3392 【人工知能】
タイレルは所長室で、ベリンダの改修案についてオルグレン、リンナエウスと意見を交わしていた。
「人工知能の改修かぁ」
「はい。現状の負荷では人工知能が損傷しかねません。制作者に改修を要請したいのです」
ベリンダの改修は大きな問題点にぶつかっていた。
現在のままでは、演算機能を高度にしたとしても人工知能への負荷は大きいままだ。それを根本的に解決するには、ベリンダの人工知能の性能向上が必要になる。
しかし、タイレルは兵装研究者だ。兵器を運用するための演算システムは作れても、人工知能に大幅な改修を行うことはできない。
ましてや、ベリンダは人間としてグランデレニア帝國に送り出すために高度な情動機能を持たせた人工知能だ。下手な改修によってその機能を損なってしまえば意味が無くなってしまう。
「タイレルの言うとおり、担当部署に要請を出さないと駄目でしょうねぇ」
「そうだな。今日中に要請を出しておく。平行して演算機能の改修案についても進めておいてくれ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「返答が返ってくるまで暫くかかるだろう。そこで一つ、その間にやって欲しいことがある」
オルグレンは大きなモニターに資料を映し出した。
「ガレオン担当の技官から、ベリンダの自己防衛機能に関する意見が上がってきている」
「自己防衛機能ですか?」
「そうだ。万が一、ガレオン内で白兵戦になった場合に備えたいということらしい」
「わかりました、仕様を纏めておきます」
タイレルは一礼すると、所長室から立ち去った。
◆
ローフェンの居場所が判明したのは、ベリンダの人工知能改修案を提出してから少し経った頃のことだった。
ソングから連絡を受けたタイレルは、ソングの召致を受けて統括センターを訪れた。
「ローフェンは現在、ロンズブラウ王国に滞在している」
挨拶もそこそこにソングは切り出した。
「ありがとうございます。それにしても、召致をする必要は無かったのでは?」
「通信で伝えるには、些か憚られる話があるのでな」
「どういった事情が?」
タイレルの疑問に対し、ソングの表情は固い。
「五日後に協定審問官をロンズブラウ王国に送る手筈となった。これは決定事項であり、覆すことはできん」
「ローフェン師がロンズブラウ王国で何か違反行為を行っていると?」
「すまないが、これ以上の詳細を話すことはできない」
タイレルは食い下がろうとしたが、ソングの態度は頑なだった。
協定審問官が出向くような事態になっているのならば、一介のエンジニアが何かしらの対策を講じることは不可能である。そのことはタイレルにも容易に理解できる。
「ローフェン師と連絡を取り付けることは不可能だという認識でしょうか?」
「だが、ベリンダの完成にローフェンの技術が必要なのだろう? 人工知能の改修に加えて、自己防衛機能を追加したいとの要望があると聞いている」
「はい。自己防衛機能を含めて、ローフェン師が地上に持ち出した技術に解決策があると私は考えています」
タイレルは自分の意見を覆さなかった。ここで諦めるわけにはいかない。
「特例でローフェンの連絡先を教えよう。あとは君の方で上手くやってくれ」
ひとまず研究所に戻ったタイレルは、いくつかの仕事を終わらせて足早に自宅へと戻った。すぐにでもローフェンと通信を行いたかったが、研究所で通信を行うのは控えたかった。
ロンズブラウ王国の現在時刻を調べると、夕刻に差し掛かる頃であった。そのことを確認すると、タイレルはソングから受け取ったローフェンの連絡先へ通信を開始する。
「タイレルか、久しいな。ソングから話は聞いた」
「お久しぶりです。ローフェン先生」
何年かぶりに聞いたローフェンの声は、かつて教鞭を執っていた時と何ら変わっていなかった。
「積もる話もあるが、生憎とこちらも暇ではないのでな、手短に頼む」
「わかりました。お忙しいところ申し訳ありません。僕は今、一体の自動人形を任されていまして、それについて――」
一つ謝罪をすると、タイレルは事前に纏めておいた質問をローフェンに投げかけた。
それは自動人形に搭載する自己防衛機能についてであったり、人工知能へ送る演算結果の負荷軽減についてであったりと、様々だ。
「中々に多いな。だが、興味深いものを製造している」
ローフェンはタイレルの質問に対して一つ一つ自身の見解を述べた。やはり師の技師としての頭脳に衰えはない、タイレルはそう感じていた。
