41ネネム3

—- 【くろ】

朝、みんなが目を覚ます少し前。ネネムは小さな部屋から出てお屋しきのそうじを始めます。

辺りに散らばる金属のゴミや、どこからか出てくるネジなどをかたづけるのが役目でした。

大人の人もいましたが、わかいネネムがいっしょにそうじをしていることに、何も言いません。時々ネネムのことを見ている大人はいましたが、ネネムが目を合わせようとすると、そっと顔をそらすのでした。

5才の時にお父さんとお母さんを病気でなくしたネネムは、お母さんのお兄さんが住むこのお屋しきに引き取られてきました。

ですが、そんなネネムをお兄さんのおくさんはよく思っていませんでした。

そして、ネネムを引き取ろうというお兄さんに「下働きとしてなら、このお屋しきに置いてもいい」と言ったのでした。

このお屋しきはおくさんの物で、お兄さんもおくさんの言うことには逆らえません。

どこにも行く当てがないネネムは、おくさんの言うことを聞くしかありませんでした。

「ちょっと、帰ってきたんだからむかえに来なさいよ!」

夕方のそうじをしていると、後ろから女の子の声がひびきます。お兄さんとおくさんの子どもであるシェリでした。

「使えないわね! お母さまに言いつけてやるんだから!」

シェリはおこったまま、ネネムに学校のカバンを投げ付けて自分の部屋へと向かっていきました。

投げ付けられたカバンを拾い、ネネムはシェリの後ろを追いかけます。大きなお屋しきに、ネネムの足音だけがひびきました。

ガッチャンガッチャンという音がしています。コンクリートと金属のゆかを、白い電気の明かりが照らしました。

「シェリおじょうさま、カバンをお持ちしました」

「おそい!」

シェリの部屋にカバンをとどけると、やっぱりおこられてしまいました。

「ごめんなさい」

「ほんと、グズなんだから」

シェリはカバンをひったくると、鉄でできた部屋のドアを閉めます。ガチャンという大きな音がネネムの耳に残りました。

これがネネムの毎日です。同じ年ごろのシェリが学校に行っているのに、自分は学校に行くこともできずに働くだけ。

こんな時ネネムは、何でお父さんとお母さんは自分を置いて行ってしまったのだろうと、泣き出してしまいそうになります。

ある日、ネネムがいつものようにそうじをしていると、お屋しきのげんかんがさわがしくなりました。

お兄さんとおくさん、そしてシェリがめいっぱいおめかしをしているのが見えます。

足を止めてげんかんを見ると、お兄さん達と同じ歳くらいの男女と、ネネムと同じ歳くらいの男の子が出むかえられていました。

「今日はいそがしい中ありがとう」

お兄さんと男の人は笑いながら会話をしています。とても仲が良さそうでした。

「さ、グレゴール、ちゃんとごあいさつを」

女の人にせなかをおされて、男の子がお兄さん達の前に出ます。

大きな目がとてもきれいな子だな。いつまでも見ていたいな。と、ネネムは男の子にそんな思いを持ちました。

「初めまして、グレゴールです」

「初めまして。ようこそ。さ、シェリもごあいさつなさい」

グレゴールがあいさつをすると、今度はシェリがお兄さんに言われて前に出ます。

「は、はじめ、まして……シェリ、です……」

いつもネネムに向かってどなるシェリはどこへやら、顔を真っ赤にしてたどたどしくグレゴール達にあいさつをします。

いつもいばっているシェリがあんな風にきんちょうしているのを見るのは、少しだけおもしろいと思えました。

その後の様子は、そうじの続きがあったので見ることができませんでした。ですが、男の子のあのきれいな目が頭からはなれません。

こんなことは初めてで、ネネムはいじいじしながらそうじを続けました。

昼になり、うらにわで鉄のゴミを拾っていると、グレゴールとよばれていた男の子がやってきました。

きょろきょろと、落ち着かなそうに周りを見ています。

「どうかしましたかぁ?」

お屋しきはとても広いため、きっと迷子になったんだろう。そう思ったネネムはグレゴールに話しかけます。

おくさんやシェリに見つかったらおこられるかもしれませんでしたが、少しでも男の子とお話しがしたかったネネムは、つい話しかけてしまったのです。

