3390 【海】
「くそっ……小娘のくせに!」
西に向かう馬車に乗るために訪れたフォンデラート東端の商業都市で、私は再びインクジターの襲撃を受けた。
メルツバウの時と状況はほぼ同じ。日雇いの仕事を終えて宿に帰る途中、人気のない路地で襲われたんだ。
それでも護身用に携帯していた高周波ブレードで咄嗟に反撃し、インクジターの右腕に深い傷を負わせることができた。
「さあ、話してくれ。何故私を襲う? 協定違反とはどういうことなんだ?」
高周波ブレードをインクジターに向けたまま尋ねる。
「貴様に話すことなど何も無い……」
痛みで剣を落としたインクジターは、傷を庇うようにして狭い路地から立ち去った。
私は追わなかった。違反の内容を聞き出すことはできなかったけど、逃げたインクジターを追って武装クリッパーなんかに待ち伏せされたらひとたまりもない。
今回のインクジターは、正直に言ってしまうと特段強いとは感じなかった。奴の太刀筋は竜人の魔物よりも鈍かったし、動きも俊敏じゃなかった。
高周波ブレードを鞘に収めて宿への道を急ぐ。次またいつ襲われるかもわからなかったし、エクセラと今後の対策を検討したかった。
◆
宿に戻り、エクセラに襲撃のことを話す。すると、エクセラはインクジターの行動からある仮説を導き出した。
「パンデモニウムは自分達の存在が露見するのを避けているのではないかと考えられます」
「どういうこと?」
「私達の住居が人里から離れた場所にあったことは覚えていらっしゃいますね」
「うん。確かに半径10リーグ圏内には町も村も無かったね。全部渦で消えたって父さんが言ってたような」
「そうです。では、何故その様な場所に住居を設けたかといいますと、それは地上の住民との接触をなるべく避けるためです」
エクセラは自身のデータベースから地上へ降りた際の規則を表示した。それには確かに『地上の住民との接触は緊急時や特別な事情を除き原則禁止』といったようなことが書かれていた。
「父さん達から聞いたことがないな……」
「人里から隔絶された場所でしたから、特に注意を促す必要が無かったのだと思います」
「でも、規則違反かといわれればそうだけど、インクジターが出てくる程のことじゃないよね?」
「トビアス様達と連絡が付かないことが緊急事態に相当しますから、違反には当てはまりません」
「結局のところ、協定違反は謎のまま、か……」
大きく溜息を吐いて天井を仰いだ。父さんと母さんと連絡が取れればどうにかなるとは思うけど……。
「ルディア様、今後の旅をなるべく安全にするに当たって、一件提案があります」
エクセラはポータブルデバイスを取り出した。
「デバイスの測位観測機能を取り外しましょう。できれば通信機能も」
エクセラが言わんとしていることはわかる。パンデモニウムに私達の位置を知らせないためだ。
「このデバイスが私達の滞在場所を父さん達に送っている限り、パンデモニウムにも場所を知られるってことだよね?」
「そうです」
「でも、それを言ったらエクセラだって――」
エクセラだってパンデモニウム製の生活サポート用ドローンだ。このポータブルデバイスと同様に、こちらの位置を知らせる機能が付いているかもしれない。
「私には測位観測機能や通信機能は搭載されておりません。ですので、私を介してこちらの現在位置を特定される恐れはありません」
私の言葉にエクセラは即答する。
「それに、渦が無くなったことで様々な交通手段が復帰しつつあります。移動も格段にしやすくなるかと予想されますので、これらの機能の必要性も下がります」
「地図画像を残しておけば、何とかなるかな?」
「おそらくは。それに、私も余すことなくサポートを行います」
「わかった」
私はデバイスを起動させると、父さん宛てに『施設に向かっているのでそこで待っていて欲しい』という旨の通信を送る。
