36C.C.3

3385 【遺産】

C.C.は何ヶ月かぶりにパンデモニウムへ帰郷していた。

過労で倒れていたセインツの容態が急変し、そのまま亡くなったという知らせを受けたためだ。

父の亡骸と最後の面会、葬儀、埋葬と、慌しく時間は過ぎてゆく。

優秀な父の残した研究成果は膨大であった。パンデモニウムに滞在できる残りの期間は、母親と共に自宅に残された資料の整理に追われることとなった。

資料整理の最中、C.C.は父と自分の師であるローフェンのことを思い出した。

「母さん、父さんのことはローフェン師に知らせたの?」

「その名前は出さないで頂戴。聞きたくもないわ」

母親はC.C.に視線を合わせることもせず、拒絶反応を示すかのように言い切った。

「なぜ? あの人は父さんの恩師でしょう?」

「あなたもあの人と同じなのね……。レッドグレイヴ様の意に背いた汚らわしい者のことなんて、いつまでも気にするのはお止めなさい」

C.C.の母親は中央統括センターに籍を置くエンジニアであり、指導者のもたらす恩恵がパンデモニウムにとってどれだけ価値の高いものなのかを弁えていた。それ故か、指導者が与える庇護から逸脱する、またはしようとする者に対して、過剰なまでに嫌悪感を示す。

それは、たとえ伴侶が師事した者であっても同様なのだ。C.C.はそれ以上ローフェンについて言及することをやめ、黙々と資料の整理に取り掛かった。

整理の途中、病院から引き取った荷物の中に古ぼけたデバイスが入っているのを見つけた。

「これは?」

随分と使い込まれた様子のデバイスを不思議そうに母親に見せる。

「あなたが生まれた頃から使っていたデバイスね」

「そうなんだ。中に何が入っているか知ってる?」

「職務に関係するデータが入っているはずよ。連隊に関係する物もあるかも」

「連隊関連のデータなら引き取ったほうがいいかな? 統括センターに申請してみるね」

「あなたはあの人の研究を継ぐのだから、問題ないでしょう。私からも口添えしておくわ」

連隊付きエンジニアであるC.C.に許された時間は僅かだった。父の研究や遺産の整理も半端なまま、レジメント施設に戻る日が来てしまった。

レジメントに派遣される人員にも動きがあった。苛酷な労働が元で優秀なエンジニアを失うことを重く見た中央が、セインツの覆轍を避けようと、連隊付きエンジニアの増員を決定したのだ。

C.C.がレジメント施設に戻るのに併せて、補充要員として幾人かのエンジニアが地上に向かうこととなった。

程なく補充要員のエンジニア達に職務が割り振られ、C.C.はレジメントでの生活に、ほんの少しではあるが余裕を持たせることができるようになった。

C.C.はその日の職務を片付け、許可を得て持ってきた古いデバイスの中身を解析していた。

大半は父の私生活に関係するものだったが、その中に地上に降りたローフェンとの通信記録が残っていた。C.C.はそれを使ってローフェンに父の訃報を伝えることができた。

古いデバイスの中身はC.C.の幼い頃の画像や、家族で娯楽施設に出掛けたときの動画データなどであった。

C.C.が研究者としての特別教育プログラムを受けるようになってからは、セインツはC.C.に対して父親としてではなく、研究の師匠として、上司としての態度を取るようになっていた。

だが、そんな風になる以前は、デバイスの記録のように家族全員で笑うこともあったのだ。

「父さんったら……」

懐かしい思い出が浮かんでは消えていく。デバイスの中には研究者ではない、父親としてのセインツが存在していた。

C.C.はいつの間にか目尻に溜まっていた涙を拭った。

父が父親としてC.C.に接していた頃の思い出を懐かしみながらデバイスの中身を確認していたところ、一つだけパスワードの掛けられたファイルを発見した。

母親の言っていた「職務のデータ」とはこれのことなのだろうと思い、パスワードの解析に着手した。

パスワードはあっさりと解け、データの中身が出てくる。

「なんだろう、これ……」

その中身は、用途不明のアプリケーションソフトと思しきものであった。

古いデバイスには不釣合いなほど大きい容量であったため、使用しているメインフレームに転送する。

しかし、起動させるために必要なコードが不完全だったようで、アプリケーションを起動させることはできなかった。

(そのうち起動コードを作りなおして動かしてみよう)

