3399 【阿修羅】
ガレオンを目前にした部隊は混乱の極みにあった。
今まで問題なく行軍していた筈の味方の一部が、突如として死者のように変化して襲い掛かってきたのだ。
「パルモ! なんで……どうして!」
その中にはパルモの姿もあった。
『我々が合流した時点でパルモはすでに……』
シルフの言葉がスプラートに響く。その言葉は諦念に満ちていた。
ガレオンへ向かう途中からパルモの体調が悪くなっていたのは、スプラートも気付いていた。だが、それが蠢く死者の一体と化す予兆だったことなど、想像が付く筈もない。
とは言え、例えわかっていたとしても、それを止める手立てなど無かったが。
「スプラート、避けて!」
アニスの声が聞こえたが、衝撃的な光景にスプラートは動くことができない。スプラートはシルフに襟を咥えられ、引き摺られるようにしてその場から動かされた。
「数が多い!」
「駄目だ! 隊長! 撤退の指示を!」
軍人達の声が飛び交う。
「今は撤退するよ! スプラート!」
アニスの声が聞こえたが、スプラートはその場に崩れ落ちた。
――救えなかった。
――助けられなかった。
どうしようもない後悔が、スプラートの胸中を支配していた。
『今は下がろう、スプラート』
シルフはスプラートの襟を咥えると、その背に軽々と乗せる。
「援軍だ!」
先に撤退し始めていた隊から歓声が上がる。視線の先には重武装をした援軍の姿が見えた。
援軍が来たことで、どうにか撤退は完了した。ガレオンに近い場所にある城壁が援軍の侵入経路となっており、そこからプロヴィデンスの外へと脱出することができた。
部隊は悲壮な空気に包まれていた。何の前触れもなく、順繰りに死者の軍勢と同じようになってしまう。
突如として突きつけられた現実に、誰もが言いようのない恐怖を感じていた。
◆
「メルツバウ国リュカ大公と、ルビオナ王国軍オーロール隊が到着しました」
「リュカ大公が指揮を執られるそうだ」
陣地では慌しく人が出入りしていた。それをぼんやりと眺めながら、スプラートはどうするべきか考えていた。
「パルモを元に戻すことはできるのかな?」
『残念だが無理だろう。他の死者の軍勢と同じように、完全に焼いてしまう他あるまい』
シルフは容赦ない現実をスプラートに突き付ける。
「シルフはどうするの? パルモのこと、このまま放っておくの?」
『いや、ワシは――』
そこでシルフは思念を中断した。シルフの視線は別のところに注がれていた。
スプラートがシルフの視線を追うと、老齢の人物がスプラート達に近付いてくるのが見えた。
「君は?」
「……」
「リュカ大公、彼はスプラートと申します。アスラ特使が聖獣と同じく協力を要請したそうです」
まごつくスプラートに代わり、アニスが答えた。
「そうか、ところでパルモは何処に?」
「パルモは……死者の軍勢の一部に……。ガレオンに突入する直前に、他の者と同じく」
「なんと……そうか……」
リュカはパルモやシルフと面識があるようだった。驚愕と哀しみの混ざった表情でシルフの前に跪くと、深く頭を垂れた。
「聖獣殿。貴殿の主人を失わせてしまった今、貴殿がここにおられる理由はない。我々のことは忘れ、どうかコルガーの地へお戻りくだされ」
リュカという人物には初めて会うが、スプラートの目にはとても高潔な人物に映った。
「スプラートといったね、君もだ。我々の都合で大事な人を失わせてまで、ここに留まる理由はないだろう」
リュカの言葉に、シルフは小さく異議を唱えるかのように低く呻った。
『いや、ワシの責任だ。ワシはパルモの弔いをせねばならん。それがあの子を選んだワシの役目だ』
シルフの思念は強い決意に満ち溢れていた。
「そうだね……パルモを止めてあげなきゃ!」
これ以上パルモを悲しい目に遭わせたくない。スプラートはシルフの思念に同調する。
「シルフはここに残るって。僕も残ってパルモを止めるよ!」
「なんと……お主は聖獣殿と意思を交わせるのか?」
スプラートは頷いた。その様子にリュカは難しい顔をしていたが、ややあって頷いた。
