65レタ1

—- 【珠】

深紅色の砂漠の先に見えるオアシスに向けて、レタは歩いていた。

砂漠には風が吹き付けており、レタはフードとマスクで砂が侵入してくるのを防いでいた。

「レタ、大丈夫か?」

レタと同じようにフードとマスクを被った女、ホロムゥがレタの方を振り返る。

心配そうなホロムゥの声色に、レタは努めて明るい声で答えた。

「ちょっとだるいけど、平気」

レタは不調であることを隠さなかった。ホロムゥは非常に鋭い勘をしている。隠してもすぐに露見してしまうことを、レタは理解していた。

「そうか。もうすぐ町だ、それまで我慢してくれ」

砂漠のオアシスにある町は静まり返っていた。丸い建築物や屋台のようなものは見えるが、人が外に出ている様子がない。

「昼間だからかな?」

レタは感じたままに言葉を発した。

前に訪れたオアシスの町は、同じような時間でも活気があった。

「それにしても、静かすぎるな」

人の気配はそこかしこにあるのに、誰一人として外を出歩いていない。

ホロムゥは周囲を見回すと、屋台のような所へと歩いていく。屋台には紫色をした果実や、白い葉を持つ野菜のようなものが並べられていた。

ホロムゥが屋台に近づくと、額から一本の角を生やした小柄な人型が姿を表した。

人型は皺くちゃの顔で怪訝そうにホロムゥを見ると、レタには理解できない言葉で話し掛けてくる。その言葉を受け、ホロムゥも同じ言語で会話をする。

彼女は自身の発明品によって異界の言葉を理解し、異界の住民とコミュニケーションを取ることができる。その発明品を持たないレタは会話に参加できない。

言葉が理解できないレタは、近くの日陰に座って休むことにした。屋台の店主とホロムゥはかなり長い会話をしているようだった。

ぼんやりとしていると、屋台に置かれていた果実をいくつか買い入れたホロムゥが、レタの元へ戻ってきた。

「少し先に旅人用の宿があるそうだ。行くぞ」

「はぁい」

宿に向かうと、先程の屋台の店主と同じような姿の人型に出迎えられた。

砂漠の砂を玄関口で払い落とすと、建物の中に案内される。中はひんやりとしており、麻布のようなカーペットが敷かれていた。寝室と思しき場所にはクッションが敷き詰められていて、自由に寝転がれるようになっていた。

人型がお辞儀をして去ると、レタとホロムゥはフードとマスクを脱いだ。

レタとホロムゥの外見はぱっと見似ているが、明らかな差異がある。

ホロムゥには眉のように見える一対の複眼があり、臀部からはペタペタとした手触りの尻尾のようなものが生えていた。

レタは褐色の肌をしているものの、複眼も尻尾も無い。二人は似たような二足歩行型の姿形ではあるが、全く異なる種族であった。

「ふへへ」

ベッドではないにしろ、久しぶりに柔らかなクッションで寝られると思ったレタは、顔をほころばせる。

レタがクッションに埋もれて幸せを噛み締めていると、宿の主が顔を覗かせに来た。主の後ろには二本の角を生やした人型がいた。

「レタ、留守番を頼む」

ホロムゥは二人の人型を見ると立ち上がり、彼らと一緒に何処かへと行った。

種族こそ違うが、レタとホロムゥは共に自分のいた世界へ戻るための手段を探して旅をしている。

レタは《渦》による災害で別の世界に転移し、故郷に帰るために放浪していたところでホロムゥと出会った。放浪中に目覚めた不思議な力でホロムゥを助けたことが切っ掛けで、共に旅をするようになったのだった。

