42コンラッド3

3278 【遺物】

カレンベルクのバイオリンの音がコンラッドの体に響く。

一瞬だけ身体が束縛されるような感覚があったが、コンラッドはそれを不屈の意思で跳ね除ける。

「甘い!」

振り抜いた棍はカレンベルクを完璧に捉えた。

「がっ……ひ……」

カレンベルクは悲鳴とも呻きともつかない声を吐き出しながら、床に倒れ伏す。

だが、気を緩めるような暇は無い。カレンベルクは最新かつ最高の技術によって生み出された超人だ。当人が気付いていないだけで、あらゆる能力に於いて非凡の才を持っている。

事実、カレンベルグは必死の形相でありながらも正確にコンラッドの力量を測り、攻撃の隙を窺っていた。

しかしながら、戦闘の経験という一点に於いて、コンラッドはカレンベルクを遙かに上回っている。カレンベルクの立ち回りを確認しながら棍を振るうことで、彼を聖堂の最奥へと誘導していく。

もうカレンベルクに逃げ場はない。確かにそうだった。

「神の名の下に滅せよ、カレンベルク!!」

コンラッドの声とバイオリンの音が重なったその時だった。

体中の穴から暖かいものが溢れ出る感触があった。今の今まで言うことを聞いていた身体に力が入らない。

体内から流れ出るそれが血であると気付いた時にはもう遅かった。コンラッドは全身に走る激しい痛みと共に崩れ落ちた。

コンラッドは歴戦の猛者である。決して油断はしなかった。ただ、カレンベルクの生み出すバイオリンの音が、想定を遙かに上回る速度でコンラッドの体組織を破壊しただけだった。

冷たい目がコンラッドを見下ろす。

「コンラッド祭司、ビアギッテは何処にいるのです?」

ザジの弦を弾き、カレンベルクは問う。脳髄を直接揺さぶられる感覚がコンラッドを襲う。

「ビアギッテ、は……聖……ダリウス大聖堂に……いる……」

息も絶え絶えのコンラッドに止めを刺すことなく、カレンベルクは聖堂を去っていった。

それは、尊敬していた祭司への最後の恩情だったのかもしれない。

――やはり、奴は失敗作だな――

コンラッドは嘲笑して呟いたつもりだった。だが、声は音にならず、代わりにゴボリと培養液が泡を立てた。

目を開くが、周囲を窺うことができない。

誰かの声が遠くから聞こえた気がした。外が俄かに慌しくなる気配がする。

培養液が流れ落ち、次第に五感がはっきりとしてくる。

再生槽の蓋が開く。白衣を着た研究者達が目の前で跪いていた。

再生槽から出たコンラッドを待ち受けていたのは、非情な時の流れであった。

カレンベルクとの戦闘から、二十年もの時が経過していたのだ。

しかも、コンラッドが再生槽に入って数年後、カレンベルクが聖ダリウス大聖堂を急襲。組織の壊滅を阻止するために力を使い尽くして戦ったギュスターヴは、仮死状態となって眠りに就いているとのことだった。