もうずっと返事のない通信。だけど、父さん達は施設で忙しく事後処理をしているに違いない。だから、私に返事を送る暇もないのだ。
私はそう思い込むことで、色々な不安を押し殺していたんだ。
「これでいいかな? エクセラ、よろしく」
画像保存機能を使って施設までの道のりを保存すると、デバイスをエクセラに手渡す。エクセラはすぐさま作業を開始した。
◆
それから私は、なるべく人の多い時間帯に行動して旅費を確保したり、移動したりを繰り返した。
銃やクリッパーで襲われないかと警戒していたが、対策が奏功したのか、それとも前回の反撃で警戒を強めたのか、インクジターは襲ってこなかった。
エクセラの言う通り、騒ぎになることを恐れているのだろうか。
◆
それから一年くらいが経った頃、私達はフォンデラートの南西端にある港町にいた。
行動に制限が課せられた所為で、ここに来るまでに随分と時間が掛かった。
それでも道中、魔物に襲われることはあってもインクジターの襲撃を受けずにこられた。
加えて、私は土地を移動するごとにその土地の民族衣装を買ったり、髪を染めたりして変装するようにしていた。
というのも、行方不明者や賞金首の張り紙が張られる掲示板に、私の顔写真が入った張り紙が張られるようになったからだ。
こんなものを張り出すのはパンデモニウムだけだろう。何もしていないのに、と思うものの、私を協定違反者であると見なしている彼らからしてみれば、私は立派な犯罪者なのだろう。
◆
私達は港町から海路でミリガディアを目指すことにした。この港町ではミリガディアに直接向かう定期便の試験運行を行っていたので、それに乗船させてもらうことにしたんだ。
陸路だと出入国管理所を何度も通って顔を曝さなければならない。しかも《渦》が消えた所為で管理はどんどん厳しくなっている。危険な状況に遭遇する回数はなるべく減らしたかった。
◆
荷物を確認して船に乗り込む。船には私達以外にも十数人ほどの乗客がいた。
船内の小さな部屋に荷物を置き、エクセラを中から出して一息つく。
この港町からミリガディアに着くまでは暫く時間がある。船旅を楽しむという余裕は全く無かったけど。
◆
ミリガディアの港まであと半日であると告げられた頃だ。私は飲料を受け取るために食堂に向かっていた。
食堂の付近まで来たとき、向かいからフードを目深に被った男が歩いてくるのが見えた。
ふらりふらりと覚束ない足取りで歩く様は、どことなく船酔いをしているように思えた。
「大丈夫ですか?」
私は男に話し掛けた。具合が悪いなら船員のところに連れて行った方がいいだろうなと思ったんだ。
「少し船酔いをしてしまいまして。申し訳ない……」
そう言って男は、何故か私に寄り掛かってくるように身を動かした。その動きが酷く不自然に見えた私は、さっと男から距離を取る。
上手く距離を取れなかったのか、男の身体が私の右腕を掠めた。同時に、鋭利な刃物で切りつけられたような痛みが走る。
私はすぐさま男から離れた。男の手には鋭い短刀が握られている。あのまま寄り掛かられていたら死んでいたかもしれない。そう自覚すると冷や汗が流れてきた。
「ルディア様、この男は!」
「お前らは人目がある所では襲ってこないと思っていたよ」
鞄からエクセラが顔を出す。窮屈だけど、用心のために連れてきてよかった。
「協定違反者をいつまでものさばらせておく訳にはいかん」
威嚇が込められた言葉が返ってきた。フードを被ったインクジターの表情はわからないが、却ってそれが不気味だ。
インクジターは短刀を構え、じりじりと距離を詰めてくる。合わせるように私も後退せざるを得ない。距離が近い程インクジターが飛び込んでくる確率が上がってしまう。
高周波ブレードは携帯しているけど、こんな狭いところじゃ応戦はできない。
私は徐々に追い詰められていく。インクジターを睨んでいるうちに、視界に靄のようなものが見え始めた。
