62ヒューゴ1

3374 【下層市民】

人波で溢れかえる市場の道を、ヒューゴは早足に歩く。

擦れ違う人の中から隙の多い人物を物色するためだ。

狙いを定めたらすぐに行動に移す。同業者に獲物を奪われる前に、素早く、確実に。

ぶつかったフリをして、ちょっと道を尋ねるフリをして。

そうやって金目の物を奪っていく。

「へへっ……」

市場を出たヒューゴは人気のない場所に移動する。そこで戦利品が確かに自分の手にあることを確認すると、にんまりと笑った。

これで二、三日の遊び金には困らないだろう。そんなことを思いながら、ヒューゴは歓楽街の方へと足を向けた。

「お、今日は冴えてるじゃねえか」

「今日は朝から調子がイイんだよ。 羨ましいだろ?」

馴染みの賭場でヒューゴは得意げに語る。朝の市場にカモがいたことや、さっきまで遊んでいたクラブで美女へのナンパが成功したこと。そしていま現在、賭博でかなり儲かっていること。

一般的に暮らしている人間から見れば、どれも自慢できるようなことではない。だが、この賭場に集う者達は皆どこか後ろ暗いことがある。となれば、このような話さえも自慢の種、会話の種として機能する。

「ま、ここしばらく不調だったもんな」

「そーそー、またいつ調子悪くなるかわかんねーからな。今のうちに楽しんでおかねえと」

ヒューゴはローゼンブルグの下層に暮らす市民だ。そんな場所に暮らす彼の生活は、とても刹那的だった。

幼い頃は中流階層で会社を経営する親と共にそれなりの暮らしをしていた。しかし両親が会社経営に失敗して負債を抱えてからは、下層まで階層を落とすことになった。

再び成功してあの頃の生活を取り戻すと嘯いていた両親も、ヒューゴが一〇歳になるかならないかの頃に、借金が原因で失踪していた。

今は順調に見えても次の瞬間に何が起きるかわからない。そのことをヒューゴは身をもって経験している。だから、今の瞬間さえ良ければいい。後のことなど考えても意味など無い。そんな考えがヒューゴの信条となっていた。

「そんなに調子がいいなら、俺らに協力しねえか? 面白い話があるんだ」

賭場で顔馴染みの男であるタスカーが、いつになくニヤニヤしながら話し掛けてきた。

この男がこんな風に笑う時は、大体大儲けの話が待っていることをヒューゴは知っていた。

過去にも幾度かタスカーの話に乗り、その都度大金を手に入れてきた。ヘタをこいた事もあったが、それでもちょっと官憲のお世話になる程度で済むものだった。

「ラクして大金が手に入るならいいぜ」

「今回の相手は銀行だ。 成功すりゃがっぽりだぜ」

「よっしゃ、乗った」

詳しい話の内容も聞かずにヒューゴは即答する。市場の小金持ちを相手にするのも少々退屈だと思っていたところだった。タスカーの話に乗っかっておけば、何かしらのスリルに出会えることは確証済みなのだ。

ヒューゴを含め、ここにいる人間は犯罪を犯すことに躊躇いは無い。

もし捕まっても数年刑務所に入る程度で済むだろうし、刑務所帰りとなれば箔も付く。

正直、死刑にさえならなければいい。ヒューゴを含め、誰もがその程度にしか考えていなかった。

タスカーの主導の下で腕の立つならず者達が集められた。

ヒューゴがその一団に加わった時は、計画も実行に移すのみといった段階であり、拳銃や小銃などの武器、マスクなどの道具類も、既に準備が整っていた。

タスカーの視線の先には黒い乗用車があった。随分とボロい見た目ではあったが、ここは下層だ。動くだけで上等だ。

「三日後に、この一方通行の道をビクスビー銀行の現金輸送車が通る。 俺達はあの車で道を塞いで足止めする」

ビクスビー銀行は下層でも比較的裕福な人々が利用する銀行だ。金融機関に縁の無いヒューゴでも名前を知っている。

そのような銀行の現金輸送車だ。中に入っている金も相当なものであることは簡単に予想がついた。

「わかった。 オレはどこにいればいい?」

ヒューゴは渡された小銃を慣れた手付きで点検しながら尋ねた。

「お前はベンサム、ラット、アルフと一緒にこの地点で待ち伏せだ。俺と残りの奴が現金輸送車を止める。車が止まったのを合図に、お前達は背後から襲い掛かってくれ」

タスカーは地図を見せながら次々と指示を出した。全員が注意深くそれを聞き、頷く。

「了解」

「わかった」

三日後の早朝、まだ人が寝静まっている時刻。ヒューゴは仲間のベンサム達と共に指定された路地で息を潜めていた。

ローゼンブルグでも滅多にお目にかかれない大型車両が目の前を通り過ぎる。

程なくしてブレーキ音が聞こえ、車の様子を窺っていたラットが手振りで突入の指示を出す。

ラット、ベンサムに続いてヒューゴは輸送車に襲い掛かった。

事は順調に進んでいった。輸送車の運転手達を気絶させて拘束し、輸送車の荷室に積み込まれていたケースをタスカーの車に移し替える。そしてそのままヒューゴはタスカーの車に乗り込み、怪しまれないように現場から離れた。

