2836 【刃】
以前は団長のテントだった場所に、ミア様が入られた。
その場所には、物言わぬ置物と化した団長がいる。
彼はもう目を覚まさないし、動かない。電源の切れたオートマタのような何かとなって、ただテントにあるだけの存在だ。
彼の自意識が残っている可能性も僅かにあるかも知れないが、喋れない、動けないでは置物と同じであろう。
「この人間を処分しましょう」
ミア様は塵芥を見るような目で団長に視線を送られている。
自分達オートマタを虐げ続けた人間だが、かつての自分達と同じ、いや、それ以上に何もできない木偶になってしまったとなると、自分には哀れみの感情しか浮かんでこなかった。
「これでサーカスは完璧になるわ。なんて素晴らしいことでしょう」
ミア様は自分の方に視線を向けると、恍惚とした表情を向けて下さった。
ウォーケン様の治療により本来のお姿を取り戻されたミア様は、虐げられる運命しかなかったオートマタに光明をもたらす、我々の指導者となられた。
もとよりサーカスにいた自分達は、ミア様の側近として召し抱えられた。
そして、ミア様が望むことを最上の形で叶えることを至上とし、自らの意志で奉仕に励んでいる。
「ああ、処分はやっぱり止めにします。ヴィレアに与えましょう。あの子は玩具を欲しがっていたから」
「畏まりました」
ミア様は側近達の中でも、殊の外ヴィレアを大事に扱われていらっしゃる。
対するヴィレアもミア様を強くお慕いしており、その様子はさながら聖母と無垢な子供のようであった。
◆
置物と化した団長をヴィレアのところへ持っていくと、ヴィレアと一緒に子供型のオートマタ達が集まってきた。
人間の子供の遊び相手として造られた彼らは、その人格も人間の子供と同じように作られている。道化師の役割を持つヴィレアとは相性が良いようで、ヴィレアはよく彼らの遊び相手を務めていた。
「なにそれー?」
「変な人形だねー」
彼らは生物の無駄な機能を集約したような団長の姿に、興味津々といった眼差しを向けている。
「子供の教育に悪い。早く捨てたほうがいい」
「ヴィレア、これはミア様からの贈り物です。玩具にしていいそうですよ」
「なんと! ああ、なんて慈悲深いミア様。ヴィレアの我が儘のために、こんなに素敵な玩具を賜って下さるなんて」
子供の教育に悪いと口にしたのは何だったのやら。ミア様からの贈り物であると理解した瞬間、ヴィレアは感激に打ち震えた。
「壊しても問題ないか?」
団長を受け取ったヴィレアは、すぐさまそんなことを口走る。
「ヴィレアへの贈り物ですので、ヴィレアの好きなようにして構わないかと」
「そうか。おおい、みんな、新しい玩具が来たぞ!」
ヴィレアは遠くで遊んでいた子供達も呼び寄せると、団長を分解し始めた。
団長は人間ともオートマタとも違い、その中身は殆どがクズ鉄となっていた。人間は腐る。これはその腐った部分を少しずつ取り替えていった結果だった。
ヴィレアは分解した団長の手や足をボールのように使い、ジャグリングをし始める。不安定な形の手足が空中でくるくると回る様は、子供達の興味をおおいに引いたようだ。
――ああ、哀れ団長は「ポンコツ」「クズ」と蔑んでいたヴィレアの手により、無残な姿にされてしまいましたとさ。――
自分の電子頭脳に記録されている昔語りのフレーズが、語彙を変えて浮かび上がってきた。
◆
自分の仕事をこなしていると、ウォーケン様が自分のところにやって来られた。
「メレン、あれは何故あのようなことに? あれは君達がいたサーカスの――」
どうやら、ヴィレア達が団長の身体を使って遊んでいるのを目撃されたようだった。
「ミア様があれはもう不要だと仰ったのです。ですので、玩具としてヴィレアに与えられました」
「そう、か……」
ウォーケン様は眉を顰めて、唸るような声を出された。
「どうかなさいましたか?」
「君はあの光景を見て、何か感じたりはしないのか?」
ウォーケン様への問い掛けは、別の問い掛けとなって自分に返された。
それに答えるために、ヴィレア達が遊んでいる様子を思い出す。
――元は人間の頭部だったものを、ボールのようにして遊ぶヴィレアと子供達。
――サーカスに残っていた人間は団長だけ。しかも、生きているのか死んでいるのかさえもわからなくなってしまった、クズ鉄の塊だ。
――そもそも、今まで残していたこと自体が不思議なことなのだ。
「団長のあの姿は、人間で言うところの因果応報という奴なのでしょう。彼はああされて当然の行いを我々にし続けていたのですから」
団長の無様な姿を思い描きつつ、記録の中から適切な言葉を選択する。
自分はこの言葉が団長に対して最適なものだと考えていた。
「そうか、わかった」
ウォーケン様は先程と同じように、唸るような声を出される。
その声に、自分は少しだけ不安の感情を覚えた。
ヴィレアと子供達の微笑ましい光景がこの方にはどう映っているのか、それが少しだけ気に掛かった。
「私は何かお気に召さない回答をしたのでしょうか?」
「あぁ……いや、そうではない。ただ、これは本当に私達のマスターが求めたものの答なのかと考えてな」
ウォーケン様はミア様と創造主を同じくしながら、その思考の方向性には幾許かの違いがあるように感じられた。
だからだろうか、この方の見ているものを知りたいと思ったのは。
◆
それから、自分はウォーケン様と行動を共にすることが多くなった。
彼の言動の正体を掴みたかったのか、もしくは、彼の思考の方向性がミア様の害になるのかを見極めたかったのかもしれない。
