3398 【狂乱】
「もう少し手合わせを願おうか、我々と」
そう言い放たれたと同時に、背後からもう一人、仮面の者が現れた。
存在すら気取らせずに現れたことに、アスラは警戒心をより一層強めた。
「キドウとか言ったか。あれはとても賢い男だった。我々の目的の真意を見抜く、本物の目を持っておった」
仮面の者の言葉に答えることなく、アスラは戦闘体制に入る。
ナイフを見切り、空中で掴んでさえ見せた手練れに対し、体術だけでは敵わぬと判断した。
「お喋りは好まぬか」
背後にいた仮面の者が機械鉾を取り出して振りかぶる。狭い室内で振り回されたそれは、調度品を壊しながらアスラに迫る。
アスラは背後と目の前の仮面の者に向けて再びナイフを投げる。相手がナイフを叩き落す僅かの時間を利用して煙玉に火を点け、地面に転がす。
一瞬にして室内は白い煙に包まれた。
だが、仮面の者は煙の中でもアスラの動きを読んでいるような行動を見せた。機械鉾が正確にアスラのいる場所に振り下ろされる。
煙が少し薄まってきた頃、仮面の者の眼前にアスラがゆらりと姿を現した。
二人の仮面の者は迷うことなくアスラに向かって機械鉾を突き出す。アスラの身体が二本の機械鉾に貫かれたように見えた。
また少しだけ煙が薄くなる。
機械鉾に貫かれていたのは、キドウだった。
アスラはキドウの死体に己が纏っていたローブを被せ、囮に仕立て上げていた。
キドウの死体を身代わりにして稼いだ隙に、アスラは声を発していた仮面の者の背後に回り込み、そのまま首を掻き切る。
首を切り裂いた手応えは確かにあった。
しかし、仮面の者は首から血を噴き出しながらもアスラの腕を掴み取った。凄まじい力でアスラの腕を捻る。
繊細そうに見える細い手からは想像もつかないほどの握力に、アスラは初めて喫驚する。
アスラが次の行動に移ろうとした瞬間、背中に強い衝撃が走った。
幾度も続く強い衝撃に、ついにアスラは昏倒した。
◆
暫くの監禁が続いた後、アスラは薄暗い部屋に連行された。
部屋の明かりが灯ると、周囲には複数の仮面の者がアスラを囲むように立っていた。
「さて、なかなか面白い鼠のようだ」
目の前の仮面の者がアスラを見下ろすようにしていた。
傍には白い軍服を纏う女が、寄り添うように立っていた。
その女はトレイド永久要塞で負傷し、長らく戦線から退いていた帝國の女将軍であることがすぐにわかった。
言葉を発するのは目の前の仮面の者だけで、女将軍も含め他の仮面の者達は一言も発さずに、アスラをじっと見つめていた。
沈黙が部屋を包み込む。
アスラは仮面の者の言葉に反応する素振りを一切見せない。
「我々もこの程度で貴様が屈服するとは、露程も思っておらぬ」
仮面の者は機械鉾を振り上げると、抵抗する術のないアスラに打ち付ける。
それでも、アスラは悲鳴や呻き声の一つも上げない。
「やはりな。結構な精神力だ」
わかり切っていたかのように、仮面の者はアスラを見やる。
「ならば、これはどうかな?」
合図と共に周囲の鎧戸が音を立てて動く。アスラの眼下には高速で移動する地表が見えた。
帝國が擁する巨大戦艦ガレオン。その一室にアスラはいた。
地上では大勢のグランデレニア帝國兵とルビオナ連合王国ではないどこかの国の兵士達が激しい戦闘を繰り広げていた。
数人の仮面の者がアスラの拘束を解いて抱え上げ、その光景を見せつけるように窓に押しやる。
「見るがよい。これが我々の力の一端だ」
緩やかな振動が部屋を包む。ガレオンが着陸した。
「さあ、死を振り撒くのです」
仮面の者に寄り添う白い女将軍が、ここで初めて声を出した。
女将軍の合図と共にガレオンのハッチが開き、死者が屍の兵となって解き放たれた。
死者が放たれて少しの内に、勝敗は決した。
