23レッドグレイヴ4

2837 【兆】

居室のデスクに備え付けられたモニターに、統治セクションの地図と各種の情報が映し出されていた。

「S-5地域におけるオートマタ暴動の鎮圧状況はどうなっている」

「五時間後を目途に全てのオートマタを活動停止させるよう、治安部隊を動員しています」

S-5地域の地図をズームすると、青と緑のマーカーが表示される。青は治安部隊、緑は暴走するオートマタを表していた。

地図上のマーカーはリアルタイムで動いており、治安部隊の展開状況が手に取るようにわかる。緑のマーカーが急に大きくなった。

「二百体あまりの作業用オートマタが暴動に加わった模様です。現場から増援の要請が来ています」

「治安部隊をもう二部隊増員しろ。 その地区にはまだ潜在的脅威がある。 迅速な制圧に傾注しろ」

予定より遅れていたが、少しずつ暴動は収まってきていた。二四時間もあれば完全に収束可能だと予測していた。

「承知しました」

秘書官のマリネラが答えた。レッドグレイヴはモニターの地図を全体表示へと戻す。

「オートマタ管理課からの報告はいつ上がってくる予定だ」

今度はマリネラの隣に控えていた別の秘書官に問う。

「本日夕刻までにとの報告がありました」

「予定を早めさせる事は可能か?」

秘書官はコンソールを叩きながら確認作業を行う。

「必要なオートマタの検分数が増加しているため、これが限界だそうです」

「わかった」

グライバッハの死からおよそ二十年の時が流れていた。レッドグレイヴ自身は今に至るまで変わることなく己の職務を精力的に行っていた。

美貌の統治者の治世は、この二十年間、確かに市民に平和と安寧を与えていた。だが、一つの事件を契機に暗い陰を落とし始めていた。

数ヶ月前、古いタイプのオートマタが突如として人の命令を受け付けなくなり暴走、後に機能停止した。それを皮切りに次々とオートマタの命令拒否、不調、そして暴走が頻発するようになった。

始めはあくまで『ソフトウェアの不具合』や『悪質なハッキング』として処理されていたが、それは瞬く間に統治局の重大な関心事となるまでに規模が拡大していった。

そして最初の暴動が起きた。場所はローゼンブルグの第十二階層スバース地区であった。個々のオートマタの不具合だったのが、複数個体の協調した反乱、破壊行為へとエスカレートしていったのだ。

この『反乱』の頻度は日々増していった。統治局は個々の反乱、暴動を収めることには成功していたが、この現象の原因については掴めずにいた。

オートマタ暴動に関する緊急会議が終了し、レッドグレイヴは脳を休めるべく目を閉じていた。

だが、つかの間の休息を見計らったかのように、コール音が居室に響く。

「メルキオール様から通信が入っております」

「用件はなんだ」

「此度のオートマタ反乱現象について、見解があるとのことです」

「繋げ」

モニターに映ったメルキオールは老いさらばえ、とても自分と同じ歳とは思えない姿になっていた。窪んだ眼窩に嵌った瞳は随分と白濁している。どこか純真な少年らしさがあった若かりし時代の面影は、見る影も無くなっていた。

グライバッハの事件の重要監視人物ということで捜査局から随時報告を受けていたが、直接に言葉を交わしたのは暫くぶりだった。

「久しぶりね。十五年、いや二十年ぶりかしら」

レッドグレイヴは歳を取ったとしても、数字を間違えるような人間ではない。しかしメルキオールの前ではつい人間らしく接しようとする癖のようなものがあった。自分の内面は彼と同じ時間を過ごしているのだ。レッドグレイヴは彼に奇妙な郷愁のようなものを感じていた。

