2835 【土】
男が一人、森の中を歩いていた。
最近いいことがなくて苛立っていたその男は、さっきまで仲間と飲み明かしており、夜風に当たって酔いを醒まそうと外へ出たのだった。
その時、その男は森の中に入っていく不審な人影を見掛けた。
不審な人影は二つ。何かが詰まった袋を抱えて歩くその姿は、とても不気味だった。
男は酔った勢いに任せて、不審な人影の後を付いていくことにしたのだった。
◆
静まり返った真夜中の森で、ゆっくりと土を掘る音が周囲に響く。
一人の男と背の曲がった男が懸命に深い穴を掘っており、傍には何かが詰め込まれた麻の袋が置かれていた。ややあって、男は麻袋に包まれた『何か』をぞんざいに穴へと放り込み、掘り返した土を穴へと戻す。
土を重ねては踏み固めることを繰り返し、その場所が容易く掘り返されないようにしていた。
「なんだ? ありゃあ……」
夜の森の空気は、冷たさを増したようだった。
◆
メレンの手品によって、その日のショーが開始される。
いつもと違うのは、舞台袖にいる筈の団長がいないことだ。
「団長は?」
「まだ具合が悪いんだと。医者に行くか呼ぶかしてくれって言ってるんだが、金が掛かるとか言って断りやがる」
次のショーの待機をしているルートの近くで、マーク達は団長を心配するような会話をしていた。
ある日を境に、団長は一日の殆どを自分のテントで過ごすようになった。
以前は常に舞台袖に待機してショーの様子を眺めていたが、それもしなくなった。
団長はテントに入れる者をノームとブラウだけに限定し、他の誰も寄せ付けなくなっていた。
彼の様子の仔細を知るのは、出入りを許されたノームとブラウだけだ。しかしノームに団長の様子を尋ねても、困惑したように「誰も近付かないようにしてくれと言われている」としか答えない。
かといってブラウに聞こうにも、あれは只の召使型オートマタである。ノーム以上に団長に言われたらしい言葉を繰り返すだけだった。
マークは何度か団長と直接会おうとしたが、その度に具合が悪いと言って追い出される有様だった。
◆
「邪魔だ、どけ!」
ショーが終わったメレンをサーカスの会計係が蹴り飛ばした。メレンはルートと交代するために通路の端に立っていただけであった。
メレンは抵抗することなく倒れ込む。ルートはメレンに手を差し伸べそうになったが、人間がいたので堪えた。
自分が人間の命令以外の行動を取るのを見られるのは良くないことである、と電子頭脳に警告が走ったからだ。
「クソが」
会計係は悪態を吐きながらその場を立ち去る。ルートはその後ろ姿に、何とも表現し難い感情を覚えていた。
◆
ずっと同じところで同じようなショーを続けていれば、当然そこの住民には飽きられる。言うまでもなく収入も落ちてきており、そろそろ移動を考えなければいけない時期だ。
にもかかわらず団長はショーの指示を出すだけで、テントから出る様子は見せない。
明らかな収入減による困窮が目の前に迫っていた団員達は、その苛立ちを無抵抗なオートマタ達にぶつけている。
ルートがショーを終えて舞台袖に戻ると、マークがオウランに、修理と称してスタンバトンを叩き付けていた。
その様子を見たルートは、相棒とも言えるオウランを助けに行きたいという気持ちが沸き上がった。だが、電子頭脳の警告に逆らってはいけないという気持ちもどこかにあり、実行に移すことはできなかった。
結局、オウランはマークの気が済むまで殴られ続けた。そんな様子を見ても何も行動を起こせないルートは、自分自身を腹立たしく感じていた。
◆
その日の夜、ルートがヴィレアと共にノームの調整を受けている時のことだった。
「おい小僧、何か隠し事をしているだろう!」
修理テントに突然やって来た会計係が、テントに入るなりノームを怒鳴りつけた。顔は赤く、足取りもふらふらしているその様子は、かなり酔っているように見えた。
会計係は団長がテントに籠もるようになった少し前の日に、ノームだけをテントに呼び出していることを知っていた。
「だいたい団長が俺達を差し置いてお前なんかを傍に置くわけがねえ。団長に何をした! 言え!」
「何も隠していません! 団長の指示に従っているだけです!」
