19ロッソ5

3395 【選択】

人気の無い通りに、ロッソは立っていた。

「出てきたか、ネズミが」

「殺りたいのは俺達だけだろう。つまらん真似をするな」

いまのアベルはロッソが知っているレジメント時代のアベルではなかった。そこにいたのは熟達した戦士であった。

「オレに指図すんのは千年はやいぜ。『地獄の鐘』の音を聞かせてやるよ」

ロッソはトランクに手を掛ける。それと同時に、アベルが一気に距離を詰めてきた。

「掛かったな」

ロッソは笑みを浮かべる。トランクに手を掛ければアベルの意識がそちらに向かうことは自明の理であった。そしてその一瞬の隙こそが、ロッソが狙っていたものであった。

アベルの視線がロッソに向かう。その時、ロッソの脳裏に一抹の不安がよぎった。視界が揺らぎ、自分の右腕が切り落とされる未来を見た。

背筋に冷たいものが走るのを感じながらも、ロッソはトランクを蹴り飛ばして手刀を振り抜く。同時に、アベルもロッソの右腕めがけて剣を振り抜いていた。

ロッソの右腕がアベルの剣により切り落とされる。しかし同時にアベルの目の前でトランクが割れ、中に詰まった薬液がアベルに降り注いだ。

「な!?」

「馬鹿め! 腕を切り落とせばそれで終わりとでも思ったか!」

猛毒を直に浴びたアベルは動きを止めた。その隙を逃さずにロッソは左腕を振るうが、毒を浴びてなお、アベルはロッソの空間切断を見切った。

ロッソは思わず口笛を鳴らす。猛毒を浴び、あとは何もしなくても死へと向かうしかない中でも、アベルの目にはまだ光があった。

最期まで敵を死に至らしめんとするその姿。アベルはまさに生粋の戦士であった。

「これ……で終わ……りだ……!」

「ふっ、ふふっ、終わりだと? いいや、ここから始まるのさ」

アベルの最後の一撃はロッソに届くことなく空を切る。ロッソの手刀はアベルを捕らえた。

アベルは上半身と下半身が辛うじて繋がっているだけだった。あれ程の闘志に満ちた目も、もはやただ虚空を凝視するかのように見開いたままであった。

ロッソは静かになったスラムの路地を見回す。路地を吹き抜ける風の音しか聞こえなかった。

切断された右腕に応急処置を施してから、ミリアン達を探す。戦闘音が聞こえないということは、ミリアンやマルグリッドの方も片が付いたのだろう。

まずロッソはミリアンの遺骸を見つけた。その胸にはレーザーで焼かれたような跡があった。その反対側には、アーチボルトが同じように胸を貫かれて絶命していた。

マルグリッドの姿は見えない。注意深く周囲を探ると、気絶したジェッドと完全に壊れたドローンを発見した。

それを見たロッソの口元が歪む。

「ふ、ふふ。ははははは、ひぁははははははは!!」

ロッソは笑い狂った。静かなスラムの通りにロッソの笑い声だけが響く。

「……長かった」

ひとしきり笑い終えたロッソは、この因果を決定させるための過程に少しだけ思いを馳せた。

コアから発していた光が収まると、ロッソは何もない空間に一人いた。《渦》のような様々な淡い光が混ざり合う不思議な場所だった。

地に足を着けている感覚こそあるが、地面も何もない空間において、それはとても奇妙なものに感じられた。

ロッソの目の前にはコア回収装置があった。回収装置の中を調べると、コアは結晶体となって鎮座していた。

遠近感の掴めない空間だったが、遠目にミリアンがいるのが見えた。だが、それだけだった。

「お前達は導かれた。世界を作り替える、その使者として」

声が聞こえた。以前、マルグリッドに見せられた導師の映像の声と酷似していた。

「世界を作り替える? どういうことだ」

ロッソは訝しげに問う。以前映像を見せられた時にも感じたことだが、この老人の言う事は同じ研究者という人種とは思えない程に明確性を欠いていた。

「世界の『自由』を私は作った。航海士を探せ、お前達が求める本当の意味の自由はそこにある」

老人の声は聞こえなくなった。

「言うだけ言って消えるとは、無責任な導師様だな」

悪態をつくと、ロッソは結晶体となったコアを抜き出して懐にしまいこみ、一歩を踏み出した。

ロッソはマルグリッドやミリアンと離れて行動していた。

二人は共に何かを探しているようだが、特に気には留めなかった。

不思議な空間は、所持していたケイオシウムのコアと共鳴するかの如く、ロッソに様々な世界を見せた。

それらはロッソの知的好奇心や研究欲を大いに刺激した。永遠にこの空間に留まっていたいとすら思う。やはりマルグリッドの提案に乗ったのは正解だった。

そこでロッソは、導師が研究と称して弄繰り回した挙句に放り出した形跡のある世界を見つけた。

「おもしろい」

ひとまずその世界の観察と研究をすることにした。時間はもはやロッソにはどうでもいい事象となっていた。