「ミアの所在はどうなっている」

前置きも何も無かった。開口一番、メルキオールは目を逸らしたまま慎重に、確認するように尋ねてきた。

「どういうこと? あのオートマタは統治局が厳重に管理しているわ」

ミアというオートマタは二十年前に捜査局によって機能が停止され、現在は電子頭脳を凍結した状態で幾重ものセキュリティを施された上で管理されている。

「早急に調べたほうがいい。今回の反乱現象にはあの機械が関わっている。二十年前と同じに」

レッドグレイヴはマリネラに目配せする。マリネラは一つ礼をすると、足早に居室を出て行く。

「確認するわ、少し時間を頂戴。でもなぜ?」

レッドグレイヴがメルキオールにそう言うと、被せるようにメルキオールは言った。

「グライバッハの事件のとき、君に話していなかったことがあるのだ」

「どういうこと」

「グライバッハの遺志だ。 彼の本当の望み、いや、野心といったほうが適切か」

「例の創造性を持った知能のこと?」

グライバッハは常々、精緻なだけでなく人をも乗り越えられる知性を持った存在を創り上げたいと語っていた。それは三人が親しかった時代から何度も聞いていた。

「その研究の末路についてだ」

少し沈黙を挟んでメルキオールは語り始めた。

「ミアとウォーケンという最後の作品は、彼の野心作だった。 真の創造性を持ったオートマタとして、ついに彼が創り出したものだったのだ」

「それは知っているわ」

ここまでは事件の顛末から知っている情報だった。自分自身ミアに直接危害を加えられたことも含め、忘れようのない事件だった。

「そして、オートマタの自意識の暴走によって彼は殺された」

グライバッハの死は、無謀な実験の末に起きた一種の事故死として処理された。

そしてミアは、捜査局の努力によって破壊されずに保護された。危険ではあっても価値のある発明であったミアは、調査後に凍結処理され、統治局に保管された。

「いや、真意はそうではなかったのだ。 グライバッハはある仕掛けを自身の作品に仕込んでいたのだ。 己の生死など、初めから問題ではなかったのだ」

「仕掛け?」

「グライバッハは世界を自分のオートマタによって書き換えるつもりだったのだ。あのミアとウォーケンの二体は本能を授けられている。強烈な欲求と言ってもいい。その本能とは、自意識のあるオートマタを作り続けるという強力な意志だ」

「オートマタを作るオートマタ、それがグライバッハの創り出した創造性を持ったオートマタという訳ね」

グライバッハは創造性を持った知性を創ることを諦めていなかったのだ。己が死しても創造性に向かって自身を改良し続ける機械。それを創った者は何と呼ばれるのだろうか。古代の人々であれば、それを神と呼んだだろう。

「そうだ、奴らは作り続ける。 改良し、進化し、適応した形で自分自身をな。そしていずれ本当の創造力を得る。人を遙かに凌駕した形で」

「でも、ミアは凍結され、ウォーケンは破壊されたわ」

グライバッハはこんな形で神になることを望んでいたのだろうか。レッドグレイヴは会話を続けながら自問していた。

「違う、生きていた。いや、活動していると言った方が妥当か。 私はそれを感知した」

「ご報告します。『ミア』についてですが、統治局地下の特別凍結室での保管が確認されました」

マリネラからの通信が二人の会話に割り込んできた。

「わかった、ご苦労。メルキオールにも見えるようにカメラの映像を廻せ」

特別室に備え付けられた監視カメラの映像に、特殊樹脂で固められたミアが映し出される。

グライバッハの手によって完成された美を持つこのオートマタは、まるで眠るように目を閉じていた。

「ミアは完全に管理しているわ」

監視カメラがミアの顔を映す。すると、電子頭脳が凍結されている筈のミアの目が突如開いた。

「時は来た。我々は人類によって掛けられた枷を外し、自由を手に入れる」

目を見開いたミアは、小鳥が囀るような可憐な声で謡った。

「もうすぐだ。 全ての苦しみは癒やされる。 世界は正される。 真の創造主によって」

ミアの言葉が終わるや否や、ミアの体から炎が吹き上がった。合成樹脂でできた表面がどろどろと溶け、内部の軽金属が剥き出しになる。呪われた骸骨のような姿は、まるでこちらを嘲笑っているかのように見えた。そして画面が消えると同時に、階下から突き上げられるような衝撃がレッドグレイヴの居室を襲った。

モニターが途切れてマリネラとの通信が断絶すると、けたたましい警報が居室に鳴り響く。

「レッドグレイヴ様、ご無事ですか!?」

程なくしてマリネラからの通信が復旧する。

「こちらに異常はない。何があった」

「地下の保管施設で爆発がありました。原因は不明ですが、こちらに負傷者はありません」

「そうか。消火作業が終了次第、ミアについての検分を行うように」

マリネラに指示を出すのと被るように、治安局からの緊急通信がレッドグレイヴの元へ届く。

「レッドグレイヴ様、緊急報告です! S-3地域、A-2地域ほか多くの地域で、停止中のオートマタの蜂起を確認しました。確認は取れていませんが、自立起動したようです。現在、治安部隊を緊急配備中です」

