—- 【恐怖】
店主である中年男性に教わったとおりに、痩せっぽちの少年が丁寧に玩具の箱を梱包していた。
玩具は大昔の戦争で使われた『機獣』をデフォルメしたものだ。機械の獣という造形が少年心をくすぐるらしく、この店では一番の売れ筋商品で、これが最後の一つだった。
梱包し終えた玩具を客に渡し、代金を受け取る。
「ありがとうございました」
障壁に守られたとある商業都市。都市の中心から少し外れた一角に、その玩具屋はひっそりと佇んでいた。
少年がこの玩具屋で働き始めてほぼ一ヶ月。ようやく梱包や接客にも慣れてきた。
この玩具屋は、店主とこの少年の二人だけで営まれていた。
◆
店内に人がいなくなったのを見計らって、少年は店内の掃除を始めた。
棚の上から順番に磨き、埃を丁寧に払っていく。
「……あれ?」
最後の床磨きをしている最中のことだった。
少年は、店の奥にあるガラスケースの中に長方形の陶器の置物があることに気が付いた。
「掃除は終わったか?」
置物を見つめている最中に、奥にある工房から店主が顔を出す。
「あ、店長。もうすぐ終わります。あの……」
「ん? ああ、これか。近々うちで人形を扱うつもりでな。これはその試作品のグレゴールだ」
少年の視線に気付いた店主は、軽い説明をした。
店主の本職は玩具職人であり、玩具屋は店主が作り上げた作品を売るための媒体であった。
「そうでしたか。でも、人形なんて珍しいですね」
「何事も挑戦だよ。人形を買う客が増えれば、うちの店ももっと繁盛する。さぁ、わかったら掃除の続きだ」
「あ、はい!」
置物に気を取られて掃除が疎かになっていたことを自覚した少年は、大慌てで掃除に戻るのだった。
◆
数日後、開店前の掃除をしていた少年は、ガラスケースの中の陶器の置物に、球体と長方形の部品が付け加えられているのを見つけた。
人形には詳しくないが、胸部と下腹部らしきものを球体で繋いでいるようなので、店主は球体関節人形を作っているのだろうと思った。
昨日掃除をした時は置物のようなものしかなかったので、夜のうちに店主が手を加えたのだろう。
更に掃除を進めていくと、数日前に客が買い上げた機獣の模型が、薄汚れた状態で倒れているのを見つけた。
この形の機獣の模型は最後の一点だったため、少年はよく覚えていた。不思議に思いながら模型を眺めていると、店主が工房から出てきた。
「どうした?」
「店長、この機獣の在庫はもう無かったはずでは?」
「あぁ、それか。知り合いの玩具職人から置いてくれと、急遽頼まれたんだ」
「そうだったんですね。でも、ちょっと汚れています。綺麗にしてからの方が良いのでは?」
「そうだな、頼む」
少年は模型を手に取ると、会計カウンターにある椅子に座って掃除を始めた。
汚れは泥や土埃が主だったが、それに混じって赤黒い何かが付着していた。錆のようにも見えたが、水を付けた綿棒で拭うとすぐに綺麗になった。
◆
それからも同様のことが起こり続けた。それは決まって人形に手が加えられた時だ。
人形の制作はかなり進んでおり、服も着せられていた。あとは顔を残すだけだ。
◆
「店長、何かおかしいです。夜中に誰かが入り込んでるんじゃ……」
「そんな筈はない。私が陳列したものを見間違えてるんじゃないか?」
少年が店長に何度となく言っても、気のせいではとはぐらかされる。実際に現場を見せても、これは自分が置いたものだと言われてしまう。
「ですが……」
「少し働かせすぎたかもしれんな。これでも飲んで今日は帰りなさい」
ついにはホットミルクを差し出されて、心配される始末であった。
少年はおとなしくカップを受け取った。確かに疲れているという自覚はあった。
店主は少年がホットミルクを飲み始めたのを見ると、工房へと戻っていった。
◆
ホットミルクを飲み終えた後、少年は急激な眠気に襲われた。暖かいものを飲んで余計に疲れが出てしまったのかもしれない。
店主には申し訳ないと思いながらも、少年は会計カウンターの隅で仮眠を取ることにした。
◆
少年は不意に目を覚ました。周囲は暗闇に包まれていて、うっかり何時間も寝てしまったようだと思った。工房に続くドアからは明かりが漏れている。店主はまだ工房で作業しているようだ。
しまったと思いつつ、少年は店主に声を掛けてから帰ろうと思い、工房のドアをそっと開けた。
だが、工房に店主はいない。不思議に思いながら中に入ると、鉄錆のような臭いが鼻を刺激した。
あまりの臭いに顔を顰めつつ、少年は店主の姿を探す。もしかしたら何かの事故で店主が大怪我を負っているのでは、だとしたら大変だと思ったからだった。
店主を探すうち、奥の水場から水の流れる音がしてきた。少年は水場をそっと覗いた。
水場では、店主が何かを鋸で切断していた。
