2835 【価値】
ショーの興奮が冷めやらないサーカスのテント内で、ルートはショーで使った道具を所定の場所へと運ぶ。
高い棚の上に道具を置こうとルートは足と腕を伸ばしたが、右足の関節部分から機械が軋むような音が聞こえた。
「どうしたルート、早く片付けろ。まだ運ぶ物があるんだぞ」
金庫に金を入れに来た会計係が、道具を持ったままのルートに声を掛けた。
「申し訳ありません。右足から異音がしました」
「なんだ、お前も調子が悪いのか。道具はそこに置いて、団長に言ってこい」
「わかりました」
会計係の命令を受けたルートは団長のところへ向かう。
しかし部屋に団長はおらず、ブラウが部屋を掃除しているだけだった。
ルートは団長が戻ってくるまで、部屋の前で立ち続けることにした。
◆
「どうしたんだい?」
部屋の前で立ってから暫くの時間が過ぎた頃、ノームが声を掛けてきた。手には団長の小さな自動人形付き置き時計を持っている。
「右足から異音がしましたので。団長の命令を受けるようにと言われました」
「団長は町に遊びに行ったよ。今日は戻らないって聞いた。修理するのに団長の許可がいるなら、一度持ち場に戻ったほうがいい」
「わかりました」
そう言って、ノームは時計を置きに団長の部屋へ入っていった。
ルートはそれを見送ると倉庫へ戻り、休息機能を起動した。
◆
翌日もルートの不調は続いた。右足の動きは更に鈍くなり、それを補完するために全身の動きまでもが拙いものになっていた。
団長はショーが始まる少し前に戻ってきた。団長はこの日のショーが終わったら修理すると言った。
危うい場面もあったが、どうにか無事にその日のショーを終了させることができた。
「ルート、修理の前にこれを運んどけ」
「わかりました」
ノームの所へ向かおうとするルートをマークが呼び止めた。そこには人間が運ぶには少々重過ぎる道具があった。
重い道具を倉庫まで運ぶ途中、人間でいうところの股関節にあたる部品の折れる音が、ルートには聞こえた。
「危ない!」
誰かの声がルートの耳に入る。ルートはその声に、咄嗟には反応できなかった。
右足が壊れたことで一気にバランスを失ったルートは、片付け途中の大道具が置かれている場所に倒れ込んだ。
周囲に重たい音が響き渡る。ルートは倒れ込んだ衝撃で、大量の道具の下敷きになっていた。
「何があった?」
団長やマークの声がする。
「おい、ルートの奴が埋もれてるぞ」
「あぁ? 仕方ねぇな。おいお前ら、ここを片付けとけ」
団長に命令された自動人形達が倒れた道具を片付ける。道具の下からルートの姿が見えてきたが、その足は奇妙な方向に捻じ曲がり、左腕から胸の辺りにかけては潰れ掛けていた。
「団長、どうする? これじゃ次のショーは……」
マークと団長の話し声がするが、ルートの耳にはやけに遠くから聞こえた。
「こうなったら捨てるだけさ。小僧に見せても無駄だろうよ」
「わかった」
◆
それから何時間もしないうちに、ルートはサーカスのごみ捨て場に捨てられた。
自分を運んできた小人の自動人形達がけたたましい笑い声を上げながら、ごみ捨て場の周囲で遊んでいた。
ルートの電源はまだ生きていて、周囲の物事を認識することができた。だが、それ以上は何もできなかった。
自動人形は高度な人工知能によって人間に近い挙動をするが、所詮ただの機械でしかない。それ故、自動人形は与えられた命令を忠実にこなすことしかできないのだった。
「ヴィレア、ここかい?」
「そうです。ここにルートがいます」
声がした。小人達の笑い声が掻き消えると、ノームとヴィレアが現れた。
「ああ、これは……」
「直りますか?」
「うん、ちょっと大変だけど大丈夫。ヴィレア、小人たち、ルートを僕のテントに運んで」
ヴィレアと小人に持ち上げられ、ルートはテントに運ばれていく。
「おい、小僧。そいつは捨てるんだ。勝手に持ち出すな」
