42コンラッド2

3244 【異能】

ウェルザーに誘われたコンラッドは、聖ダリウス大聖堂を訪れていた。

ここはミリガディア王国の中心であり、当代の大君が神に祈りを捧げる場所として、聖地に定められている。

「何処へ行くのかと思えば。こんな場所に興味はないぜ」

「そう言いなさるな。命の神の教義を学ぶのに、最も適した所ですよ」

「勘違いするなよ、ジジイ。オレは神なんぞに興味はない。アンタの力を知りたいだけだ」

「何度聞かれても困りますよ。私は貴方が思っているような力など、持ってはおりません」

困惑の言葉を口にするウェルザーだが、表情はにこやかなまま崩れていない。そのことが一層、胡散臭さをコンラッドに感じさせていた。

こないだの事件で交流を作ることができたものの、ウェルザーの持つ力の正体は依然としてわからなかった。何度かウェルザーの私生活に探りを入れようとしたが、ウェルザーは年齢に見合わぬほどの鋭敏な感覚を持っているようで、微塵の隙も見せることはなかった。

ウェルザーに言われるがまま付いてきたのも、大聖堂で教えを学ぶためではなく、ウェルザーの秘密を暴くためであった。

大聖堂では子供から年寄りまで、あらゆる世代の人間が、最奥に安置された命の神の像に祈りを捧げていた。そして、荘厳なオルガンの音と聖歌隊の歌う賛美歌が大聖堂の中に響いていた。

コンラッドはその様子をぼんやりと眺めていた。命の神に傾倒していないコンラッドにとって、大聖堂にいる人々の姿は異様なものに映った。

オルガンの音と賛美歌がそれを助長していた。異世界に来たような感覚がコンラッドを支配する。

「おい、ジジイ…… しまった!」

大聖堂の空気に気を取られた一瞬に、ウェルザーはどこかへと消えていた。辺りを見回してウェルザーの姿が無いことを確認すると、コンラッドは外へと出た。

こんな所に付き合わされた挙句に見失うなど、あってはならなかった。

夜も更けてきた頃、ようやくウェルザーの姿を見つけることができた。だが、ウェルザーの様子はいつもと違うように感じられた。何かを警戒しながら、足早に進んでいく。

コンラッドは足音や衣擦れの音にさえ細心の注意を払いながら、ウェルザーの後を付けた。暫くすると、聖ダリウス大聖堂の裏手にある場所へと出た。

遠目から監視していると、ウェルザーは本堂の横に備え付けられた小さな小屋のような場所へと入っていった。

ウェルザーが小屋の中へ入ったのを見届けたコンラッドも、そこに近付く。小屋の周りに警備兵はおらず、明かりは扉に付いている小さなランプだけ。コンラッドは意を決して扉を開けた。

小屋には何も無かった。別の場所へ続くような扉も無い。周囲を見回していると、床から微かな風が流れ出ていることに気が付いた。

注意深く床を探ると、回転式の取っ手が姿を現した。音を立てぬように取っ手を引っ張り上げると、その下に地下へと続く階段があった。コンラッドは迷わずその階段を下りる。階段を降り切った先には細い通路があり、通路を歩いて行くと広い場所に出た。

周囲はやはり薄暗く、神経を研ぎ澄ませて周囲を注意深く見回した。コンラッドの耳に小さく空気を切る音が聞こえた。少しずつ大きくなるそれは、徐々にコンラッドに近付いてくる。

コンラッドは三節棍を音のする方向に向かって振り下ろした。同時に金属同士がぶつかる鈍い音が聞こえる。三節棍が弾かれる衝撃があった。

「ケケケケっ!」

コンラッドは目を見開いた。以前にスラムで襲撃を受けた爬虫類のような大男が、鋭い鉤爪を振り翳しながら殴り掛かってくる。

三節棍で鉤爪を弾き、同時に距離を取る。と、爬虫類の大男の後ろにもう一つ、蝙蝠のような人影が見えた。時を移さずに、羽ばたく音が耳鳴りとなってコンラッドを襲う。

「なんだ……これ……は」

耳障りなその音はコンラッドの脳を強く揺さぶった。コンラッドの動きが鈍ったところに爬虫類の大男が迫る。コンラッドは三節棍を連結して大男の懐に潜り込むと、大男の腹に向けて棍棒を突き出した。