ごりごり。ごりごり。木とは違う何かを切る音。
切断されたものが水場の台に無造作に置かれた。それは湾曲した白い棒のようなものだった。次々と棒が台に置かれていく。
次にぐちゃぐちゃと何かを掻き混ぜるような音と共に、ぶよぶよとした塊が取り出された。その塊は次々とごみ箱に捨てられていく。
塊に視線を向けて目を凝らす。その塊は、赤く染まった人間の片脚であった。
店主が解体しているものが人間であると気付いた少年の喉の奥から、何かが込み上げてくる。
今ここで吐瀉すれば店主に見つかってしまう。何とかこの場から静かに去ろうとした少年だったが、凄惨な光景に怯えた体が言うことを聞かない。ついにバランスを崩して、その場で転んでしまった。
音に気付いた店主が少年の方へ顔を向ける。その顔は飛び散った血で汚れていた。
「なんだ、目を覚ましてしまったか。おかしいな、計算では作業が終わるまで寝ている筈なんだが」
店主の声にはいつもの優しさが消え失せており、少年を見つめる視線は酷くねっとりとしていた。
「ひぃっ!?」
少年は水場から転げるようにして逃げ出す。工房を飛び出して店の出口に向かおうとすると、店内の玩具が一斉に少年の方を向いた。
「なん……なん、でっ!」
模型の目、古い時代の自動車のヘッドライト、動物を模したぬいぐるみの目。
それらが少年をじっと見つめたかと思うと、ゆったりとした動作で動き出す。
「あ、う、うわああああ!」
少年は恐怖のあまりに叫び声を上げる。手近にあった玩具を手に取り、動き出した玩具に投げつける。
だが、投げつけた玩具もぶつかった玩具も何事もなかったかのように起き上がり、少年へ近付いてくる。
「顔だけは傷付けるなよ」
店主の声がした。何の感情もこもっていない店主の声に、少年は跳ね上がるようにして駆け出した。
だが、足元に群がる玩具が行く手を阻もうとしてくる。少年は群がる玩具を蹴り飛ばしながら、必死で店の出口へと向かった。
あと少しで外に出られる。店のドアに手を掛けたその時、少年の体を強い衝撃が襲った。
「危ない危ない。あまり手間を掛けさせるんじゃないよ」
倒れ付す少年の耳に、店主の声が入る。
だが、少年はその声に何も応えることができないまま、意識を失った。
◆
外から聞こえてきた鳥の鳴き声で、少年は目を覚ました。
ホットミルクを飲んだ後、そのまま朝まで寝入ってしまったようだ。
店主と玩具に襲われるなんて、酷い夢を見たものだと少年は考えた。
それよりも、店内で寝てしまったことを店主に謝罪しなければ。そんなことを考えながら起き上がろうとする。
だが、動かない。高熱を出して寝込んでしまった時のように、体が石のように動かない。
おかしい。そもそもここは何処だ。
少年は今更ながら、見知ったようで知らない景色が視界を埋めていることに気が付く。
「おはよう」
店主の声が聞こえた。声のする方を振り向くこともできない。
「さあ、店に出ようか」
まるで自分の子供に話し掛けるようにしながら、店主は少年を抱き上げた。
そのまま見知った玩具屋の店内へと入ると、店主は店の中心に新しく作られたショーケースへと歩いていく。
段々と近付いてくるショーケースのガラスに映ったのは、痩せこけて見窄らしい自分の姿ではなかった。
色白だが健康的にふっくらとした頬。ちょっと眠たげに伏せた目。薄く色づいた上品な形の唇。上等な青い貴族の服と左胸の青いバラのコサージュは、店主があの少年型の人形に着せていたものと全く同じだった。
少年は叫び声を上げようとする。
だが、声は出ない。作られた陶器の口は堅く堅く閉ざされていた。
店主は少年をショーケースに備え付けられた豪奢な椅子に座らせると、にっこりと笑う。
「かわいい私のグレゴール、今日からここがお前の居場所だよ」
店主とグレゴールと呼ばれた少年の目が合った。
「お前は誰にも売らない。私の家族として、私の息子として。ずっとずっと一緒にいよう」
店主の目に宿るのは、昨夜見たときと同じ狂気の色だ。
◆
美しい少年の人形が飾られた玩具屋は繁盛を続けた。少年は玩具屋の看板として、店の中心にあり続ける。
――助けて! お願い、誰か!――
店の中心で少年は叫ぶ。自分の声が誰かに届くまで、諦めずに叫び続ける。
だが、少年の声は誰にも聞こえない、届かない。
少年の心が朽ち果てるその日まで、少年は叫び続けるのだった。
◆
「グレゴール、起きなさい」
少年、否、グレゴールの意識は美しい少女の声で浮上した。
「おはようございます」
「今回の体験はどうだった?」
「とても恐ろしいものを見ました。できれば二度と体験したくありません」
「凄いわ、その感情はとても大事なの。一度の体験で理解できるなんて」
「ありがとうございます、ご主人様」
「―了―」