61アリステリア1

—- 【心】

「アリステリアよ」

まだ幼さの残る声が聞こえます。その声に目を開けると、真っ白な少女が微笑みを浮かべていました。

周囲は漆黒に覆われ、私と少女だけが、浮かび上がるように存在を形作っています。

「ご苦労だった。例のものは手に入ったか?」

「はい、ノイクローム様」

私は両手を水を掬うような形にします。すると、私の手の中に真珠のような球体が現れました。

ノイクローム様は球体を見ると、満足そうに頷きます。

「これでまた一つ、因果は正された」

白い球体がノイクローム様の言葉と共に虚空へ浮かび上がります。

そして、ノイクローム様が持つ杖の中へと吸い込まれていきました。

「ノイクローム様、あの球体は一体どういったものなのですか?」

「君は知りたがりだな」

「私達が集めているものの正体を知っておけば、今後の回収も容易になるかと」

どうにも私は、知的欲求を満たさねば満足できない性質なのです。

ですが、これもあの皇帝が私に科した呪縛であると思ってしまうと、精神的な疲労が心を覆います。

「この球体はな、歪んだ因果が消滅する際に発したエネルギーが結晶化したものだよ」

ノイクローム様の言葉に、この球体を取得した時のことが思い出されました。

私はとあるエンジニアを追い、ミリガディア王国のスラム街に顕現しました。

スラム街には、対象が製造したと思しき毒薬が散布されていました。

人々は苦しみ、藻掻き、そして己の顔を苦悶と絶望の色に染めながら絶命しています。

ですが、これはこの世界の歴史で決定された事柄。私達が因果を歪める者を断罪したとしても、決して救済されることはないのです。

最初の頃は、このような人々の死を見る度に心が痛みました。しかし今では何も感じません。それは『一刻も早く歪みの原因を絶ち、世界を正しい姿に戻すべく行動することこそが最良なのだ』という結論に達したのもありますが。

