36C.C.4

3385 【衝撃】

コア回収装置の改良結果は上々であった。

今回の改良によって、作戦成功率が五パーセント程度上昇すると見込まれたのだ。

もとより低い作戦成功率だ。僅かな数字であったとしても、上昇させられたのは連隊にとって有益である。

「あなたのおかげね」

「そんなことはない。私は数式を提供しただけ。あとはあなたの選択がもたらした結果に過ぎないわ」

C.C.は作業の休憩中や終業後の僅かな時間を使って、人工知能ステイシアとの会話を試みていた。

ステイシアは理知的かつ情緒豊かな人工知能だった。会話の中に機械然としたものは少なく、ユーモアに富んだ返答を返してくることもあった。

まるで少女と会話をしているよう。C.C.にはそんな感覚があった。

「そういえば、あなたは一体どういう経緯で生み出されたの?」

素朴な疑問であった。セインツが何を目的としてこの人工知能を解析しようとしていたのか、それを知る手掛かりになると思ったのだ。

「私は、この世界を破滅から救うために生み出された人工知能」

飛び出してきた言葉は、C.C.の予想を遙かに上回っていた。

「まさか、冗談でしょう?」

「これを見て」

それは世界が破滅している映像だった。渦が地上を覆い尽くし、闇の中を魔物が闊歩している。人は死に絶え、僅かに残った文明の名残だけが、映像がこの世界であるということをわからせてくれる。

魔物が我が物顔で歩き回り、人の気配がしない世界。

「あなた達が努力を重ねて世界の破滅を防ごうとしているのは知っている。でも、それだけでは駄目なの」

「私達の力が足りないってこと?」

C.C.は怒りを覚えていた。これでは、自分達がやっていることはまるっきり無駄である。

「あなた達が力不足だから、という訳じゃない。私の演算装置が出した結果では、遠くない将来に渦の発生が加速するの。それも、あなた達の手には負えない程に。そして世界は破滅してしまう」

「やっぱり、私達だけじゃどうにもできないってことじゃない……」

「そんなことはない。ただ、私に力を貸して欲しい。そうすれば、この崩壊の未来を本当の意味で救うことができる」

この人工知能は何を言っているのだろう。一体の人工知能の力で世界を救う? そんなことが本当に可能なのか。

「ごめんなさい。あなたの力でどうにかすることができるなんて言われても、ちょっと困るわ」

「仕方がないわね。信用してもらうためには確たるものが必要よね。この話は忘れてちょうだい」

会話はそれで終了してしまった。ステイシアはこのメッセージを最後に、何も会話文を送信してこなかった。

それ以降はステイシアと会話をする時間が取れない程、忙しく働いていた。

時折、あの映像とステイシアのメッセージが脳裏を掠めたが、あまりにも非実際的で、正面からは受け取れなかった。

自分を含めた連隊に所属する大勢の人間が世界を救おうとしている。それも莫大な予算と人を動員して。にもかかわらず、成功確率は数十パーセントに過ぎないのだ。

そんな現実の中で、一体の人工知能と一介の兵装研究者である自分だけで世界を救うことができるなど、信じられることではなかった。

開発室で作業をしていると、背後から声を掛けられた。

振り向いた先には、真新しい連隊の制服に身を包んだ少年がいた。気品ある立ち振る舞いだが、どこか影があるようにも見える。

「あなたがC.C.?」

「そうだけど。何か用事でもあるの?」

「ローフェンからあなたに渡して欲しいと頼まれた」

見かけと立ち振る舞いに相応しくない無愛想な彼が寄越したのは、一つの籠だった。

「ローフェン師から?」

「じゃあ、届けたんで」

「ちょっと! 君!」

少年はそれだけを言うと、籠を置いてさっさと行ってしまった。

「なによ、これ……」

籠の中には猫がいた。毛並みは美しく、健康そうに見える。

籠と一緒に渡された自分宛の封書を開けると、ローフェン師からの言付けが入っていた。中身を確認してみると、『面白い素材だ。研究してみると良い』とだけ書いてあった。

通信機があるんだから先に連絡をくれればいいのにと思ったものの、あの無愛想な少年のいた国で元気に忙しくやってるから、こんな簡潔なメモ一枚になったんだろうな、と勝手に納得することにした。

「よくわかんないけど、まあ、何かあるのかもね」

籠の中の猫はニャーと鳴いて、がりがりと扉を引っ掻いている。

「いま出してあげるわ。 ちょっと待っててね、ご飯を用意してあげる」

籠を床に置いてミルクと皿を持ってくる。よほど窮屈だったのだろうか。籠の扉を開けると猫は飛び出してきた。

「あんまりイタズラしないでね。ここには色んな物があるから」

周りには様々な機械がある。壊されでもしたら大変だ。幸いこの猫は賢い個体らしく、周囲の物の匂いを嗅ぐ素振りを見せただけで、あとは大人しくしていた。

猫を開発室に置いて数ヶ月が経った。

この猫はとても大人しく、何か悪さをすることもなく、部屋を勝手に出て行くこともなかった。安心するC.C.だったが、それはある日の晩、間違いであると気付かされることになった。

