3372 【針】
《渦》の再調査が開始されると同時に、レッドグレイヴによって地上に発生している《渦》の正体と、その発生の経緯に関する真実が公表された。
また、《渦》が発生した元凶であり原因であるケイオシウムに関する研究を最小限に留める政策も策定された。
ケイオシウムの取り扱いに関して『キングストン協定』が迅速に定められ、今までの研究に関する記録や成果を放棄するよう通達が行われた。
だが、急な方針の転換はレッドグレイヴと一部のエンジニアとの間に軋轢を生み出した。ケイオシウムの研究を生業とするテクノクラートや、遺伝子スクリーニングでその分野の研究に振り分けられたエンジニア達が猛反発したのだ。
彼らの反発を受けたレッドグレイヴは、キングストン協定が遵守されているかどうかを監視する『協定監視局』を新設し、ケイオシウム研究を行っているエンジニア達を徹底的に追い込むことにした。
「かつての災厄を二度と起こしてはならぬ。余の統治下で過ぎた研究を行う事は許さぬ」
このレッドグレイヴの言葉に何人ものテクノクラートが青い顔をしていたのを、サルガドは見逃さなかった。
◆
「中央のサルガドだ。これよりケイオシウム研究の記録抹消を行う」
サルガドはレッドグレイヴの代理として協定監視局を率いる立場となっていた。
協定審問官を引き連れて各研究所に出入りし、ケイオシウムに関する研究記録の破棄を見届けるのが仕事だ。
電子化してあるものは統制局で消去できるが、メモリーチップ等に残されたものは、当然ながら物理的に破壊する必要があった。
「我々の研究を否定するというのか!?」
苦虫を噛み潰したような顔でテクノクラートは言う。サルガドはこの仕事に就いてから、こんな表情のテクノクラートを幾度となく見てきた。
長年の研究成果が塵芥の如く消されていく様を黙って眺めていられないのであろう。そのことはサルガドにも容易に想像がついた。
「統制局からの厳命だ。違反することは許されん」
「いまさら他の分野に従事することなど、できる訳がないだろう。統制局は何を考えているんだ!」
テクノクラートは語気を荒げた。ケイオシウム研究を放棄せざるを得なくなったエンジニア達は皆、同じようなことを口にする。
「これは決定事項だ。統制局に従え。さもなくば違反者として厳罰も免れんぞ」
「ふざけたことを……。過去の統治者が大きな顔をできるのも今のうちだ!」
「貴様、協定違反罪に加えて侮辱罪も追加されたいようだな」
異を唱えるエンジニアをひと睨みすると、集めた研究データを彼らの眼前で破壊した。
絶望に染まるテクノクラートの表情に、自身の口元が笑みの形に歪む。サルガドは焦げた臭いを防ぐ振りをして、その口元を義手で隠した。
笑うような事態ではない。サルガドは職務に対して忠実でありたいと思っていた。
これはレッドグレイヴ様から任された重要な職務である、それに楽しみを見出すなど愚の骨頂である。と心を押さえつけていた。
◆
キングストン協定に基づく取り締まりが進む中、サルガドはレッドグレイヴに呼び出されていた。
サルガドがレッドグレイヴの水槽の前で待機してから程なくして、大勢のエンジニアがデニスに連れられて居室へ入ってきた。
この全員がパストラス研究所の所員であると、デニスはサルガドに説明した。
パストラス研究所はパンデモニウムに数ある研究所の中でも一、二を争う規模の研究所であり、ケイオシウム研究の最先端を行っていた。
他の研究所と同様、協定に基づくケイオシウム研究の放棄を求められたが、頑なにそれを拒否し続けていた。
「これもまた意思か……」
レッドグレイヴの呟きがサルガドの耳に入る。
抑揚こそ少ないものの、その言葉には呆れとも憐憫ともつかない響きがあった。
「我々は過去の過ちを繰り返さぬために研究に邁進してきました。現在までの研究を放棄することはできません」
「否。過度のケイオシウム研究が現在の災厄を招いておる。キングストン協定は過ちを繰り返さぬために定められたのだ」
「貴方は我々の研究に見向きもしないから、そのように簡単に切り捨てることができるのです。我々の研究成果を放棄することは、パンデモニウム全体にとっての損失であると断言しましょう」
一歩前へ進み出た代表のエンジニアは、パストラス研究所の所長を務めていたテクノクラートで、名前をハワードと言った。
パンデモニウムが空に上がる以前より続く高名な指導層一族の出であり、キングストン協定が結ばれるまではケイオシウム研究の第一人者として活躍していた。
それ故、ケイオシウムに関しては誰よりも理解している自負があるのだろう。その言葉は統治者であっても納得させてみせるという自信に満ちていた。
「余が人身であった頃にも、その様なことを口にする男がいた。だが結果はどうだ。地上には《渦》が蔓延り、それを止める手立ても発見されておらぬ」
「《渦》を止めるためにもケイオシウムの更なる研究が必要です。我々の研究こそが、世界を救うのです」
「では、余が眠っていた600年という長い間、お前達ケイオシウム研究者は何をしておったのだ? 成果を挙げていれば余が目覚める必要もなく、とうに《渦》など消滅しておろうが」