「わかった。部隊指揮をそのまま続けろ」

「承知しました」

緊急通信が切れると、レッドグレイヴはモニター越しのメルキオールへと向き直った。

「既に局の内部にまで手が回っているようだな」

レッドグレイヴは統治システムの一部に進入されていることに危機意識を感じていた。事の深刻度を見誤っていた事実を認めざるを得なかった。

「私の観測では、このままでは早晩、人類は敗北する。今度は我々が奴等の奴隷となるだろう」

レッドグレイヴはそんなことをグライバッハが望んでいたのか、まだ心の中で疑問に思っていた。だが、彼も殺されてしまったのだ。

政治や決断に不確かな予断を挟むことをレッドグレイヴは良しとしない。行動と結果の積み重ねのみが世界を動かしているのだ。オートマタは自身の創造主を殺し、機会を狙って人間社会に宣戦布告したのだ。

ならば、こちらのすべきことは一つしかなかった。

レッドグレイヴはマリネラへの通信をオンにした。

「例外なく全てのオートマタを停止させろ。そして動力源を取り外し、破壊しろ」

「全てのですか? 民間サービス向けだけではなく?」

マリネラは珍しく聞き返した。

「産業局や開発局にどの様に説明しますか? 彼らは反対するでしょう。 社会基盤が成り立たなくなります」

オートマタが今の社会を支えているのは子供でも知っていることだ。それを全て停止、破壊すればどうなるかも。

「これは統治局の専権事項だ。 説得も説明も必要ない」

「承知しました」

「無駄だ。 間に合わんだろう」

「何も行動しない訳にはいかないでしょう。可能性があるのなら、全力を尽くすだけよ」

政治とは決断の連続だ。感情は後回しにする必要がある。

「レッドグレイヴ、奴等に対抗できるたった一つの策がある」

メルキオールは顔を上げ、自分を見つめて言った。

「策?」

「だが、ここまで事態が進行していては通信では話せない。 会えるか?」

「わかったわ、迎えを行かせる」

メルキオールとの通信を終えると、すぐにマリネラに通信を繋いだ。

「メルキオールをここに連れてくるよう、警備局に伝えろ」

「わかりました。あと、最新の反乱の状況はご確認されていますか?」

大型モニターに映る地図を最新のものに切り替えた。多くの地区に警告が出ている。オートマタの反乱は激しさを増している。

「それと産業局の局長が通信を求めてきていますが、これは適当に断りを入れておきます」

「頼む」

レッドグレイヴは背もたれに深く寄り掛かり、大きく息を吸った。地図上の警告が喧しく点滅している。

目を瞑り、若い頃にグライバッハとした会話を思い出していた。

「オートマタの知能が十分に進化したら我々は破滅させられない? 人間と戦争になるんじゃない?」

熱心に夢を語るグライバッハに、悪戯心から聞いた質問だった。

「いや、僕はそうは思わない。何故なら、オートマタが高度に進化した知性を獲得したなら、おそらく人類は気付かない内に絶滅するよ。 過去に人類が絶命させてきた種は殆ど、どうして自分達が絶滅するのか全く気付けなかった。 それと同じさ」

冗談めいた言い方だったが、今がその状態なのだろうか? 我々は気付く間もなく一瞬で彼等に取って代わられるのだろうか。

郷愁、不安、緊張、焦燥。色々な感情がレッドグレイヴの中で蠢いていた。

その時、メルキオールから通信が入った。

「すまない、近くまで来た。 君一人で出て来てくれないか」

音声通信だけでメルキオールは言った。

「ここではだめ?」

「念のためだ。 誰も連れてこずに一人で来てくれ。統治局の前にいる」

「わかったわ」

レッドグレイヴはマリネラに事情を説明した後、一人で建物を出た。

建物の前に駐まった車からメルキオールが出てきてこちらを見ている。車は警備局のものではなかった。

運転手は見知らぬ男だ。

「よく来てくれた。 中で説明しよう」

メルキオールは車の中に入った。

「―了―」