26ウォーケン4

3372 【断片】

大きな部屋の壁龕には、現実的な動物や想像上の怪物、妖精といったものを模したオートマタが、ポーズをつけられ飾られていた。

今にも動き出しそうなほど精巧に作られているが、それらはただじっとそこにあるだけだった

様々な照明でライトアップされたそれらは『作品』である。ウォーケンはそう理解していた。

「そちらは終わりましたか?」

女の声がする。振り向くと、非の打ち所のない美貌を持った若い女がいた。

「はい。もう終わります」

「では、マスターに報告しなければ」

「そうですね」

「私はマスターの昼食を用意します。報告は貴方からお願いします」

若い女はにっこりと微笑むと、歌うような調子でそう言った。

ウォーケンはデスクに設置された通信機の呼び出し音で目を覚ました。

ライトアップされた幻想的な『作品』も、完璧に清掃された大きな邸宅も無い。彩りや瀟洒といった言葉とは無縁の、機能だけを追及したデスクが視界にあった。電源が入ったまま放置されているモニターには、ソングから譲り受けたコデックスの一部が表示されている。

コデックスの解析中に眠ってしまったようだ。

「やあ、ウォーケン。ソングだ。そこでの生活には慣れたかね?」

通信機からソングの声が聞こえた。

「ここの設備は素晴らしいものです。コデックスの解析も順調に進んでいますよ」

「それは良かった」

ソングにコデックスの解析について現状を報告し、あとは適当な雑談で通信を終えた。

ソングとサルガドはパンデモニウムのエンジニアであり、コデックスに残された黄金時代の技術を復活させる計画の主導者であると聞かされた。ウォーケンがコデックスを解析することを承諾するのであれば、パンデモニウムから無償で設備や資金を提供するという。

その提案に乗ったウォーケンは、カンブレより東に位置する工業都市に用意された、パンデモニウム製の研究設備がある家屋へと移り住んだ。

物品の入手数こそカンブレより落ちたものの、他人と関わりを持たなくて済む気楽さは、今のウォーケンにはありがたいものに感じられた。それに、どうしても必要な物品については、ソングを通してパンデモニウムから提供を受けられる。

パンデモニウムからの監視とも取れる定時連絡を除けば、身の回りの事柄は全てにおいて格段に質が向上していた。

コデックスの解析を通して自分の中に存在するオートマタへの執着や渇望の正体を追求していくうちに、ウォーケンの見る『夢』も形を変えつつあった。

断片的で判然としなかった『夢』に、連なりが浮かび上がってきたのだ。

ソングの通信に起こされるまで見ていた『夢』も、以前見た『夢』の続きだった。

――ウォーケンは色取り取りの植物が咲き乱れる美しい庭園を歩いていた。

庭園は庭師の役割を持つオートマタが適時手入れをしており、敷かれたレンガには土埃一つ見当たらない。

庭園の中央にあるテーブルに、『夢』の中の自分が助手を務めている男がいた。

男は先の夢で見た若い女と話している。

「実験結果が出ました」

男に近付いて声を掛けると、男は一瞬だけウォーケンの方を振り返る。

「わかった、食事が終わったら確認しよう。呼び出すまでオートマタの手入れを頼む」

「畏まりました」

ウォーケンにひとしきり指示を出すと、男は再び若い女との会話に戻った。

若い女はウォーケンに見せる微笑とはまた違う笑みを浮かべながら、男と話していた。

「お客様がいらっしゃったよ」

ウォーケンはコデックスを解析する中で作り出したオートマタを、ソングに披露した。

オートマタは大柄な男性くらいの大きさで、人の形をしていた。頭部には、コデックスを元に作り上げた人工知能の試作品が搭載されている。

試作オートマタは、ソングに向かってぎこちないながらもお辞儀をする。

人工知能には予め簡単な作法を学習させてあり、言葉に反応して、対応するものを選び出せるようになっていた。

「思っていた以上の成果ですな」

「ありがとうございます。そうだ、コデックスの件で一つご相談が」

「何かあったのかね?」

「このコデックスだけでは不完全のようです。もしかしたらこのコデックスが発見された場所に別のコデックスがある可能性があります」

「そういうことならコデックスが発見された場所を教えよう。必要なら移動手段と人員も」

「よろしくお願いします」

ソングが去った後、ウォーケンは試作オートマタの電源を落としてポーズを整え、普段は使わない部屋に飾った。

生活スペースとして使用している場所と比べれば狭いが、こうやって試作品を飾る分には十分な広さがあった。部屋にはコデックスの解析が進むごとに作られたいくつかの試作品が、同じように飾られている。