「嘘をつくな!」
会計係は思い通りの答えを返さないノームを容赦なく張り飛ばす。ノームはそのまま倒れてしまう。
「ノーム!」
動けないヴィレアが叫び、シルフが会計係に向かって威嚇するように唸り声を上げた。
ルートは調整中でうまく動かない身体を動かそうと、必死の思いでいた。
「うるさい!」
会計係は激昂すると、シルフをヴィレアに叩きつけるようにして投げ飛ばした。
シルフは弱弱しく鳴くと、小さく荒い呼吸をし始める。ヴィレアもシルフを叩きつけられたショックでどこかの回路に異常を来したのか、ガタガタと震えるような動きをし始めた。
「シルフとヴィレアは何もしていないでしょう! やめてください!」
起き上がったノームがシルフ達を庇う。その様子が更に会計係の神経を逆撫でしたようだった。
「ガキの分際で!」
会計係は血走った目でノームを睨むと、携行していたスタンバトンを取り出してノームに殴り掛かった。
「や……めて、ください……!」
ルートはついに電子頭脳の警告を振り切り、会計係に体当たりする。
「お前も俺に逆らうのか!」
会計係はルートに掴み掛かり、調整中で剥き出しになっていたコード類を引き千切ろうとしてきた。
「だ、め……です」
「くそっ、離せ!」
ルートはそれでも会計係を押さえ込もうと奮闘する。このまま会計係を解放すれば、再びノームに襲い掛かるのは明白だった。
だが、調整中で思うように身体が動かせず、逆に組み伏せられてしまう。
「この野郎! ちょっと動けるようになったからっていい気になりやがって!!」
会計係はスタンバトンを振り上げる。
ここで自分は終わるのか。そんなことを思いながら、ルートは会計係を凝視する。
だが、そのスタンバトンがルートの頭に振り下ろされることはなかった。
何か重い物で殴るような音が聞こえた。同時に、会計係が一言だけ低く呻ると、ルートに向かって倒れ込んできた。
ルートと会計係を見下ろすように、ヴィレアが立っているのが見える。
その手には、大型のオートマタを持ち上げるための重いジャッキがあった。
「みんなをいじめる……ゆるさ……な、イ!!」
ルートは会計係の下から這い出る。会計係は何をしても動く様子がない。それどころか、会計係からは赤い液体が絶えず流れ出ていた。
「ヴィレア……、ごめんね……ごめんね……」
ノームはジャッキを下ろしたヴィレアに抱き着いていた。泣いているようにも見えた。
ノームだけが、会計係の身に起きたことを理解しているようだった。
「ノームのためなら、なんでもできる!」
「でも、もう団長と同じことはできない。会計係まで団長と同じになったら、マーク達は今度こそ……」
起きてしまった事態に、ノームは酷く動揺しているようだった。
ルートはこの場を切り抜けるにはどうすればいいか、記憶回路からヒントになるものはないか探っていた。
そうして一つの古い記録から、かつてサーカスのショーで演じたミステリー劇の一節を見つけ出した。
「彼の体を森の奥深くに埋めましょう」
「ルート……?」
「彼がこんなことになったのを知っているのは私達だけです。私とヴィレア、そしてノームが黙っていればきっと」
ルートは自分がとてつもなく恐ろしい提案をしていることに気付いていた。
それでも、ノームを守るために何かしなければ、という強い思いがあった。
◆
ルートはノームに簡単な修復を施してもらうと、ヴィレアと共に会計係の入った麻袋を担ぎ、森の奥深くへと入る。
ノームはその間も「やめたほうがいい。マーク達にも事故として説明しよう」と言い続けていた。
だが、それに反対したのは、意外にもヴィレアだった。
「人間はノームをいじめる、俺達もいじめる。みんな悪い奴だ。悪い奴がいなくなったって、誰も気にしない」
そう言って、無理矢理ノームを納得させたのだった。
「さあ、始めようか」
「わかった」
ルートとヴィレアは穴を掘り始める。
土を掘り返す音が周囲に響く。麻袋から赤い液体が滲み出ていたが、中身が動く様子はなかった。
◆
ルートとヴィレアは一心不乱に穴を深く深く掘っていた。
「なんだ? ありゃあ……」
その光景を、酔い醒ましに森を散策していたマークが見ているとも知らずに。
「―了―」