28パルモ4

3399 【屍】

パルモは部隊からガスマスクを支給された。

部隊は何も装備しない状態でプロヴィデンスに入るのは危険だとの判断を下していた。

ガスマスクを見たパルモは、今まで以上に厳しい戦地へ向かうのだと実感し、背筋が寒くなる思いがした。

そんなパルモの様子を感じ取ったのか、シルフがパルモにそっと寄り添った。

「大丈夫、シルフと一緒だもの……」

この場所が奪還できれば故郷に帰れる。そう思い込むことで、パルモは恐怖から目を逸らそうとしていた。

シルフの頭をそっと撫でながら、パルモは軽い柔軟体操をしているスプラートに声を掛けた。

「ねえスプラート、お願いを聞いてくれる?」

「うん、何?」

「状況が危ないと思ったら、私のことは構わずに、すぐに逃げてほしいの」

「パルモとシルフが大変な時に、逃げ出せって言うの?」

「あなたにはやるべきことがある。私たちの世界の事情に付き合って、死んでしまうわけにはいかないでしょう?」

「だからって、パルモとシルフを見捨てるなんてできないよ!」

「あなたはアインって子を探しにこの世界に来たんだから、何があっても生き延びなきゃだめなの」

スプラートはパルモの強固な意思に戸惑い、シルフと視線を交わす。

シルフと何かしらの交信があったのか、ややあって小さく頷いた。

「……わかった。……で、でも、パルモとシルフが危なかったら絶対助けるからね!」

いよいよプロヴィデンスの内部に突入した。

暗く濁ったような霧、あちこちから漂う腐臭と血の臭い。プロヴィデンスの内部は、まさに混沌と化していた。

アスラは死者の軍勢を生み出す原因を調査するため、先遣隊として都市の中へと入っていった。

死者の軍勢は今までのそれとは様相が違っていた。プロヴィデンスの内部にいる死者の着ているものは、軍人のそれであった。

死者達は銃を持ち、戦闘のための優れた装備を携行している。

「火を絶やすな!」

「補給部隊、まだか!」

生者の指令や悲鳴、怒号が飛び交う。

パルモも必死になって、部隊の助けになるよう火炎放射機で応戦した。

「シルフ! スプラート!」

死者の軍勢が大挙して押し寄せたことで、部隊は一時後退を余儀なくされてしまった。後退の混乱でシルフとスプラートと離れてしまい、パルモは言いようのない不安に襲われていた。