「ルートはまだ修理できますよ。明後日までには直してみせます」
途中、会計係の人間がノーム達を呼び咎めた。
「どうした?」
ノームと会計係がもめているのが聞こえたのか、団長が部屋から顔を出した。
「団長、小僧がルートを修理できると」
「ほう。本当か? 小僧」
「はい。少し時間はかかりますが、直せます」
「ですがこの状態では……」
「小僧ができるって言うならそうなんだろ。好きにさせとけ」
「それはそうですが……」
「小僧、そこにいると邪魔だ。とっととそいつを運んじまえ」
団長はまだ納得できなさそうな会計係を無視すると、ノームに対して追い払うような仕草をした。
「ありがとうございます」
◆
テントにはシルフと呼ばれている子犬がうろついていたが、ルートの様子を一瞥すると自発的に隅のほうへ行き、丸くなって眠ってしまった。
ノームはルートを作業台に寝かせると、隅々まで検分をし、いくつかメモを取ってヴィレアに手渡した。
「このメモに書いてある物を持ってきて。ここに無かったらごみ捨て場にあると思う」
「わかりました。すぐに取ってきます」
ヴィレアはメモを見て頷くと、部品を探しにテントのあちこちを動き回りだした。
「じゃあ、一度電源を落とすよ。その前に何かあれば聞くけど」
「いえ、ありません」
「わかった。おやすみ、ルート」
ノームという少年は、自動人形を人と同じように扱う時があった。
◆
何時間か過ぎて、ルートは再起動した。
首を動かすと、丁度ノームが股関節部分の修復を終えたところのようだった。
「おはよう、ルート。気分はどうだい?」
「ええ、とても良いです」
「学習過多になっていた演算プログラムも、少し調整したからね」
「ありがとうございます。とても晴れやかな気分です」
「そう。それはよかった」
ノームは笑う。ただ、フードに覆われているために表情までは見えないが。
「こんなものかな。バランスを見たいから起き上がって」
言われた通りに起き上がり、地面に足を着けた。
心なしか、以前よりも挙動がスムーズになった様な感覚があった。
「問題なさそうだね」
しばらく身体を動かしていると、ヴィレアがテントに入ってきた。その手には修復されたルートの服があった。
自分の服を見た瞬間、ルートは急に恥ずかしいという思いに囚われた。今の自分は古い人工皮膚が剥がれて剥き出しの箇所があり、とても人前に出られるものではなかった。
「持ってきました」
「ありがとう、ヴィレア。ルートに渡してあげて」
「はい」
「あ、ありがとう……」
ルートは急いで服を着る。いつもの舞台用の服を着ると恥ずかしさは消え、安堵した。
同時に、再起動する前までは感じなかった、慮外の感情が湧いたことに戸惑いを覚えた。
「あはは。驚かなくてもいいんだよ。今はこの状態が正常だからね」
ルートの様子に気付いたノームが笑う。団長達にも信頼される彼が言うのだからそうなのだろう。ルートはそう納得することにした。
◆
再起動したルートは、修復箇所の具合を見るために作業台の片付けを手伝っていた。
ふとヴィレアの様子を見ると、ヴィレアは作業台に置かれていた部品を見つけ、ノームに一言告げてから、それを廃棄品が詰められている箱へ入れていた。
ポンコツと蔑まれ何もできないと思われていたヴィレアが、一つも無駄な挙動をすることなく動いている。その姿にルートは衝撃を受けた。
「どうしたの?」
ぼんやりとヴィレアの動きを見ていると、ノームが不思議そうに声を掛けた。
「あ、いえ、ヴィレアが……」
「ああ、彼は良いオートマタだよ。古いけど、その分学習もしているから、とっさの事態でも動いてくれる」
「そうだったんですね」
「君も、メレンも、ここにいるオートマタたちには、他の人間にはわからない素晴らしい価値がある。いずれ君にもわかる時が来るよ」
ノームはそう言って笑った。含みのあるその言い方に、ルートは頼もしさのようなものを感じていた。
「―了―」