「ケイオシウムは未知数です。だからこそ長い年月をかけて検証と実験を繰り返し、確実な成果を出す必要があるのです」
「……これ以上、お前達の戯言に付き合う必要はない」
「貴方は、いずれその決断に後悔することになる」
ハワードは怒りに顔を赤くした。保安員がやってくると、パストラス研究所のエンジニア達は退室していった。
「レッドグレイヴ様、あの男――」
彼らが退室した後、サルガドはレッドグレイヴに具申しようとした。あの様子では、ハワードはケイオシウムの研究を放棄しないだろうと考えたからであった。
「わかっておる。サルガドよ、奴の監視を怠るな」
「承知いたしました」
◆
数週間後、赤い武装服に身を包んだ協定審問官と治安部隊を引き連れ、サルガドはパストラス研究所へ足を運んだ。
パストラス研究所所長のハワードを監視していたサルガドは、彼が研究整理の名目でパストラス研究所に滞在している事実を掴んだ。
しかし研究所内の設備は全て封印されており、電気も遮断されている。そんな場所で出来ることなどは何も無い筈だ。
調査の結果、とある統制局員の手引きにより、パストラス研究所の稼動状態に関する報告書が改竄されていたことが発覚。弾圧されたエンジニア達が研究所に集い、極秘裏にケイオシウム研究を進めているということが判明した。
即座にパストラス研究所に対する強制排除の命令が下り、サルガドが派遣されたのだった。
「サルガド様、研究所内部のエンジニアに動きがありました」
「研究記録をどこかへ持ち出すつもりか。何としても阻止せよ」
「了解しました」
協定審問官が研究所のセキュリティを解除し、中に入っていく。
サルガドは治安部隊に周辺の警戒を命じると、協定審問官の後に続いた。
「探せ。 誰一人として逃すな」
サルガドは人気の無いホールで協定審問官に指示を出す。大勢の協定審問官が各部屋の捜索に当たる。
数人の違反者が見つかり、俄にざわつき始める。
最初に捕縛されたエンジニアがサルガドの前に連れてこられた。
「仲間はどこに隠れた」
サルガドは拘束された男に銃口を突き付けながら問い質す。
「し、知らない。仲間なんて……」
「言え。黙秘は貴様の為にならんぞ」
「知らない……。私以外、この研究所には――」
サルガドは虚言を口にするエンジニアの右脇腹を強く蹴り込んだ。
「言え」
サルガドは鈍い呻き声を上げる男を見下ろし、再度尋ねる。
「答える必要は……ない」
その言葉を聞いたサルガドは、義手の手首から細いワイヤーを伸ばし、男の首にそれを当てた。ワイヤーの先からは更に細い針が射出され、男の延髄に突き刺さった。
これは電気信号によって脳幹を刺激し、相手の意思を思うままに操る装置だ。協定違反者の摘発が始まって間もなく、サルガドは強制的に自白させるための装置を自らの義手に取り付けていた。
「あ、がっ……ぐげ……」
男が醜い呻き声を上げた。再びサルガドは問う。
「仲間の居場所はどこだ? 正直に言わぬと、次は死が待っているぞ」
「第三……研究室……コンソール下……地下……の部屋……」
「第三研究室のコンソール下を探せ」
「……了解しました」
協定審問官はこの尋問の様子に眉を顰めながら、第三研究室へと向かっていった。
程なくして、第三研究室の地下に増設されていた部屋からハワードと多数のエンジニア達が連れ出された。
最初は強固な態度を取っていたエンジニア達も、尋問された男の見るも無残な姿を目の当たりにして反抗することが無駄と悟ったのか、おとなしく連行されていった。
「サルガド様、些か乱暴ではありませんか?」
協定審問官の一人が険しい顔をしていた。
「レッドグレイヴ様に楯突く者などに容赦の必要は無い。元より協定違反した犯罪者だ。あの程度、どうということもあるまい」
「ですが……」
「私の行動に問題があるというのなら、レッドグレイヴ様に提言してみてはどうだ? 私はレッドグレイヴ様の勅命を受けてここにいるのだからな」
「そのような畏れ多いことはできかねます」
「ならば、黙って従っていろ」
サルガドの鋭い視線に、協定審問官は顔を強張らせて職務に戻っていった。
◆
ハワードは協定違反者として捕らえられた。それから数週間後、パストラス研究所は治安部隊により焼き払われた。
研究所の跡地は協定違反の見せしめとして、そのまま放置されることとなった。
◆
「中央のサルガドだ。ここで協定違反が行われているとの通報があった」
「わ、私は何もしていない」
「研究設備を検めさせてもらう。抵抗は無意味である」
「……わかり……ました」
赤い武装服の協定審問官を引き連れるサルガドは、エンジニア達の間で畏怖の対象となっていた。
「それで良い。隠すことは為にならん」
「レッドグレイヴの操り人形め……」
「その操り人形に従うしかできない貴様は、人形以下ということか?」
サルガドは項垂れながらも敵意を見せるエンジニアを鼻で笑う。
「……いつか後悔することになるぞ」
「ならばやって見せろ。できるものならな」
いつもは下層民を見下している上層の民が、下層出身の自分に反抗することもできない。
その事に愉悦を感じる自分を、サルガドはもはや否定しなかった。
「―了―」