60クロヴィス1

2779 【細菌】

深夜の住宅街に、二台の大型自動車がやって来た。

その二台は大通りに面した邸宅の付近に止まった。

一台のドアが静かに開くと、中からスーツ姿の男性が数人降りてくる。

もう一台からは、国家保安局の制服と防弾着を着用した男性達が降りる。

クロヴィスは無言で合図を出す。合図を受けた制服姿の男性達が配置に着く。

それを確認したクロヴィスは邸宅の玄関口に立った。彼の背後には同じスーツ姿の同僚二人が控えていた。

クロヴィスがベルを鳴らすと、その家の使用人らしき人物が扉を開けて顔を覗かせる。

クロヴィスは書状を使用人が見やすい高さに掲げると、静かに言葉を発した。

「国家保安局の者です。こちらの邸宅に住居捜索の令状が出ています。拒否することはできません」

クロヴィスの言葉に使用人の顔から血の気が引いた。使用人は扉を閉める。次いで足音が邸宅の奥の方へと消えていった。

「入るぞ」

その音を聞いたクロヴィスは、背後にいた同僚達に突入の合図を出したのだった。

ニヴェル地区で違法な武器密売組織の摘発が行われ、関係者全員が逮捕されたというニュースが大々的に報道されている。

その報道をバックミュージックに、クロヴィスはその検挙したばかりの犯罪組織に関する報告書を纏めていた。

クロヴィスは国家保安局に勤める組織犯罪専門の捜査官だ。

市民は義務化されている遺伝子スクリーニングの結果により、適正に見合った教育プログラムが施される。そして十五歳になると、統治機構から将来的に就く職業の最終的な選択肢が示されるようになっている。

クロヴィスはその提示された選択肢の中から組織犯罪捜査官を選んだ。両親にそのことを報告すると、幼少より正義感が強いクロヴィスらしい選択だと、心から祝福してくれたのだった。

ニヴェル地区の組織に関する残務が終わってひと月も経たぬ内に、クロヴィスは大規模犯罪の捜査のため、東方のヒマガ地区へと赴いていた。

「君はクロヴィス・デュバル刑事だね。宜しく」

ヒマガ地区保安局の面々と軽い挨拶をしていると、保安局の人間とは信じがたい風貌の男性から声を掛けられた。

クロヴィスと同じくスーツ姿ではあるが、その容姿は十代の青年のように若かった。

「よろしくお願いします。ええと、協力者の方ですね?」

「ああ、なにぶんこういった場所は初めてなんだ。邪魔になるようだったら遠慮なく言ってくれ」

若い男性はそれだけを言うと、別の刑事のところへ挨拶に行ってしまった。

「すみません、彼は?」

近くにいたヒマガ地区保安官のガードナーにこっそりと尋ねた。

「あぁ、バイオニクスの権威であるギュスターヴ技師さ」

「テクノクラートの……」

その名前には覚えがあった。彼がテクノクラートであるというのなら、一見異様にも思える若さにも納得がいった。

高位のテクノクラートは最先端の医療技術により老化を遅らせることが可能だ。そして一般市民よりも遙かに長く生き、その人生と頭脳を人類の繁栄のために捧げる。

不老長寿という誰もが一度は憧れる技術を一身に享受している存在だが、それは自由な人生との引き換えで成り立っている。

クロヴィスはテクノクラートに対してそんな認識を持っていた。だが、同時に疑問も膨れ上がる。

「しかし、彼ほどの権威者がなぜ? テクノクラートの手を煩わせなければならない程、今回の相手は狡猾なのですか?」

「すぐにブリーフィングが始まる。その時にわかるさ」

クロヴィスはガードナーと共に会議室へ向かった。間もなくヒマガ地区保安局局長が壇上に上がり、ブリーフィングが開始された。

挨拶もそこそこに、局長は説明を始める。

――数ヶ月前、小さな酒場で一人の男性が突如発狂して暴れだした。通報を受けた官憲が取り押さえるも、男性はそのまま憤死した。

――当初は精神的な病を患った挙句の死であろうと思われたのだが、検死の結果、体内から未知の細菌が検出された。

――動物実験によりこの細菌は嫌気性でありヒトからヒトへの感染能力はほぼ無いことが証明されたのだが、ヒマガ地区に流通している食料品からも、また水源からも同様の細菌を発見するには至らなかった。

――ならばどうしてこの男性が細菌を保持していたのかという疑問と、この細菌が一体なんなのかという疑問が残る。

――ヒマガ地区保安局が細菌の解析に手間取っている間にも、同様の事件が規模を拡大しつつ発生している。

――いずれの事件においても、死亡した当事者の体内から最初の事件と同じ細菌が検出されたため、犯罪組織による生物兵器を使用したテロの可能性があるとして、統治機構から事件として扱うことが決定された。