首領不在となった組織の指揮は、ギュスターヴの側近であり、当時は大聖堂を離れていて無事だったクロヴィスとユーリカが執っていた。

己がカレンベルクを止められなかった所為で、この様な事態になってしまった。その思いがコンラッドを支配した。

「目覚めたようだね」

療養のために宛がわれたコンラッドの部屋に、クロヴィスがやって来た。

彼の姿を認めると、コンラッドは跪き、頭を垂れた。

「申し訳ありません。此度のことは全て私の落ち度です。どのような処罰でも受ける覚悟です」

「カレンベルクの件か? それについては組織全体の落ち度だ。それに処罰をするつもりなら、君は今ここで僕と対面していないよ」

「勿体無きお言葉」

「それよりも、君が目覚めてくれたことは組織にとって僥倖だ。ギュスターヴの治療を進めるための手が足りない」

「はい。これも神のお導き。私めを何なりとお使いください」

コンラッドの口から自然と言葉が漏れた。

力を求めていた己に更なる力とそれを満足に行使できる場を与えてくれたギュスターヴに対し、恩を返す時であると感じていた。

そのために己は生き長らえたに違いない。神というものを信じ切れていなかったコンラッドが、神の采配というものを信じた瞬間であった。

コンラッドは新たな決意を胸に、ルピナス・スクールのあるローゼンブルグに戻った。

そして、未だ超人として目覚めていないスクールの生徒達に対して『超人改造』を施すことを、スクールの教師達に宣言した。

「コンラッド祭司、この決定は些か性急なのでは?」

「これは神により定められし使命だ。彼らの中に首領を復活せしめる鍵が眠っているやも知れぬ」

「で、ですが、未熟な者も少なからずおります。超人候補が死んでしまっては意味がありません!」

「ならば、教育に耐え得る者を見つけ出せ。これは神が我らに与えたもうた試練である」

首領の復活。その言葉に逆らえる者は、スクールの中にはいなかった。

粛々と超人改造が進む中、コンラッドはいくつかの計画を開始させた。

「第八階層の聖堂建設はどうなっている?」

「滞りなく進んでおります。それと、最下層の森林地帯における施設の建設も予定通りです」

「わかった」

ローゼンブルグの上級階層にもルピナス・スクールの賛同者は存在するが、それはごく一部に過ぎない。そのため、上層に聖堂を建設することで、魔都を支配する上級階層の人間を更に取り込もうとした。

加えて、ローゼンブルグの下層で暮らす孤児を救うためという名目で、施設の建設にも着手した。こちらは評議会や上層の慈善活動家に対して、ルピナス・スクールの母体となっている宗教が極めて慈善性の高いものであることを印象づける目的があった。

しかしその実体は、ギュスターヴ復活のための実験体として、孤児を効率的に集めることである。

いずれの計画も、強力な障壁によって渦から守られた魔都に残る高度な科学を全て組織の手中に収め、組織の更なる発展を促さんとしてのことであった。

「コンラッド祭司、ローゼンブルグ評議会から聖堂建設の詳細な理由を提示せよという勧告が届いております」

「目障りな奴等だ」

コンラッドはローゼンブルグを実質的に支配している評議会の横槍に、不快感を隠さずに吐き捨てる。

スクールの賛同者によって計画自体は進んでいるものの、ローゼンブルグ評議会はコンラッド達の動きを警戒し始めていた。

「如何いたしましょう?」

「今は奴等に従う。事を急いで警戒を強められれば、こちらが不利となるのは目に見えている」

「では、詳細資料を用意いたします。会見を求められた場合はどうなさいますか?」

「私が直接出向こう。そうしなければ奴等は納得しまい」

「では、そのように」

評議会の人間との会見を終えたコンラッドは、その足で下層に建設中の施設へ赴いた。

建設工事で地下を掘り進めていたところ、古い遺跡とその遺物を発見したとの報告を受けたためだ。

「コンラッド祭司、こちらです」

「規模はどの程度だ?」

「深さは10アルレほど、広さは現在調査中です」

現場責任者に案内され、掘り技かれた地面へと降りる。広く掘られた地面の四分の一ほどが、古い人工物のようなもので覆われている。

その一角には穴が空いており、下へ降りるための梯子が掛けられていた。

「この下か。中は?」

「先遣隊により、ある程度の安全は確保されています」

その言葉に頷くと、コンラッドは責任者と共に内部へと入る。

壁には明かりが灯りそうな装置があったが、動かすための動力が切れているらしく、灯りが点くことは無さそうだった。

責任者を先頭に、遺物の置かれている部屋へと案内される。

その部屋には、薄暮の時代の物と思しき機械が大量に残されていた。だが、どれもこれも長い年月の内に機能を失っているようだった。

その中に、人のような姿をした奇妙な格好の機械がいくつかあった。

一つは完全に人型をしていたが、人工筋肉や衣装と思われるものは風化しており、基礎フレームのようなものが剥き出しになっていた。

「動くのか?」

「そこまではわかりません」

古ぼけてはいたが、精巧な機械であるということは誰の目にも明らかだ。だが、コンラッドにはそれ以上のことはわからない。

「何にせよ、ここではどうにもできんな。運び出して本部に送れ。クロヴィス様かユーリカ様なら何かおわかりになるかも知れぬ」

「承知しました。おい、そいつを運び出せ」

責任者の指示で、作業員がその機械を外へ運び出そうとした時だった。

「楽園……を……創造……せよ……」

何かのスイッチが入ったのか、機械の口と思しき箇所からノイズ交じりの音声が発せられた。

「ひぃっ!?」

作業員は突然のことに驚き、妙な悲鳴と共に機械を床へ落とす。

「我らは……使徒……幸福……世界……我ら……の……楽園……」

奇妙な人の姿をした機械は、床に打ち付けられてなお、壊れた記録装置のように雑音交じりの声で喋り続けるのだった。

「―了―」