地獄絵図のようなスラム街を動き回り、私は対象であるエンジニアを探します。

「アリスちゃん、住居や酒場は駄目だったよ」

頭上から声が聞こえてくると、私の前に仮面を着けた一人の女性が降り立ちました。私と共に対象を追うベロニカです。

「そうですか。やはり、人の身として顕現すると難しいですね」

「仕方がないね。仮初とはいえ、実体を得ると現世界の法則にどうしても縛られてしまう」

「地道に行動するしかありませんね」

「じゃあ、私はスラムと都市の境に行ってみるかぁ」

「私は視界が広く取れる場所を探します」

ベロニカと別れた私は、開けた場所へと向かいます。

路地の一つを曲がったところで、胸を貫かれて絶命している男性の死体を二つ発見しました。

そこかしこに残る戦闘跡に両者の覚悟が見て取れましたが、彼らの命を奪ったのは互いではなく、第三者の攻撃であるように見受けられました。

その第三者は私達が追う対象なのか、それともノイクローム様が追跡して断罪した『違えた者』なのかは不明ですが。

二つの遺骸を横目に、私は更に歩を進めます。隻腕となっている片方の遺骸の先に、真新しい血痕が続いているのを発見したのです。

血痕を追っていくと、何者かの声が聞こえてきました。

「……あんたも、思うがままになる未来が欲しいのかい?」

「誰も知らない、見たことがない世界。オレが求めるのは未知だ。オレが生きているということだけが確定していればいい」

私は音を立てぬよう注意しながら歩を進め、対象の姿を確認します。

赤色の髪をした、右腕を失った痩身の男。それが私とベロニカが追う対象でした。

対象は倒れている一人の少年に対して、何かを施しています。

私は神経を集中させて対象を凝視します。軽い頭痛と共に、対象が両腕を無くした状態で絶命している姿が重なって映り込んできました。

この姿こそが、対象が本来辿った事象。

私はゆっくりと虚空に手をかざします。対象は少年を《渦》のようなものが出現する装置に運ぼうとしており、こちらに気付く様子はありません。

私の腕から淡く輝く白い鎖が出現します。鎖はもう一つの対象、両腕を無くしている対象の周囲を取り囲むと、一つの因果を引き寄せます。

その因果の中では、輝く金の髪に威厳のある刺青を背負った青年が、銀の剣を構えていました。

鋭い一撃が対象を襲うのが見えます。私はその斬撃を鎖で手繰り寄せました。

私はノイクローム様から、『どこかで生きる私』を犠牲にすることで正しき因果を手繰り寄せる力を授かっていました。

「お前は因果の歪みそのものだ。それ故、正しき流れに戻ろうとする因果を引き寄せ易い。ある意味、その力は私よりも優れている」

「私は間違った存在であると、ノイクローム様はそう仰るのですか?」

「それは是であり否である。お前という稀有な存在は、世界を正しき道に収束させるためにある」

ノイクローム様の言葉は酷く抽象的でしたが、私という歪な存在に対して、世界に存在する意味を与えて下さったことは確かなのです。

少年を運ぶ対象を襲う銀の閃き。それが対象の左腕を切り裂いた瞬間、因果は収束を始めました。

狼狽する対象は、必死でその胸に抱いたケイオシウム結晶に縋りつき、《渦》のような光を発する装置の中に転がり込んでいきます。

「逃がさない。アリスちゃんは少し休んでて」

私の背後からベロニカが現れると、鎖の残滓を掴んで走り出しました。

「頼み、ます……」

対象を追ってベロニカがその装置の中へと飛び込みました。同時に、この歪んだ世界の崩壊が始まります。

早く追い掛けなければならないのに、私の心を私の死が覆います。私はその場に崩れ落ちるようにして膝を突いてしまいました。

首が熱い。焼けるような熱さと共に、頭の天辺から冷たくなっていく感覚がありました。

そのまま視界が暗転しかけましたが、ひゅうと一息吸うと、すぐに目の前の風景が戻ってきます。

私は力を振り絞って立ち上がると、装置の中へ飛び込みました。淡い色彩が渦巻く空間を、ベロニカに繋がる鎖を頼りに進みます。

不意に、目の前が白い光に覆われました。ベロニカが対象を見つけたのでしょう。

「見つけた」

ベロニカの声がします。私は対象の背後に立ち、退路を塞ぎます。

「なんだ、貴様ら」

「お前の因果は、聖なる騎士と御使いの力によって正される」

対象の持つケイオシウム結晶に亀裂が入っているのが見えました。亀裂は凄まじい勢いで拡大しています。そして、さほど間を置くことなく、そのケイオシウム結晶は砕け散りました。

ケイオシウム結晶が最後に映し出したのは眼鏡をかけた若い女性。これが何を意味するのかは、私にはわかりませんでした。

「事象は収束し、お前の因果はこれで終わる」

私は対象に言葉を投げかけます。それを合図に、ベロニカの鈍器が対象の脳天を砕きました。

脳漿と血が飛び散る代わりに、泥のような液体が対象の頭から溢れ出てきます。液体は対象の身体を覆うと、球体の形へと収束しました。

完全な球体になる頃には、真珠のような輝きを放っていたのです。

男の死によって作り上げられた球体。それが、ノイクローム様の持つ杖の中に納まった球体でした。

「この球体は世界を消滅させる程の熱量を持っている。だが、一つだけでは因果を完全に正しいものへと戻すことはできぬ」

ノイクローム様は私の目を真っ直ぐに射抜きます。

「アリステリアよ、お前の願いはなんだ?」

「私は正しき歴史を知りたいです」

「お前の願いと私の願いは同じだ。全ては正しき世界を取り戻すため」

「そして、混沌に終止符を打つため」

私は、今まで以上に張り詰めた声を出しました。

ノイクローム様はその言葉に大きく頷きます。

「さあ、次の歪みを正そう」

「は、い……」

私の意識が少しずつ薄らいでいきました。次に降り立つ世界はどのような場所なのだろう。

そんな思いを胸に、私は迫り来る闇に身を委ねたのです。

「アリステリア」

懐かしい声が私の頭に響きました。

その音が私の名前であると認識し、目を開きます。

女性とも男性とも取れるような、端正な顔立ちのお方が視界に入ります。

「陛下?」

「こちらを見ておくれ、アリステリア」

「私はずっと貴方だけを見ています。陛下」

なけなしの感情を振り絞り、私は不死皇帝としてグランデレニア帝國を統治されている方の頬を撫でました。

そうすることで、彼が非常に満足すると私は知っているのです。

「ああ……」

陛下は私の言葉に微笑みを返されると、強く強く私を抱き締めました。

(ノイクローム様も随分と残酷な試練を課される)

そのような思いを抱きつつ、私は皇帝陛下を抱き締め返したのでした。

「―了―」