつけた。ユーリカはそれを片手で受け止めたが、間を置かずに爆発する。
「よし!」
男の勝利を確信した声が響く。
「待て、まだだ! ぐぁ!」
「この程度、問題はありません」
煙が風で流されるよりも前に、ユーリカの腕が手榴弾を投げ付けた男の胸を刺し貫いた。
ユーリカの腕と顔は手榴弾の爆発により焼け爛れていたが、骨や肉の代わりに金属質の何かが露出していた。
「そんな……!! お前、何者な!!」
最後に残った男が言葉を言い終わる前に、ユーリカは重たい棺を男の脳天に振り下ろしていた。
◆
全てが沈黙した墓地に、ユーリカは夜詰めの女性僧侶を呼び出した。
「どうかなさいましたか? そのお姿は……」
「私のことに構う必要はありません。それより、ストームライダーが我々のことを探ろうとしていました」
「この死体がそれであると」
「ええ。献体の数も要求数は集まっていますし、そろそろ潮時かも知れません」
ユーリカは墓地に建てられた主のいない墓標を見回して淡々と言うと、ストームライダー達の死体の処理を任せてその場を立ち去った。
「―了―」