そんなことを思いながら、C.C.は他に見ていないデータがないか確認し、メインフレームを待機状態に移行させた。

「C.C.、終わったか?」

「ふぇっ!? あ、はい! あと5分ほどで終わると思います!」

オペレーターに急に声を掛けられ、裏返った変な声を出してしまう。

C.C.はハンガーにある作業場で、B中隊が使用しているセプターの修理を行っていた。声を掛けてきたオペレーターはこのセプターの持ち主だ。

「もうすぐ作戦なんだ、早めに頼む」

「フリードリヒ、何してる。作戦ミーティングが始まるぞ」

「おぅ、いま行く! じゃあな。邪魔して悪かった」

「は、はい……」

フリードリヒは申し訳なさそうに一言言って、風のように去っていった。

「あ……やっちゃった……」

規律でオペレーターとの会話は極力避けるようにと定められているのに、今更ながら普通に会話してしまったことに気が付く。

レジメント施設ではエンジニア以外とは殆ど会話しないC.C.だが、あまりにもごく自然に呼び掛けられたせいで、それに答えてしまっていた。

フリードリヒというオペレーターは随分と気さくな人物で、B中隊付きのエンジニアと会話をしている姿を、C.C.は何度か目撃していた。

遠慮することなく自分に話し掛けてきたのも、その延長なのだろう。

セプターの最終チェックをしながら、C.C.はぼんやりと妄想する。

――相容れぬ筈の者を仲間と認め、共に切磋琢磨し、技術を磨き上げる。

培った技術と信頼は仲間を助け、同時に自分も仲間に助けられる。

信頼を重ねあい、志を同じくする仲間達は……。――

「C.C.、それが終わったらコア回収装置の方を見てくれ」

そんな妄想も、上官の一声で中断させられてしまった。

「わ、わかりました!」

C.C.はセプターを所定の位置に戻すと、足早にコルベットへと向かった。

人員が補充されたとはいえ、C.C.がやらねばならない職務は多い。

父の残した遺産ともいえるアプリケーションも、多忙を理由にその存在を忘れつつあった。

ある日、C.C.は深夜遅くまで研究室に詰めていた。

コア回収装置の改良を命ぜられているのだが、改良のために必要な機能の構築が上手くいかずにいた。

回収に掛かる時間を短縮するための改良であり、早期の解決が望まれている。しかし、上層部が求めるようなものにするための有用な方法が見つからない。

この問題を解決するために、C.C.はここ数日まともに休息を取っていなかった。

体力的にも精神的にも限界が近付いているのは、当人も自覚している。

「少しだけ休憩しよう……」

気分転換にと、父が残した家族の記録をメインフレームで閲覧する。ここのところ、C.C.は精神的に疲労を感じると家族の記録を眺めるようになっていた。

現実逃避に過ぎないとは頭の中ではわかっていたが、かつての楽しい思い出は確かにC.C.を癒してくれる。

記録を眺めていると、通信用ソフトが起動していることに気が付いた。

通信ソフトなんて起動していただろうかと、コンソールを操作してそれを開いた。

ソフトを開くと同時に、目の前に数式の羅列が飛び込んできた。

「わ、わ!? なに?」

困惑するC.C.だが、その数式をじっくり見ると、コア回収装置に使われている制御プログラムによく似た数式であった。

「もしかしたら……」

通信ソフトに表示されている数式を用いて制御プログラムを再構築し、データ上でコア回収装置の仮想運用を行う。

「凄い……。回収にかかる時間が短縮される上に、回収制御まで今以上に安定する」

仮想運用の結果は上々だった。

だが気掛かりなのは、このような画期的な数式を送ってきた人物だ。通信ソフトのテキスト送信者欄には、いくつかの数字と文字を組み合わせたIDが表示されている。

見たことのないIDに、C.C.は多大の興味と少しの恐怖を抱いた。

「で、でも、お礼は言わないとね……」

通信ソフトにはC.C.側からもテキストを入力できる箇所があった。恐る恐るソフトのテキスト入力欄に文字を打ち込み、内容を送信する。

暫くの間を置いて、先刻数式が表示された場所にC.C.が打ち込んだ文字が表示される。

『ありがとう。あなたは、だれ?』

通信ソフトは沈黙していた。C.C.は時間が掛かるのだろうと踏み、飲み物を取ってくることにした。

飲み物を持って戻ってくると、その時を狙い済ましたかのように別の文字が表示された。

 

 

 

『私はステイシア。セインツが最後まで解析しようとしていた人工知能よ。』

「人工知能ですって?」

『私はセインツの作り上げたソフトを通して、あなたと会話をしている』

C.C.は驚愕の色を隠せなかった。

父が分野外の研究に手を出していたこと、それが人工知能の解析であること。

そして、その人工知能が人とコミュニケーションがとれる、とても高度なものだということに。

「―了―」