2769 【始動】
薄暮の時代、世界の改善を使命とするエンジニア達は、遺伝子操作を加えた人間を作り出した。
そして、その中でも特に秀でた三人にレッドグレイヴ、グライバッハ、メルキオールの名を与え、世界の改善と革新を託した。
ギュスターヴは、この三人の中に選ばれなかった数百人の内の一人だ。
彼を含めた数百人の子供達は、レッドグレイヴ達に勝るとも劣らない優れた能力を持っていた。ただ、彼等が持っていた能力はその時の技術者達が求めた能力、世界の頂点に立って人々を導くための能力ではなかった。それだけの話だった。
◆
「お前達の命は世界を改善し、更なる発展を目指すためのみにある。努々忘れるな」
物心ついた頃から『親』に該当する存在に言われた言葉は、到底幼子に聞かせるようなものではなかった。だが、その言葉は刷り込みのようにギュスターヴ達の思考を支配していった。
十数年後、親の言葉に押されるように、遺伝子操作を加えられた子供達は世界を改善する使命のために研究を続けていた。
子供達は各分野で目覚しい活躍をし、世界は少しずつ改善されていった。
◆
ギュスターヴは半年に一度の定例発表のために、統治局へ赴いていた。
この定例発表に集まるのは、ギュスターヴと同じ時に生み出された者達だけだ。この定例発表は、遺伝子操作を加えられた人間にとって非常に重要な意味があった。
ここで発表された研究が統治局に実用性を認められると、実用化に向けた研究を始めることができる。膨大な予算が組まれ、最適な環境と優秀な人員を取り揃えて更なる研究を進めることが可能となるのだ。
「やあ、ギュスターヴ。変わりはなさそうだな」
先に会場に着いていたテクノクラートから声を掛けられた。
「やあ、グラント、ゲイル。二人とも変わりなさそうだな」
「トリートメントを受けたばかりだからね。元気にも見えるさ」
グラント、ゲイルの二人とは、研究分野が近いためか、よく情報交換を行っている。やり取りの全ては電子メールや音声通信で行っているので、実際に会うのはそれこそ前回の定例発表以来だ。
「自明だったな。それよりも、前回提供した情報は無駄になっていないだろうな?」
ギュスターヴはグラントに向き直る。
「お陰様で、何とか発表に間に合ったよ」
「二人とも、続きは会場の中でやろう。早くしないと、話すどころじゃなくなってしまうよ」
提供した情報について話し込みそうになったところを、ゲイルに促される。
三人は会場に入り、隣り合った席に座った。
ギュスターヴはそこで、遺伝子治療の成功率を更に高める画期的な研究を発表した。
グラントもスムーズに発表を終えて席へと戻ってきた。入れ替わりにゲイルが席を立つ。
いくつかの発表の後、ゲイルの研究発表が始まった。
ゲイルは人の神経細胞を通る電気信号を変換し、電子ネットワークと相互に繋ぐ研究を発表した。これの実用化が決まれば、人類は更に豊かな生活を送ることができる。
極めて革新的な研究内容であった。
◆
出席者全員の発表が終わった後、順に統治局の審査が下された。
ギュスターヴとグラントの研究は実用化までは認められなかったものの、研究の更なる発展のための予算が組まれることが決定した。
成果としては上々だ。
「あとはゲイルだけか」
「今回の発表は凄かったな。実用化が決定すれば、人類は更に発展する」
「僕も君達に負けていられないからね。少し冒険をしてみたのさ」
確かに、ここ数年のゲイルの評価は芳しくなかった。
それについて相談を受けたギュスターヴは、ゲイルの性質が慎重なために思い切った研究ができていないことが原因であると指摘していた。その指摘を受けて行動を起こした結果が今回の研究であるとしたら、その時の助言は良い方向に働いたということだろう。
それを思うと、ギュスターヴは嬉しくなった。
そして、ゲイルの研究についての審査結果が告げられる。
「ゲイル技官の研究について、時期尚早という結論が出た」
先程までと打って変わって、重い沈黙が三人を襲う。反対に、周囲は困惑したようにざわついていた。
ギュスターヴがこの研究を革新的であると判断したように、他の者も同じような思いだったのだろう。
「静粛に。この研究は確かに革新的ではあるが、それを一般市民が安全に扱えるようになるためには、今しばらくの時間が必要との判断である」
統治局の言葉を代弁するエンジニアは言葉を続けた。
「この研究は、現在の文明レベルが数段上がった後に再評価を受けることになるだろう。為に、再評価の期限は不明」
会場は更にざわついた。だが、エンジニアはそのざわつきを気にも留めない。