特に、常に一緒であったシルフと離れてしまったことに恐怖を掻き立てられた。

シルフのいる方向はぼんやりとわかるが、姿が見えないことがこれほど怖いものであるとは、パルモ自身も予想外だった。

一緒に行動していた軍人達が状況を確認し、本隊との合流を目指す。

「パルモ、聖獣のいる場所に変化はない?」

「は……はい……」

寝食を共にしたアニスが一緒であることが唯一の救いであった。アニスはパルモの様子を気に掛け、付き添うように行動してくれている。

「少尉、このまま進んでも問題なさそうです」

「わかった」

程なくして、周囲の様子を偵察に行った軍人が戻ってきた。

「大通りは死者で溢れています」

「なるべく建物の影に隠れて移動しよう。早く聖獣のいる本隊と合流しなければ……」

隊長格の軍人が指示を出す。アニスに誘導されるようにして、パルモはそれに付いていく。

シルフとスプラートは無事だろうか。パルモはそればかりを考えていた。

死者の軍勢に見つからぬように大通りを避けて移動していたが、死者達はそこを狙ったかのように現れた。

「待ち伏せだと!?」

パルモ達の前を進んでいた兵士二人が犠牲となった。

彼らは僅かの間を置いて立ち上がると、死者の軍勢と同じようにパルモ達に襲い掛かる。

「火を放て!」

「奴等に殺されたら奴等と同じになるぞ!」

怒声が飛び交う。パルモは襲い掛かってくる死者を火炎放射機で焼く。

「うっ!」

万事無事にとはいかなかった。焼いた死者の背後から別の死者の爪が襲い掛かってきた。その爪がパルモの腕を掠める。

「パルモ!」

アニスがそれに気付き、パルモを襲う死者を火炎放射機で殴る。火を放つにはパルモと死者の距離が近すぎた。

「今よ!」

「はい!」

アニスの号令で火を放つ。パルモを襲った死者は焼き尽くされた。だが、この騒ぎに気付いたのか、辺りの死者の数は減るどころか増していた。

「数が多い……」

「何とかしないと」

パルモは意を決して火炎放射器を構えると、目の前に迫る死者達を焼き払った。

シルフとスプラートは近い場所にいる筈だ、彼らに無事な姿を見せなければ。

強い思いがパルモを突き動かす。

その時だった。低い唸り声と共に、シルフがパルモ達の前に躍り出た。

「シルフ!」

シルフはパルモとアニスを取り囲もうとしていた死者達を薙ぎ払う。

「パルモ、アニスも! 無事だったんだね!」

続いてスプラートもやって来た。そのすぐ背後には、分断された本隊の面々とアスラがいた。

人数が増えたことで、死者達は為す術もなく焼き払われていった。

死者がいなくなったのを確認した後、近くにあった小さな教会で一時の休息を取った。

「パルモ、手当てを」

「あっ、ありがとうございます」

部隊の指揮官とアスラ達が情報整理を行っている間、パルモは傷の手当を受けていた。幸い傷は浅く、すぐに手当てしたことで痛みもあまり出なかった。

情報の整理が終わり、指揮官から今後の進軍に関する指針が発表された。

「アスラからの報告で、ここから西に800アルレ程進んだところに帝國の戦艦ガレオンが停泊していることが確認された。そこに死者の軍勢を操る者がいる可能性が高い。そこを制圧できれば勝機が見える」

パルモは指揮官の話を聞いて、拳を握った。

そこを制圧すれば全てが終わる。シルフとスプラートと共に村へ帰れる。

そんな希望を抱いていた。

「パルモ、大丈夫?」

「え? どうしたの急に?」

ガレオンに向けて進軍する道中、不意にスプラートが尋ねてきた。

「顔色が悪いよ?」

「臭いに当てられちゃったのかも。でも大丈夫」

スプラートの言う通りだった。教会を出てからパルモの体調は少しずつ悪くなっている。そのせいか、シルフとの交信が上手くできなくなりつつあった。

シルフにこの事を伝えると、シルフは何も言わずにパルモを気遣った。

こんな事は初めてだったが、スプラートにも言ったように、ガスマスク越しでも感じる程の臭気に当てられたのだろう。そんな風に考えていた。

部隊はガレオンを目視で確認できるところまで進軍している。ここで戦線を離脱することはできない。それくらいはパルモにもわかっていた。

パルモはシルフとスプラートに「大丈夫」と言い続けながら部隊に付いていった。

ガレオンの前には死者の軍勢が立ち塞がっていた。大通りを行き交う死者の数ほどではないが、それでも多い。

「死者の軍勢、来ます!」

「発射!」

パルモも部隊の号令に合わせて火炎放射機で死者を焼き払う。

しかし、パルモは自分の意識が段々と混濁してきているのを感じていた。

「ううっ……。だめ、こんなところで……」

必死に意識を保とうと気を張る。

「パルモ! 危ない!」

スプラートの声が聞こえた。声のした方を振り返る。

「きゃあああああ!」

そこにいたスプラートの姿は、髪が抜け、至る所の肉が腐敗していた。

「パルモ!? どうしたの、パルモ!」

蠢く死者となったスプラートが迫ってくる。火炎放射機を取り落とし、パルモは後退ることしかできない。

周囲を見回すと、一緒に進軍していた部隊の面々が、全員死者の軍勢と同じような姿になっている。

「パルモ、こっちに!」

アニスが視界に入る。パルモに向かって叫んだその拍子に、彼女の目玉が零れ落ちた。

「シルフ! シルフ!!」

パルモは必死になってシルフを呼んだ。その声に応えるかのように、シルフがパルモの眼前に現れた。

「どうしよう、シルフ。みんなが……みんなが!」

だが、シルフは悲しそうな目でパルモを見つめるだけだった。

「ねえシルフ、どうして何も答えてくれないの?」

シルフに縋りつくようにしがみつく。すると、シルフから毛が抜け、腐敗した獣の肉が顕わになった。

抜け落ちる毛と皮と肉。瞬く間に、シルフの肉体はぐずぐずと崩れていった。

「あ、あぁ……いや、いやああああああああああ!!」

「―了―」