ウォーケンは『夢』の中での自分の行動を模倣するようになっていた。作品にポーズをつけて飾ることも、幾度となく『夢』に出てきた光景だった。

『夢』を模倣することで、自分が何者なのかを思い出すのではないか、と考えてのことだった。

――ウォーケンは人通りのない路地を走っていた。

「こっちよ、急ぎましょう」

いつも『夢』で見る若い女と手を取って、何かから逃げていた。

追ってくる者の正体はわからない。それでも、捕まったら最後であるという感覚だけが、ウォーケンにはあった。

ウォーケンと若い女は幾何学的に構成された都市を、昼夜を問わず逃げていた。

追跡者は執拗に彼らを追う。幾度となく危ない場面があったが、若い女の機転でいずれも逃げ延びていた。

若い女と二人、力の続く限り逃げ続けていた。

――ウォーケンは何処とも知れない場所を一人で彷徨っていた。服は汚れ、手入れできていない髪はボロ布を巻いて凌ぐような有様であった。

人通りの少ない道を覚束ない足取りで歩く。異様な風体のせいか、通り掛かる人は皆、ウォーケンを避けるようにしていた。

「やっと見つけた」

少年のような、老人のような、不可思議な声に呼び止められた。

声に気付いてやっと現実世界に意識を向けると。逃げ回っていた都市から随分と離れた所まで来ているように感じられた。

目の前には小柄な老人がいた。子供がそのまま老人となったような、不気味な姿だった。

「あの子を救うために、私に協力してほしい」

老人はあの若い女を助けると言う。何故そう言うのかはわからなかった。

だが、ウォーケンは疲弊していた。現状を打開できる何かがあるのなら、それに縋りたくなった。

差し伸べられた老人の手は、枯れ木のように細かった。

目を覚ましたウォーケンは重い頭を振り、身体を起こした。

ここ暫くの間、何者かに追われて放浪する『夢』を、数日おきに見続けていた。

酷く精神を擦り減らすようで、この『夢』を見た日はコデックスの解析はできなくなる。

コデックスの解析は複雑な部分へと差し掛かっており、疲弊した精神では到底集中できるものではなかった。

――ウォーケンはいつも『夢』に出てくる若い女と、どこかの丘で対峙していた。

若い女は以前とは違ってフードを目深に被っており、表情はわからない。

「あの人工知能の言っていることは出鱈目だ。共にいるには危険すぎる」

「それがどうしたというの? 彼女がいたから、私は自由意志を得ることができた。誰かの命令はもういらない」

「なら、私はそれを止めなければならない」

「無駄よ。私は私達のための世界を作るの。彼女と一緒にね」

ウォーケンは若い女を見据えた。女のフードが風に煽られ、隠れていた素顔が晒される。

若い女は微笑んでいた。マスターと呼ぶ男に見せたのと同じ微笑だった。そして、固着してしまったかのように、それから表情が変わることはなかった。

「さよなら。もう二度と会うことはないわ」

踵を返し、若い女は歩いていく。その先には派手な色をしたテントが見えた。

ウォーケンは若い女の後ろ姿が見えなくなるまで、ずっと見続けていた。

その『夢』を境に、ウォーケンの『夢』は再び断片的で繋がりの無い歪なものへと戻った。

連続性のあった『夢』の記憶も、日が経つに連れて曖昧なものとなっていった。

記憶が再び曖昧になっていくと同時に、ウォーケンは内なる衝動に駆られるようになっていた。

新たなコデックスの発掘により解析が更に進み、人と同じように思考する人工知能の開発に目処が立ったことも大きい。

ならば、衝動に任せるままにオートマタを作り続けるしかない。ウォーケンはそう考えた。

オートマタを作り続ければ、己の内にある衝動や判然としない記憶が開けるかもしれない。人と同じように思考する人工知能が完成すれば、ソングにコデックスの解析成果も報告できる。

そこに考えが至ってしまえば、あとは実行するだけだった。

ウォーケンはコデックスの解析と平行して、少女の形をしたオートマタの設計を始めた。だが、どれだけ集中して設計を進めていても、あの若い女の微笑みが脳裏にこびりつき、決して離れることはなかった。

目の前には金色の髪をした少女の頭部があった。

コデックスの解析結果から得た情報の全てを活用して作り上げた、最高性能の人工知能を搭載している。様々な知識を予め封入してあり、目覚めたその瞬間から、ある程度成熟した精神を持つ人工知能である。

少女の目が開く。ウォーケンは彼女の顔を見ると、最初の言葉を掛けた。

「おはよう」

「お…はよう…ござ…います」

少女はたどたどしいながらも、人の耳でもはっきりと理解できる言葉を返した。

結果は上々だった。ウォーケンは少女を見つめると、既に決めていた名前を伝える。

「ドニタ。これが君の名前だ」

「―了―」