3398 【分裂】
リュカはメルツバウとフォンデラートとの検問所を兼ねた大都市、ラムバンを訪れていた。
ラムバンは関所を兼ねた土地のために予てより人の往来が激しい。現在では多数の少数民族が流れてきており、難民の受け入れ対策が急務で行われている。
「リュカ様、このような場までお越しいただき、我らラムバンの民、心より歓迎いたします」
「そう畏まるな。それで、今までこちらに流入した者達はどうしておる?」
恭しく礼をするラムバン代表との挨拶もそこそこに、リュカは手渡された書類に目を通す。
リュカの父、祖父、そしてそれ以前の代にも《渦》から逃れてきた難民を受け入れたことがあったため、今回の受け入れに関しても即応することができた。
「全ての民族をラムバンで保護することは難しい状況です」
「そうか……。情勢は厳しい。これ以上の流入が増加するようであれば、森林地帯や丘陵地を整備して対応する他あるまいな」
「陛下の通達どおり、一部を除いた近隣の国有地に関しては既に整備に着手しております」
連合国議会でフォンデラートやルビオナが主張した『異民族排除』の方針を知った少数民族が、安全を求めてメルツバウやコルガーへと流れてきていた。
特にルビオナ王国では、少数民族が主体のテロリストが起こした王宮テロが尾を引いていた。王宮テロ事件以降、少数民族の排斥運動が強まり、民族が違うといっただけで暴行を受ける事件が多発する有様であった。
そのため、制限なく国境を越えられる内にと、大勢の少数民族が異民族に寛容な国へ逃れようとしていたのだ。
メルツバウ独自の調査によれば、ミリガディア王国やマイオッカ共和国、果てはカナーン等の南方へと流れる民族も、後を絶たない様子だった。
それを受けたリュカは、流れて来た民族が暮らせる場所を提供すべく、メルツバウが管理する森や山などの整備を命じていた。
「国有地でも足りぬのであれば、それなりの額で私有地を買い取るしかあるまい。だが、くれぐれも無理な買収は行うでないぞ」
「重々、承知しております」
「頼む。我々は同じ人間だ。何人たりとも差別すべきではないのだ」
◆
リュカはラムバンで難民受け入れに関する指導を行った後、その足でフォンデラートへと入国した。フォンデラートの代表官邸において会談が行われるためだ。
「連合国の解体は、グランデレニア帝國に付け入る隙を与えるだけです」
「我々は、我々や貴方の国が第二のルビオナになることを危惧しています。内乱の発生を未然に防ぐためには、その要因を早急に排除すべきです」
「全ての少数民族が初めからテロを考えている訳ではないでしょう。害を為さぬ民族を内乱要因だと決めつけて排除するのは、全く益とならない」
「貴方の言うことも間違いではないのでしょう。ですが、暴動やテロが起こってからでは遅いのです、大公」
会談は平行線を辿った。終わりの時間を迎えても、フォンデラート代表らの言葉は連合国議会の時と変わらなかった。
植えつけられた不信感はそう簡単には拭えない。リュカは己の力不足を悔やみながら、フォンデラートを後にした。
◆
フォンデラート側にあるラムバンの検問所に戻ってきたが、俄に所内が騒がしい。
職員と女性の争う声が聞こえてくる。
「身分詐称などしていません! この身分証は本物です」
「そんな姿をした貴族がどこにいるか。嘘をつかずに本物の身分証を出せ」
「疑いがあるのでしたら本国に問い合わせてください。そうすれば――」
「無駄無駄。いい加減にしろ。こっちは忙しいんだ。警備兵、こいつを叩き出せ!」
「……待って!」
検問所から追い払われたこの女性には見覚えがあった。
面識らしい面識は無かったが、特別な武装を駆るルビオナ王国軍のエリート部隊、オーロール隊の副隊長――フロレンス・ブラフォードという名だ――その人に間違いなかった。
更に言えば、先日起きたルビオナ王宮テロ事件でアレキサンドリアナ女王を救った英雄であり、その勇名はリュカの耳にも届いていた。
そのような人物が何故に浮浪者然とした風貌でラムバンの検問所にいるのか。疑問と違和感を拭えなかったリュカは、傍仕えにいくつかの指示を出してフォンデラート側の検問所に急ぎの書簡を出すことにした。
リュカはそのまま、検問所にある政府高官が利用する休憩室へと向かった。
◆
程なくして休憩室にフロレンスが入ってきた。事の次第を知るためにリュカが呼び寄せたのだった。
フロレンスは上座にいるリュカが視界に入ると、ハッとした表情で固まった。リュカは彼女が入ってくるのを見て立ち上がる。
「ルビオナ王国軍オーロール隊所属のフロレンス・ブラフォード中尉とお見受けしたが」
「リュカ大公、あなたでしたか……」
儀礼的な挨拶を交わすと、リュカは本題に入る。
「ルビオナで英雄とも評される貴女が、何故そのような格好でこのような場所に?」
フロレンスを休憩所の椅子に座らせて尋ねるが、フロレンスは堅い表情のまま目の前のカップを見つめていた。
「遠慮は無用です。貴女のことを咎めるような者は、ここにはおらん」
リュカの言葉に、フロレンスは少しずつ話し始めた。
――王宮テロ事件では家族の命を盾にされ、テロ組織の内部に深く踏み込んでしまったこと。
――そこで見えた、少数民族と呼ばれる人々が抱える闇。
――間もなく発生したフォンデラートの暴動で、連合国に属する民に銃口を向けることに疑問を感じたこと。
――そしてその疑問を払拭することができず、ルビオナ王国軍を除隊し、養親に迷惑が掛からぬようにと国を去ったこと。