「あ、きみは……?」

グレゴールは自分やシェリと同じくらいの女の子が、みすぼらしい格好で庭そうじをしていることにおどろいたようでした。

「ネネムといいます。ここではたらいてるんですよぉ」

ネネムはおどろくグレゴールに、頭を下げて自分の名前を言いました。

「そうなんだ。ぼくはグレゴール。よろしくね」

グレゴールはきれいな顔をゆるめながらネネムに手を差し出します。あく手がしたいのだと気付いたネネムは、グレゴールの白い手をにぎりました。

それから、たびたびお屋しきに遊びに来るグレゴールとは、お兄さんやおくさん、シェリの目からかくれて会うようになりました

会う場所は、最初に二人が出会ったうらにわです。

グレゴールが語ってくれるお話しはとてもおもしろく、ネネムはにこにことグレゴールの話を聞いていました。

毎日そうじをしているのにすぐにきたなくなるお屋しきも気にならなくなるくらいに、ネネムはグレゴールが来る日を心待ちにしていました。

でも、そんな楽しい日は長く続きませんでした。ある日、シェリがグレゴールをさがしにうらにわまでやって来たのです。

「なによ! ネネムのくせに!」

シェリは目をつり上げておこります。シェリの後ろから黒い何かが立ちこめていました。

太陽の光はいつの間にかなくなり、あたりがどんどんと暗くなっていきます。

「ネネム、にげよう!」

グレゴールがネネムの手を引っ張り、立ち上がろうとします。

ですが、グレゴールに引っ張られたはずなのに、ネネムはその場所から動くことができませんでした。

グレゴールの手には、手ぶくろのようになったネネムの手の皮が残っていました。

「これ、は……」

ネネムは自分の手をぼうぜんと見つめます。

それは、お屋しきのゆかやかべと同じ、金属でした。

「ごめん。僕はまた君を助けられないみたいだ……」

グレゴールは悲しそうな声でネネムに言いました。

「グレゴール? なにを言っているの?」

「ゴメン、ゴメンね。次はちゃんと助けるから」

グレゴールは涙を流しながらネネムを見つめていた。

呆然と立ち竦むネネムの周囲を、黒い影が覆っていく。

「次こそは絶対に助けるから。僕の……いも……」

黒い影に飲み込まれていくネネムの耳に、グレゴールの悲痛な声が響く。

「まって、ねえ。グレゴール!」

やがて、ネネムの視界は完全に黒に覆われた。

何も見えない。何も聞こえない。

自分がどんな状態でいるのかすら把握できない。

「なにがおきているの? ねえ、だれかここからだして!」

ネネムは必死に叫ぶ。だが、その声は暗闇に吸い込まれていくだけだった。

「ママ、グレゴール。ダメじゃない。ちゃんとアタシの言った通りにしなきゃ」

不意に少女の声が聞こえてきた。その声は昔どこかで聞いたことがあるような気がした。

「……っ!? いたっ――」

少女の声がネネムの耳に届いたと同時に、強い頭痛に襲われる。

脈動がネネムの意識を奪うように踊り、ネネムを侵蝕する。

「あはははははははは! ねぇママ、聞いて! 今度はアタシも一緒に遊ぶことにしたの! 嬉しいでしょう?」

「やめて! やめてよ!」

ネネムは叫ぶ。全ての記憶が塗り潰されていく恐怖を退けようと、懇願する。

親を失い、引き取られた先で虐げられてきた自分。素敵な男の子に出会い、恋に落ち、救われていく自分。

その記憶が、脈打つ鈍痛と少女の笑い声と共に失われていくのを感じていた。

「助けてっ!!」

「ママ……?」

がばりと起き上がったネネムの目に飛び込んできたのは、かわいい我が子ステイシアでした。

うなされていたネネムを心配そうに見つめています。

「ママ、大丈夫?」

「え……? あ、ごめんねステイシア。びっくりしちゃったね」

「ううん、ママが大丈夫ならアタシはそれでいいの」

そう言って、ステイシアはネネムに抱きつきます。

ネネムはそんなステイシアを抱き締めます。こんなかわいい我が子を悲しませてはいけない。

(でも、こんなに大きな子ども、私にいたかしら……?)

ネネムはふと、そんなことを思ってしまったのです。

「―了―」