「ぐげぇ……」

大男が呻く。更に棍棒を回転させながら、今度は大男の首を打ち据えた。よろめく大男から離れると、次は蝙蝠の男を迎撃しようとする。

叩き落そうと近付いて棍棒を振るうも、蝙蝠の男は遠くへ飛翔して逃げる。耳障りな音はどんどんと強くなり、ついにコンラッドはよろめいた。その間隙を蝙蝠の男に突かれて、体当たりをまともに喰らってしまった。コンラッドは受身も取れずに倒れ込む。

そこからは為す術もなかった。爬虫類の大男の鉤爪や蝙蝠姿の男の牙が、容赦なく何度もコンラッドに突き立てられた。

少しずつ遠のく意識。それでも、コンラッドは朦朧とする中で棍棒を支えにその身を起こそうと藻掻く。

「そこまでにしておけ。この男は吾が預かる」

不意に、ウェルザーの声が辺りに響いた。

「ギュスターヴ様!」

「何ゆえこの男を気に掛けられるのですか!?」

ウェルザーはギュスターヴと呼ばれていた。しかし、意識を失いかけているコンラッドには、その理由を考える余裕はなかった。

「この男を唯の人間と侮るでない。この男は吾を良く観察しておったわ。そして、とうとう此処までやって来た」

ウェルザーが倒れ伏すコンラッドの前にしゃがみ込んだ。ぎらつく鋭い目には、普段の物腰の柔らかさは微塵も感じられなかった。

「どうする、コンラッドよ。吾と共に来るか、それともこのまま死に果てるか。選ぶがよい」

「し……に、たく……な……」

朦朧とする意識の中、コンラッドはそう答えた。

コンラッドの目の前には、あの蝙蝠のような男がいた。腕を翼に変化させて天井に張り付いている。

――ウェルザー、いや、ギュスターヴの治療を受けたコンラッドは、驚異的な回復力によって動けるようにまでなっていた。

それが『組織』の持つ医療技術のおかげなのか、それとも身体に何かを施された所為なのかはわからない。それでも、自身の内から溢れんばかりの力の奔流があるのを、コンラッドは感じていた。

これは取引であった。瀕死の重傷を治療する代わりに、ギュスターヴの『組織』に手を貸すことを約束させられた。――

「サガイ! やっちまえ!」

爬虫類の大男が囃し立てる。コンラッドの目の前にいる蝙蝠のような男はサガイと言うらしい。

サガイは目を細めてコンラッドに飛び掛かる。コンラッドは三節棍をサガイの翼めがけて振るった。サガイは翼に三節棍が当たるすんでのところで体勢を変えて地面に着地し、再び飛び上がる。