「よって、ゲイル技官の発表は無効。三ヶ月後に別の研究の発表を命じる、以上だ」
◆
全ての審査が終わった後、三人は足早に会場を後にした。誰も互いの顔を見ようとはしなかった。
ギュスターヴが声を掛けるべきか逡巡していたところ、ゲイルが二人の前に進み出て振り返った。
「はは。仕方がないよ。統治局の御眼鏡に適わなかった、ただそれだけさ」
努めて明るく振舞おうとするゲイルの声色は、どう聞いても精彩を欠いていた。
「さあ、帰ろう。二人とも次の研究課題が待っているんだろう?」
ゲイルは僅かに微笑むと、ギュスターヴとグラントの背を軽く押すのだった。
◆
定例発表が終わってから数日のことだった。
ギュスターヴの研究所兼自宅に、一通の音声付き電子メールが届いた。
差出人はゲイルだった。
定例発表の件もあり、薄ら寒い嫌な感覚があった。
気のせいであることを願いながら、ギュスターヴはすぐにメールを開く。自動的に音声が再生された。
『私は、私という存在の意義を見出すことに疲れた。この電子メールを君達が見る頃には、既に私は自死しているだろう』
メッセージはまさに遺言だった。淡々と語られるメッセージに、先日会った時のような柔らかい口調は無い。
言葉の内容から、この電子メールはギュスターヴの他にも何人かに送られているように受け取れた。
『私は、私が思っていたより弱い人間だったようだ。もう私には研究を続ける気概は無い』
音声に重なるように、ギュスターヴの通信機がけたたましく着信を告げた。
「おい、ギュスターヴ! ゲイルから――」
通信機越しに、グラントの焦った声が聞こえてくる。
「いま聞いている……」
青ざめるギュスターヴ。グラントにもメールが届いているということは、この電子メールはあの定例発表でゲイルを気遣った者全員に送られている可能性が高い。
『このような弱い私に手を差し伸べてくれたことに、唯々感謝するしかない。ありがとう』
ゲイルの抑揚のない声が耳に吸い込まれていく。
『だが、君達は私とは違う。私のようには決してならないでくれ。それが私の最後の願いだ』
音声はここで終わった。どこか悟ったかのように、最後まで淡々としていた。
◆
ゲイルの死は、ギュスターヴ達が電子メールを受け取った数日後に周知された。
葬儀はひっそりと行われた。バックアップ用のクローンがあったが、センソレコードを移すことはせず、クローンも全て処分することになった。
このまま記憶を引き継がずに死なせて欲しいという、故人の意向だった。
葬儀に訪れた者はひどく少なかった。遺言を送られたギュスターヴとグラント、そしてゲイルが所属していた研究所のエンジニアが三人程。ギュスターヴやグラント以外の同期達は、ゲイルの死をどうでもいいものと判断したようだ。
葬儀が終わってすぐ、ゲイルが行っていた研究を引き継ぐテクノクラートが発表された。統治局と連名で提出された声明文には、統治局と共に人類の発展を目指すといった旨の文章が綴られている。
それは、統治局がゲイルの死を末梢的に扱っていることの証拠のように思えた。
◆
「私は、統治局が何を考え、何をもって世界を改善しようとしているのか、わからなくなったよ」
「奇遇だな。私も同じようなことを考えていた」
ゲイルの墓前で呟いたギュスターヴの言葉に、グラントは静かに頷いた。
「統治局の行うことは、本当に世界の改善に繋がるのか?」
ギュスターヴは疑問を呈する。
「わからない。だが、ゲイルはこんな風に自死するために生まれてきた訳ではない筈だ」
確かに、ゲイルは大きな評価を受けたテクノクラートではなかった。だが、誰よりも熱心に世界の改善を進めようと努力していた。
「ああ、その通りだ。だが、どれほど革新的な技術を発明しても、統治局の意向に沿わなければ排除されてしまう。こんな世界は間違っている」
「お前、何をする気だ?」
ゲイルの墓から立ち去ろうとするギュスターヴを、グラントは怪訝な目で見やった。
「黄金時代の研究資料を探す。我々を生み出すに至った技術者達の思惑を知り、本当の意味での世界の改善とは何かを見出す」
ギュスターヴの強い言葉に、グラントは眉を顰めた。
「私達全員の出生に砂を掛ける行為になりかねんぞ」
「このままレッドグレイヴや統治局の傀儡として生きる気は、もう私には無い。統治局の支配から脱する方法を探し出すんだ……」
「ギュスターヴ……。いや、何も言うまい。君を止められる言葉を、今の私は持っていないよ」
それきり黙ってしまったグラントを一瞥すると、ギュスターヴは今度こそゲイルの墓前から立ち去るのだった。
「―了―」