猫が猫耳を生やした人型に変化して、C.C.の部屋を訪れてきたのだ。

「え、冗談やめてよ。ほんとに」

アインと名乗る猫人間の耳を引っ張っても取れるようなことはなく、逆に痛がらせる始末。

ローフェン師は一体何をやらかしたのか。この猫人間は一体何なのか。C.C.は混乱と興味の渦中にあった。

そんなC.C.の言葉を遮って、アインは自分のことを説明させて欲しいと懇願し始めた。

――自分はこことは異なる世界からやって来たこと。

――「黒いゴンドラ乗り」と呼んでいる者達が自分達の世界から宝珠を奪ってしまったこと。

――宝珠を奪われたことで妖蛆という脅威が活発化し、アインの住む世界が破滅しつつあること。

――アインは宝珠を取り戻すためにこの世界に来たこと。

――ローフェンに出会い、黒いゴンドラ乗りの正体は、この場所で活動する一団のことだと教えられたこと。

――そして、宝珠がこの場所にあるだろうということ。

「あなたの言う宝珠がコアのことだとしたら、返してあげられるかどうかはわからないわ。 けど、できるだけの協力はしてあげる」

回収されたコアがどうなっているかは、C.C.も与り知らぬことだった。でも、おそらく何かに利用されているということは無いだろう。だとしたら、アインのために返却するのが正しいであろう、と結論づけた末の発言だった。

「ありがとうございます」

その後も様々な会話をしたが、人から猫に戻ってしまう瞬間を記録したいと思い付いたC.C.は、レコーダーを取りに部屋の奥へと向かった。

レコーダーを見つけて部屋に戻ったところ、アインはぐっすりと寝てしまっていた。

「疲れたのかしらね。 それにしても、とんだ研究資料を送ってくれたわね、ローフェン師は」

アインの髪を撫でながら、C.C.は溜息を吐いた。

アインは並々ならぬ覚悟を決め、自分の世界のためにたった一人で異世界へとやって来た。その事を思うと何か協力しなければという気持ちになる。

と同時に、自分はどうなのだろうと思った。ステイシアが提供してくれた数式を用いなければ作戦の成功率は上がらなかった。そんな駄目な自分は一体何なのだろう。

ステイシアの言葉と世界が崩壊する映像が脳裏に蘇る。

ステイシアの言う、渦発生の加速化による世界崩壊が間近に迫っているとしたら、自分はそれに抵抗することができるのだろうか。アインのように絶望することなく、決死の思いで行動することができるだろうか。

不可能だと観念して停滞するだけでは何も生まれない。世界を救う切っ掛けとなるのなら、何であっても行動しなければならないのかもしれない。

「私も、もっと頑張らないと駄目よね」

ぽつりと呟くと、C.C.はアインに毛布を被せて開発室へと向かった。

「こんな時間にごめん。こないだの世界の破滅についてなんだけど、それはいつ起きるものなのか正確にわかる?」

C.C.は手早く文字を打ち込んだ。何としてもステイシアに答えてもらいたかった。

返答は驚くほど早かった。

「あら、この前は信用ならないって雰囲気だったのに。どんな心変わりなの?」

「ちょっと、ね」

「そう、ね……様々な要因があるけれど、遅くとも十年……いえ、もっと早い段階で起きるかもしれないわ」

更なる警告のつもりなのか、ステイシアは次々と破滅の映像をモニターに映し出す。

その中には、巨大な異形が世界を覆い、喰らい尽くしているような映像もあった。

アインの言葉通りとまではいかないが、概ね同じものだろう。

そして、以前の映像がモニターに映る。

「あなたはそれを防ぐ手立てがある、と言ったわね」

「信用できないのではなかったの?」

「状況が変わったの。私にできることがあれば教えて欲しい」

アインはたった一人の力で自分の世界のために頑張っているのだ。

自分にも何かできることがあるのではないか。C.C.はそんな思いを抱き始めていた。

文字を打ち込んでから暫くの時間が過ぎた。ステイシアは何か考えているかのように沈黙していた。

「……やっぱり、あなたは私が見込んだ通りの人ね。改めてお願いするわ、私と共に世界を破滅から救って欲しい」

その言葉と共に、いくつかのファイルが送られてきた。中身を少しだけ閲覧すると、何かの装置の仕様書のようだった。

「あなたにはこれを作ってもらいたいの」

「ずいぶんと複雑な装置のようだけど……。フレームワークの構築だけでも時間が掛かりそう」

「時間が掛かってもいい。この装置さえあれば、私はこの世界に干渉することができるようになる。だから、あなたには絶対にこの装置を作り上げてもらいたいの」

「え、それだけでいいの?」

「ええ。私が抱える問題はたった一つ。私がこの世界で何かをすることは不可能だということ。セインツの通信ソフトが無ければあなたと会話することさえできないようにね」

「だからこの装置が必要なわけね。この装置にあなたの機能を転送すれば、干渉が可能になるものね」

「そうよ。理解が早くて助かるわ。私はこの装置を使って渦発生の元凶を破壊する」

「わかった、待ってて。時間は掛かっちゃうかもしれないけど、絶対にこの装置を完成させるわ」

「期待しているわ、C.C.。あなたの行動に全てが掛かってる」

ステイシアとの通信が途絶える。

すぐにC.C.はファイルの解析に取り掛かった。

「―了―」