26ウォーケン5

3392 【境界】

暗闇に光が差し込んだ。

「ミア、ウォーケン。おはよう」

男の声が聞こえた。

「おはようございます、マスター」

今度は女の声が聞こえた。

「おはよう、ミア。 さぁウォーケン、君も起きるんだ」

男の声が自身に向けられたのがわかった。

男性が視界に入る。この人はマスターだ。私は目から入ってくる映像情報を瞬時に解析し、理解する。

「マスター、おはようございます」

私は言葉を発したが、それ以上は何もしなかった。私は命令を待っていた。

「おはよう、ウォーケン。気分はどうだ?」

マスターは私の目を覗き込むようにしながら尋ねてくる。

「何も問題ありません。ご命令を、マスター」

ミアと呼ばれた女性が答える。その応答にマスターは一瞬だけ眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな表情を見せた。

「命令……。そうだな、まだ君達は起きたばかりだ。館を散歩してみたらどうだろうか」

マスターは少し考えると、私とミアにそう告げた。

私とミアは手入れの行き届いた館の中を歩いていた。会話はない。会話をせよという命令はされていなかった。

「お帰り。初めて自分の目で見る世界はどうだった?」

館を隅々まで見て回ってからマスターの元に戻る。マスターは私達を笑顔で迎え入れた。

「申し訳ありません。命令の意図が不明です」

「マスター、再度ご命令を」

感想を求められていることは理解できたが、何故そのようなことを尋ねるのか、私達には理解できなかった。

命令ではない問いに対して、私とミアは対応できない。

「ふむ……、認識ルーチンに問題があるのか? それともただの学習不足か……」

マスターは考え込んでしまった。

私達は何か悪いことをしたのだろうか。そんな情動が沸き起こったが、それを言葉にすることはできなかった。

「マスター、ご命令を」

「……ああ、そうだな。君達には私の助手となって働いてもらう」

それから、私はミアと共にマスターの研究を補佐する役目を担うことになった。

マスターは情報を私達の電子頭脳にただ記録させることをせず、私達に手ずからで研究の詳細を教えてくれた。

私達は人が学習するのと同じ手法によって、技術を学んでいくこととなった。

「ミア、ウォーケン。君達はこれから生まれ変わる」

マスターはベッドに横たわる私とミアに告げる。

特異な人工知能『ステイシア』のデータから新たなソフトウェアが完成すると、マスターは言った。私とミアはその新しい人工知能へバージョンアップされるとのことだった。

「実験が成功すれば、君達はさらなる知性と創造性を得ることになるだろう。君達は自らの頭脳で考え、新しいものを創り出すことができるオートマタとなる」

暗闇にマスターの声が響く。その声は私の記憶の奥深くに刻まれていった。

「自分の意思で創造すること。それは何にも代え難い、とても尊いことだよ」

人々の悲鳴が響き渡る中を、ウォーケンは進む。

周囲は破壊された家屋や燃え盛る炎、逃げ惑う人々で溢れていた。

重い身体を引き摺るようにして、ウォーケンはひたすら進んだ。ほぼ全ての電子回路が焼き付いていたが、ミアの元へ行かねばという一心だけが、ウォーケンを突き動かしていた。

歩き続けてどれくらい経ったのか。ウォーケンはいくつかのテントの残骸と、壊れたオートマタが散らばっている場所へと辿り着いた。

「ミア、ミア……」

譫言のようにミアの名を呼びながら、ウォーケンはその場所を探し回った。

すぐに抜けるような白い肌をもつ左腕を発見した。その先には潤滑油と部品の欠片が点々と続いている。

それを辿っていくと、後頭部を砕かれ、胴体の一部が持ち去られたミアの残骸があった。完璧な美しさを誇っていた顔は機械が露出し、潤滑油が溢れ出ている。

「ミ……ア……」

辛うじて残っていた補助機構がウォーケンの情動を揺り動かす。怒りと悲しみの情動がウォーケンの全てを支配した。

シェリの記憶を確認していたウォーケンは、皇帝を名乗る男が見せた惨劇によって自身の内に秘められていた情動を揺り動かされた。そして、その情動の根源となる記憶を呼び覚ましていた。