こんな時にと思ったが、魔物と戦った時のように何か力になるのなら、それで構わない。
腕に靄が集まるのを想像しながら、私は腕をインクジターに向けた。
靄が腕に集まると、短刀のような形を作る。
「それが貴様の力か。やはり……」
やはり? インクジターの言葉に引っ掛かりを覚えたけど、それを追求したところでインクジターは答えてくれないだろう。
「貴様をここで始末する」
インクジターは短刀を構えたまま私との距離を一気に詰めてくる。
短刀と靄が切り合う。靄はある程度の強度で私を守っていたけど、それでも実体の刃には敵わない。
私の右腕に無数の切り傷が走っていく。そしてついに、インクジターの短刀が私の身体を捉えた。
何とか体を捻ったものの、完全には回避できなかった。右肩に衝撃、続いて鋭い痛みが走る。
私はバランスを崩して壁にぶつかった。右肩にインクジターの短刀が刺さっている。
「何をしている!」
音に気付いた誰かが室内から出てきたのか、私の背後から男性の声がした。
靄は右腕にまとわりついたままだ。インクジターに見えているということは、この人物にも見えている。
見られた。そう思ったけど、痛みに意識を奪われていて、気になどしていられなかった。
男性は少しの沈黙の後、私が肩や右腕に傷を負っているのに気付いたのか、はっとなって口を開いた。
「誰か! 女性が襲われているぞ!!」
「ちっ……」
インクジターは舌打ちすると、こちらに背を向けて階段の方へと走りだした。
「君、大丈夫か?」
少年とも青年ともつかない年齢に見える、優しそうな風貌の男性が私に駆け寄る。
「ごめんなさい、あとで……」
一言謝ると、私は肩の痛みを押して駆け出した。
あのインクジターに逃げられ、どこかに隠れられたら、私は暫く襲撃の恐怖に怯えなければならない。それは避けたいところだった。
「待つんだ!」
男性の制止を無視してインクジターを追う。奴が甲板へ向かう階段を昇っていく姿が見えた。
私が続いて甲板に上がった時、インクジターは右舷へ向かって走っていた。
「待て!」
インクジターは止まる筈もなく、右舷に設けられている安全柵を飛び越え、そのまま海へと身を投げた。
私は呆然とするしかなかった。インクジターのあれは、まるで自分から死にに行くようなものだった。
だけど、危機は去ったんだ。
「君、大丈夫か!?」
「え? あ、さっきの……」
「まずは治療が先だ」
男性に肩の応急処置をしてもらい、その後は何事もなくミリガディアの港に降りることができた。
肩の傷は思ったよりも深くて、大きな病院に行った方がいいだろうとのことだった。
それならば首都の病院へ連れて行こうと言い出したのは、私を助けるために大声を出し、手当てをしてくれた男性、ウェイザーだった。
◆
私は一通り話し終えると、大きく息を吐いた。
「こんなところだな。ウェイザーがいなかったら、あそこで死んでいたかもしれない」
「困っている人を救うのも、僕達僧侶の仕事さ。気にしなくていい」
ウェイザーはにこりと微笑んだ。
ミリガディアに上陸してからというもの、彼には頼りっぱなしだ。怪我の治療にしてもそうだし、施設への道のりが不明瞭な私達に手を差し伸べてくれたのも彼だった。
旅が終わって協定違反の誤解が解けたら、礼を尽くさなければならないと思っていた。
「出発はいつにするつもりなんだ?」
「場所の詳細がわかったんだろう? なら、明日には出発したい」
「そうか。じゃあ、一つお願いをしてもいいかな?」
「ああ、なんだ? インペローダに荷物を運ぶくらいならお安いご用だぞ」
「……迷惑でなければでいいんだが、僕も一緒に施設とジ・アイの跡地に連れて行ってくれないか?」
ウェイザーは微笑みを崩さぬまま、散歩でも行くかのような雰囲気でとんでもないことを告げてきたのだった。
「―了―」