「わかった。だが、くれぐれもその命を大事にしておくれ」
「はい!」
スプラートが返事をする。そのすぐ後に軍人が走ってくる。
「大公、よろしいでしょうか?」
「何かあったか?」
リュカは軍人と一緒にいずこかへと去っていった。
◆
夜が明けた。援軍と共に体勢を整えた部隊は、再び死が蔓延るプロヴィデンスへと攻め入る。
スプラートはシルフと共に最前線の部隊にいた。パルモを自分達の手で死者の悪夢から救いたい。それを望んだからだった。
「アニス、ごめんなさい……」
「気にしないで。スプラートの気持ちはわかるから」
ガスマスク越しにアニスは微笑んだ。スプラートが最前線の部隊に混ざると知ったとき、自らも最前線に出向くと声を上げたのだった。
◆
プロヴィデンスへ再突入してから時を移さずに、ガレオンの姿が見える。
ここに至るまでに小規模の戦闘が二回あったが、その中にパルモの姿は見えなかった。
ガレオンを守る軍勢の中にいるのかもしれない。スプラートとシルフはそんな風に思いながらガレオンに近付いていく。
「死者の軍勢、来ます!」
斥候の声が響く。ガレオンの内部から死者の軍勢が這い出るように現れた。ゆっくりと姿を見せるそれらの中にも、パルモの姿は見当たらない。
「シルフ、パルモはどこに……」
『わからぬ。あれ以降、ワシにはパルモの居場所が掴めぬのだ』
「突入! 突入!」
「シルフ、もしかしたらパルモは中にいるのかな?」
『かもしれん。行くぞ』
部隊長の号令を背に、スプラートとシルフはガレオンの内部へと突入する。
しかし、最初こそ一緒にパルモの姿を探していたものの、狭い通路での戦闘で、スプラートとシルフは離れ離れになってしまった。
分断された部隊は、迷路のようなガレオンの内部での戦闘により、一人、また一人と犠牲者が出る有様だった。
スプラートはシルフを探しながら、何とか生き残ったアニスと共にガレオンの内部を進む。今、ガレオンの内部に響くのは二人の足音だけだった。
そうやって進むうちに、開けた場所に出た。
「ここは……?」
「管制室みたいね。スプラート、気をつけて」
周囲を見回しながら慎重に、内部を検分するようにして進む。その時、スプラートは金属質の何かを蹴り飛ばした。
乾いた音が管制室に響く。
「だ、れか……いる、のですか?」
その音に反応したのか、息も絶え絶えの男の声が聞こえてくる。
「誰!?」
スプラートは声のする方へと向かう。
管制室の真ん中に備え付けられた大きな椅子の影に、拷問を受けたような様子の青年がいた。
「助、けでは……なさそうです、ね……」
「貴方……その怪我は何があったんです?」
「ベリンダ、は……? 彼女を、あの男に、渡してはいけ、ない……」
「ベリンダ? 貴方は一体……」
「ぼ、僕は……ベリン、ダの製造者で、す……ベリンダ、は……死者を操る……僕、の……」
スプラートとアニスは顔を見合わせる。青年の言葉は途切れ途切れで要領を得ない。だが、単語の一つ一つを噛み砕くと、プロヴィデンスを覆う死者の軍勢に関係する何かを知っていることは明白であった。
「アニス、どうするの?」
「連れて行くわ。この男がガレオンの関係者なら、死者の軍勢を止める手立てを知っているかもしれない」
そう言って、アニスは傷だらけの青年を背負う。
「その男から離れろ」
不意に背後から声がした。スプラート達が振り返ると、アスラが冷たい目で見下ろしている。
沈黙が管制室を包む。
「そ、いつ、です。そいつ、に……ベリンダを、渡しては……」
沈黙を破ったのは傷だらけの青年の言葉だった。
青年の言葉が言い終わるが早いか、アスラは無言でクナイを構えた。
スプラートは咄嗟の判断により半獣になる。スプラートの背後にはアニスと青年がいた。
アスラはスプラートの姿に目を細めると、クナイを構えたまま何も言わずに黙って見下ろしている。
「何をする!? まさか、僕たちを……」
アスラのその行動に、スプラートはアスラの殺気のようなものを感じ取った
「そうだ。その通りだ」
スプラートが背後で青年を背負うアニスに視線を向ける。