酷い頭痛が引いていく。頭痛の残滓を振り払うように頭を振ると、四肢と頭部が切り離されたシェリと、機能を停止させてベッドに寝かせていたドニタが視界に入った。

ドニタとシェリの顔がミアに重なる。二人の顔は記憶にあるミアの顔にとてもよく似ていた。

「そうだ……ミア……」

ウォーケンは涙を目から溢していた。

彼女達の顔を見て、ウォーケンはドニタとシェリを作り上げた真の意味をようやく理解した。

――創造性と知性を併せ持つ、人と同じ存在であるミア。そのミアを、同じ使命を持った自身が再び作り上げ、マスターの悲願を達成する。――

ウォーケンは記憶を失ってなお、その使命を果たそうとしていたのであった。

「ドニタ、起きてくれ」

ウォーケンはドニタを起動させる。

「全てを思い出したよ! なぜ君らを作ったのか。自分が何をすべきなのか」

「ドクター。 ワタシ、話したいことがあるの」

焦燥に駆られたウォーケンは、熱にでも浮かされたようにドニタに捲し立てる。ドニタの様子が目覚める前と全く違うことに、ウォーケンは気付かない。

ウォーケンの思考はミアを早く復活させねばという、本能のような使命感に支配されていた。

「すまないが後にしてくれないか。 急がないといけない」

ウォーケンはシェリの修理に取り掛かろうとしていた。

「じゃあ、そこで見ていてくれればいいわ。 これで皆が幸せになれるの」

「何だって?」

ここで初めて、ウォーケンはドニタの方を振り返った。ドニタの手には自らの腹部から引き摺り出したケイオシウムバッテリーが握られていた。

「何を馬鹿なことを……」

ウォーケンはドニタを停止させようとコンソールに向かった。だが、それよりも早くドニタは彼の目の前に立った。

「これでみんな幸せ」

ドニタは目を見開いて笑う。ウォーケンには、その表情が人間に対して反乱を起こしたミアのものと重なって映った。

それに対して何かを感じる間もなく、全てが目映い閃光に包まれた。

「はー、ひっどいコトになってる」

ノエラは廃墟のようにも見える研究室で、辛うじて残っていたウォーケンの頭部を拾い上げた。

「見つかったか」

人工皮膚も頭髪も無残に焦げ付き、何とか人型の輪郭を保っている頭部をじっと見つめていると、不意に目の前に白い女が現れた。

「間違いないわ。でもノイクローム、この子をどうする気?」

「気になるのか」

「まあね。 私にとっては弟みたいなものだし」

ノエラはそう言うと、ウォーケンの頭部を大事そうに撫でる。

「この者と、この者が作り上げた者が持つ情報が必要だ」

「私じゃ電子頭脳の修復まではできないんだけど」

「問題ない。手段は用意してある」

「そう。じゃあ、その手段がある場所に運びましょうか」

ノイクロームが見守る中、ノエラは焼け残った研究所の機器やウォーケンだった部品、彼が作り上げた作品らしきものを外の荷馬車に詰めていく。

それらの中に女性型らしい自動人形の部品もあった。その部品はノエラの目を引いた。

「『人と機械の境界は失われ、人も機械もお互いを模倣するようになるだろう』。よくマスターが言っていたわね」

ノエラはパーツを回収しながら、自身の創造主の言葉を口にした。

「機械でありながら人となったこの人形は、正しい世界を作り出す礎となる」

「そうすれば私も完全な存在になれる。貴女、そう言ったわよね?」

「ああ。捩れた因果が戻ることで、私もお前も正しき存在へと昇華される」

「その言葉、信じているわよ」

ノイクロームと言葉を交わしながら、ノエラはウォーケンの頭部を耐久性が高い箱に緩衝材と共に入れ、最後に荷馬車に詰め込んだ。

「これで全てか?」

「多分ね。さ、何処へ向かえばいいの?」

「お前の端末に位置情報を送る」

ノエラの持つ小さなデバイスに光が灯る。ノエラはそれを確認すると、僅かに顔を顰めた。

「ここは……。貴女、あんな人まで利用するのね」

「否。私の計画に賛同する協力者だ」

「そう、まぁいいわ。じゃあ向こうで落ちあいましょう」

ノエラは荷馬車の御者台に乗り込むと、ノイクロームがいたところを振り返った。

ノイクロームの姿は消えていた。ノエラは溜息を一つ吐くと、荷馬車を帝都ファイドゥに向けて走らせるのだった。

「―了―」