あとは大回りしてアジトへ帰る。それだけだった。

車の中でタスカー達と共にヒューゴは大笑いだった。暫くはこれで安泰だ。そんな気持ちが車中に溢れていた。

だがアジトに帰った瞬間、さっきまでの気持ちは木っ端微塵に打ち砕かれた。

「タスカー、すまねえ。 しくじった……」

先にアジトに戻っていたベンサム達を取り押さえる警官達。どこで計画が漏れたのか、誰にもわからなかった。

その光景を目にして抵抗を試みたヒューゴ達も、後からやって来た警官に取り押さえられ、全員がその場で逮捕された。

警察署の取調べ室で、見知った顔の刑事が疲れと呆れが混じった顔でヒューゴを見ていた。

「またお前か。 最近は静かにしてると思ったのに」

「んだよ、誰かがタレ込まなきゃ捕まりゃしなかったよ」

「自分がした事がどれ程の大ごとなのか、わかっているのか!」

刑事は怒鳴る。ワッツというこの刑事は、ヒューゴが最初に犯罪を犯してから何かと縁のある刑事だった。

ヒューゴが置かれた環境を不憫がり、更正するように願って、何くれとなく目を掛けてくれていた。

そんな彼の態度にも、ヒューゴは何処吹く風ではあったが。

「ワッツ刑事、お気持ちはわかりますが……」

隣に控えている若い警官がワッツを窘める。

「何をやったかだって? あんたら警察の方がよく知ってんじゃないの?」

「何故こんなことをしたんだ。 親の負債が新しく発覚したのか?」

「別にー。 タスカーが面白そうな事をするって言うから、乗っかっただけだぜ」

ワッツはヒューゴの物言いにはっとしたような顔をする。

「お前……、何も知らされてないのか?」

「何のことだ?」

「いい、わかった……。 今は他に聞くことはない」

ワッツは疲れた顔を引き締めて立ち上がる。ヒューゴも若い警官二人に挟まれて、狭い拘置部屋へと押し込まれた。

その後の日々は目が回るように過ぎていった。詳しい取り調べが終わるとすぐに、相手から起こされた裁判に関する事柄が次々と決まっていく。

そして、ヒューゴは裁判で驚くべき事実を耳にした。

――あの輸送車はビクスビー銀行の現金輸送車ではなく、全く別の警備会社が保有する貴重品輸送車であったこと。

――タスカーはそれを知りつつ、ヒューゴ達を騙して輸送中の物品を狙っていたこと。

――輸送中の物品は厳重な警護が付けられるような類のものであり、その警護の目があったからこそ、ヒューゴ達が速やかに現行犯逮捕されたこと。

ワッツが珍しく怒鳴り声を上げたのも、こういったことが関係しているのだと悟った。

実行犯であるヒューゴには実刑判決が下り、刑務所への移送を待つだけとなった。

タスカーがどうなったのかはわからない。タスカーが何を目的として自分達を騙したのか、それが伝わってくることはついになかった。

ヒューゴは拘置部屋でぼんやりと天井を眺めていた。暫くの間、綺麗なお姉ちゃんや賭場で遊ぶことができなくなると思うと、ちょっとつまらないとは思った。がしかし、捕まってしまった以上はその現実を見るしかない。

「ヒューゴ、出ろ」

ワッツだった。だが、形式に則った呼び方ではなかった。

「何? 何かあったのか?」

「いいから出ろ。 面会だ」

ワッツの物言いに文句はあったが、今までにない神妙さに、ヒューゴはおとなしく従った。

面会に来るような物好きな知り合いがいる筈もないのに不思議だなと思いつつ、二人の警官に挟まれたヒューゴは面会室へ向かう通路を歩く。

面会室に入る直前、ワッツがヒューゴの方を振り向いた。

「ヒューゴ、今から会う方はとても偉い方だ。 くれぐれも粗相のないようにな」

「ん? わかった。 気を付けはする」

ワッツが何故そんなことを言うのかわからなかった。

そんなに偉い人が自分に何の用なのかもわからない。もしかしたらタスカーに罪をなすり付けられたのかもしれない。

最悪の状況を覚悟して、ヒューゴは面会室へと入った。

ヒューゴが面会室に入ると、見知らぬ男が面会者側の椅子に座っていた。

「君が最後か。 ワッツさん、間違いはないね?」

「ええ、ソングさん」

ソングと呼ばれた男は、ヒューゴを値踏みするかのようにじろじろと見つめていた。

「―了―」