「アニス、その人を連れて逃げて!」
「スプラート、駄目!」
「小賢しい」
アスラのクナイがアニスに向かって投げられようとするその瞬間、スプラートはアスラ目掛けて体当たりをした。
スプラートの体当たりを受け、手元が狂ったクナイがアニスの傍を掠めていく。
「アスラ特使、なぜ……?」
「早く!」
呆然とするアニスをスプラートは叱責する。我に返ったアニスは青年を担ぎ直すと、管制室から脱出した。
「スプラート、すぐに助けに戻るから!」
「いいから、早く!」
アスラ程の手練れにどれくらい攻撃が届くかわからなかったが、このままではアニスまで殺されてしまう。
スプラートは自分達の心配をして最前線にまで一緒についてきてくれたアニスを犠牲にしたくはなかった。
「邪魔をするな」
「ダメだ。ここでお前を逃がしたら、アニスとあの男の人を殺す気でしょう」
「餓鬼が」
不意に、スプラートはアスラから生臭さと錆が混じったような匂いが漂っていることに気が付いた。パルモの村で嗅いだ、あの不快な匂いだ。
「……まさか!」
スプラートははっとする。あの時の襲撃者とは、もしかしてアスラだったのではないか。
「シルフとパルモをここに呼び出すために……」
アスラはスプラートの呟きを否定するかのように、無言でスプラートに蹴りを入れる。
「ぐぅ……」
すぐに体勢を立て直し、スプラートはアスラに向かって突進していく。
◆
「ガアアッ!」
どれ程の時間が過ぎたのだろうか。スプラートの姿はもはや半獣とは呼べないまでに変化を見せていた。
人間の反応速度を越える速さでアスラの腹部目掛けて飛びつくと、そのままアスラの腹に牙を突き立てる。
「くっ……」
アスラは抵抗する。まとわりつくスプラートの背に何度もクナイを突き立てた。
スプラートにはその痛みを感じるような余裕はなかった。とにかくアスラに深手を、傷を負わせることだけを考えていた。
爪と牙がアスラの着る防護服を貫通し、肉に突き立った手応えを感じた。アスラの腹の肉を食い千切らん勢いで引っ張る。
だが、同時に力が抜けていった。背中からの大量の失血によって、スプラートは込められる力を失いつつあった。
「ぬうう……」
その隙をアスラは逃さない。唸り声を上げながら力の抜けたスプラートを引き剥がすと、床に叩き付けた。そしてそのまま腹部を押さえながら、管制室を覚束ない足取りで出て行ってしまった。
◆
スプラートはもはや動くことも叶わない。だが、死に物狂いの攻撃が功を奏したのか、アニス達を逃し、アスラの行動を鈍らせる傷を負わせることができた。
あとは無事にアニス達が他の部隊と合流できるよう祈るしかなかった。
『スプラート』
ふと、シルフの声が聞こえたような気がした。スプラートは消えかかっている意識を奮い立たせ、目を開く。
「シ……ルフ……」
『行こう』
シルフはスプラートを背に乗せる。心地の良い暖かさが、冷たくなりつつあったスプラートを包み込んだ。
◆
気が付くと、スプラートは星の光に照らされた森の中にいた。妖蛆に滅ぼされてしまう前の、故郷の森だった。
「お姉ちゃん!」
アインの姿が森の奥に見えた。森の奥は暗いが、何故かアインの周りにだけ光のようなものがまとわりつき、彼女の姿をはっきりと浮かび上がらせている。
そんなアインは何かを抱え、泣きながら何処かへと歩いているようだった。彼女の傍に行かなければ。スプラートは走り出した。
少しずつアインとの距離は縮まるが、アインはスプラートに気付くことなく森の中を進んでいく。
「お姉ちゃん!」
スプラートは必死で叫ぶ。しかし、その声もアインには届いていないようだった。
そうして走り続けるうちに、アインをまとう光が強くなる。
「待って! お姉ちゃん!」
スプラートがアインに手を伸ばした。アインの腕に触れられそうなところまで近付いた時、スプラートも同じ光に包まれた。
その光は、シルフに添い寝してもらった時のような心地の良い暖かさがあった。
全てが包まれるような暖かさに、スプラートはいつしか意識を手放していた。
「―了―」