ホロムゥは様々な世界を渡り歩く学者だ。かつて実験中の事故で別の世界に飛ばされ、それ以来自分の世界に戻るために必要な物質を探して旅をしていると聞いていた。

ややあってホロムゥが戻ってくる。

「どうだった?」

「やはり町の北にある洞窟に、それらしいものがあるらしい」

「当たりかな?」

「どうかな? 数週間前に大きな岩で洞窟が塞がれたらしく、その岩のせいで町の連中も困っているらしいから……」

「行ってみないとわからないか」

「ああ。とりあえず休もう、陽が落ちたら出発だ」

宿を出て、この町の中心だという泉の近くを通る。泉の水は殆ど溜まっていない。

北の川から水が流れ込んではいるが、その量は少なく、この泉を満たせるとは到底思えない。

この僅かな水を無駄遣いしないために、住民はなるべく外に出ることを控えていたのだ。陽に当たって体力や水分を消耗するのを防ぐためだと、ホロムゥはレタに説明する。

レタとホロムゥは僅かに流れる川を辿り、北へ向かう。

暫く歩いていくと、赤い岩だらけの山が見えてきた。更に進むと、大きな岩の隙間から少しずつ水が漏れ出ている場所に辿り着いた。

町の人が岩を破砕しようと頑張った痕跡も見つかった。

「あぁー、これは確かに……」

「予想より大きいな。レタ、動かせるか?」

「んー、これくらいなら簡単かな」

そう言いながら、レタは岩の前に立つ。

「おい、岩の前に立つな。中の水量次第では流されてしまうぞ」

「あ、そっか。そうだね」

ホロムゥに言われ、岩の横に立つ。

「持ち上げる時は少しずつ持ち上げるんだ。隙間から徐々に水を逃がせ」

レタは手をかざして意識を岩に向ける。

これがレタの持つ不思議な力だった。原理は自身でもわからないが、どんな物体でも持ち上げたり引き寄せたりすることが自在にできる。

ホロムゥによれば念動力の一種だろうということだったが、レタにとっては『便利な能力』程度の認識しかない。

黒い波動のようなものがレタの手から放出されると、岩がゆっくりと動き出す。

岩が浮き上がり、隙間から押し留められていた水が勢いよく出てくる。

「そこで止めろ。ひとしきり中の水を放出したい。支えていられるか?」

「任せて」

勢いよく流れ出てきた水が、次第に静かな川のようになっていく。

「もういいかな?」

「大丈夫そうだ。その岩はどこか邪魔にならないところに放っておこう」

レタは手を動かすと、岩を平らな砂地へと置く。転がる様子が見られないことを確認して、洞窟の中へと入った。

洞窟の中は水が充満していた影響か、ひんやりと湿っていた。危険な生物も生息しておらず、難なく最奥に辿り着く。

最奥には淡い青色に輝く球体が、岩の台座に鎮座していた。珠からは止め処なく水が溢れており、この珠に不思議な力があることは一目瞭然であった。

「これが町の人が言ってたやつかな」

「そうだな」

ホロムゥは背負っていたバックパックから小さな四面体を取り出す。所々が虹色に輝くそれを珠に近づけると、淡い光が漏れ出した。

光が珠を隅々まで照らすと、四面体の輝きが赤一色に変化した。

「違うか……」

「そうなの?」

「ああ。ケイオシウム結晶と性質は似ているが、構造が全く違う」

「とすると、この水はどこから……」

「水を運ぶことに限定されているが、この結晶自体が別の世界に繋がっている可能性が高い」

珠は確かに不思議な力を持っていた。珠からは尽きることなく清らかな水が湧き出ている。

「そうなんだ。……じゃあ、これはこのままここに?」

「これが無ければあの町は滅びる。ケイオシウム結晶でない以上、そっとしておくのがいいだろう」

ホロムゥはそう言うと、四面体をバックパックにしまった。

この珠は目当てのものではなかった。再び目的のものを探すために旅立たなければならない。

「一度あの町に戻ろう」

「そうだね。水がちゃんと通ったかも気になるし」

町は復活した水の流れによって歓喜に包まれていた。

ホロムゥが町の人に、岩をどかしたことと自分達はもう旅立つことを告げる。

町の者達は感謝の意を込めて、レタ達が持てるだけの食料と水を渡した。

食料と水を手に入れたレタとホロムゥは町を去った。

二人は再び紅い砂漠を歩く。視線の先に、黒い何かが風と共に揺らめいた。

「次は見つかるかな?」

黒い何かを見つけたレタは、期待を込めた眼差しでホロムゥに問う。

「どうだろうな。だが、見つけなければ」

「そうだね」

紅い砂漠の向こうに見える黒い何か。その先に見える世界が何処なのかはわからない。

それでも、レタ達は歩みを止めない。その先に目的のものがあるかもしれない。その可能性だけを頼りに進む。

黒い何かはレタ達をゆっくりと包み込むと、風に溶けるように彼女達と共に消え去った。

「―了―」