コンラッドはその場でじっと待った。飛び回る相手に近付くのは難しいことを、前の戦闘で学んでいた。

三節棍を棍棒状態にしてサガイの行動をじっと見つめる。集中すると同時に、頭が熱くなるような感覚があった。

ケタケタと喧しく笑いながら蝿のように飛び回る蝙蝠野郎を、どうにかして封じ込めたい。コンラッドの頭にはそれしかなかった。

喧しい笑いがコンラッドの耳を掠めたその瞬間、コンラッドは素早く三節棍を分離して振り抜いた。

そのままサガイの首に三節棍を巻きつけると、ありったけの力を込めて締め上げる。

「神よ……。憤怒の力をオレに与えたまえ!!」

コンラッドは無意識に呟いていた。同時にサガイの姿が人の姿へと戻ってゆく。サガイは驚愕しながら藻掻き続けたが、首から嫌な音を立てると同時に力を失った。

人の姿に戻ったサガイは崩れ落ちると、それきり動かなくなった。嫌な音を立てた首はあり得ない方向に曲がっており、瞳孔は開ききっていた。

「新しい仲間の誕生だ。歓迎しよう、コンラッド」

別の男――クロヴィスと呼ばれていた――の声が響き渡る。

「今は貴方に仕えましょう。オレに備わった力の意味を知るために」

コンラッドはギュスターヴの前に進み出て跪いた。ギュスターヴが目を細めるのが、一瞬だけ視界に映った。

それから暫くの時が過ぎた。コンラッドはローゼンブルグの山岳地帯にあるルピナス・スクールで、祭司として全てを任されていた。

ルピナス・スクールは所在こそグランデレニア帝國だが、全権は組織が握っている。その実体は、《渦》の侵食によって訪れるであろう世界の滅びを乗り越えることができる『超越者』を育て上げるための機関であった。

――大善世界の実現――。ギュスターヴは世界の滅びを乗り越えた先の世界をそう称し、それに向けて準備を進めていた。

ギュスターヴの志に胸を打たれた同志や出資者達は率先して自らの子供をスクールへ入れ、過剰なまでの思想教育を行っていた。

「祭司様、ご相談したいことが……」

「コンラッド先生」

「祭司様、聞いてください」

命の神の教義、ギュスターヴがウェルザーとして話していたことを理解していったコンラッドは、スラムで荒れ果てた生活を送っていた時とは比べ物にならない程に柔和になった。

と同時に、命の神の教義はスクールの子供達を親とは別の方向から支援するのに大いに役立った。

子供達の中でも特に熱心に聖堂に通う生徒に、カレンベルクとビアギッテの二人がいた。命の神の教義に感銘を受け、コンラッドが話すことの意味を理解しようとする二人の姿は、とても好ましいものに映った。

自分の話を熱心に聞く。そういう行いをされるのは悪い気はしないということを、コンラッドは生まれて初めて知った。

「コンラッド、カレンベルクが出奔した件は知っておるな」

「存じております。ギュスターヴ様」

コンラッドは聖ダリウス大聖堂の最深部に呼ばれていた。

カレンベルクはルピナス・スクールの『教育』と『改造』を一身に受けた、新たな超人の第一号となる予定であった。

だが『教育』は失敗し、パートナーとなるビアギッテと共に出奔を企てた。

ビアギッテは『教育』の甲斐あってカレンベルクの出奔を阻止しようと奮闘したが、あと一歩のところでカレンベルクを逃がしてしまったとの報告を受けている。

「奴は失敗作だ。早急に始末せねば、吾らの計画に支障が出るは必至。コンラッド、お主ならどうする?」

コンラッドはカレンベルクがビアギッテをとても大切なパートナーとして見ていることを知っていた。だからこそ一緒に出奔しようとしたのだろう。ならば、ビアギッテを再び連れ出すためにカレンベルクはあらゆる手段を用いて彼女の居場所を探そうとするだろう。その事は容易に想像が付いた。

「カレンベルクはビアギッテを取り戻すために行動するでしょう。そこを利用すればよいかと存じます」

「情愛が奴を死へと向かわせるか。面白い。カレンベルクの件はお主に全て任せよう」

「畏まりました」

コンラッドはビアギッテによく似た姿の超人をスラム近くの聖堂に置き、囮とした。

本物のビアギッテは聖ダリウス大聖堂に移され、彼女に続く超人のシンボルにするための、更なる『教育』を施すことになった。

スラムの聖堂にバイオリンケースを携えたカレンベルクがやって来た。

コンラッドはビアギッテの振りをした超人と共にカレンベルクを迎え撃つ。

「コンラッド祭司……。ビアギッテを返していただきます」

「私の教育は失敗だったようだな。神の名の下に、私が直々に裁きを下してやろう」

「―了―」