そのようなことが説明された。

「なお、事態を重く見た統治機構の指示により、バイオニクスの権威であるギュスターヴ氏を協力者としてお迎えしている」

局長が促すと、離れたところに座っていたギュスターヴが壇上に上がり、一礼した。

「ギュスターヴ氏にはこの細菌の詳細な調査を依頼している。氏が現場に赴くことを希望された際は、協力を頼む」

「宜しくお願いします。こういった場所での行動には慣れていないので、不手際があれば遠慮なく申し出ていただきたい」

ブリーフィングが終わった後、クロヴィスはガードナーに事件現場の案内を頼むことにした。

「殆どの現場が検分を終えている。新しい発見があるとは思えないんだが」

「実際に現場を見てみないと気が済まない性分でして。すみません」

「いや、構わんよ。刑事であれば誰もが持つ性分さ」

では、と外へ向かうべく足を向けた二人に、意外な人物が声を掛けてきた。

「現場に行くのなら私も同行したい。いいかな?」

ギュスターヴだった。調査用なのか、少々大きな荷物を持っている。

「あ、あの、実働隊のデュバル刑事はともかく、貴方が行かれる必要は……」

「少々調べたいことがあるのだ。邪魔だというのなら別の手を考えるが?」

「い、いえ。決してそのような……」

ガードナーは通常ならば関わる筈もないテクノクラートの扱いに困っているように見えた。

「ガードナー刑事、彼は専門家です。我々が見落としているものの発見に繋がるかもしれません」

クロヴィスは余計なお節介かと思いつつも、ガードナーに助言する。

「そ、それもそうか」

「デュバル刑事は話がわかるな。では行こうか」

ギュスターヴは人好きのしそうな笑みを浮かべた。これから事件現場に向かうというのに暢気なものだと、クロヴィスは少々呆れていた。

事件現場はどこも封鎖されており、人々は事件現場を避けるようにして往来している。

最初の事件現場から一通り案内され、今は直近の事件現場である商店にいた。

クロヴィスは現場の一つ一つを確認するように見ていった。資料と相違ないのは当然として、何か新しい手掛かりがないか探そうと考えたのだ。

背後では、ギュスターヴが調査用の道具を取り出して床の隙間を見分しているようだった。訪れた現場各所でやっていたので、もし何かしらの変化があれば追々耳に入るだろう。

「ふぅむ……。ガードナー刑事、デュバル刑事、これを見てくれ」

幾許かして見せられたのは、何かの粒のような物だった。

壁と床の境目に挟まっていたとのことで、ギュスターヴの使っている装置か高性能な拡大鏡でなければ、視認すら難しい程の小ささだった。

「薬の粒、のようにも見えますね」

風邪薬や胃腸薬などでよく見る、少し黄色がかった顆粒剤のように見えたクロヴィスは、率直に述べる。

「検査してみないと断言できないが、おそらくそうだろうな。ガードナー刑事、死亡した者達の薬暦は調査してあるか?」

「通院暦、処方された薬の種類、服用日数、それらは調査済みです」

「後でその資料を科学検査室に送ってくれ。私はこの粒状物質を調べる」

ギュスターヴは装置を操作しながら慎重に粒状の物を確保した。

新たな手掛かりが見つかったため、クロヴィス達は一度保安局に戻ることにした。

帰路の車中に緊急通信が入る。

「何があった?」

「西区大通りで暴動が発生しました。詳細は不明ですが、目撃証言からすると例の細菌による現象かと思われます。至急現場に向かってください」

通信相手の声は落ち着いてはいるが、若干の焦りが含まれているように感じられた。

南区であるここからでは暴動の喧騒は聞こえないものの、異なる地区にいるこちらにも応援要請が掛かったということは、かなり大規模な暴動となっている可能性がある。

「了解、すぐに向かう」

通信を切ると、ガードナーは車を止めた。

「ギュスターヴ技師、緊急事態です。大変申し訳ありませんが現場は危険なためここで降りてください。すぐに迎えを寄越しますので」

「わかった。暴動が沈静した後で検証に向かうことにしよう」

ギュスターヴは素直にガードナーの提案を受け入れる。

「その時はよろしくお願いします」

「では、無事を祈る」

そう言ってギュスターヴは車から降りた。

「さあ、急ぐぞ」

「はい!」

クロヴィスはガードナーと共に、暴動が起きている現場へと急ぐのだった。

「―了―」