「もう一つ、マックスという自動人形を制作した際に使用した『死者復活』のコデックス。それを提供していただきたいのです」
「何に使うつもりだ?」
ローフェンの声色が僅かに変わった。コデックスのことを持ち出したからだろうか。
「現在製作している自動人形に、あのコデックスの技術が必要なのです」
「お前がどういった研究の末でそこに辿り着いたのかは知らない。だが、何を考えている?」
「世界をレッドグレイヴ様の下に統一するため。これ以上の説明が必要でしょうか」
迷うことなくタイレルは言い切った。
沈黙が流れた。ローフェンは何かを考えているようだった。
「……わかった。人を寄越すといい。そいつにコデックスを預けよう」
「ありがとうございます。この御恩は忘れません」
ローフェンとの通信を終えた後、すぐにソングに通信を繋ぐ。
「ローフェン師からコデックスを預けたいとの申し出がありました」
「わかった、マックスに回収させよう。統制局の検閲は避けられんが、ベリンダ完成のためだ。私の方でも手を回しておく」
「ありがとうございます」
タイレルはソングに対して感謝の気持ちを表した。
◆
ローフェンから資料が回収されたという連絡が来たのは、それから更に二ヶ月が経った後であった。
「これで間違いはないな?」
ソングの執務室に召致されたタイレルは、ソングからローフェンに関する報告を聞いていた。
「はい、間違いありません。ですが、本当によろしいのですか?」
タイレルは悦喜の感情を押し殺してソングに問う。内容にどれほどの欠損があったとしても、これはコデックスだ。本来ならば厳しく管理され、末端のエンジニアである自身などが直接関われるような代物ではない。
「このコデックスを君に渡すには、一つ条件がある」
「条件ですか? それはどのような?」
どんな条件を出されても、タイレルはそれに従うつもりであった。
「そのコデックスの解析結果全てをカウンシルに開示すること。それが条件だ。ローフェンはこのコデックスを解析した資料までは寄越さなかったのでな」
「そうですか……。わかりました、解析の結果をお待ちください」
◆
ローフェンのコデックスには、死者の脳から記憶や感情を抽出する理論が記されていた。更に詳しく解析していくと、その抽出した記憶や感情を基礎として、新たに別の仮想人格を作り上げる理論も記されていた。
自らが所持しているコデックスから得られた理論は、腐敗して記憶や感情の抽出が困難となった脳を再生させるためのものでしかない。
となれば、この二つのコデックスを合わせたとしても『死者蘇生』の理論には届かない。導き出される理論は、死者の肉体と記憶を元に新たな人間を作り出すものになるだろう。
どのような経緯からこの理論が作り上げられたのかはわからない。黄金時代の歴史を紐解けば何か判明するかもしれないが、タイレルにはそこまで掘り下げる理由は無い。
自身の求めたものとは違う結果に落胆したタイレルだったが、何も解析が進まないよりは良いだろうと、自分を納得させる他なかった。
◆
コデックスの解析結果をカウンシルに送り終えて数週間後、タイレルの研究室にオルグレン所長から通信が入った。
「ベリンダの人工知能だが、改修ではなく新規のものに変更することになった」
「改修は不可能だったのでしょうか?」
「そうだ。担当から制作者の所在が不明になったという報告が来た。制作者の行方を調査中だそうだが、時間が読めないらしい」
「では、新規の人工知能は一体誰が製作したものなのですか?」
自動人形の人工知能を製作することができる研究者は、パンデモニウムには一人もいない筈だ。もしそのような人物がいれば、どれだけ目立たないように研究を行っていたとしても、どこかしらから漏れ聞こえてくる。
「同じ制作者が以前別の用途で造ったものが保管されているらしく、それを流用するとのことだ。パンデモニウムにある自動人形用の人工知能としては最新型となる」
「それならば負荷にも耐えられそうですね」
「実際に搭載して実証する必要はあるがね。それと、君が解析したコデックスの技術だが、それが採用されることになった」
「その人工知能の情動機能を制御するのに必要な仮想人格を新たに作るため、ですね」
「詳細についてはまだ報告が来ていない。近いうちに君のところへ連絡が行くだろう」
「わかりました」
その他に演算装置の改修案について進捗を簡単に報告し、通信を終える。
タイレルは通信機の前で笑みを浮かべていた。
自分の解析と研究は無駄ではなかったのだと、歓喜に打ち震えていた。
「―了―」