屍の兵は瘴気を振り撒き、生きる者を死者へと変えた。どこかの国の兵も帝國の兵も、死者へと変わった兵に対抗する手段を持ってはいない。
「この恐怖、貴様にも身をもって知ってもらおう」
一人喋っていた仮面の者は外の様子を見ると満足げに頷き、女将軍を連れて何処かへと去っていった。
彼らが去ってから程なくして、アスラの目の前に死者が現れた。
アスラを押さえていた仮面の者達は、アスラから離れると抵抗することなく死者に殺され、そのまま屍の兵の一部と化した。
アスラは何も持たぬ状態で死者達と対峙しなければならなくなった。
「これは全ての生けるものが行き着く先にあるものだ」
どこからか仮面の者の声が響く。
「だが、それも我々が目指すものから見れば、通過点に過ぎぬ」
その声と同時に、部屋から外部に通じるハッチが開いた。アスラは死者を避けるため、素早く外へと出る。
ガレオンの外では、死者が生きている者に襲い掛かる光景が繰り広げられていた。
死者は敵味方を区別することなく生きている者を襲う。その様はもはや戦争ではなく、ただの蹂躙であった。
◆
ガレオンが着陸したのは戦闘の中心地であったため、何処を見ても屍の兵が跋扈していた。
戦闘で死んだ兵士の死体がそこかしこに転がっている。今はまだ物言わぬ肉の置物だが、いつ自分に襲いかかる屍の兵と化すかは予想が付かない。
アスラはまずはこの戦場から離れ、メルツバウに帰還することを第一と定めた。
近くに見える森の中に分け入って屍の兵をやり過ごし、メルツバウへの帰還の道を探ることにした。
最初の内は上手くいっていた。屍の兵の足取りは鈍重であり、振り切ること自体は容易であったのだ。
だが、森の中にも複数の屍の兵が潜んでいた。そして屍の兵は匂いに酷く敏感だった。アスラが何処へ隠れてやり過ごそうとしても、確実にアスラの潜む場所を探し当てた。
その都度、アスラは反撃した。森を利用したトラップや、太く頑丈な木の枝と石を組み合わせた即席の武器で応戦する。時には屍の兵が取り落とした壊れかけの兵器をも利用した。
どれ程の時間、屍の兵達と戦っただろうか。少なくとも一度なりと夜を迎え、朝焼けをその目で見ていた。
アスラは体力が消耗し始めてきたことに危機感を覚えた。
ついにアスラは屍の兵に取り囲まれた。
体術で応戦するも、やたら頑丈な屍の兵には大した損害を与えられない。
屍の兵がアスラに組み付く。何とか振り解くも、別の屍の兵に取り押さえられる。
アスラの喉元に屍の兵の顎が迫る。
ついにアスラは死を覚悟した。しかし、ただで死ぬ気はなかった。
壊れかけの兵器から取り出した火薬や油で作った即席の爆弾で、屍の兵ごと自分を吹き飛ばそうとした。
アスラが爆弾に手をかけたその時、不意に屍の兵達の動きが止まる。同時に、凄まじいエンジン音が周囲に響き渡った。エンジン音はそのまま西の方に向かって消えていく。ガレオンが飛び去ったことはアスラにも理解できた。
ガレオンが視界から消えた後、残ったのは動かなくなった屍の兵と、満身創痍のアスラだけだった。
◆
アスラは身震いした。
『これは全ての生けるものが行き着く先にあるものだ』
仮面の者の声がアスラの脳裏を支配する。
「ふ、ふふふ……ふ……」
アスラの口から笑いが漏れる。目の前にある破滅に、アスラは言いようのない感情を抱いていた。
それが愉悦なのか、それとも恐怖なのか、アスラ自身にもわからない。
「はは、はははは。ひは、ははははは、げあははははは!!」
一度溢れた感情は留まるところを知らなかった。
――帝國も、連合も、他の国も関係ない。ただ死のみが在る世界――
アスラは死の力の行き着く先を見てみたいと強く願ってしまった。
死に支配された戦場で、誰の耳に届くこともない狂った笑い声が、ただ響き渡っていた。
「―了―」