「私は、民族が違うというだけで銃を向けること、そのことをどうしても受け入れられなかったのです」
フロレンスの声は憔悴しきっていた。現在の情勢を鑑みれば、ルビオナからメルツバウの国境まで来るのに相当の気を張ったことだろう。
「ルビオナ国内はそのような事になっていたか。よく話してくれた」
王宮テロ事件で女王を救い、救国の英雄とまで言われた彼女でさえ、肌の色や出身が違うというだけで迫害される。リュカは、本当の意味での融和とは彼自身が思っていた以上に厳しいものであることを痛感した。
「お主はこれからどうするつもりだね?」
「決めかねております。実父や実母のいた故郷へは、今さら戻ることもできません」
「ならば我が国へ参られよ。肌の色も出身も、我が国では気にしない」
「ありがとうございます。しかし、今の私がお役に立てることなど何も……」
フロレンスの様子は明らかに打ち拉がれた者の姿だった。オーロール隊の戦士であった頃の意志や気高さを失っているようだった。
「なに、気にすることはない。お主の知るルビオナの情勢を儂に提供してもらおう。それが対価だ」
リュカの言葉にフロレンスは考えるように俯いていたが、暫くして立ち上がると、リュカの前に跪いた。
「大公のご好意に感謝いたします」
◆
フロレンスのもたらした情報は、ルビオナの抱える暗部を明確にした。
特に、情報統制により掴みかねていた少数民族に関するルビオナの政治的思惑は、フロレンスの言葉とアスラの裏付け調査により明確なものとなった。これこそが融和の道を説くための材料となる。
アレキサンドリアナ女王本人の意思が判明しないことだけが懸念点ではあったが、王宮テロ事件に際しての態度を聞く限りでは、排除派とは異なる思想を持っている可能性は低くないであろう。
◆
リュカとアレキサンドリアナ女王代行の執政官との政治会談が行われた日の夜のことであった。
帰路の途中、不意にリュカの乗った馬車が止まった。邸宅の門が目視で確認できる場所である。
「何があった?」
「門に人影が見えました。様子を見ます」
「私が調べてきましょう」
御者に答えたのはフロレンスであった。リュカが説く融和の思想に共感した彼女は、護衛の任務を自ら申し出ていたのだった。
フロレンスは周囲を警戒しながら馬車を降りると、足音を消して門へと近付く。
リュカは馬車の中で剣の柄を握り、じっと精神を研ぎ澄ませていた。フロレンスを自分から引き離して警護を手薄にさせる、その可能性に備えていた。
フロレンスが馬車から降りてさほども経たぬ内に、門から少し外れた場所で争うような音がした。発砲音と声が収まると、フロレンスから合図が送られてきた。馬車が門を潜り抜ける。
邸宅から発砲音に気が付いた警備兵達が出てきた。リュカの馬車が門の傍で止まっているのを見ると、警備兵は馬車を守るような配置に就く。
リュカが馬車から降りると同時に、フロレンスが痩身の男を縛り上げて連行してきた。
「リュカ様、テロリストと思しき者を捕らえました」
「やはりか……」
リュカは眉を顰めた。少数民族の中にも融和の道を疑問視する者が存在している。いずれはこのような事が起こる予感はあった。
「何が目的だ?」
「お前さえいなくなれば、連合国なんてまやかしは無くなる」
「そんなことはさせない。誰の命令だ」
フロレンスはテロリストを縛る縄に力を込めた。どう考えても単独の行動とは考えられなかった。
「裏切り者の女になど、何も言うことはない」
「貴様!」
テロリストの目には強い意志の光があった。ここで何をしても、テロリストは何も答えないであろう。
「フロレンスよ、その者を警備兵に引き渡せ。ここでは埒があかぬ」
「……承知しました」
警備兵にテロリストを引き渡そうと縄を渡した一瞬だった。
全身を使って暴れたテロリストが警備兵を振り切り、リュカを目掛けて突進した。
リュカは咄嗟に鞘に入ったままの剣を振り抜き、テロリストを殴打しようとする。彼らの思惑を知るためにも、できれば生かしておく必要があった。
しかし、テロリストはリュカの一撃を躱すと、不自由な体勢にもかかわらず再びリュカとの距離を縮めようとした。
「取り押さえろ!」
誰かの怒声がしたのとほぼ同時だった。テロリストの背後に黒い人影が現れ、テロリストの首を掻き斬ったのが見えた。
「アスラか……」
リュカは黒衣の男がアスラであることに気付くと、一言漏らした。
「なぜ殺した!? 生かしておけば黒幕を――」
力なく崩れ落ちたテロリストを見て、フロレンスがアスラに言った。
「こいつの懐を探ってみるといい」
フロレンスが絶命したテロリストの懐を探ると、小型の爆弾が姿を現した。
「このような奴等は手段を選びません。このままこの者を生かしておいたならば、間違いなく爆発に巻き込まれていたでしょう」
「そのようだな。助かった、アスラよ」
「いえ。それよりもリュカ様、緊急にご報告があります」
アスラは血の付いた武器を懐にしまうと、リュカの前に跪く。
「何があった?」
「ルビオナ王国とグランデレニア帝國を結ぶ交易都市プロヴィデンスが、死者の軍勢により陥落しました」
その一言に、その場にいた全員に衝撃が走った。トレイド永久要塞を陥落させたグランデレニア帝國軍の死者の軍勢。トレイド以来鳴りを潜めていたそれが再び現れたことに、一同は動揺した。
「家臣団に緊急招集を掛けよ。儂もすぐに王宮へ戻る」
「承知しました」
リュカは王宮へと引き返す馬車の中で、強い危機感を募らせていた。
死者の軍勢が再び現れた状況で連合国が分裂すれば、全てが終わる。そんな予感がリュカを支配していた。
「―了―」