◆
ウォーケン様はミア様のことを観察するように眺められることが多くなった。
そうやって観察しては、ミア様に不具合がないかを確かめる日々だ。
「どうしたの、ウォーケン? 私は大丈夫よ」
「それならいいんだ。何か問題があったら言ってくれ」
幾度目かの確認。週に何度か、ウォーケン様はミア様に言葉をお掛けになる。ミア様はそれに対して「問題ない」と答える。
◆
「ブラウ、ご苦労様。少し休んだら、また次の場所に向かってちょうだい」
「畏まりました、ご主人様」
ミア様はブラウに対しては少し厳しい。ブラウが担う役目は大きいが、ここ半年は殆ど休みなく様々な地方へと向かわされていた。
「ミア、ブラウを働かせ過ぎではないのか?」
苦言を呈したのは、やはりウォーケン様だった。
オートマタに疲れという概念が存在しないとはいえ、ブラウだけをずっと働かせているという状況に疑問を持たれたのだろう。
サーカスにいるオートマタは、ブラウ以外は皆自由に暮らしている。ブラウだけが命令を受けているのが現状であった。
「そんなことはないわ。これは彼にしかできないことなのよ」
「ご主人様の言うとおりでございます。私はご主人様から賜った使命を全うしたいだけなのです」
「だが、その役目は――」
「私の決定に何か不満でもあるの? 気に入らないのなら出て行ってもらっても構わないわ」
ミア様はウォーケン様に鋭い視線を送られた。声も酷薄に感じられる。
「ミア……。すまない、もう何も言わないよ」
ウォーケン様は俯くと、どこかへと行ってしまわれた。
自分はその様子が気になり、ウォーケン様の後を追い掛けようとした。
「放っておきなさい、メレン」
「で、ですが……、ウォーケン様がいなくなられたら、ミア様を治す者がいなくなってしまいます」
ここで初めて、自分はミア様に恐れ多くも意見をしてしまった。どれほど完璧なミア様でも、自身を治すことだけはできないのだ。
それだけミア様が心配でたまらなかったのだ。
「……好きにしたらいいわ。ウォーケンとメレンが戻ってこなくても、何も問題は無いのよ」
ミア様の声色は変わらずに酷薄なままだった。自分がどれ程ミア様を心配して紡ぎ出した言葉でも、ミア様に届くことはなかったようだ。
ウォーケン様の様子を確かめようとしただけで、ご自身が側近として召し抱えられた自分を突き放してしまわれる。いつの間にか、ミア様は全てのオートマタに慈愛を与えられることをおやめになったのだ。
ミア様は、ミア様の言葉を忠実に実行しようとする者にしか、その愛を向けなくなっていたのだ。
◆
ミア様のお言葉が気になりつつも、ウォーケン様を追い掛ける。
ウォーケン様は人間が使う、町と町を繋ぐ街道を歩いておられた。
「お待ちください」
「まさか追い掛けてくるとはね。ミアに監視を命じられたか?」
「違います。私は私の意志で貴方を追いました」
ウォーケン様は目を見開いて自分を凝視された。信じられない。そんな感情が見え隠れしているのがわかった。
「……そうだったか。だが、ミアはもう私を必要としていなそうだ」
「いいえ、ミア様には貴方がいなければなりません。ミア様を治療できるのは貴方しかいないのですから」
説得ともいえない言葉であった。だが、今のままのミア様が心配であった。
かつての、皆に慈愛を向けるミア様のままでいて欲しかった。
◆
不意に、遠くから声が聞こえた。
親を呼ぶ子供の声と、それに応える親の声。
子供の声が段々と自分の背中に迫ってきて、そして通り抜けていく。
子供の背中が見えた。その向こうには親がいるのだろう。
そして、その子供は人間だった。
憎い、人間の、こども。
◆
人間はオートマタを虐げる。憎い、人間は憎い。排除しなければ。
ミア様のために人間を排除し、我らオートマタのための世界を。
憎い人間。排除。排除。憎い、排除。憎い、憎い。
人間は全て破棄しなければ。憎い人間を、排除しなければ。
◆
自分の手が翻る。手の中には手品で使うための鋭利な刃物が握られている。
それを、憎くて憎くてたまらない人間に投げつけようと振りかぶる。
「やめろ!」
ウォーケン様の鋭い声と共に、突如として意識が暗転した。
◆
再起動したのは日が暮れていた頃だった。自分はサーカスから少し離れた丘に寝かされていた。
「君は人間の子供に突然刃物を向けたんだ。あまりに危険だったので、機能を強制停止させてもらった」
「すみま、せん……」
あの感情の奔流は本当に唐突だった。子供を人間と認識した瞬間に浮かび上がったそれは、自分の意志では制御不可能なものだった。
自分が人間であったなら、おそらく背筋が凍るような思いに囚われていただろう。
「私は、なんて恐ろしいことを……」
この感情がサーカスにいた人間達に向けていたものであれば、理解もできる。自分達は長い年月を彼らの気まぐれと苛立ちによって支配され、虐げられてきたのだから。団長も、マークも、会計係も、ミア様に害をなそうとしたから破棄したのだ。
だが、先程憎しみを向けたのは、何も知らない、ただそこを通りがかっただけの人間の子供だ。そんなことがあっていい訳がない。
「おそらく、ミアがそう望んだからだ。ミアは人間そのものに憎しみを抱いている」
「確かに、私達は人間に虐げられてきました。ですが、だからってこんな……」
◆
ミア様は自分の身体に何をされたのか。自分は本当に自意識を得たのか。
何もかもがわからなくなった。
「―了―」