ロッソが発見した世界は、導師の研究が余すところなく記されていた世界だった。ロッソは導師の研究に魅了され、その研究を引き継ぐように解析を重ねていた。

そして、とうとう選択の日がやって来た。

いつの間にか、ミリアンとマルグリッドが傍らにいた。

随分と久しぶりに会うような気がしたが、ずっと共に計画を進行していたような気もあった。この空間は時間の流れや感覚を曖昧にさせていた。

数十年もこの場所でコアの研究をしていたような気もしたし、たった数時間の休息を取っただけのような気もする。

「準備はいいか、ロッソ」

「ああ、問題ない」

「手筈は整っているわ。ラームが私達を現世界へ導いてくれる」

マルグリッドが冷たく微笑んだ。ロッソはポケットに忍ばせていた小箱を握り締める。

《渦》のような光が揺らめいた。視界を光が覆う。

「お前は何を選ぶ?」

老人のような、少女のような、不思議な声が響く。

ロッソはコアを握り締めると、強く願った。己が望む未来を思い描いていた。

「選択は成された」

ロッソは大きな溜め息を一つ吐いてから倒れているジェッドに近付き、迷うことなく薬を打ち込んだ。

導師の研究の搾り滓からロッソが作り出したこの薬は、脳神経に働きかけて自由意志を抑制するものだった。

コアの選択により因果は確定しているが、相手は航海士である。念には念を入れての行動だ。

ロッソはジェッドから反抗の意志が無くなったことを確認すると、レオンが運んできた装置を左腕だけで組み立てる。

これを使い、ジェッドを伴ってリンボへ戻る。あとはジェッドを己の都合のいいように利用するだけだった。

「……あんたも、思うがままになる未来が欲しいのかい?」

ジェッドが虚ろな目でロッソを見上げた。

「誰も知らない、見たことがない世界。オレが求めるのは未知だ。 オレが生きているということだけが確定していればいい」

目的はずっと変わらない。ロッソは未知の世界を探求するという確かな意志を持ち続けていた。

禁忌とされてきたケイオシウムも、異世界にある未知の物質も、ロッソにとっては等しく研究の対象であった。ただ己の知識欲を満たすために、それだけのために今まで行動を起こしていた。

レオンが運んできた装置――擬似的な渦を作り出す装置――を設置し、起動させる。

三角錐に組まれたボールの内側で、様々な世界が不思議な光を纏いながら映っては消えていく。

この装置はマルグリッドを通じてラームが作り上げたものだ。《渦》の無くなったこの世界からリンボへ戻るためには、この装置が不可欠であった。

ジェッドを左腕で引き摺りながら装置の中へと進んでいく。

思った以上に重いジェッドに辟易し始めた頃、ふと左腕が軽くなった。

「小僧、足掻いても無駄だ!」

ジェッドの方を振り返ったロッソの視界に、銀色の煌めきがよぎった。

その煌めきの中に見えたのは、残された力を振り絞って剣を投げたアベルの目と、そして鮮血を噴出しながら吹き飛ぶ己の左腕だった。

「馬鹿な……。成功した筈、だ……」

アベルの投げた剣は、ジェッドを守るようにロッソの前に突き立っていた。

失血によってふらついたロッソの胸元から、ケイオシウムコアを納めた小箱が装置の中に転がり落ちる。ロッソは必死になってその小箱に噛み付こうと、装置の中へと倒れ込んだ。コアが自分から離れれば何が起きるかわからない。

視界が揺らぐと、ロッソは真っ暗な何も無い空間に放り出されていた。

身体の感覚は殆ど感じられなかったが、小箱を噛み締めている感覚だけは確かにあった。

口の力を抜くと、小箱が目の前に現れた。『開け』と念じると小箱は開き、中からケイオシウムの結晶が現れた。

「こんな結末など認めんぞ!」

ロッソの怒りに呼応するようにケイオシウムの結晶が輝く。しかし、結晶は輝いただけで、ロッソの意志に応えることはなかった。

このコアを利用して、ロッソは自分だけが選ばれた未来を選択しようとした。だが、コアはただ輝くだけだった。

結晶の中で様々な世界が揺らめいては消えてゆく。結晶は段々と輝きを増していき、ロッソの意識を白く焼いた。

「見つけた」

白に染まる世界で、女の声がロッソの頭上から聞こえてきた。

「なんだ、貴様」

黒いドレス姿の女がそこにいた。白い世界にただ一点だけ存在する黒は、ロッソの目に鮮烈に映る。

「お前の因果は、聖なる騎士と御使いの力によって正される」

ロッソの目の前で、ケイオシウムの結晶が砕け散った。

「事象は収束し、お前の因果はこれで終わる」

もう一つの声が聞こえた。ロッソが背後と認識する場所に、同じ黒い服を着た女がいた。

「認めん……。認めんぞ、そのような……」

忌々しげに呟くロッソの目に、アベルと対峙したあの空が映った。

憎らしい程良く晴れた空。その青さが、ロッソの意識の全てを塗り潰していく。

人気の無い通りに、ロッソは立っていた。

「―了―」